第38話 五章⑥ 『娘よ』

 『パルティンの十字架』が破壊された事によって神代彩葉を磔にしていた十字架も粉々に砕けた。

 ゆっくりと落ちる彩葉を冥夜はそっと抱き抱えた。

 視線を落とすとスヤスヤと寝息をたてながら彩葉は眠りについていた。

 「あのドンパチの中良く眠れんな…………若干引くわ」

 だがそのお陰で冥夜ケルベロスの事は知られていないので不幸中の幸いと言うことなのだろう。

 「私は―――――――負けたのか?」

 冥夜の背後でクルトガが目を覚ましたようだった。

 身体は動かない。

 彼の身体はボロボロで黒いキャソックでも分かるほどに血塗れだった。

 「あんま無理すんな。悪魔ダンタリオンが憑依してたとは言え普通なら死んでてもおかしくねーぞ」

 『失われし古代技巧ロスト・エンシェント・マギア』の黒鋼の義手による豪拳を数発に『操影弾シャドウバレット』と『炸裂弾バーストバレット』の合わせ技、オマケに杭で腹に風穴が空いた状態なのだ。

 生きている方が不思議だ。

 「甘いな…………早くに殺せばいいものを―――――」

 クルトガの声には最早先ほどまでの覇気はない。

 憑き物が落ちた、というのだろうかその声はどこまでも落ち着いていた。

 「約束―――――勝手にして来たからな。ここに来る前にシャトラと…………お前の親父を一発ぶん殴って目の前で謝罪させてやるって」

 「そう、か」

 表情は見せない。

 ただ静かにそう呟くだけだった。

 「なぁオッサン」

 今なら聞ける。

 そう思った冥夜は戦闘中にずっと疑問に思っていたことを口にする。

 「?」

 今にして思えばずっと不思議だった。

 例えば『パルティンの十字架』の能力。

 黙っていれば攻略も簡単ではなかった。

 下手をすれば立場は逆転していてもおかしくはない。

 それほどの能力を秘めていたにも関わらずあっさりとバラしてしまったり

 その疑問にクルトガは皮肉を込めた笑みを浮かべ、

 「知れた事、単純におごっていた―――――それだけだよ」

 それ以上何も言わない。

 恐らくこれ以上聞いてもクルトガは何も答えないだろう。

 しばらくの沈黙のあと、

 「私は―――――ただアシェアに会いたかった。ただそれだけだった」

 神父の懺悔は続いた。

 「何故神は私ではなく娘に裁きを下した? いい娘だった。悪魔祓いしごとに追われて最愛の妻の最期を看取る事も出来ず、こんな馬鹿な父親に寂しい思いをさせまいと懸命に明るく接してくれた最愛の娘―――――自分も寂しいはずなのにだぞ…………なのに何故あの娘が不幸な目に遭う? 神が救ってくれないのなら悪魔にでも頼るしかあるまい! だが――――結局はアシェアを苦しめてしまった」

