第3話 序章③ 『番犬』

 「う………くっ―――――」

 彩葉はうなされていた。

 彼女の住むマンションに帰ったあとご飯を食べ、シャワーを浴び、少しテレビを見たあと急激な眠気が彼女を襲いそのままうたた寝をしてしまった。

 一人暮らしをしている彼女の部屋には自分以外誰もいない。

 

うぞぞぞぞ、とそんな彼女の隣にはが蠢いている。

 影―――――それ以外に例えようのない『それ』はうなされている彼女を見てニタニタと嗤っているように感じた。

 その『影』の触手のような一本がゆっくり、ゆっくりと彼女に近付き―――――そして、



 「はーいそこまで」



 

 声は出ない。

 そもそも『影』という概念である自分には声を出す事や、

 ズルズルときちんと廊下を通りちゃんと玄関から出ていく自分の姿はさぞかし滑稽な映像ビジョンだとそんな事を思っているとふわりと影が宙に浮いた感覚を覚える。

 彩葉の部屋はマンションの最上階ごかいで、更にその上は屋上になっている。

 そこへ魚釣りの要領で釣り上げられた。

 周囲はビルなどの光がぼんやりと浮かぶ程度で『影』である自分は同化する事が出来るので逃げられるはずだったが、目映い閃光が屋上を照らす。

 「ぐっ、ひいぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃぃッッッッッ!!!?」

 『影』から悲鳴が響いた。

 自分を纏っていた『影』がスポットライトの閃光でペリペリと剥がされていく。

 『影』のヴェールを脱がされた後にはふくよかな体型に脂汗を額に滾らせ、濁った様な眼光の男が怯えた表情をしながら尻餅をつき、後退りしていく。

 「な、ななななななななな何でぇッッッッッ!?」

 だらしなく涎を滴しながら叫ぶ。

 自分は確かに『影』を纏っていた。

 それは『影』という性質上気付かれることが無ければ自分が出来ないことは無いはずだった。

 施錠をしていても無意味で簡単に部屋へ侵入できる。

 無防備に寝ているところへ女の子に悪戯することも出来る。

 そして何より、自分がやったという証拠すら残らない便利な力だった。

 それが何故こんなことになったのか理解が追い付いていない。

 「あーあ、誰かと思えばさっきのおっちゃんじゃねーか」

 コツコツと、自分に近付いてくる足音が聞こえる。

 スポットライトの逆光で顔は見えなかったが、その声には聞き覚えがあった。

 自分が彩葉を尾行ストーキングしているときに捕まってしまった時に聞いた声だ。

 「な、ななななななな何だよッ!? お前ッッッ!」

 男は怯える。

 つい最近に気付いた事で、自分には『影』を纏う能力があった。

 最初は神様がくれたモノだと思い、色々と試してようやく自分の思うように使うことが出来た。

 それなのに―――――それなのに今日で二度も同じ少年に邪魔をされたのだ。

 『冥夜。どうやらその男は一種の影を操るちょうのうりょくのようなモノを使うことが出来るみたいだ』

 「みたいだな。ケーサツが現場に行ってもあのおっちゃんの持ち物しか落ちてなかったっつーから嫌な予感がしたんだが」

 パキパキと拳の音をたて少年―――――犬塚冥夜が凶悪な笑みを浮かべる。

 口元は犬歯を剥き出しにし笑っているが、眼が全く笑っていない。

 「な、何なんだよ! お前―――――何なんだよッッッ!!」

 ビュッ、という風切り音が聞こえると同時に自分の影から槍のような針を伸ばす。

 周囲の光の影響で自分の影は濃く映っているので射程距離は短いがより硬度が高い針だ。

 初見殺しの槍を見極めることは出来るはずがない。

 そのはずだったが、

 「おっせーぇッ!!」

 頬を掠めそのままカウンターの要領で近付き握り締めた拳を男の顔面に叩きつける。

 「げぶぅっ!?」

 男は情けない声を出すとそのまま吹き飛ぶように転がり気を失った。

 『ご苦労だったな冥夜。コイツは例によって収容所プロトガルへ直行させるよう手配しておく』

 「マジか」

 憐れみの目を向ける。

 この男の末路が安易に想像がついてしまった。

 これから正直死んだ方がマシだと思う事になるだろう。

 少し同情をしていると、

 『同情するだけ無駄だ。―――――?』

 無線からの声は男を卑下しているように思えた。

 そう言うことなら反省して貰おうと冥夜は後から来た者たちに男を渡した。

 『今回は間に合った。だが忘れるなよ冥夜―――――お前の役割を。わたしにはわたしの、お前にはお前の事情がある』

 「分かってるよ―――――だから約束しな『フィーア』、アイツを守る為に力を貸せ」

 冥夜は力強く告げると星空が輝く夜空を見上げる。

 同時に無線から聞こえた声は少し皮肉を込めたように、



 『任せなよ〝番犬〟―――――キミと彼女が観察しがいがある限り、ね』



 それを伝えると無線からの声は消えた。 

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