第十三話「女奉行所出撃」
花火が上がるのと同時に、川の上流で待機していた美湖達女奉行所の一団が行動を開始した。
彼女らは上流で小舟に乗っており、花火を合図として出発し、流れに乗って一気に歓喜寺に攻め寄せる手はずになっていたのだ。
「おお、見事命中したようだな。よくもまああんなに離れているのに当たるものだ」
「かつて権現様が大坂城を攻めた際、大筒「国崩し」で城の中心部を砲撃し、それに豊臣秀頼の母が恐れをなした事で有利な条件で停戦したといわれています。それに、天草の乱で切支丹達が立て籠った原城を幕府軍は攻めあぐねましたが、阿蘭陀船に砲撃してもらった事が勝利を導いたのです。これらの城への砲撃はもっと遠距離からなされていたはず。それに比べれば容易い事です」
美湖の言葉に対し、赤尾が自らの手柄の様に大筒について語った。この策は彼が立案したものであり、師である北条新蔵にこれを提案し、その伝手で幕府から貸し出してもらう事に成功したのだが、元はと言えば彼の発想だ。自慢するのも無理はない。
「さあ、もうすぐ中州に着くぞ! 一気に突入し、娘達を助けるぞ!」
美湖が併走する舟にも聞こえる様に、大声を張り上げた。
この無茶な作戦は、出来るだけ寺の中に囚われている娘達の犠牲を無くすのが目的だ。大筒を受けて混乱している今こそ、絶好の機会なのである。
また、中には事前に潜入した女奉行所中間の次郎吉が、中の状況を調査して待っているはずだ。すぐに合流して娘達を助けに行かねばならない。
舟を中州に接岸した美湖達は、木端微塵に打ち砕かれた門を通り中へと突入した。彼女らの長である千寿もすぐに合流する段取りになっている。
中に入ると門の近くで、浪人風や坊主風の男達が砲撃に巻き込まれて倒れていたり、呆然自失の状態になって立ち尽くしている。これが赤尾の狙いだったのだ。
大筒はその威力もさることながら、天地に轟く砲声は敵の意思を挫き、味方の士気を鼓舞する。門を破壊して突入口を空けるという目的もあるのだが、歓喜寺の者どもを混乱に陥れ、人質として娘達に危害を加える事を防ぐのが一番の目的だ。
「美湖様! こっちです!」
組織だった抵抗が出来ない歓喜寺の者達を打倒しながら突き進む美湖に、見知った者が声をかけた。
潜入していた次郎吉である。娘達の囚われている場所を教えに来たのだろう。そして、次郎吉はもう一人の若い男を連れている。
「そちらに居るのは?」
「平蔵です。まつからは皆さんの事は手紙でかねがね聞いております」
平蔵はまつとともに、雑司ヶ谷で騒ぎがあった時にその姿を消していた。ここに居る事から察するに、歓喜寺の連中に拉致されていたのだろう。
「まつも囚われているのだな? よし、案内しろ」
「それが、まつだけ別に連れてかれてしまったのです」
「なんだと?」
まつも歓喜寺から見れば外部の人間であり、娘達と一緒に囚われていると美湖は思っていた。それでは一体どこにいるというのか。
「どうも平蔵さんの話では、まつさんは連中の親玉に連れてかれたそうで」
「あの象眼って奴は、まつが公方様の側室になると聞いて、自分達の教えの信徒になれと言って来たんです。まつは断ったんですが、何か方法があると言って連れて行ったのです」
「そうか……」
美湖は平蔵達の話から、事態を整理した。まつが側室になると知って連れ去ったと言う事は、何かそこに象眼の思惑があるのだろう。しかも、まつに自分達の信仰を教え込むというのだ。
「なるほど、象眼の奴、将軍家に立川流の教えを広めようとしているのだ」
側室になれば、当然将軍と閨を共にする。そうなれば寝物語に教えについて将軍に吹き込むのは容易くなる。実のところその様なことが内容に常に監視役がつくのだが、そんな事は象眼にとって知る由もない。また、それが失敗したとて子供を産むことになれば、真言立川流の信徒を母に持つ将軍の子の誕生だ。
吉宗には既に子がいるのだが、まかり間違えばまつの子が将軍に成るかもしれない。吉宗だとて、元はと言えば紀州徳川家の部屋住みに過ぎなかったのだ、運命によって将軍になったのだ。
「二手に分かれる。一方は赤尾殿が指揮してくれ。そして人質になる前に娘達を解放するのだ。もう一方は私が指揮をする。狙うは象眼の首と、まつの救出だ。
美湖は速やかに決断を下し、それぞれ次郎吉と平蔵の案内で奥へと向かう。
平蔵の案内で寺の中を進み、時折襲い掛かって来る歓喜寺の手下たちを撃退していくと、本堂の中に到着した。
中には十数名の歓喜寺の一団と、床に寝かされたまつの姿があり、一人の男が気絶したまつの口に水差しを差し込み、何かを飲ませようとしている。
「待て! まつから離れろ!」
言うが早いか美湖は速やかに手にしていた弓に矢を番え、一息に引き絞ってまつの傍にいる男目掛けて放った。
恐らくまつに飲ませようとしているのは何か精神に作用する薬物で、それによってまつに真言立川流の教えを吹き込もうとしているのだ。
美湖が手にしているのは四人張りの強弓だ。その威力、速度共に凄まじく、受ければ確実に瀕死の重傷を与え、避けるのも困難なはずであった。
だが、驚くべきことにその男は、屈んでいたのにもかかわらずふわりと跳びすさり、一瞬でその場から離れてしまった。矢は無人の床に深々と突き刺さる。
美湖は即座にこの男が誰かと察した。
「貴様が象眼だな?」
「いかにも。お前らば、噂に聞く女奉行所の者達だな?」
この象眼という男、驚嘆すべき身体能力を見せた。しかも、自分達が追い込まれているというのに全く動じていない。
単に狂っているだけなのかもしれないが、これだけの組織を作る事が出来た原因が分かるというものだ。単に金儲けに利用しようという不純な者もいただろうが、象眼に惹かれてついてくる者も多かったのだろう。
象眼の後ろには、男と女が抱き合う姿を象った仏像が鎮座して、本堂にいる皆を見つめている。彼らの信仰する仏がこれなのだろう。男女平等を掲げるかれらの仏像として相応しい様に思えた。
「将軍様の側室になるまつを信徒にする事で、将軍家を乗っ取ろうと目論んでいる様だが、残念だったな。まつは側室になどならん。ここに居る平蔵の妻になるのだ」
まだこれは確定してはいないため、単なるはったりである。だが、こうやって相手に揺さぶりをかけているのだ。
美湖の見る限り、象眼はかなりの腕前である。まともにやっては後れを取るかもしれない。
「どうだろう。我々とお前達の考えは同じはずだ。ここは一つ見逃してくれないかね?」
「何だと?」
「我々は男女和合の教えに従っているため、この世を変えたいと思っているし、それはお前達も同じなのではないか? そうでなければ女奉行所など作りはしまい」
これはある意味事実である。もしも歓喜寺の者達がこの様な手段をとらなければ、例え存在を知ったとしても見逃した可能性が高い。
「聞いてはなりません。その者は自分達の新年のために、関係の無い娘達を巻き込もうとしました。それを考えなさい」
美湖の心に象眼の言葉がするりと入り込もうとしていたのだが、それをかき消す様な言葉が耳に入る。静かな声だったが、美湖の良く知るその声は、象眼の言葉を完全にかき消した。
それは、駆けつけてきた千寿である。
「お前が女奉行伊吹千寿だな? 噂通りの凄腕の様だが、まだ若い。理想が何の犠牲も無く手に入ると思い込んでいる」
「その犠牲が、何の罪ない娘達であると?」「知っているか? 神話では、国生みの夫婦神がこの世とあの世の境界で仲違いをした時、女神は一日に千人の命を奪うと宣言したが、それに対して男神はそれならば一日に千五百人の産屋を建てようと返したのだ。つまり多少の犠牲を払おうと総合的に前に進めば良いのだ。この国はそうして発展してきたのだよ。それが節理なのだ」
