第十二話「国友泰治の弁明」
国友泰治は、屋敷内に充満する異様な雰囲気を感じていた。
証拠隠滅のため、土蔵に女達を閉じ込めて焼き払う様に命じていたのだが、何やら物音がして悲鳴らしき声が聞こえて来たかと思うと、また静かになってしまった。
一体何が起きたというのか。
北町奉行が訪れるのは、明日のはずである。まさかそれより先に、手入れに来たのであろうか。
それは拙い。
まだ証拠隠滅が完了していないのだ。それが終わるまでは、何とか捜査をされない様にしなければならぬ。
「ごめん下さい。落とし物を届けに参りました。主の国友泰治殿はいますか?」
不安に駆られていた国友泰治の耳に、聞き馴れぬ女の声が聞こえて来た。どういう訳か、すでに屋敷の中にいる様だ。
門番は一体何をしていたというのだろう。
実に妙な事であるが、落とし物と言うのが気になる。まさか、
「ここだ。俺が、国友泰治だ。落とし物とは一体何の事だ?」
「おや、ここに居ましたか」
国友泰治の前に現れたのは、すらりとした長身の女であった。奇妙な事に、継裃の男装である。それが実に似合っているのだが。
腰には脇差のみ差している。大刀は元々携帯していないのか、それとも屋敷に上がるときに入り口に置いて来たのか、そのどちらでも構わないが、国友泰治は来訪者の武装の程度に安心した。
「私の配下の者がこの辺りで見つけたというのでして、多分この屋敷の物であろうと察しましてね」
女は袱紗に包まれた、細長い物を掲げた。
この大きさは、間違いなく
「そうかそうか。それは御足労をかけた。中身を確認したい、見せてくれ。……ところで、ここに来るまで、我が家中の者はいなかったのか?」
「さて、門からここまで、誰にも会いませんでしたが」
国友屋敷には、常に門番や警護の者、その他の使用人が大勢いる。誰にも会わなかったというのは、実に奇怪な事だ。
だが、今の国友屋敷は常とは違う。お墨付きが失われた事で、逃げ出した者もいたのだろう。
薄情な事である。
だが、お墨付きさえ戻れば問題ない。金もこれまで通り稼ぐ事が出来るし、配下になろうという者も大勢志願してくるはずだ。
「さあご覧下さい。あなたが求めているのは、これですか?」
女は袱紗を外して中の物を露わにした。
中から現れたのは、黒漆に金象嵌で装飾の施された箱である。それは国友泰治が見慣れた、お墨付きを格納している箱であった。
「それだ! よくやった! 褒美は何でもやるぞ!」
「おや? 何でもと言いましたか?」
「お? おお。何でもだ」
国友泰治は、女の口調に何やら奇妙な気配を感じ取った。
「では、腹を切ってください。それが無理なら、痛みも無く首を切って差し上げましょう」
「何を言う。何故俺がそんな事をせねばならんのだ。この俺を誰だと思っているのだ!」
いきなり死ねと言われたのだ。国友泰治が怒るのももっともな事である。だが、この男に死ぬだけの罪過がある事は、天も地も知っている事だ。
「何故と言いますか。この国友屋敷では、お上の認めていない岡場所を設置しているでしょう。しかも、他の岡場所ではやらない様な阿漕なやり方で儲け、女達を虐げています。これを成敗するのが、私の役目です」
「貴様、まさか女奉行か!」
「当たり前でしょう。他の何だと思ったんですか。一応名乗っておきますが、私は女奉行伊吹です。お役目により――貴様を処断しに来た。神妙に縛につけ! そうでなければ、首を失う事になる」
千寿は名乗りを上げ、それまで丁寧だった口調が鋭くなる。
「誰か! 誰か居ないのか⁉ 曲者だ!」
「無駄です。私がここまでどうやって来たと思っている。貴様に従う者は、先に冥府に送ってやったぞ」
「待て! 待て待て待て! 俺にはお墨付きがあるのだぞ? 幕府からこの土地の不入の権が保証されているのだ。例えお前らが吉宗から権限を与えられていようと、この地を侵す事は出来ないのだぞ!」
徳川幕府の天下は、東照大権現徳川家康が天下を統一し、武家の棟梁として安寧をもたらしたという人々の共通認識により成りたっている。つまり家康が国友家の子々孫々までの権利を保証したのに、それを否定するような行為をしてしまえば、徳川の天下の基盤を否定してしまう事に繋がるのである。
「その理屈はある一面では正しいが、お墨付きを手放している貴様を処断するのに何か不都合が有るのか?」
今の国友泰治には、お墨付きという特権の証拠となる品が無い。つまり、これまで国友一族の長年の繁栄をさせて来た外敵への結界が失われているのだ。お墨付きさえ取り戻せば、この様な小娘などに脅威を感じる事はないのだが。
国友泰治は、千寿の動きをよく観察した。千寿は国友泰治が大人しく捕縛されるつもりはないと判断したらしく、脇差を抜き払った。
部屋には国友家に伝わる名刀や、槍が置かれているので、それを手にすれば脇差に対して圧倒的に有利である。
だが国友泰治は、脇差を手にした千寿の立ち姿を見て、とても敵わないと直感した。
千寿は脇差をだらりと構えているが、それは決して刀身の重量に負けての事ではない。例え四方八方から敵に襲われても、即座に反応して切り伏せるだろう。仮に配下が全員いたとしても勝てるかどうか疑わしい。
国友泰治は千寿の実力をそう判断し、武力によって勝つ事は即座に諦めた。しかし、勝利する事は諦めていない。
国友泰治が注目しているのは、千寿が持って来たお墨付きの入っている箱だ。
脇差を構えた千寿は、その箱を足元に置いている。箱は重量はそれなりだが、かなり大きい。持っていては戦うのに邪魔になるのだ。
これを拾ってしまえば、女奉行所がどの様庵権限を持っていようと手出しが出来なくなる。戦いとは何も武力だけで決まるのではない。政治的な力も影響するのだ。
その事を弁えぬ愚かな侵入者を撃退するために、国友泰治は視界の端にお墨付きの箱を捉えながら千寿に対峙したのであった。
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