 冥夜は理解した。

 恐らくクルトガ・ティエットと言う男は止めてほしかったのかもしれない。

 これ以上情けない父親じぶんの姿を娘に見せたくない一心で、悪魔に魅入られた者として異端と見下していた犬塚冥夜ケルベロスに止めて貰うために。

 「少年―――――? 幼い頃に父を、母を亡くしているにも関わらず何故受け入れる? キミは―――――?」

 冥夜は何も言わずただ自分の腕の中にいる彩葉を見つめる。

 その瞳には何を思い、何を写し、どういう感情を抱いているか誰にも、自分にも分からない。

 分かるとすれば、

 「アホか。平気? ンな訳あるかよ。こちとら一気に両親死んじまって天涯孤独の身だぞ? あの時は泣き叫んで毎日が虚しくて生きてる事もしんどかったっつーの。まぁでも」

 彩葉を抱きしめる手に力が籠る。



 「コイツは俺が守る―――――死んだ親父との約束でもあるし、何より。感謝こそすれ恨む事はねぇよ」



 確かに一時期は彩葉を恨んでいたのかもしれない。

 両親や彩葉の母親は死んでしまい、自分は生死の境をさ迷った挙げ句に身体はボロボロ、更には彩葉は無傷で先に救出されている。

 そんな肉体的な状態に加え子供の精神状態など一気に折れるに決まっている。

 下手をしなくてもトラウマ級の事故じごくだったのだ。

 子供に恨むなという方がおかしい。

 だが、

 今の自分がいるのは最後に交わした父親との約束。

 そして更にを今だに覚えているから。

 色々あったが今の自分がいるのは周りが助けてくれたから。

 どうしようもなくただただ救ってほしい一心で手を差し伸べた時その手を取ってくれた人がいたから。

 でも、クルトガ・ティエットは絶望の淵に立たされていた時は誰もいなかった。

 手を差し伸ばそうとすらもしなかった。助けを求める事を拒否したのだ。

 その違いだろう。

 その冥夜の答えにクルトガは「そうか」と呟き笑っていた。

 「私の負けだ―――――全てにおいて、な」

 どこか清々しい様子のクルトガに冥夜も少し気を弛めた。

 そう、

 

 最初の異変は小さな地震だった。

 その地震が徐々に大きくなっていったのに気付いた時には最早立てる事が不可能なほどだった。

 「な、んだよ―――――これッッッ!?」

 あらゆる空間にひび割れが発生している。

 そこでようやく外部と繋がったのか耳元で『フィーア』の叫び声が響く。

 『冥夜!? 聞こえるか!?』

 「ッ―――なんだよ『フィーア』。いきなり大きい声出して」

 しかし冥夜の軽口に答える余裕がないのか、『フィーア』は捲し立てるように早口になる。

 『いいかよく聞け。今その『辺獄くうかん』が崩れようとしているッ。早く脱出しなければ!!』

 そこで周囲が崩れている事に冥夜が気づいた。

 「ちょ、おまっ――――早く言えよ!!」

 慌てて冥夜は制服を脱ぎ捨て彩葉を背負い直し、落ちないようにそのボロボロになった制服で縛り上げる。

 そして

 「何の真似だ?」

 そのボロボロになった義手を見つめ訊ねる。

 「あ? 何の真似って、さっさとここから出るんだよ」

 理解が追い付いていない。

 先ほどまで殺し合いをしていたのだ。

 なのに何故この少年はそんな相手を助けるとでも言うのか?

 「面倒せぇヤツだな。俺は殺し合いっつーよりも売られた喧嘩を買ってるだけだ。それに言っただろ? 。寝てたアイツと勝手に約束したんだ。だからオッサンも連れて帰る」

 その目には嘘偽りは一切ない。

 純粋にクルトガを助けようとする冥夜に降参の意思を示すため両手を上げ差し伸べられた手を取った。

 「敗者は勝者に従うさ」

 その言葉に冥夜は少し微笑むとクルトガを抱えひび割れた裂け目へとゆっくりと歩いていく。

 徐々にひび割れていく『辺獄』を進むが中々先へと足が動かない。

 「ちくしょう…………身体が重いぞ」

 そもそも蓄積されたダメージの分もあるのだ。

 更に彩羽とクルトガの二人を支えているのだ。

 冥夜も限界が近い。

 「クッソ! もうちょっとだってのにッ!!」

 焦りだけだが募っていく。

 「少年、頑張っているところ申し訳ないが―――――――」

 「何だよ!? って何だあれ?」

 クルトガの呼びかけに振り向くと背後から何か〝黒い影〟が迫っていた。

 「恐らくこの『辺獄リンボ』に蔓延る〝蠢くものカラミティア〟だろうな。生きた人間がこの辺りにいれば喜んでやってくるとは思っていたが」

 「さっきからやけに冷静だな!? 結構見た目キモイぞ!!」

 見た目は影なのだがその影からもぞもぞと無数の虫が動いているような表現に困る見た目をしている。

 「なんか…………真っ暗な台所にあの黒い虫が数十匹動いてる感じか? あ、ダメだ。想像したら鳥肌が」

 我ながら的確で今その表現をするのは間違ったと一瞬で後悔した。

 「ふむ、察するに恐らく標的はキミと神代彩羽の二人だろうね。

 「解説なんていいからさっさと――――――――――――――おいオッサン。今、何て言った?」

 すると何てことない、まるで明日の天気を語るかのようにあっけらかんと、

 「ん? 今この場で生きた人間はキミたち二人だからね、そう言ったんだが?」

 「な、に―――――――言ってんだよ? オッサンだってまだ生きてるんじゃ」

 そこまで口にして冥夜はそこで気付いた。

 クルトガ・ティエットの身体が砂のように崩壊しかかっている事に。

 そんな自分の身体を見つめクルトガは驚いていなかった。

 「ふむ、やはりそうだったか」

 その口調はどこまでも落ち着いていて冥夜が困惑しているのがおかしいと思えるほどだった。

 「どういう事だよ?」

 ようやく絞り出せた言葉がそれだけだった。

 悠長に話している場合ではないと分かっている。

 今でも『辺獄』の崩壊は進んでいる。

 だが、それでも冥夜の足は動かなかった。

 「悪魔に憑りつかれた人間は魔の眷属〝魔人〟と呼ばれる者になる。その期間が長ければ長いほど肉体は悪魔に近付き肉体を変異させるほどに同調される……その姿は犬塚冥夜、キミも見たと思うが?」

 それはクルトガの肉体を変化させたダンタリオンの事を言っているのだろう。

 「そもそも、キミは不思議に思わなかったのかね? あれだけの傷を負ってこれほど動き、喋れる人間がこの世にいるかな?」

 冥夜は言葉に詰まった。

 確かに今にして思えばおかしい事だらけだった。

 あれほどの攻撃を受けたはずなのに、

 「あぁ、先に言うがはキミのせいではないよ。悪魔に十年間も憑依されていたのだ。肉体はとうに限界だっただけだ」

 クルトガはゆっくりと冥夜の肩から離れる。

 その歩みは少しふらついていたが、それでもしっかりと地に着けている。

 「さて、こんな私にもどうやら最後にちゃんとした『聖職者』としての仕事があったようだ。―――――――行きたまえ」

 その言葉はここで果てる、暗にそう言っていた。

 「馬鹿言うなオッサン!! テメェにはまだやる事残ってんだろうが!! シャトラに直接会って、ちゃんとゴメンって謝ってやれよ!! 勝手に自分で終わらそうとしてんじゃねぇ! 絶対に俺はアンタを連れ帰るッッッ!!」

 だが、そんな冥夜の言葉はクルトガにはもう届かない。

 「ならばキミはその少女と共にこの場で奴らのエサにでもなるつもりかね? 私は悪魔の力が身体に残っているから奴らには食われん。だが、キミたち二人はそう言う訳にはいくまい」

