第67話 脱出までが遠足
ゴーン、ゴーン……!
遠く時計塔から10時の鐘が響いた。
「おや、もうこんな時間ですな」
鐘が鳴りやむと、再び壁の向こうからライオネ領主の声が聞こえてくる。
「そろそろおいとまいたしませんと」
「なあに、まだよいではないか。ゆるりと酒でも呑んでいかれるがいい」
と、ガイル侯爵が引き止める声。
「いいえ。そもそもワシのような田舎者がガイル侯爵と個人的に面会しているのも不自然なこと。敵に悟られる可能性をなくすためにも我々の接触は最小限にするべきでしょう」
「むう、あくまで徹底しているのだな……」
ガイル侯爵が憮然として答える声がすると、ライオネ領主が席を立つ音が聞こえた。
……まあ、こんなところかな。
そう。
今、俺は技能『壁抜け』で壁の中に潜んでいる。
ガイル侯爵が俺を嫌っているらしいというのはジレンから聞いていたし、キングオーク戦後すぐに忍者のリッキーが『ガイル×ライオネ密会』の動きを探ってくれたからな。
こうして密かに話の内容を聞きに来ていたのであった。
でも、今日のところヤツらの話は終わったらしい。
あとは気づかれないように脱出するだけだ。
脱出までが遠足ってな。
この階の空室の場所はわかっていた。
北側の端部屋まで壁の中を進み、人のいない部屋の壁から外へ向かって顔だけひょいと壁抜けする。
ひょおおお……
高さは5階。
だが、今日は助ける女もなく一人なので、そのまま飛び降りればいい。
とおッ……!
「……おっとっと」
ちょっと高すぎだったけど、この俺は本体なのでHPも多い。
・HP287/453
落下ダメージは受けたが、まあ問題なく着地。
そこで庭の表側から馬の
ヒヒーン……
壁の影からそっと表をのぞいてみると、ライオネ伯爵の黒塗りの馬車が侯爵邸を去るところであった。
ヤツは戦争の勝利を確信しているに違いない。
「やれやれ、バレずにすんだようだな……」
そうホッと息をついた時である。
「やや、あやしいヤツ!」
「さては泥棒だな!!」
ヤバ……
ガイル邸の見回りに見つかった。
「キサマ! ここがガイル侯爵邸と知っての狼藉か!」
「出会え出会え! ひっ捕らえい!!」
あっという間に兵が集まってくる。
さすが御三家ガイル伯爵の領事館。
素人のプロ市民が付け焼刃で見張っていたダンカン塔とはワケが違う。
俺は顔だけは見られぬように庭の端まで走り、そして壁抜けで屋敷の高い塀をスーっと通り過ぎた。
「な、消えた!?」
「そんなワケあるか! 外へ逃げたのだ!」
「追え! まだ遠くへは行っていないはずだ!!」
背後にそんな声を聞きながら、夜の王都を走る俺。
「はあ、はあ、はあ……しつこいヤツらめ」
ここで捕まってしまったらせっかく得た情報が台無しだ。
情報とは、こちらが知っていないと相手が思っていてこそ意味のあるものだからな。
なんとか追っ手を撒かねーと。
そう思った俺は、ふいに全然知らない平民の住宅へひょいっと逃げ込んだ。
「きゃああああ!」
「な、なんだオマエは!!」
住宅には当たり前だけど知らない家族が普通に暮らしている。
旦那らしき男が棒を持って立ちはだかり、奥さんらしき人が悲鳴を上げながら子供に覆いかぶさっていた。
「すいません、すいません(汗)」
俺はそう家族らに謝りながら勝手口の方から出ていった。
まあ、ガイル邸の兵も一般住宅にまで追っては来れないんじゃねーかと思ったんだけどさ。
が、追っ手はお構いなく追ってきているようだ。
ガタン、ガタン……ごにょごにょごにょ……向こうだ!……ガタンガタン!……
後ろから盛んに声と音がする。
たぶん住人に俺の逃げた方向を聞いて追ってきているのだろう。
「だったら
そう思った俺は、右隣、左隣、前進前進、左隣……と次々と民家を抜けて行った。
「うおおお! なんだお前!?」
「すいません、すいません(汗)」
住人たちは皿を割ったり、ベッドからずり落ちたりしていて、マジ迷惑かけて申し訳なく思う。
ドタドタドタ……!!
「すいません、すいません(汗)」
前世も含めて一日でこんなにも謝ったのは初めてだ。
ちょー恥ずかしいし。
で、何十軒の民家を通りすぎたであろうか。
最後さらにもう一軒の住宅に入っていったのだけれど、俺はもう疲れ果ててしまってその家の食卓に着いた。
「はあ、はあ、はあ……疲れたァ。もう走れない」
「あらあら、どうしたの坊や」
「だいじょうぶ?」
食卓の
「夜分失礼する!」
「あら、今度は何かしら?」
「我々はガイル侯爵家の者だ。つかぬことをお伺いするが、今時分この家にあやしい男が来なかったか?」
「ええ、来ましたわ」
母がそう答える。
「ものすごい勢いでいきなり入って来て……それから裏庭の方へ抜けて、勝手口の方から出ていきましたの。おそるおそる後を見ますとこの道から大通りの方へ駆けていきましたわ」
「怖かったよね。お母さん」
「むむむ、そうですか。ご協力感謝する! 参るぞ!」
そう敬礼すると、追っ手は急ぎ裏口の方から出て行った。
「……っぷはぁ。はァはァはァ。助かったよ」
息切れを隠すために半分息を止めていたので死にそうだったぜ。
「たくさん走ったみたいね。お腹減ったでしょう? 今準備するわ」
そう言って母の方は何も聞かずに遅めの夕食の準備にかかってくれる。
「はーはーはー……ありがとう」
俺がご飯を待ちながら息を整えていると、娘の方がこう尋ねた。
「ねえ、私よくわからないけど、領主様ってとっても大変なのね」
「まあな」
俺は娘の方のおかっぱ頭をやさしくなでてやる。
「……でも意外と楽しいもんだぜ」
「へえ!」
娘は無邪気に微笑んで話を聞いていた。
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