014『カラオケ襲撃2』
全員が一斉に廊下の向こうに目を凝らす。
――カツン……カツン……。
静寂の中に足音を響かせて、小柄な人影がゆっくりと歩み寄ってくる。
非常ベルの赤いランプに照らされて仄かに浮かび上がるその姿は異様の一言。古めかしい茶色のローブを頭まですっぽりと被り、顔には白面。右手には幾何文様の刻まれた剣を握っている。
「っべーっ! コスプレイヤー居んじゃん!」
浅間がヘラヘラと言った。浅間だけじゃない。星川も竜崎も気の抜けたような反応をしている。何をのんきな、と言いたくなるところだが、こんなファンタジックすぎる姿で現れた相手を警戒しろと言うのも無理があるかもしれない。まともな頭の人間ならまずコスプレイヤーを疑うだろう。
けど、僕とカエシアだけはこいつがコスプレイヤーなんかじゃなくて、本物であることを知っている。なぜならば、奴の口からはっきりと〝青灰〟という言葉が聞こえたから。カエシアの二つ名を知っている以上、こいつは間違いなく魔術に関わるものだ。
「ねぇ、ちょっと。邪魔なんですけど?」
通路を塞いだまま微動だにしない白面の人物に向けて、星川が苛立たしげに言った。しかし、相手は星川の方を一顧だにしない。その不気味な白面が向かう先はカエシアただ一人。
無視された形となってプライドが傷つけられたのか、星川が白面の人物に向かってツカツカと迫っていく。
子供の頃、猫が車に轢かれるのを目の前で見たことがある。その時のことをふと思い出した。猫は車の怖さを知らないがゆえに無防備に車道へ飛び出し、そして轢き殺される。今、彼女は車道に飛び出そうとしているのだ。
一貫してカエシアの方を向いていた白面が初めて星川の方に向く。右手に持っている剣がピクリと動いた。
「星川さんッ!」
咄嗟に止めようと声をかけるが、僕の言葉に耳を傾けるような彼女ではなかった。僕は考えることをすっ飛ばして飛び出すと、彼女の腕を掴んで思いっきり引き寄せた。バランスを崩した星川が小さな悲鳴を上げながら僕の胸に飛び込んでくる。
「ちょっ……何すんのッ!?」
星川が身を捩りながら怒鳴ってくるが、こっちはそれどころではなかった。肩口に強い灼熱感、それにやや遅れて鋭い痛み。斬られた――一瞬で、そう悟った。
「え……嘘……」
星川が唖然として呟いた。
傷口は星川の目と鼻の先だ。薄暗いとはいえ、スマホの明かりもある。彼女もすぐに僕が肩に怪我をしたことに気が付いたようだ。そして、それがどうやら奴の剣で斬られたことによるものだということにも。
敵が振り抜かれた剣をゆらりと下段に下ろす。その切っ先が真っ赤な血に濡れていた。
「お、おいおいおいっ! あの剣、本物じゃねぇかよぉっ!?」
「なんだよ……これ……」
浅間と竜崎が戦慄した様子で後退った。それとは対照的に鋭く前に飛び出してきたのはカエシアだった。腰元に引き絞った右腕の手中には火種が渦巻いている。
「――
カエシアが右手を前に突き出す。手中の火種が爆発的に勢いを増し、焔となって放射状に拡散し、僕らと敵を隔てる壁となる。
「アッチぃ⁉ 今度は火がヤッベェ⁉ もう訳分かんねぇよぉぉ!!」
パニックに陥った浅間が反対方向に走り出す。それがトリガーになったのか竜崎も踵を翻す。
星川は竜崎の方に手を伸ばしたが、その手が握り返されることはなかった。一瞬、目があったにもかかわらず、足手まといは要らないとばかりに。
「マスター、今のうちに私たちも行きましょう」
「あ、ああ!」
カエシアの言葉に強く頷くと、僕は星川の腕を引いた。しかし、竜崎に見捨てられたことがよほどショックだったのか、呆然として動こうとしない。
「紫、苑……」
「星川さん! 僕らも逃げるぞ! ここに居たらヤバイ!」
無理やり引っ張っていこうとするが、自力で動く意思のない人間を引っ張って移動させるのは思いのほか困難だった。
「だぁぁぁ、ったくもう!!」
仕方なく僕は彼女を抱き上げる。
どうせ後でセクハラだなんだと言われるんだろうなぁ。星川みたいなカーストの女王が竜崎に見捨てられ、あまつさえ僕みたいな底辺モブに助けられたなんて、彼女のプライドが許さないだろう。自力で逃げられたのに、僕が逃げるのにかこつけて勝手に体を触ってきたとか難癖をつけてくるに違いない。
正直、出来ることなら見捨ててしまいたい。今の僕はただの無力な男子高校生に過ぎないのだから。
けど、ここで見捨てて死にでもしたら、化けて出てくるかもしれない。比喩でも何でもなくマジで。なんせ、アルシエルとかいうゾンビが身近にいるのだ、悪霊が祟ったって全然不思議じゃない。
もちろん、見捨てても殺されない可能性は十分にあるだろう。彼女は明らかにターゲットではないのだから。
しかし、そうなると、僕は明日から我が身可愛さにクラスメイトの女子を見捨てた最低男という烙印を押されることになる。竜崎や浅間だって同じように見捨てたのだと言っても、人望のある彼らが結託してそれっぽい言い訳を作れば、皆はそれを信じるだろう。もともとの立場が弱い僕だけが無事にスケープゴートにされて終わる姿が目に見える。
だから、結局のところ僕だけは見捨てることは出来ないのだ。どういった形に事態が転がったとしても立場が悪くならないように、僕は出来る限りのことをしましたよアピールをしておかなくては。
「せめて、しっかり掴まっておけよ! お前だって死にたくないだろ!」
「――っ」
〝死にたくないだろ〟という言葉で、ようやく彼女も駄々をこねている状況ではないことを思い出したのか、僕の服の袖をぎゅっと握った。それを確認すると、僕はがむしゃらに走り出した。
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