第51話 名前のない思い -果南-

「すみません、お2人とも」


 走るタクシーに揺られながら、頭を下げた。


「気にすること、ないですよ」

「そうそ、飲み会じゃ、あるあるですし。次はノンアル頼みますね」


 篝さんも一乃井さんも、私が酔ったことで謝っていると、思ったみたいだ。

 それもそのはず、私の心の中なんて誰も知ることはないんだから。

 でも知ったら、きっと軽蔑されるだろうな、と思うと、やっぱり申し訳ない気持ちになった。


「なーんか、すっかり恋バナの飲み会になっちゃいましたねー。次は、仕事の愚痴大会、なんてどうですか?」


 私に一乃井さんが聞いてきた。

 でも、答えたのは篝さんで。


「後味悪い飲み会に、なるんじゃないか?」

「え、篝さん。気がついてないんですか?俺、めちゃめちゃ愚痴ありますよ。篝さんに」

「それは、今日でチャラだろ」

「いやいや、まだですって。今回の仕事で、どんっだけ俺が頑張ったか、知ってますよね」

「あぁ、よく頑張ったな」

「だったら、もっと感謝してくれないと」

「してるだろ」

「いやいや、してませんって。てか、足りてません。もっと、こう、目に見える形で感謝して下さいよ」


「ふふっ。仲、いいんですね」


 一乃井さんの身振り手振りが可笑しくて、笑ってしまった。


「一乃井は、俺の唯一の右腕なんで。一番、信頼してるヤツなんですよ」

「うおっ、いきなりキタ。でも、なんか、ウソっぽい」


 ポンと篝さんが一乃井さんの肩を叩くと、一乃井さんは叩かれた肩を大袈裟に抑えた。


「足りてなかったんだろ、感謝」

「そうです、けども。そんなんじゃぁ、まだまだです」


「いつも、お2人で仕事されているんですか?」


 沈んでいた気持ちも、2人の掛け合いのような会話に和まされる。

 きっと、これも一乃井さんの気遣いなのかもしれない、と思った。


「ウチはメンバーが少ないんで、一乃井と組むのが殆どですね」

「すーぐ、先輩風、吹かしてくるんっスよ」


 一乃井さんが茶化すように私に言うと、


「一乃井」


 篝さんが少しすごんで名前を呼んだ。

 でも、懲りずに一乃井さんはヘラリと笑った。


「私も、今の仕事になってから部長と話す機会が増えました。前は、怖いイメージで話しかけずらかったんですけど」

「威圧感ありますからね」

「ふふっ。でも、頼りになる方ですよ」

「それは、同感です」


 篝さんは、大きく頷いた。


「部長さんに、会ったことありましたっけ? 俺」

「直接は、なかったんじゃないか?でも、今日、宮野さんと一緒に来てただろう」

「えー、あっ、顔のごっつい人、ですね」


 表現がピッタリ過ぎて、また笑ってしまった。


「すみません。先の道を聞いていいですか?」


 話の間が空いたのを待っていたかのように、タクシーの運転手が道を聞いてきた。

 道を説明しながら、自分の思いばかりに囚われていたと、心の中で反省した。

 冷静になって考えてみると、

『もし篝さんと2人だったら、とんでもない失敗を犯していたかもしれない』

 そう思うと恐ろしくなってくる。

 今、一乃井さんが一緒にいてくれて、場を和ませてくれたことに感謝しかない。


「今日は、ありがとうございました。もし良ければ、ですけど、またお誘いしてもいいでしょうか」


 2人に声をかけると、アハハハ、と一乃井さんが笑い出した。


「こんなのウチの会社じゃ、日常なんで。そういうとこ、宮野さんっぽくていいですけど。ホント、ぜんぜん気にしてませんよ。次はウチで企画するんで、そん時は是非、来てください。ね、篝さん」


