第7話 初対面

 君について、知りたいことがたくさんある。詳しく話を聞かせて欲しい。好きな食べ物、色、花、映画、洋服、趣味は何か、色んなことを知りたい。せっかくお付き合いを始めたのだから、相手のことを深く知ろうとするのは別に間違いではないでしょ。

 だから教えてほしい。ストーカーについても、君の声についても。

 だけど、君はストーカーについても、君の声についても、詳しいことを教えてくれない。僕のことを信用していないのか、それとも頼りないのか、どちらにしてもそうであるなら努力する。

 君を守る、君を好きになってからそう決めていたんだ。過去の罪の償いとは言わないけど、これは僕の使命なのだと勝手に決めつけた。


 現状、ストーカーについて分かったのは、美歌との同居を親御さんに許してもらえるよう話に行った時だった。

 初めて彼女の実家に行くのだから、とても緊張して前の夜はなかなか寝付けなかった。朝になって食事をしようと思っても、パンの耳すら喉を通らず、何も口にしていないのにお腹を下した。この緊張は一生忘れない。


 身支度が終わると、何度も家の中を見て回った。コンセントは抜いたか、エアコンは消したか、カーテンは閉めたか、何回確認しても忘れてしまう。車で向かおうというのに、家に鍵を忘れて取りに行き、エンジンをかけようとそれを差し込もうとするが、手が震えて上手く差し込めない。

 こんな姿見られたら、絶対安心して任せてくれないだろうと、額からじんわり汗が出てきた。


 わざわざ彼女の実家ではなく、待ち合わせ場所を指定して、彼女を拾ってから一度ご飯を食べて彼女の実家に向かった。家で食べるかと提案はされたけど、それは申し訳ないし緊張して喉が通らないとカツ丼を食べに行った。

 ゲン担ぎを兼ねて、僕はカツ丼に必死に食らいついた。手のひらに人という字を書いて飲み込むように、スプーンですくって口の中に急いでかきこんだ。

 汚い食べ方かもしれないけど、それぐらい焦りを感じている。見ず知らずの人物が、突然、同居してもよろしいですか、なんてよろしいわけがない。

 まず、そういうのは信用を勝ち取ってからの話で、簡単に首を縦に振るわけがない。


 車中、美歌から僕のことを伝えてあると話した。

 いつも優しく寄り添ってくれて、仕事中も助けてもらってばかりで、私を一番笑顔にしてくれる人。

 僕は、君にとってそんなに良い人なのかと、思わず鼻で笑ってしまう。

 だけど、そう見えているのなら、良い印象は親御さんにも届いているはず。しかし、会った瞬間に嫌な顔をされたらどうしようと、不安になる。


 人は見た目が九割、会って三秒で印象が決まるというじゃないか。ブロッコリーのようなボサボサ頭に、寝起きのようなはっきりしない顔。芸能人のようなサラリと整えられた髪に、目鼻立ちがはっきりとしたイケメンでもない。

 ましてや、そこまで財力があるわけでもないし、いつもここまで考えてしまうのだが、まだプロポーズはしていない。


 美歌の家は大きい。伝統的で和風な邸宅、丁寧に手入れをされた木々や庭園、ずらりと並べられた瓦屋根、僕は門をくぐった瞬間に圧倒された。

 僕の実家なんて、アパートの一室をこじんまりと借りて、使い古した家電製品や衣類、節約のため限界まで使い続けて、壊れた時にようやく中古のものを買いに行く。倹約家とはよく言うが、単純にお金がないだけである。

 彼女の家には、そんなものは無い。むしろ、僕には必要と思えない、熊の木彫りの置物があったり、美術館にあるような水彩画が壁にかけられていたりと、開いた口が塞がらなかった。


 お邪魔してます、と僕が挨拶をしたすれ違う人はみんな、着物をきていて一度止まってから、ごゆっくりどうぞ、と返してくれる。これだけ大きな家なんだ、使用人の一人や二人いてもおかしくない。その一人一人が礼儀正しくて、僕は余計に気まずく感じてしまい、背中が丸くなる。


「美歌、ここは僕にとって異次元のような場所だよ。ちょっと胃が痛くなってきたな」


〈トイレなら、突き当たりを左に曲がって真っ直ぐ行ったところにあるよ〉


「いや、そういう意味じゃなくて・・・・・・ね」


 ふいに目の前で美歌が足を止めると、襖を三回軽く叩く。どうぞ、と低い声がすると彼女は襖を開けて中に入っていく。その後についていくと、歳のいった男性が一人、あぐらをかいて座っていた。


「おかえり、美歌」


 その一言で察した、この男の人は美歌の父親なのだと。すかさず、僕は背中をぴんと伸ばして直角に腰から頭を下げる。


「こ、こんにちは、お邪魔してます。美歌さんのお付き合いしております、里見怜士と申します。よろしくお願いいたします!」


 この時、僕は変な汗をかいていて、顔や手がじんわりと濡れていて手が震えていたことを今でも恥ずかしい思い出として、はっきり記憶している。

 だけど、そこまで緊張していたのがバカバカしく思えるほど、美歌の父親は厳格な人ではなかった。


「固いなー、別にそんなにかしこまらなくていいよ。こんな家に住んでるから、来る人みんな怖がって話にならないんだよね。大丈夫、大丈夫、俺はヤクザの長でも無ければ、どっかの使えない下衆な官僚でも無いから安心してよ。使えない人間は切る、弱々しい人間には聞く耳持たずみたいな性格じゃないからさ」


 笑ってみせる彼は、とても陽気な人だった。


「ほら座って、座って、美歌から話は聞いているよ。君はとても良い人、だとね」


 背の低いテーブルを挟んで、座椅子に腰をかける。先程の使用人が、温かいお茶と茶菓子を準備してくれた。老舗の大福であんこの甘さが絶妙なんだ、と嬉しそうに話してくれた。


「まあ、来て早々話をするのもなんだから、食べて食べて」


「は、はい。じゃあ、いただきます」


 ひと口、またひと口、とついつい進んでしまう美味しさだった。更に深みのあるお茶が、大福の味を引き立てる。思わず、美味い、と心の声が漏れてしまった。


「そうでしょ、そうでしょ、それはひとつ五00円する大福だから、しっかり味わってね」


 え、そうだったの。高級品を、僕はたった四口で食べ終わってしまった。

 美歌の父親は、それを丸々口の中に放り込み、お茶で一気に流し込んだ。一息ついて湯呑みを荒々しくテーブルに置く。彼は、笑顔をこちらに向けた。


「で、今日、里見くんが三峰家に来た理由を、詳しく聞かせてもらおうか」


 気付けば丸まってた背中を、糸で吊るされているように伸ばした。また、額と手のひらにじわりと汗を感じる。娘さんとお付き合いさせていただいてます、と相手を瞳に映し、告げると、父親から笑顔は無くなり胸の前に腕を組む。


「知っているよ、その話じゃないだろ?」


「はい」


 父親の、娘を守りたいという思いが体中に重みを感じさせる。にわかにだが、自分は試されているようにも感じた。しっかりとした受け答えが出来るのか、お前は娘を守れるのかという意思表示を無言の圧で迫られている気がした。


「娘さんと、同居をさせてください」


 まだ結婚の話ではない、同居の許しを得にきただけだ。それなのに、この部屋の重力だけやけに重く感じて、肩が全く上がらなくて足が痺れているのに組み直すことも出来ない。美歌が教えてくれた。私のお父さんは、とても優しい人なんだと。

 嘘をつけ。

 父親の瞳の奥を、じっくり見てみろ。

 今すぐにでも、包丁で心臓を刺されそうじゃないか。

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