第5話 問題
あの時は衝撃的すぎて、つい何も言えずに口を開いたままで固まってしまった。美歌にはストーカーがいて、さらには命も狙われていて、ずっと遊びに行っていたけど怖い思いをしながら僕の隣を歩いていたのだと思うと、罪悪感で押し付けられそうだった。
それから、僕は今まで別れ道でまた今度と言っていたけど、彼女の家までしっかり送って玄関を跨ぐまで見送るようにした。デートの時も仕事の時も。
おかげで二人の時間が増えて、僕はどんどん彼女に惹かれていって仕事に行くのが楽しくなってきた。
だけど、ある日のこと。
僕がいつも通り出社すると、彼女は反対に向こうから足早にやってきて職場から出ていってしまった。その時、初めて涙を流しているのを目の当たりにする。
「ねえ、三峰さん何かあったの? さっき泣きながら出ていっちゃったけど」
ゴミ袋を手に持つ同僚の川俣に聞いてみると、重々しい空気を漂わせながら原因を話してくれた。
「いじめ・・・・・・だと思うんだよね。原因」
「いじめ?」
「朝来たら、三峰さんのロッカーだけ扉が開いていて、中を荒らされた形跡があったの。でも、うちらの中で三峰さんをいじめている人なんて、ひっとりもいないんだけどね」
「それ、本当なの?」
自信ありげに話す川俣に、強めな口調でそう言うと川俣は少し不機嫌な顔をして、本当だと答えた。でも、同じロッカー室を使っているのに、どうしていじめがないと決めつけられるのだろう。
「ロッカー室は川俣たちしか使っていないんだから、いじめられるとしたら川俣たちしかいないんじゃないの?」
と、当たり前の質問で返した。
「確かにそうだけど・・・・・・ここだけの話ね。彼女がロッカーを開けた途端、中から大量のベタベタしたティッシュが出てきて、一枚だけ手書きでメッセージも残っててさ」
「それ、なんて書いてあったの?」
「愛してるよ、美歌。だって。気持ち悪いと思って、その手紙捨てなよって言ったんだけど、それ持って出ていっちゃってさ。今、彼女の代わりに私たちがごみ捨てしているの」
だからゴミ袋を持っているのか、中を見ると大量のティッシュが入っている。ティッシュにベタベタした何かって、と考えるととてもおぞましく気持ち悪い。
というか、愛の告白がロッカーに入っていたってことは、それっていじめというよりかは。
「ストーカー?」
「え、ストーカーってなになに」
「あ、いや、この前、三峰さんが教えてくれたんだよね。ストーカーに命を狙われているって」
「何それ、本当なの!? そしたら、これって・・・・・・そのストーカーがやったことなんじゃ・・・・・・」
「まだ確定とは言えないけど、そうかもしれないね」
「ん? 待って待って、なんでそんな大事なことを里見が知ってるの?」
川俣ときたら、容易に痛いところを突いてきやがる。
「い、いや、別に、よく食事に行ったりするから」
すると、彼女はニヤニヤと僕の顔を覗き込み「付き合ってるの?」と茶化してくる。僕は顔を逸らして「違うよ」と言うと、疑いの目を向けてきた。
「本当に? 最近、二人がよく話しているの見かけるんだよね。席も離れているのに、どうしてかなーってずっと思ってたんだけど。まあ、いいんじゃない? 三峰さん綺麗だし、優しいし、気も遣える良い人だから。でも、普通に会話出来ないのが難点だけどね」
「そう・・・・・・だね」
唯一、僕が気にしていることを"難点"という単語で片付けられた。そんな気がした。真剣に、彼女の声について悩みがある僕にとって、そんな軽々しく終わらせることは出来なかった。相手を受け入れれば、慣れてくれば、彼女の難点という単語はそれに聞こえた。
腹立たしい。
僕は少し強めに、川俣に向かって「ごめん、帰るわ」と言い残し、彼女を追いかけるようにして会社を出た。
走って追いかけたが、その日は心当たりのある場所に向かっても彼女の姿を見ることが無かったのを、今でも覚えている。
焦りと緊張が冷や汗と共に溢れ出て、彼女の安否が知りたくて何度もビデオ通話をかけたのも覚えている。
ストーカーは、僕たちが付き合って同居を始めてからもまだ捕まっていない。被害届も出して警察も動いてくれているようだが、一向に捕まる気配がないせいで、彼女は静かな部屋で物音がひとつするだけでも肩をピクリと上げる毎日を過ごしている。
彼女は以前から声が出なくなって、ストーカーにも脅されて、これって繋がってるんじゃないかとそう思った。ストーカーによる暴力や精神的なダメージで、呪いをかけられたのだとしたら可能性は否定できない。