 予想していなかった答えに、唖然となった。

 頷く篝さんと、笑顔で返してくれる一乃井さん。

『今日は、本当に、お2人に感謝です』

 スッキリとした気持ちになって、ハイ、と笑顔で返した。

 ふと、タクシーに乗る前、一乃井さんの背中を押した風さんを思った。

『風さんも、単に篝さんだけだと大変だと思って、一乃井さんの背中を押したのかもしれないわね』

 自分に邪な感情があったから、ヘンに勘ぐってしまったんだ、と思った。


「風さんにも、ご迷惑、おかけしちゃったな」

「大丈夫、気にしてませんよ。だいたい、勝手に加わってきたのは大智なんだし」

「ククッ、きっと今日、彼女に相手してもらえなくて拗ねてたんじゃナイですか?だから、あんなに言いたくないって。あ、もしかして、今から会いに行ってたりして」


 一乃井さんが可笑しそうに笑うと、


「かもな。今時の可愛らしい子だったし。でも、大智があーいうタイプを選ぶとは思わなかったな」


 納得しながら、意外な事を篝さんが言った。


「いいじゃないですか、可愛い子。ダメなんですか?」

「いや、そうじゃないけど。あーいう子は、大智の顔で寄って来たりするから。キャピキャピしてるっていうか、騒がしいだろう。そういうの、大智は敬遠してたのに」

「キャピキャピって、それ死語ですよ、篝さん。結構、中身はおじさんッスね」

「オイ」


 そう言いながら、篝さんは一乃井さんの肩を裏拳した。

『そうかしら?木村さんって、素朴で落ち着いた感じのイメージだったけど』

 2人が話す風さんの彼女、木村さんのイメージと、私が知ってる木村さんのイメージとが随分違っていて、


「その方は、風さんと同じ部署の人ですよね」


 と何気に聞いてみた。


「や、確か、総務って聞いたな。名前は、阿部さんだったかな」

「あべ、え? 営業部の木村さんじゃなくて、ですか?」

「え?」


 私の言葉に、篝さんはひどく驚いた顔をした。


「・・・それは、どこからの話ですか?」


 そして、急に真剣な顔で聞いてくるから、ドキッとした。


「着きましたよ」


 運転手が気兼ねしながら到着を告げ、ドアが自動で開けられた。

 でも、後部座席の3人。

 特に私は、篝さんの真剣な目に囚われて、動けずにいた。


「篝さん、早く降りて下さいよ」

「あ、あぁ、」


 一乃井さんに責っ付かれ、押されるようにして、篝さんは外に出た。


「宮野さん、足元、気をつけてください」

「・・・はい」


 一乃井さんが気遣ってくれるけど、篝さんのひどく動揺している様子が気になった。

『マズいこと言ったのかしら?でも、風さんが自分で言ってたし、阿部さんって誰?風さんの彼女は木村さんじゃないの?』


「宮野さん、今の話、もう一度、聞きたいんだけど」

「はい」

「大智の彼女、さく・・、木村さんって本当?」

「はい、風さんがそう話してるのを聞きました・・・」


 頷いて話す私の言葉を聞いて、篝さんの顔が険しい表情に変わったので、つい語尾が小さくなってしまった。


「風さんの彼女って、木村さんっていうんですか?」

「・・・は、い・・・」


 篝さんの様子が只事じゃないようで、一乃井さんに返す言葉が小さくなる。


「あれじゃないですか?篝さんの勘違いってヤツ。風さんのことだから、結構モテるだろうし、他の人と間違ってたんですよ。報告がてら後で、電話して聞いてみたらいいんじゃないですか?」


 そう言うと、一乃井さんは、


「宮野さん、歩けそうですか?ムリなら、俺、家の前まで送りますよ」


 気の良い笑顔を浮かべて、私を気遣ってくれた。


「大丈夫です。あの、目の前のマンションが、そうなので」


 マンションを指差して、一乃井さんに説明しながら、隣の篝さんを伺う。

 篝さんは、険しい顔のまま、何かを思案している様子で、携帯を握っていた。


「今日は、ご一緒させてもらって、送って頂いて、ありがとうございました。・・・それと、風さんの彼女さんのことですけど、私が知っているのは、新年の挨拶に来られた時に、風さんが木村さんとお付き合いされていると聞いただけで、それ以上詳しいことは知らないんです。すみません」


 酔いがマシになったとはいえ、ガンガンしてくる頭では考えがまとまらない。

 でも、誤解はないようにと、今日のお礼と自分の知っていることを篝さんに打ち明けた。


「そうですか・・・、こちらこそ、今日は、飲ませ過ぎてしまって、すみませんでした。また懲りずに、と言うのもヘンですが、また飲みに行きましょう。その時は、酔いも心配せずにノンアルで」

「はい」


 普段通りの篝さんに戻っていた。

 でも、表情は硬く、笑顔はない。

 一乃井さんがマンション前まで送ると言ってくれたけど、申し訳なくて断った。


「マンションに入るのを見届けてから、帰ります」


 と言うので、そのままマンションへと向かった。

 エレベーターに乗り、部屋の前まで来て、エントランスを覗くと道向かいに止まっているタクシーの横の人影(薄暗くてハッキリ見えないけど多分、というか間違いなく一乃井さん)が両手を上げて大きく手を振ってきた。

 手を上げて答えると、人影は車に乗り込み、タクシーは走り出した。

 去っていくテールランプを見送りながら、胸に溢れるのは、物悲しい思い。

『きっともう、篝さんの心の中に、私はいないんだわ』

 携帯を握っていた、篝さん。

 タクシーの中ですぐにでも風さんに、電話をしているのかもしれない。

 木村さんと阿部さんが、篝さんにとってどんな関係の人なのか、それとも関係はないのか、私には分からないし、聞く権利すらない。

 彼の中の私という存在が、とても希薄で気にされていない、ということだけは分かった。

 胸の中の名前のない思いが、重いしこりとなって暗鬱な影を落とした。

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