第62話 北のガゼット領にて


 北のガゼット領は、辺境ダダリへの侵攻に失敗してからというもの凋落の一途をたどっていた。


 当然と言えば当然。


 格下だと侮り強引に攻めた弱小ダダリに完全敗北して面目は丸潰れであるし、賠償金と領地の一部を失ったことで一族の会計は火の車なのだから。


 さらに敗戦直後。


 領主が落馬し、死亡。


 ガゼット領の経営はまだ若い息子のケッパー(21)の両肩にのしかかっている。


 そんなある夜。


 窓から月明かりの射し込むベッドの上で、ケッパーはひどくうなされていた。


「う、うう、うッ!……うわあああああああ!!!」


「あなた! あなた! いかがなさいました?」


 その声で気づくと妻のサラがやさしく背中をさすってくれていた。


(ゆ、夢か……)


 心臓がバクバクと鳴って、息は上がり、滝のような冷や汗が背中を濡らしている。


 ……まただ。


 あれから何か月もたっているのに、またあの夢をみる。


ーーガゼット領主は落馬してお亡くなりになった……でしょ?ーー


 あの少年のおそろしい笑顔。


 何度も忘れようとしているのに……


「あなた、きっとお疲れなのですわ」


「……すまない。起こしてしまったようだな」


「いいえ。急逝されたお義父様に代わっていきなり当主の重荷を背負っていらっしゃるのですもの。うなされるのも仕方ありません」


「……」


「どうか夜くらいはゆっくりおやすみくださいませ」


「……ぁぁ」


 そもそも。


 大した才も持たぬのに野心だけは大きかった亡き父親と比べると、息子のケッパーは多少の才気と慎重さを持ってはいた。


 ただ、その才気も世を見渡せばゴマンといるような程度であり、さらにその慎重さも度を越して”臆病”となることも多い。


 ダダリ戦の後も復讐に燃えるというより前に『恐怖』が先に立ってしまい、父の死因を身内にさえ秘匿するシマツ。


 一族……とりわけ継母ままははにこのことが知れれば、きっと”かたき討ち”を強要されると思ったからだ。


 さらに言えば。


 ケッパーは一途いちずな愛妻家であり、他にめかけも持たず、今年3才になる子を溺愛するマイホームパパだった。


 そのこと自体は別に悪いことでもないが、彼のごとく『日常』にのみ最高次元の価値を置いてその足し算で街や国の価値を思うタイプの人間は、貴族にふさわしいとは言えない。


 そう。


 日常にのみ最高次元の価値を置く人間は、『保身』でのみ行動するものだから……


「坊ちゃん! 大変でございます!!」


 翌日。


 情報収集を任とする家来が声を荒げて入室してきた。


「どうした。そんなに慌てて」


「大変でございます。ライオネが……ライオネがこのガゼット領を攻める心づもりとの情報が入りました」


「なんだと?」


 確かに……


 ガゼット領は旧領主が死亡し、ガタガタである。


 ライオネからすれば守りを固めているダダリ領よりも弱ったガゼット領の方が攻めやすくもあり、打ち破ったときの見返りも大きい。


 さらに、かねてよりの噂どおりライオネがダダリを攻めるにしても、そのまま西から攻めるよりは、ガゼット領のある北側から攻める方が堀なども手薄であり効果的と言える。


 合理的に考えれば、確かにライオネがガゼット領を攻める理由はいくつもあった。


「いかがいたしましょう。降伏しかありませんでしょうか?」


「降伏させてくれればよいがな……」


 ライオネがこちらの降伏を受諾する理由など見当たらない。


 降伏ができるとすれば、ほとんど無条件ともいえるような条件での降伏しかありえないだろう。


「道はひとつしかない」


 ケッパーは震える声で続ける。


「ダダリとの同盟だ」


「なんと……」


 家来は驚き目を見開く。


「確かに今の我らと同盟を組んでくれるのはダダリくらいしかないかもしれません。しかし、エリーザ様がよいとおっしゃるか……」


「う、うむ」


 エリーザ様……というのはケッパーの継母ままははにあたる。


 ケッパーの実母は彼を産んですぐ亡くなってしまっていて、継母ままははのエリーザは亡き父の後妻であった。


 そして、この継母ままははとケッパーとの仲は良いとは言えない。


 彼女はケッパーとは真逆で、蛮勇を好む気質だったからだ。


「……よいでしょう」


 が、予想に反してエリーザはあっさりとこれを了承した。


「ほ、本当ですか、お継母かあ様」


「ええ」


 エリーザは口元に扇を当て、冷たい目でこちらを見ている。


「ただし、いかなる同盟にも上下というものがあります。同盟の調印は、ダダリの領主を我らガゼット領に呼びつける形で行わねばなりません」


「そ、そんな! こちらから同盟を願い出るというのに?」


「上下関係をハッキリさせるためです。でなければわたくしは了承いたしませんよ」


「ぐ……」


 しかし、同盟について継母の了承を得られたのはよかった。


 現当主とは言え実父も実母も失って後ろ立てのないケッパーよりも、事実上、一族で最も発言力のあるのは継母のエリーザだったからである。


(仕方ない。ダダリの新領主には私から頭を下げて、なんとか我が領にお迎えすることとしよう……)


 ケッパーはそう心に決めて、継母のエリーザの屋敷を辞したのであった。



 ◆ ◇ ◆



 ケッパーが去ったのち。


 エリーザは口元の扇の内で小さく笑っていた。


「フフフ……聞いておりましたか? トッド」


「はい。お母さま」


 部屋のついたての向こう側から17、8才ほどの男がひょっこりとあらわれれる。


 ケッパーが来ていた時には身を隠していたのだ。


 エリーザと前領主との実子、トッド。


 若いが体格がよく、死んだ前領主の荒々しい面影を強く宿している。


「おわかり? これは好機ですよ?」


「ケーッケッケッケ! もちろんです。ダダリの新領主がのこのこと調印にやって来た時、このつるぎでぶっ殺してやればよいのでしょう!」


「フフフ、さすがお父様の息子ね。そう。あなたがダダリの新領主を殺し、先の戦いの恨みを晴らせば、家臣たちは皆あなたに付き従うことでしょう。そしてあのにくらしいケッパーを追放し、このガゼット領の領主の座をあなたが手にするのです!」


「お任せください! ククク、クク……ケーッケッケッケ!!」


 エリーザの屋敷に、前領主とそっくりな笑い声が響いた。



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