象眼が語ったのは、神話に語られるイザナギとイザナミの逸話である。彼の言う事は真理である。犠牲を無くすことは出来ないし、その様な状況でもより正しい方向を目指すべきなのだ。それが政治であるし、社会の変革というものなのだ。
「その話は良く知っています。しかし、例えその様な状況にあっても、その死んでいく千人の者達を一人でも多く助けるのが私の信念なもので」
そう言うと千寿は刀を抜き払った。すでに話し合う時は終わったと言う事だ。
女奉行所と歓喜寺の決戦は、美湖の強弓で幕を開けた。まつに近づいて人質に取ろうとした二人の男を、たて続けに射て防いだのだ。四人張りの弓によって放たれた矢をまともに受けた男達は、喉笛を貫かれて息絶えた。
次に、せんを先頭に女奉行所の同心達が斬り込んで行く。歓喜寺の手勢は強者揃いだ。浪人時代に様々な経験をして腕を磨いていたのだろう。女奉行所の者達は皆、並みの武士以上の剣の腕前を持っているが、それと互角である。
乱戦に持ち込まれる事になった。
そして千寿は、象眼と一対一の構図になる。
象眼は四尺の杖を持ち、鷹揚に構えている。何処で学んだものやら知れぬのだが、相当な使い手であると千寿は判断した。
だが相手がどれだけ強者であろうと、それに恐れをなす訳にはいかない。一気呵成に千寿は斬り込んだ。
千寿の斬撃は、せんの剛力に比べると威力は無いが、その速度は風の様で例え相手がどれだけ防ごうと構えていても、水の如くその隙間に入り込んで敵を打って来た。だが、この象眼という男は別格である。千寿の切り込みを全て受け止めて見せた。もしも武人としての人生を歩んでいたなら、世に知れた武芸者になった事だろう。
千寿と象眼の打ち合いは、何十合、何百合にも及んだ。それでも全く優劣は見えず、互角の戦いである。
ちらりと周囲を見ると、まだ戦い続ける美湖達の姿が千寿の目に入って来る。このまま戦い続ければ、寺社奉行や町奉行の配下達が追いついてくるので勝利は出来るだろうが、それまでに犠牲が出るかもしれない。
千寿は一計を案じた。
「覚悟!」
「馬鹿め! そんな大振りの攻撃など食らうか!」
千寿は大上段に振りかぶり、差し違える勢いで象眼に向かって切りかかった。
だが、この様な攻撃は象眼に通じない。ふわりと身を躱されて、勢い余った千寿はそのまま態勢を崩してたたらを踏み、何かにぶつかって停止した。
「覚悟するのはお前だ!」
「そうでしょうか? やはりあなたでは?」
好機と見た象眼は、杖をかざして千寿に打ち込もうと近づいてくる。まだ態勢を立て直せない千寿にとって、危機が迫っていた。だが、千寿は余裕を崩さない。
「何を? ああっ! しまっ……」
象眼は自分が嵌められていた事に築いた。
その時にはもう遅い。千寿が勢いよくぶつかったのは象眼達が崇める仏像で、ぶつかった勢いで倒れ、それに象眼は潰されてしまったのだ。
「仏罰ですか。どうやら仏様はどちらが正義か分かっていたようですね」
倒れ方によっては、千寿が潰される可能性もあったのである。案外真言立川流は邪教などではなく、それを信じる者が歪んでいただけなのではないかと、そんな戯言が千寿の脳裏に浮かんだ。
それに最期、象眼は手を広げ、倒れる仏像を受け止めようとしていた様に見える。彼も、現実と理想の乖離で狂わなければこの様な末路を迎える事も無かったかもしれない。
全ては、想像の域の話なのだが。
指導者である象眼の死を目の当たりにした信徒達は、戦意を失い投降した。
そしてしばらくしてから、寺社奉行と町奉行が手勢を引き連れて駆けつけてきたのだった。
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