ご本

『ライくんの花束〜Tempo ad Libitum〜』 

一話 はじめまして 先輩


「はじめまして。ウエダ・ライナルトです。一日も早く皆様のお役に立てるよう精進して参りますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」


 五街いつまちガーディアン・ステーション、捜査セクターでの新人挨拶。トップバッターの自分に続く同期は四名。自己紹介が終了したところで、全員揃って新人研修に向かう予定だった。

「はいストップ。ウエダ君はこっち」

 目の前に立ちはだかるセクターリーダー。自分だけ研修室とは反対方向へと誘われる。不思議に思いつつも大人しくその背を追っていくと、リーダーは「OJTでよろしく」と言って微笑んだ。元気よく返事をしたものの、その真意は掴めない。さらに歩きながら彼が言うには、諸般の事情によりこの先の部署ディビジョンのみ人員配備が急務なのだという。

 リーダーは颯爽とフロアを進み、とあるディビジョンに辿り着いた。「ディビジョン」というからには大人数のチームを想定していたら、そこには向き合うデスクが二卓のみ。うち一つはノートパソコンの他に荷物がなくまっさらで、すぐに自分用だとわかった。もう一つの机上には資料が几帳面に整理され、湯気の立つコーヒーマグが主人の帰りを待っている。

「すまないがアキタ君。キノシタを見なかったか?」

 リーダーは隣接する島に向かってそう尋ねたが「御手洗では?」と曖昧な返答しか得られず、ジャケットからスマホを取り出しコールする。するとフロアのどこからともなく着信音が鳴り響き、音源がすぐさまこちらに近寄って来た。


「お待たせしました」


 小さな紙袋を携えたスーツ姿のその人は爽やかにそう言った。自分と向き合ったところでリーダーの紹介が始まる。

「キノシタ、昨日話した通りこちらがウエダ君だ。ウエダ君、こちらが捜査第三ディビジョンのキノシタリーダー。君の上司となる人だ。先に伝えたように彼から手解きを受けてもらう。必ずや腕利きの捜査官ガーディアンに育て上げてくれるだろう。では、健闘を祈る」

 去りゆく背中に感謝を述べながらも頭の中は疑問で満杯。そして横でこぼれる小さなひとりごと。


「ハードル上げたな」


 自分より少し背の高い彼を見上げると微笑みを返してくれた。それがこちらの緊張をほぐすためかはわからない。けれど、優しそうな人でよかったと安堵する自分がいる。

「ではあらためて、キノシタです。一応この捜査第三ディビジョン、通称サンデビのリーダー。とはいえ見ての通りここは小さな所帯でして。肩書のことは忘れて気軽に呼んでもらって構いません」

「はい」

「早速ですがこれをどうぞ」

 差し出された紙袋を受け取ると中には小物が数点あり、キノシタさんがひとつひとつ説明してくれた。

「これがセキュリティカードで、こっちがプライベートロッカーの鍵。その封筒の中にはパソコンの初期パスワードと、サンデビFYO資料へのアクセスキーがあるので参照してください」

「すみません、エフワイオーというのは?」

「『フォー・ユア・アイズ・オンリー』。サンデビとセクターリーダーのみ閲覧可能な機密文書ってところですね」

「承知しました」

「はい。そしてこれが一番大事なプレゼントです」

 差し出されたのは濃紺の革箱。小さいながらも重厚な雰囲気を漂わせる箱の中には、ロイヤルブルーのブレスレットが鎮座していた。全体的に細身で上品なデザインで、中央に配するプレートには英数字の羅列が刻印されている。もちろんこれが何であるかすぐにわかった。

「君のIDブレスレットです。ガーディアンとしての身分証明ですので、以降任務遂行中は必ず携行してください。実は、他の新人さんたちは研修明けの配布でして。みんなには内緒でお願いします」

「はい」

 早速シャツの袖をめくり手首に纏う。

「おめでとう。そしてようこそ、五街ガーディアン・ステーションへ」

「ありがとうございます。あらためてよろしくお願いします!」

「ええ。こちらこそ」


 ずっと待っていた、新たな人生のスタート。そう思った。


***


 キノシタさんは本当に面倒見が良い。何を聞いてもわかりやすく説明してくれるし、いつだってこちらの疑問を完全解消に導いてくれる。一方では勉強のためにあえて任せてくれたりと、指導と教育のバランスが抜群。実践続きで緊張する部分ももちろんある。けれどやりがいと一緒に安心感も寄り添ってくれるから、自分は果報者だと思った。


 そしてようやくデスクワークに慣れてきた頃。キノシタさんと一緒に初めて捜査に出ることになった。軽いミーティングの後、彼はパソコンを閉じながら言った。

「ということで、今日は聴取捜査の実技編です。事件の概要と聴取事項は共有した通りですし、凶悪度の低いレベルワン案件なので焦らずやってください」

「はい。持ち物は専用タブレットの他にありますか?」

「いえ、特には。ちなみに既存の聴取記録と証拠品一覧はダウンロード済みですか?」

「はい」

「さすがです。これはもう研修は不要かもしれませんね」

「いやいや! キノシタさんを間近で観察させてもらったおかげですから」

「ハハハ。観察って」

 彼はマグに残ったコーヒーを飲み干し立ち上がる。

「では行きましょうか。研修の成果をしっかりと観察させてもらいますよ、ウエダさん」

 その微笑みにつられて自然と口角が上がった。


 訪問先はステーションからほど近い場所に位置するタワーオフィスの十二階。相手は行方不明になっている捜査対象者の雇用主で、行方がわからなくなる直前に接触していた人物とされている。受付で用件を告げると、まもなく彼の待つ応接室へと案内された。

