第十二話「北条流の奥義」

 月に照らされた荒川の水面はその光を反射し、輝きを放っていた。雲一つなく、月見には絶好の夜である。


 だが、この光景を眺める寺社奉行である土井の心は晴れやかでなかった。


 これから、荒川の中州に建てられた邪教の本拠地、歓喜寺に攻め込まねばならないのだ。


 歓喜寺を占拠している真言立川流の集団は、幕府としては全く認めていないため、本来は連中の寺は寺社領とは認められず寺社奉行の管轄ではない。しかし、歓喜寺は元々別の寺が立てられており、そこを連中が乗っ取ったのである。つまり、管理不行き届きが原因なのだ。


 大きな失態であり、ここから挽回するためには寺社奉行が総力を上げねばならない。


 戦は武士の本懐であり、例え危険が待ち受けていようと恐れるところではない。


 だが、あの歓喜寺の中には旗本や豪商の娘達が数十名囚われているのだ。おそらく怪我人、下手をしたら死人が続出するであろうし、そうなれば土井への風当たりが強くなる。


 土井は大名であり、旗本や商人などとは本来身分が違うのだが、それでも幕府の中枢に食い込む旗本達や、今や経済の中枢を握る豪商達の恨みを買うのは恐ろしい。例え公方が保証してくれているとはいえ、矢面に立ちたくは無かった。


 とはいえこの事に関しては朗報ももたらされた。


 なんと女奉行の伊吹千寿が先陣を切って寺に攻め込む事を申し出てきたのだ。


 これはありがたい事である。


 先鋒たる女奉行所の攻め方が良くなかったせいで、囚われの娘達に被害が出た事にすれば、土井への圧力も少しは軽減されるだろう。


 もちろんこの作戦の総指揮は土井が執る事になっているため、この戦いで起きた事は全て良きにつけ悪きにつけ土井の責任だ。


 土井とて大名なのだ。その程度の覚悟は出来ている。だが、建前と実態に乖離がある事も十分承知しており、この場合風当たりが弱まる事は予想できるのだ。


 女奉行所に責任を押し付ける事に心が痛まないではないが、責任を負うのが犠牲になる者達と同じ女であれば多少は風当たりも弱くなると予想できる。


 おそらく女奉行はそのあたりを踏まえて、土井に先鋒を申し出たのだ。


 大変ありがたい事である。


 そんな事を土井が考えていた時、後ろに義代えていた家臣達にどよめきが走った。


「なんだ。騒々しい。戦の前に動揺するなど……なんだこりゃ!」


 家臣を叱責した土井であったが、本人も驚きの声を上げてしまった。


 土井の目に飛び込んできたのは、巨大な金属の筒であった。台車に載せられ数人の人足が太い縄で引いて来たのだ。その筒は青銅で出来ているらしく、夜の闇の中にも家臣たちの持つ松明の炎を照り返して金色に輝いている。


 大名たる土井には、この筒に関して心当たりがあった。


「これはまさか」


「その通り。大筒ですよ」


 土井の言葉に答えたのは女奉行の伊吹千寿であった。勇ましい出で立ちで武装した彼女は、何人かの侍を連れて大筒と共に歩いて来た。


「これで一体、何をしようと?」


「大筒でやるとすればただ一つ、奴らの寺を吹き飛ばすのです」


「し……本気か?」


 正気かなどと口走りそうになった土井であるが、何とか別の言葉に変換した。下手に乱心を疑う様な言葉を口にすれば、遺恨を残しかねない。その程度の配慮を自然にできるだけの人生経験を土井は積み重ねている。


 まあ、この太平の世で大筒をぶちかまそうなどという狂人か紙一重の者と会ったのは初めてなのだが。


「中の娘達に被害が出るのではないか?」


「いや、正確に計算すれば、問題なく門のみを破壊できる。さすれば一挙に突破口を形成でき、混乱した敵の隙をついて突入できるので、逆に被害は少なくなる」


「お前、何を根拠に……いや、失礼いたした」


 千寿のそばにいた男が、大筒を利用した作戦について語るが土井としては信用しきれない。思わず反論をしようとしたのだが、その人物が誰なのか気付いて口を閉ざす。


 その男は、天下に名高い軍学者である北条新蔵であったのだ。軍略において彼が大丈夫だと太鼓判を押しているのだ。例え大名であろうと反論するのは難しい。


 特に北条流の特徴として、北条流の始祖たる北条氏長は三代将軍家光の時代に、#瑞典__すうぇいでん__#軍人から上述を学んでいる。その内容は『#攻城阿蘭陀由里安牟相伝__こうじょうおらんだうぃりあむそうでん__#』として書物にされ、北条流で受け継がれている。つまり、大筒において北条新蔵は日本でも有数の砲術家でもあるのだ。


「しかし、ここは江戸の区画外とはいえ、すぐ近く。将軍様のお膝元で大筒を発射するなど……」


「それも問題ない。もうすぐ花火が上がる。それに紛れて射撃するつもりだ」


「いつの間に……」


 花火師を手配したのは、北町奉行の稲生の仕業だ。彼の娘が寺に囚われているため作戦には参加しないのだが、娘を助けたいという気持ちはある。そのため、千寿達女奉行所の策に協力しているのだ。


 そして、北条新蔵の門下生たちが大筒を据え付け準備を整えた頃、南の空に一筋の光が昇って行く。


「うむ。丁度準備も出来た所だ。方向、角度、良いな?」


「待て! 儂はその作戦を許可した覚えは!」


 淡々と大筒発射の準備を整える北条新蔵達であったが、土井としては作戦の総責任者だ。勝手に大筒など発射されてはたまらぬ。千寿に抗議しようとした。


 だが、言いかけた途中で、千寿が準備よく耳栓をしているのに気付いた。


「すみません。何を言ってるのか良く聞こえません。土井様も耳を塞いだ方が良いですよ?」


 耳栓は轟音の大部分を遮断するが、完全に声を聞こえなくするわけではない。土井の言葉は千寿に届いているはずであるが、完全にしらばっくれている。


「くっ……」


「発射!」


 土井が慌てて耳に手を当てようとした時、北条新蔵が発射の号令を下し、手を振り下ろした。


 その瞬間大筒の先端が閃光を放ち、雷もかくやという轟音を天地に響かせて砲弾を発射したのであった。


「これは、花火では誤魔化しきれないかもしれませんね。もう遅いですが」


 打ち上げ花火も近くで聞くと凄まじい轟音であるが、大筒は全く質が違う。稲生が上手く誤魔化してくれることを祈るばかりだ。


「それでは、先陣は我が女奉行所が務めることになってますので、私はこれより突破口を切り開いてご覧にいれます」


 そう言った。千寿は、見事風穴の空いた歓喜寺の門に向かって駆け出して行った。

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