 「でもッ!」

 そこまで言っても引き下がらない冥夜を見兼ねてか懐に隠し持っていた小さな十字架を片手に呟く。

 「〝罪を裁く十字架は民衆の前で裁かれる〟!!」

 冥夜の足元から十字架の先端が飛び出し冥夜を彩羽ごと吹き飛ばした。

 「て、めっ!」

 「すまんね。この十字架は先の物より効力は小さいがこれぐらいは出来るよ」

 そしてその十字架をクルトガは放り投げ冥夜へと渡した。

 「その十字架ロザリオはもう用なしだ。勝手に処分してくれたまえ」

 冥夜はその十字架をキャッチし二人はひび割れた裂け目へと吸い込まれていく。

 最後に不意を突かれたせいなのか、それとも体力が限界を迎えていたのかは分からない。

 分からないが、薄れゆく意識の中、

 クルトガの口が僅かに動くのを見て、

 冥夜の意識は完全に途絶えた。

 そして、それがクルトガ・ティエットとしての最後の姿だった。





 「さて、と」

 クルトガはゆっくりと迫りくる〝蠢くもの〟を見据えていた。

 この場に残ったのは『聖職者』としての最後の役目を果たすためだった。

 もともとは〝聖堂教会〟の異端審問官としての責務の中に、この『辺獄』を封印するというものも含まれていた為、今のクルトガでもそれぐらいは出来る力は残っている。

 クルトガは自分の腕を爪で搔き毟り、血を地面へと流す。

 不自然に動く血液はやがて魔法陣を描き淡い光に包まれていった。

 「(不思議だな。本来なら恐怖で身一つ動かせないんだろうが、今は穏やかな気持ちで責務を全う出来そうだよ)」

 何処か壊れていた自分。

 人であり、人ならざるものになっていた自分。

 そんな自分を最後まで父親と呼んでくれた―――――。

 「(あぁ、そうか)」

 クルトガの身体は最早形を保つのもやっとのところで思い出す。

 それはまだ幸せだった日々。

 クルトガと、そして今は亡き妻とアシェアとでピクニックに出掛けていた時だった。

 誕生日が近かったアシェアに何か欲しいものは? と尋ねた時に少し考えやがて笑顔で、



 「わたし、妹がほしいっ!」



 と言った。

 その思わぬ返答に二人は少し見つめ合い照れるように慌てた。

 何故? と聞いたとき屈託のない笑みを浮かべてアシェアが言った。

 「妹が出来たらふたりでおとうさんと手伝うの! おやこでみんなが幸せな暮らしをまもっていくの!」

 自然と目頭が熱くなった。

 仕事にかまけて娘とのコミュニケーションも取れない自分をサポートすると、アシェアは言っていたのを思い出す。



 ―――――だから、やくそくっ。



 「どうやら、本当に私は馬鹿だったようだ」

 身体は流砂のように流れ落ち、意識を保つのも限界を迎えていた。

 これからシャトラには厳しい現実が待っている。

 神に使える者でありながら神を裏切り、悪魔と契約をし、あまつさえ同胞を利用した。

 後悔が波のように押し寄せてくる。

 自分のしたことはこれから地獄で償おう。

 だが、そうなるとシャトラの身が心配だった。

 人工生命体ホムンクルス―――――禁忌の存在。

 彼女の事はもう〝聖堂教会〟には知られているだろう。

 あそこに戻ってしまったらもうシャトラは人として扱われない。

 良くて処刑。

 最悪なのは人体実験モルモットとして拷問を受けるかもしれない。

 しかし、

 不思議とそうならないという予感はあった。

 人任せで無責任だが、あの少年が何とかしてくれる。

 そんなあてもない予感だった。

 「(あぁ、やはり―――――私は父親失格のようだ)」

 最後の最後にあの少年と目が合った。

 その時に何故か自然と口が開いた。

 伝わっただろうか?

 伝わっていたらいいな。

 そんな単純な願いを抱きながら、

 クルトガ・ティエットの身体は崩壊していく。

 ギリギリで現世と辺獄の境界線は修復できたのを確認し、

 クルトガの意識は深い底へと沈んでいく。

 「(こ、ん―――――な、ち、ちおや…………で、すまな―――かっ)」

 辺獄の地にてクルトガ・ティエットはその人生を終えた。

 ただ最後に、

 虚無とも言える空間で風に乗って言葉が流れていった。

 誰が聞いていたわけでもないその言葉は、

 確かにこう囁かれていた。



 ―――――幸せになっておくれ。

      愛しい娘シャトラよ。



 と。

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