「五街ガーディアン・ステーション、捜査第三ディビジョン所属のウエダと申します」

「同じくキノシタです。コノヒラ・フミヒロさんでいらっしゃいますね?」

「はい。それでご用件は?」

 相手は四十代前半の男性、切れ長の目元にはシルバーのスクエアフレームレンズ。細身のブラックスーツと相まって鋭い印象しか与えないヒトだった。しかし怯んでいる場合ではない。自分を奮い立たせ質問を始める。

「捜査協力願います。昨日、貴方の被雇用者にあたる方の捜索願が発出されました。コノヒラさん、一昨日の夜七時頃はどちらにいらっしゃいましたか?」

「ここの社長室に」

「それを証明できる方はいますか?」

「いえ。基本的に私以外出入り禁止ですし、定時を過ぎた時間ではそもそも証明が困難と思われます。弊社は定時退社を義務化しておりますので」

「では」

「もうよろしいでしょうか。これ以上お話しすることはありません」

「ですが」

「私は何も知りません。現時点でそのような報告は上がっておらず、故に私が認知すべき事柄ではないと判断しています」

「ヒトが一人いなくなっているんですよ?」

「ええ、それが何か。欠員があったとて別の人材を確保するまでです。総務であればすぐに補填可能でしょう。既に十分おわかりかと思いますが、社員全員の動向を気に掛けていては仕事になりません。それに。無責任に仕事を放り出し無断欠勤した挙句、音信不通になることも今や珍しくはありませんよ。特に貴方のような若者には」

 退席しようとする彼を引き留めたいのに頭の中が真っ白で言葉が出てこない。

「横槍を入れるようで申し訳ないのですがコノヒラさん」

 自分とは対照的に覇気を宿すキノシタさん。そして真実への道を閉ざすまいと間を置かずに放たれる言葉の包囲網。

わたくしどもはまだ、本件の捜査対象を明言しておりません。しかし先ほど『総務であれば』とおっしゃっていましたね。確かに捜査対象は御社総務部所属の方で間違いないのですが、社内報告もないと断言されていたのに何故その部署に特定できたのでしょう。本当に、何もご存知ないと?」



 出先から戻る道中、ひとことも口にできずに終わった。溜息なら量産できるのに謝罪を切り出す勇気がない。今朝のあの自信はどこへ行ったのだろう。デスクでなら何でもこなせる自分がいたのに。実際の現場では何の成果も挙げられず足手纏いでしかなかった。

 いよいよステーションに戻り無言のままエレベーターホールへ。すぐにやって来たエレベーターは偶然貸切。あまりの気まずさに視線を泳がせる。なんとなく見遣った表示灯では最上階のボタンが光っていた。

 到着ベルと共に開くドア。その先にひっそり伸びる薄暗い一本道。目に見えない何かが出そうな雰囲気に軽く足がすくむ。一方のキノシタさんは慣れている様子。躊躇なく進んで突き当たりのドアを押し開けた。瞬間、爽快な風が二人を包んだ。そこは青空の下に広がる休憩スペース。数脚のベンチと錆びたスモーキングスタンドしか見当たらないシンプルなその場所に二人きり、またも貸切となった。そして休憩スペースの縁に辿り着いたところで止む靴音。 

 叱責される覚悟はできているのに、その背中と少し距離を置きたい気分だった。

「ウエダさん」

 想像と違い、自分を呼ぶその声は至って穏やかだ。メッシュフェンス越しに五街を眺めつつ彼は続けた。

「見渡す限り広がるこの五街ばしょが、私たちの管轄区であり守るべきものその全てです」

「はい」

「人や獣人の分け隔てなく、ここに生きる全てのヒトを守り抜く強さを絶えず磨き続けること。それがガーディアンとしての務めだと、私は思う」

「はい」

「だがな。幾らこちらが本気でも、これが万人に好かれる仕事と言ったら嘘になる。むしろ一筋縄では行かない状況の方が多いかもしれない。特に今回のような感情のもつれに端を発する案件では、ヒトの様々な感情を目の当たりにすることになるだろう。愛情は時にヒトを最上に優しくさせ、時に俄然醜くもさせるからな。とはいえ至極個人的な視点だけど……って敬語忘れてた。まあそろそろ許して欲しい」

 こちらに振り返りようやく見えた面差し。優しい微笑みがそこにあった。

「俺の主観はともかく、ここからは真面目に聞いてくれるか」

「はい」

 その先の言葉は自分の予想を超えていた。

「心を強く持て。そしてもし挫けそうになったら、全力で俺を頼れ。弱音でも愚痴でも何でも聞くから。そして必ず、全部励ましにして返すから。いいな?」

「……はい! ありがとうございます、キノシタ先輩!」


 この胸に際限なく広がる感謝は全部成果にして返そう。心の中でそう誓った。

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