第六話「歓喜堂の怪」

 この日も女奉行所の一室に、美湖を始めとする各奉行所の者達が集まっていた。旗本達の娘の大量失踪に関する調査のためだ。


 そして各々が昨日調べた内容を教え合ったのだが、いなくなった娘達には奇妙な符号があったのである。


「竹田様の娘達も歓喜堂へ?」


「そうです。こちらで調べた娘達は皆、雑司ヶ谷の歓喜堂という私塾に通っていました」


 歓喜堂は、雑司ヶ谷にある私塾だ。象眼と名乗る学者が塾頭をしており、特色としては女子に対して高等教育をしていると言う事だ。


 この時代、教育を受けられる者の比率としては、やはり男の方が多いのであるが、女子もそれなりに教育を受けている。寺子屋などに通い、読み書きそろばん等を習うのだ。また、女子ならではとして裁縫なども教えられる事もある。


 だが、それはあくまで初等教育であり、例え更に学びを得ようとしても、その様な場は基本的に提供される事は無い。


 ある程度以上に学びが進んだ者には、「女今川」の様な教訓書を享受されたりするのだが、その内容は女として父母や夫にいかに仕えるかという「女の道」が示されているものであり、更なる学問をしたい娘にとってはあまり面白くは無いだろう。享保の初年には「女大学」という本も出版されたのだが、これも似たような内容だ。


 その他にも「女商売往来」や「女消息往来」などの生活の知恵を教授する者もあるのだが、これも嫁入り修行的な面が強い。


 だが、歓喜堂は一味違うのだという。歓喜堂では儒学、源氏物語の様な数々の古典、算術、国学、天文学と多種多様な学問を学べるのだという。変わり種では軍学まで教えるそうだ。


 これだけ学ぼうという者は男でも珍しく、女ではなおさらだ。


 高位の武家や豪商の娘が学問に興味を抱き、学者を個人的に招いて講義を受ける事は無くはない。美湖やその上司である千寿も、普通の侍を超える学問を身につけているが、それは実家である城之内家や伊吹家が裕福であり、学者を招聘する事が出来たからだ。それも、美湖達だけのために学者を招いたのではなく、兄弟のための講義に同席させてもらっただけなのだ。


 私塾として高等教育を女子に開放している歓喜堂は、極めて珍しい存在と言える。


「一体どういう事なのだ? これはいくら何でもおかしいぞ」


「その歓喜堂とやら、調べてみなければなりませんね」


 歓喜堂が不審であるという点で、全員の意見が一致した。


「ところで、何故その娘達は歓喜堂に通って学問などしていたのでしょうな? あ、いえ、女に学問など必要ないなどと言うつもりは無いのですが、一般論として」


 町奉行同心の忠右衛門が言葉を選びながら疑問を口にした。女人を守るためなら血を流す事も厭わない女奉行所の中で、この様な事を言うのは中々の度胸と言うか粗忽な事である。だが、忠右衛門の言う事はこの時代の人間として普通の考えだ。女が高等教育を受けたとしても、それを役立てる機会はほとんどない。


 武家の娘達は何処かに嫁いでいくか、婿を迎えるのが基本であるが、その後には家事や子育てに追われ、学問を役立てるのは難しい。いや、学問は何かに役立つだけでなく、それ自体が趣深いものなので、例え役に立たなくとも良いのであるが、それは生活に余裕のある極少数の者にしか許されぬ事だ。


 もちろん家を守る仕事はとても重要な仕事なのであり、学問をするのと上下は無いのだが、それでも選択肢という点では限られていると言えよう。男とて自分の生き方を好きに選ぶのは困難な事であるが、それでも比較にはならないのは言うまでもない。


 美湖や千寿が身につけた学問は、女奉行所の御勤めで役立っている。公的機関を運営するためには学問は非常に役に立つ。


 また、女奉行所とも交流のあった大名家の正室であった葦姫という女性は、身につけた学問を活かして領地運営において多大な成果を収める事が出来た。


 だがこれらは例外的な事例だ。女ばかりで運営される幕府の機関という存在が異例であるし、大名の正室でしかも実家が大大名であったため夫が口を出せなかったなど、あまりにも一般とはかけ離れている。しかも、葦姫はこれが災いして結果自害する事になってしまったのだ。


 そのため、普通の娘達にはわざわざ学問を修めようとする理由が無いし、必要も無いというのが一般的な感覚だろう。


 だがそれは、一面的な見方に過ぎない。

多くの女達は機会に恵まれないだけであり、様々な学問を学びたい者は実は多かったと言う事なのであろう。


「そう言えば堀田殿の家の娘が言っていたな。姉は元々学問に興味があったのだが、特に最近その熱が高まっていたところ、歓喜堂の噂を耳にして通う事にしたのだと」


「こちらでも似た様な事を聞きました。女奉行所の活躍を聞き、自分も将来世に出て活躍できるように学問を身につけたいと言っていたとか」


 美湖がふと思い出して言った事に、忠右衛門が答えた。


 美湖は考えた。女奉行所は主に武によって他では真似の出来ない活躍をしているが、ならば学問によって活躍して見せようという娘が現れたとして、不思議ではないのかもしれない。


 ならば、失踪した娘達が揃って学問所に通っていたのは、女奉行所の影響が大きいのだろう。


 歓喜堂が事件の原因とも黒幕ともまだ分からないのだが、何とか解決してやらねばと美湖は心に刻んだのであった。

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