それは決して、許されないことなのだから。
だから僕は、勝手に呼称しているロッカー事件の時から犯人を探している。
独自の推理によれば、女性用のロッカー室には男性も容易に入ることが出来る。社内にストーカーがいるのでは、という推理もできるのだけど、男性社員の彼女への態度は特に良いわけでもなく、むしろ会話すらしている姿を見たことがない。面倒だと思っているのだろうか。
唯一、彼女に気兼ねなく話しかけているとすれば、あの憎き上村なのだが。
ロッカー事件の次の出勤日から、僕は上村の行動を張ってみた。と言っても、上村の帰りを尾行できるほどの余裕はなく職場での行動のみを観察してみる。まさか男を観察するなんて思いもしなかったし、ましてや相手があの上村ときた。正直、嫌でしょうがない。
自分のデスクに座り、ふんぞり返って携帯を流し見、電話が鳴って出てはパチンコやゴルフの話をするだけ。これを注意する者は誰もいない。逆に言われることの方が多く、ひたすら彼のもとに書類を持っていては、怒鳴られるか適当にあしらわれるかのどちらかだ。
昼休み、川俣にも相談してみた。彼女はいつも適当で怒られてばっかりな同僚なのだが、大学の頃から仲で偶然にも同じ会社に就職して、お互いに助け合う時もある。根は優しく真面目なことを知っているからこそ、彼女ならどうにかしてくれるのでは、と期待をしてしまっていた。
食堂に行き、彼女が一人で食べているところを狙って隣に平然と腰をかける。
「相変わらず、カレーばかり食べてるんだな。大学の時もラーメンや生姜焼き定食、カツ丼とかもあったのに、川俣は何食わぬ顔でカレー頼んでたよな。いい加減飽きないのか?」
冗談混じりで話しかけると、川俣は口に入れていた物を飲み込んで、一瞬、声を裏返らせて口を開く。
「なによ、カレーばかりを食べて悪いの? そういう里見も、唐揚げ定食選んでるじゃん。大学の頃から里見も好みは変わってないってことでしょ」
「何も言い返せないな。確かに僕は、唐揚げが好きだ。だけど、家では別の物を食べて健康第一に考えて気をつけている。川俣は違うだろ。今も、家で食べるものはカレーなんじゃないのか? 大学の時、川俣の家で食べたものは全部、カレーの記憶しかないんだけど」
彼女は無類のカレー好き、泊まりに行った時は朝から晩までカレーを食べさせられた記憶がある。甘口、中口、辛口、どれもスパイスが効いていて具材もゴロゴロとしていて、僕の好きなトロリとしたカレーだったけど、さすがに一日中カレーは無いなと心底思わされた。
僕はそれとなく聞いてみた。美歌・・・・・・さんのことどうにか出来ないかな、何も案が思いつかないんだ。犯人の目星もつかないし、このままじゃ毎日怖い思いをして生きていかなければいけなくなってしまう。
大層な言い分を並べられて、川俣は困った顔をしていた。自分には関係ないと踏んでいたのかもしれないし、もしかすると、川俣自身も何か策を考えていたのかもしれない。口を開いた川俣から出たのは、後者だった。
「私も、三峰さんのことは、どうにか出来ないかなって考えているよ。だって話が上手く出来ないだけだからと言って、あんな酷いことに巻き込まれるなんて、目の前で見ちゃった以上は無視出来ないよ。だけど、これといった案も思いつかないんだよね」
「そう、だよな。一応、怪しいと思う人はいるんだけど、なんか特に目立つ行動は無さそうだし」
「ふーん、里見は誰が怪しいと思ってるの? もしかして上村とか? ないない、上村はそんな度胸ないっしょ。酔っ払った勢いじゃないと、セクハラとかしてこないし、職場では必要以上に余計な仕事振ってくる面倒な上司だけど」
「上村じゃなかったら、一体誰が美歌さんのことをあんな怖い目に合わせているんだろう」
「分からない、けど、とりあえず私たちに出来るのは、三峰さんに寄り添ってまた職場に来てもらうことだと思うよ」
何だ急に最もなことを言って、としかめっ面を見せてしまったけど、彼女の意見は間違っていないと分かっていた。だけど、僕としては、守りたい、それだけが強くて、でも何も出来なくて。頭の中が混乱してきた。むしゃくしゃしてきて、それをため息と共に吐き出し頭を抱えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます