第40話 終章② 『涙』

 次に冥夜が目覚めた時、それは二日後だった。

 既に義手の修理や傷の処置が施されていたようで気付けば肉体はほぼ元に戻っていた。

 「本日はお日柄も良くピクニック日和ですなぁ」

 「うっさいバカ、大バカ、ウルトラ大バカ。心配させないで」

 相変わらず声に抑揚は無いが割と元気な様子の彩羽。

 流石にあんな出来事があって気が滅入っているかも、と心配したのだが杞憂に終わりそうだった。

 「めーや、大丈夫だったの? お父さんに聞いたらめーやが転んで他の人たちに踏まれてそのまま窓の外に投げ飛ばされたって聞いたんだけど」

 「はっはっはっはっは。冥夜さんは不死身なので問題ないですよーってか字面だけでみれば相当間抜けだな、俺」

 だがそれはもちろん虚偽の報告であるのだが、もう少しマシな言い訳は無かったんだろうか、と疑問が残る。

 今は二人で冥夜が入院している病院の屋上でのんびりと日向ぼっこと洒落こんでいた。

 ここ数日に比べれば実に平和だ、と思わず目頭が熱くなる。

 いや、本当に色々ありすぎた。

 どこか遠い目をしている冥夜だったが、隣で彩羽のスマートフォンの通知音が鳴った。

 無料で誰とでも繋がることの出来る『LINK』というネットサービスなのだが、驚いた事にその画面を見ていた彩羽の表情が微笑んでいるではないか。

 「今ね、クラスの友達からLINKが来た」

 「へ、へぇ…………そうなんだ」

 正直に言うと意外だった。

 LINKの交換ってワードが出たことにもだが彩羽が自ら〝友達〟と呼べる人に出会っていた事に更に目頭が熱くなる。

 「どうしたの?」

 「いや、何でもない……」

 思わず鼻を啜ったが特にバレそうになかった。

 「で? 何て来てたんだ?」

 特に意味も無く聞いてみると、彩羽は不思議と顔を真っ赤にして慌てて首を横に振った。

 「べ、べべべべ別に何もないよっ」

 これまた珍しい反応だった。

 こんな反応も新鮮で良かったが、今は特に深く追求する必要はないだろうと冥夜は判断した。

 「いやホント、良い天気だな」

 「そうだね」

 二人して空を見上げる。

 雲一つない晴天で清々しいほどの青空だった。

 ふと風が出てきたので少し寒くなったのか彩羽が身震いをした。

 「あ、悪い。寒かったか?」

 「ん、ちょっと。めーやは相変わらず寒さに強いね」

 渇いた返事で「まーねー」と適当に返事をした。

 色々と手術をしたので寒さや暑さに耐性が付いてしまった、とは言えなかった。

 「そろそろ戻ろっか」

 「あぁ―――――――ってか先に戻っててくれねぇか? トイレ行ってから戻るわ」

 「大丈夫? ついて行こうか?」

 「あらやだ。ワタクシこと犬塚冥夜さんは大きい方なのですけどそれでもついてこられるんですか?」

 いつものようにバカを連呼された後、彩羽は病室へと先に戻った。

 一人になった事を確認すると誰もいない屋上で冥夜はある方向を見つめる。

 「。今ここにいるのは俺だけだ」

 そんな冥夜の呼びかけに扉の陰から出てくる人影がいた。

 金髪碧眼で、冥夜と同じ入院患者の衣装を身に纏っている少女がそこにいた。

 シャトラ・ティエット。

 〝聖堂教会〟の修道女シスターであり、人工生命体ホムンクルスでもある少女だった。

 「気付いていたのですか? てっきりラブコメに夢中かと思ったんですが」

 「ぶふぉっ!? どこで知ったんだよンな言葉! ダメですよ!! 日本はもっと素晴らしい文化たくさんあります!!」

 どうやらお互いに冗談を言えるまでは回復はしたようだった。

 「元気なようでなにより」

 「貴方も息災で」

 沈黙が続く。

 さてどう切り出したものかと冥夜が悩んでいると、先に口を開いたのはシャトラの方だった。

 「貴方のところにいる『No.Ⅳナンバーフィーア』から話は聞きました。神父様―――――父を救うために尽力を頂いたと」

 横目でシャトラの顔を見る。

 その表情はどこか複雑で何とも言えない表情だった。

 「悪いな…………オッサンの事、助けることが出来ねぇで」

 冥夜の言葉にシャトラは軽く驚いた。

 「な、ぜ?」

 口には出していないが表情が物語っている。

 命を狙われて何故助けようとしたのか、と。

 「自己満足だよ――――俺は親父も母さんも同時に失った。せめて生きてるなら連れ帰ってお前に一言だけでも謝らせたかったんだけどな…………それすらも出来なかったよ」

 「そう、ですか」

 シャトラの表情は硬いままだ。

 だが、悲しくはないのか不思議と涙は出なかった。

 それは見ようによっては冷血にも見えるのだろう。

 しかし二人の関係を知っているからこそこの反応は当たり前なのかもしれないと冥夜は思った。

 そんな様子のシャトラがゆっくりとだが口を開き始めた。

 「私は、思い出せる限りですが…………父との楽しい思い出というのがありません。いつも厳しい修行やお祈り、〝聖堂教会〟の使徒としてどうあるべきかと教え込まれました」

 冥夜は黙って聞いていた。

 その時のクルトガ・ティエットの心情はどうなっていたのだろうかと、そんな事を思ってしまう。

 一人の父親であり、

 〝聖堂教会〟の神父であり、

 そして自身の内側には『悪魔』と契約したという貌もある。

 いくつもの顔を持っていたあの男は、何を思ってシャトラと過ごしていたのかが分からなかった。

 「ですが――――」

 シャトラは少し上を向く。

 その表情は先ほどまでの硬さは無く、どこか吹っ切れたような声だった。

 「それでも私は、父を――――――――クルトガ・ティエットと言う人間を尊敬していたんだと思います。悪魔に魅入られてしまったのは残念ですが…………不思議と彼を憎む気持ちは湧かないんです。私が『人工生命体』という存在で、アシェア・ティエットの代替品だったとしても――――やはりっ、父…………なんです」

 声が途切れている。

 感情を押し殺しているのかシャトラの表情はぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 冥夜はこんな時、何と言えばいいのかが分からない。

 創られた存在ホムンクルス

 それは『失われし古代技巧ロスト・エンシェント・マギア』で肉体を補強している冥夜と変わらないのではないのか?

 そんな事を思っているとふと冥夜は懐に入れていた物を取り出した。

 クルトガが最後に冥夜に渡した『パルティンの十字架』を縮小した小さな十字架。

 彼が使用していた純白の十字架とは違い、純銀製の単純シンプルな造りの十字架ロザリオを冥夜はシャトラへ手渡した。

 「これ、は?」

 「オッサンが――――クルトガが最後の瞬間、俺に渡してくれたモンだ。勝手に処分しろって言ってたんだが……多分、

 はっきりとは聞いていない。

 最後の瞬間、クルトガは何かを言っていた気がしたが聞き取ることは叶わなかった。

 だが、

 これは最後の最後に〝聖堂教会〟の『異端審問官ジャッジメント』の神父としてでなく、そして悪魔ダンタリオンに利用されていた愚かな道化でもなく、と考察していた。

 でなければ冥夜へ渡す理由も無ければ、勝手に処分しろなど言わなかったと思う。

 「オッサン言ってたよ。最後に『聖職者』としての責務を全う出来た、って――――それがどういう意味を持ってたのかは分かんねーけど間違いなくクルトガは最後に本当に大切なモンってのを見つけたんじゃないか? 正直、勝負には勝ったけどオッサンがいなきゃ俺も彩羽も助からなかった。今頃あの変な虫モドキにむしゃむしゃ食われてたかも知れねー。だから胸を張ってシャトラ・ティエットはクルトガ・ティエットの娘だって言っていいんだ。親父が死んじまったら泣きゃいい。ぐしゃぐしゃに思い切り泣いたら俺がアホみたいに笑わせてやる。お前が笑いたい時は俺も一緒に大声で笑ってやる。だから、今は無理せずに大声で泣いたらいい」

 今となってはもうクルトガの本音は聞く事は出来ない。

 自分のことを道具と最後の瞬間まで思っていたのか?

 それとも冥夜の言う通り最後には一人の人間として目を覚ましたのか?

 答えは出ない。

 だが、

 「と、うさ――――」

 手にしていた十字架に一粒の涙が零れ落ちる。

 一度決壊してしまったものは止める事は出来ない。

 「う、わ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」

 冥夜にしがみつき、思い切り泣き叫んだ。

 彼女が生まれてから十年。

 初めて流す涙はいつまでも止まることを知らない。

 ある晴れた日の午後。

 人形と呼ばれた少女シャトラ・ティエットはこの日、父を亡くし初めて涙した。

 そんな少女に冥夜は泣き止むまで黙って胸を貸していた。

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