第四話「深畠家上屋敷」
深畠家は三河国の渥美半島に二万石の領地を持つ大名であり、家康の祖父の代から仕えてきた譜代の臣である。
代々の深畠家の当主は、忠勤だけが取り柄の凡庸な人物が続いていたのだが、当代の深畠吉親は名君と名高い。
家臣へ学問を奨励し、天下に名高い学者を幾人も招聘している。それは儒学のみならず農学や医学にも及び、救荒作物や薬草、商品作物の栽培を百姓と協力して推し進めたため、吉親の代になってから餓死者は一人も出ていないともっぱらの評判である。また、商業も発達し、湾内の豊橋や三谷などの港との海運も盛んである。
また、単に学問や政治に長けているだけではなく武芸にも優れており、特に奥山流の剣術の腕前は大名のお座敷芸を遥かに超えた腕前で、家中にも武の達者は多いが吉親を超える達人はいない。
文武両道にして政治能力も高いという事であり、実に吉宗好みの人物だと言える。その内幕府の役職を与えられるのでなないかともっぱらの噂である。
深畠家の上屋敷は、山王大権現の近くにある。周囲は大名屋敷が立ち並んでおり、武士の町らしい風格が漂っている。
その深畠家の上屋敷を、将軍の生母である浄円院が訪れていた。その供として、女奉行所の者達を連れている。
大名の上屋敷と言うものは、基本的に将軍の住まう千代田の城と同じ様な構造をしている。
公的な空間である「表」と私的な空間である「奥」である。「奥」には、大名の妻子やその世話をする女中のみが入る事が許され、家臣がこの空間に入り込むことは原則としてない。
そしてこの大名の「奥」は、同じ様な立ち位置にある将軍の「大奥」と交流を持つのである。
大名が将軍に出仕する様に、大名の正室は大奥の御台所などにご機嫌伺いに来るのだ。
浄円院が大奥で暮らしていた時、深畠吉親の正室の葦姫は何度かご機嫌伺いに訪れており、それ以来の縁である。
葦姫は近江国井伊家の出であり、家格としては深畠家よりも数段上だ。そのためか吉親は妻に気兼ねしているのか側室を国元にも持っていない。
婚姻から数年ほどしても子が生まれなかったため、家中では側室を迎えるべきではないかと問題になったのだが、結局井伊家の機嫌を損ねる事を恐れたためそれを表立って言い出す者はいなかった。
もっとも、その後男子が二人生まれ、長子は現在六歳に育っている。とりあえず、深畠家は安泰と言えるだろう。
その様な状況にある深畠家の上屋敷奥御殿の一室で、浄円院と葦姫は向かい合って茶を飲んでいる。
茶と言っても堅苦しいものではない。
浄円院は将軍生母であるが、低い身分の出である。礼儀作法を正式に身につけた事は無いし、性には合わない。
その事は葦姫も良く存じているので、茶会といっても菓子が沢山並ぶ気楽な会だ。談笑しながら浄円院と葦姫は菓子を礼儀作法は考えずに食べている。
葦姫はもう三十歳を超えているはずであるが、その容色は衰えを見せない。大大名の出身らしく気品が滲み出ている。
対する浄円院は、色黒で年相応に皺だらけだ。ただ、腰は曲がっておらず骨格もがっしりとしているので、将軍生母をいうよりも百姓の婆といった方が的確な外見だ。もっとも、本人はそれを聞いたとしてもその通りだと笑うだろう。
そして、この二人の傍にもう一人の女が会話に加わっている。
いや、会話に加わっているというか、菓子をぱくついている。
「こりゃ、せんや。少し食べ過ぎじゃないかね」
浄円院は菓子を食べ続ける女――女奉行所同心格の江沢せんに注意をした。まあ口調からするに、本気で注意をしているのではなく、話題をふっただけであろう。
「……んぐ。すみません! これ、とても美味しかったものでつい!」
せんは口に詰め込んだ菓子を飲み込むと、元気に浄円院に答えた。元気にというより、もはやうるさいと表現するのが適切な声量なのだが、不思議と不快にはならない。この辺りはせんの愛嬌がある人柄だろう。
「良いのですよ、せん。あなたには恩があるのですからね。まだまだお代わりはありますから、どんどん食べてね」
葦姫は笑顔でせんに言った。
何故、女奉行所の中でも有数の剛の者とはいえ、身分では同心格に過ぎないせんがこの席に参加しているのか。
それは、せんが大奥に勤めていた時の出来事が影響している。
せんは多摩の百姓の娘であるが、幼少から武芸の道場に通い、十二の頃には道場でも並ぶ者のいない剛の者に育った。そして、十五の時に集落に降りて来た熊を撲殺し、周辺にその武名を轟かせた。
それを聞きつけた御家人の江沢庄之助が是非養女にと望み、大奥に出仕させたのである。
何やら熊退治までの話と、養女にして大奥に送り込む事の因果関係が成り立っていない様に聞こえるが、実際そうなのだから仕方がない。
とにかく、せんは大奥に奉公に上がり、下働きの御末として働いていたのである。
そんな時、葦姫が深畠家の代表として大奥にご機嫌伺いに訪れたのだ。
この時葦姫は駕籠に乗って来たのであるが、その時事件が起きた。
駕籠は当然前後の棒を持たねば運べない。それなのに、棒の後ろの部分がぽっきり折れてしまったのだ。
深畠家は殖産興業により余剰金を築いているが、質素倹約にも努めており贅沢などしていない。その家風には大大名から嫁いだ葦姫も従っており、自らの乗る駕籠も長年深畠家で使用されてきた物を使い続けてきた。
そのツケが最悪の場面で現れたのである。
城中で大名の奥方の乗る駕籠が壊れ、中に乗っている葦姫が外に投げ出されたとしたらとんだ笑い者である。夫の吉親も面目が立たず、場合によっては精神に変調をきたしかねない。その様にして発狂し、刃傷沙汰に及んで改易に追い込まれた例もあるのだ。
この時それを救ったのが、近くを通りかかったせんであった。速やかに駕籠に駆け寄り、残った方の棒を手に取って転落を防いだのである。普通は重心が悪いために、片方だけの棒を持って駕籠を安定させる事は出来ない。これをしてのけたのは、せんの熊殺しの怪力である。
家名に泥を塗る所を避ける事が出来た葦姫は、せんに大層感謝した。これ以降大奥に挨拶に来る時は、せんに土産を持参するようになったし、今日も主客である浄円院を迎える際、供にせんを連れて来るように頼んでいたのだ。
せんは、身分の違いにも関わらず分け隔てなく接してくれる葦姫の事が大好きであった。
今直接仕えている女奉行である千寿や、将軍生母である浄円院も同じ様に身分に拘らない人なので時々忘れそうになるが、この世界には男女間や生まれ育ちによって様々な格差がある。
せんは百姓の娘であるため、その辺りの事は良く理解している。いつも明るいせんであるが、自分の武力でもどうにもならない事は多い事は痛感しているのだ。大奥勤めの時も、嫌な事は沢山あった。
だからこそ、千寿が女奉行所を設立する時に賛同して参加したのである。
「もうそろ帰るかね」
昼七つを告げる鐘の音に、浄円院は暇乞いを告げた。せんがいれば夜盗に襲われても撃退出来るだろうが、余り遅くなっては女奉行所の者達が心配する。
「そうですか、またいらしてくださいね。せんもですよ」
「はい! その折には是非!」
せんは元気に答えると、浄円院の供をして女奉行所に帰って行った。
葦姫と会うのがこれで最後になろうとは、せんも浄円院もこの時はまるで予想していなかったのである。
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