第6話 あの頃は
大学の頃、僕には頼れる友人がいた。年上の先輩で
初めて会ったのはサークルに入った時で、映画研究会かなんかだと思う。名前なんていちいち覚えていられないくらい、活動という活動もしていないし、よくいう飲みサーだった。僕が酒にハマったのはこの頃からで、よく飲んで飲まれて路上に吐き出していた。
「おい、キモイぞ、里見」「なんで吐くまで飲むかなー」「うーわ、めんどくさー」
同じサークルだった川俣には、背中をさすって貰って、アホか、バカか、と罵声を浴びせられた。
千鳥足で数歩歩いたら倒れてしまうような厄介な奴になった僕は、みんな面倒くさそうにしていたが唯一、肩を貸してくれたのが奏太だった。
「おい、飲みすぎだぞ怜士」
そういう奏太もだいぶ飲んでいて、口から香る酒臭さのせいで僕は嗚咽を繰り返した。出会った頃は、先輩、先輩、と尊敬を込めて呼んでいた。勉強も出来て、有名企業に就職が決まっていて、イケメンで優しくて、こんな僕にでも気を遣ってくれるいい人だ。
「す、すみません、奏太先輩。つ、つい、飲みすぎちゃいました」
「本当に困ったやつだわ。どれ、俺が送ってやるか。運転なら任せとけ。今日はあんまり飲んでないから、安全運転で帰れるぞ」
「あ、ありがと、ございます」
だけどいつからか、それを上回るやんちゃな性格をみせられて尊敬とはまた違った、同級生のような感覚になったのはそれからだった。
怜士、授業すっぽかしてカラオケ行くぞ。
怜士、映画見に家に行くから酒準備な。
怜士、ゲーム欲しいから金貸して。
突拍子もないことをたまに言ってくるから、僕としては困ることもあったのだが、それでも奏太との時間はとても楽しく思えた。言うなれば、親友って感じか。そのくらい仲良くしてくれて、どんな面倒なことを言ってきても頼られている感じで僕は嬉しかったんだ。
だけど、あっという間に終わってしまったんだ。
彼は、交通事故で亡くなった。
恒例の飲み会の帰り、みんなが解散した後、僕たちは他の店でまた何杯か飲んだ。酔っ払った奏太と僕は、車に乗って帰った。奏太の運転だった。後部座席でくつろぐ僕は、そのまま寝てしまって、奏太に運転を任せてしまった。そもそも車に乗るべきじゃなかったし、僕も起きていればもしかするとあんな悲劇を目にせずに済んだかもしれない。
僕が次に目を覚ましたのは、強い衝撃を全身に感じた時だ。
重たい体を押し上げて、奏太もう着いたのか、と運転席の方を目を向ける。酒のせいか、視界が霞んでいてよく見えない。奏太は席に全身を預けて、寝ているように見えた。
「奏太、家に着いたなら起こしてくれよな。ほら、寝てないで、さっさと家に帰ったらどうだ?」
肩を揺すってみても、彼は目を開けなかった。この時、初めて僕は彼が死んでいることに気付いたんだ。だって彼の肩を揺すった時に、手に当たった彼の頬には、人の温もりを感じなかったのだから。
霞んでいた視界もだんだんとはっきりしてきて、運転席側だけが内側に向けて大きくへこんでいるのが分かった。本来、エンジンが積んであるところには電柱が立っていて、車の前方は奏太の体を押し潰していた。白煙も上がっている。
僕は後部座席に寝ていたから、幸いにも怪我はなかったしドアも開けることが出来た。すぐに降りてから警察に連絡を入れて、助けを呼んだ。酔いはもうすっかり覚めていたけれど、警察に電話口で質問される内容に上手く答えることが出来ていたのだろうか。
奏太が、事故って、挟まれてて、それで、それで─────。
僕のせいで、これを何度繰り返しただろう。事故を起こしたのは、自分が悪いんだと何度自分に言い聞かせただろうか。大事な親友をあっという間に失った記憶が、悔恨として深い傷として今も尚、残っている。
君は知らないだろうけど、僕が何も出来なかったせいで大事な人を失った。これからは、そんなことがあってはいけないんだ。だから僕は、君に嫌われようが、声を取り戻せる可能性があるなら君のために頑張りたい。そう思ったんだ。
ねえ、美歌、と話しかければ、どうしたの、と声で返ってくる生活を送りたいんだ。
自分勝手かもしれないけど、僕はそれを望んでいる。
彼を失ってからの僕は、自暴自棄になって飲酒で後悔したのに酒に溺れていた。毎日飲んで、吐いて、また飲んで、吐いてを繰り返して、記憶も曖昧でちゃんと歩けたことも無くて正直、まともな状態じゃなかったと思う。
毎日のように頭痛があって、大学も不登校になっていったからね。川俣には何度も説教されて、単位を取れるようにと勉強も教えてもらった。だけど、僕は、人として終わりを迎えた。
罪を犯した─────。
このことを君に伝えるべきか否かを、悩みに悩んだ。目をつぶると何回も蘇ってくるあの映像は、僕の睡眠を妨害する。今もそうだ。君と付き合ってからもずっと、あれが僕を追い詰める。これは川俣にしか相談したことがない。
僕は女性を犯した─────。
薄らと残る記憶だと、僕は街灯のない暗い帰り道で向こう側から歩いてきた女性と肩が触れた。その後は、ストロボのように女性が僕に腕を掴まれ、暴れて逃げようとして、泣いて嫌がる姿が映し出される。泥酔していたから、はっきりとした相手の顔も記憶にない。
ただ僕は、最低なことをした事実を記憶に刻み込んでいた。
単位も取れて、就職先も決まってあとは卒業だけ、川俣は正直に言うべきだと言ってくれた。自主して罪を償うべきだと。しかし、僕は悩んだ。
「でも、これで真実を打ち明けたら、僕の人生はどうなるんだ。まだまだこれからだっていうのに、刑務所生活を送るなんて、そんなの嫌だ」
「そうだろうけどさ、一人の女性の意見としては、しっかり罪を償って欲しいかな。もし、私が同じ目にあったら、殺したいくらいその人を怨み続ける。まあ、謝ったところで許しはしない」
「分かっているよ。それほど僕は最低なことをしてしまったのだから。これだけは言っとくよ。謝る、謝らないは別として、その気持ちを忘れずにこれからを生きないと、私が里見を殺す。それだけは覚えておいて」
そういう彼女の瞳を見て、僕は改めて重大な罪を犯してしまったことを再認識させられた。でも、罪を償うことはしなかった。警察が僕のところに来ることはなく、びくびくしながら毎日を過ごした。そんなことも忘れて、今まで過ごしていたことにも、罪悪感を感じている。
僕は本当に最低な人間だ。
驚いただろうけど、まずは君との思い出を振り返ったのと、僕の冒した罪を知って欲しかった。美歌には知られたくないことではあったけど、僕はこれ以上隠し事をしたくなかった。
隠し事はなし、約束は絶対に守るよ。
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