第50話 自分の気持ち -果南-

「目の大きな、可愛らしい人でしたよ」


 罪滅ぼしの気持ちもあって、風さんの彼女、木村さんのことを褒めようと思って、そう言った。

 実際、可愛らしい人だったし、素朴な優しい感じの人だったから、そのまま言えば問題ないと思うけど、もう少し誇張しようかと考えていた。

 でも風さんは、照れもあるのか、彼女の話はしたくないみたいで、


「この話、やめようぜ」


 あからさまな態度をとってきた。


「風さんの気持ちを射止めた人なんでしょ。どんな人か知りたいじゃないですか。てか俺、めちゃくちゃ気になります」

「俺も聞きたいな。今までそんな素振り全くなかったのに、なんかあったのか?」


 一乃井さんと篝さんの2人は興味津々で、聞きたくて仕方ない、といった感じ。

 でも私は、早く次の料理をお腹に入れたくて仕方がなかった。

『お刺身、美味しそう。でも、やっぱり先に、この特選和牛炙り寿司、食べたいなぁー。淡―く炙ってワザと肉汁を滲ませてるのね。流石は人気店、にくい演出だわ』

 酔いを緩和したいのもあるけど、テーブルの上の料理達の見た目や匂いが、五感を刺激してくる。

 風さんが2人を無視して、手を合わせて、食べ始めた。

 赤くサシの入った大きめのマグロを頬張って、


「うっま!」


 すぐに目がキラーンとなり、声も出たけど、顔が美味しいって言ってる。

 コングが鳴ったかのように、他の2人も箸を取り、一乃井さんはすぐに食べ始め、篝さんは手を合わせてから食べ始めた。

 それが、いかにも礼儀正しい篝さんらしくて、また私の中の好感度がグーンと上がってしまった。

『篝さん、やっぱり素敵!』

 それからは、注文時と同じ、3人がすごい勢いで食べていく。

 見てる間に、次々と皿が空になっていくから、驚きと感嘆しかない。

 そんな豪快な食べっぷりをよそに、私は近場から攻めていく事にして、お刺身に、海老天にと、いつくか皿に取って食べ、次に念願の特選和牛炙り寿司を皿に取った。

 薄く醤油が塗られた上に、山葵がのっている。

 箸で摘み、一口で食べると、想像通り、肉汁が口の中いっぱいに広がった。

 甘い醤油とさっぱりとした酢飯とが肉と合わさって、美味しさのコラボ。

 美味しくてスッと食べてしまった。


「この牛にぎり、シャリがさっぱりしてて美味しい!」


 感想が、口から飛び出た。

『ホント、美味しいわー。なんだろ、この、後味、爽やかな柑橘感。すだちかなぁ』

 なんて考えていたら、


「こっちのも、どうぞ。アツアツで美味いっすよ」


 そう言って、一乃井さんが出し巻を近くに置いてくれた。

 出汁が滲む、ほっこりとした出し巻は、見ているだけでそそられる。

 ちょっと大きめだけど、パクッと一口で食べると、柔らかい玉子が出汁と一緒に口の中でほどけた。

 もぐもぐと堪能しながら一乃井さんを見ていると、彼はスゴク手際が良い。

 こういう気遣いもそうだけど、注文する時もそうだった、周りをよく見て動いている。

『可愛いがられてるばかりの、後輩じゃないんだな』

 と、思っていたら、メニューを見て特選和牛炙り寿司をタブレットに打ち込んでいた。

 私と目が合うと、ニッコリと笑みを返してきて、

『うん、大丈夫、分かってますよ。これ、食べたいんでしょ。頼みましたよ』

 という彼の心の声が聞こえた気がした。

『いやー、待って、待って。食い意地、張ってる女だと思われちゃうじゃんっ』

 パッと隣を見たけど、篝さんはフッツーに食べているから、ガクッ、ときてしまった。

 心の温度差に小さく溜息を零すと、篝さんが私に振り向いたから咄嗟に、


「篝さんも、風さんも、食べる前に手を合わせて、きっちりされているんですね」


 さっき見た、手を合わせる行為について言ってみた。


「あぁ、これは桜、・・・彼女の受け売りなんだ」


 なのに、追い打ちをかけるような事を言われてしまった。

『やっぱり、篝さんの彼女は、素敵彼女、だったのね・・・』

 落ち込んでいるのに、向いの席では、


「おっ・・・、これ美味いな」


 なんて、舌鼓を打っている風さんが恨めしい。

『うぅ~、もうこうなったら、聞いてやるっ』


「さっき、カフェでかかっていた電話。あれ、彼女さんからだったんじゃないですか?」

「あー、ハハ、バレました? 普通に話してたつもりだったんですが」

「フフッ、顔が、優しい顔になってましたよ」

「ハハハ」


 茶化して聞いてやれ、って感じだったのに、

『ナニコレ、すごく嬉しそうなんだけど』

 聞いたこっちが当てられてしまい、気持ちが沈んでいくのを感じた。


「付き合われたのって、最近ですか?」

「えぇ、去年の12月からで、」


 半ばやけくそ気味に聞いていたけど、私の気持ちを知らないとはいえ、篝さんのあんまりにも素っ気ない態度に、少し邪な出来心が浮かんだ。

 話を聞くフリをして、顔を近づけてみたら、篝さんは一瞬、驚いたような顔を見せた。

 いつもと違う篝さんの表情に心が揺さぶられ、もっと私を見て欲しい、と思った。

 話を別の興味あるものに、と新設工場の話を振りながら、篝さんの腕に軽くボディータッチした。

 風さんの会社が請負業者に決まりそうだと話し出すと、篝さんはジッと私を見て興味を示してくれたので、嬉しくなって笑顔を向けると、篝さんも笑顔で返してくれた。


「流れでそうなるって、やっぱ違うッスね~。俺、そういう流れっていうのがイマイチ分からないんですよ。どんな話から、そうなるんですか?」


 向いから、一乃井さんの声が聞こえた。

 風さんの彼女の話が、進んでるみたい。


「俺も聞きたいな」


 風さん達の話に加わるように、篝さんがフイッと、私との視線を外した。

『あっ、』

 拒否された、と感じた。


「ま、今日は慰労会だし。こんな話ばっかりじゃつまらないだろう。飲んで食べて、楽しまないとな。宮野さんも誘って頂いたのに、すみません」


 出来心とはいえ、自分が悪い。

 でも・・・、拒絶されたことが、ショックで胸が痛い。

 やるせない気持ちから、別の話に切り替えようとして、


「いいえ、そんなことないです。私も聞きたいです。新年の時にお会いしただけですけど、お2人、とても仲が良かったので」


 話の内容に乗っかる様に答えたら、風さんが驚いた顔をした。

 頑なに彼女の話を拒んでいたのに、ごめんなさい、と思いながら、誇張して言うので許して下さいね、と、


「新年の挨拶の時、応接室に部長と課長が入って来たんですけど、皆さん一斉に立ち上がられて、その時、風さんの隣にいた木む、」

「ンンッ、ゴホッ、ゴホンッ」


 話し出すと、風さんが、急に大きく咳き込みだした。


「大丈夫ですか、風さん」

「あ゛ぁ、は、い。ゴホッ、あの時は、ゴホンッ、彼女、急に立ち上がってフラついたみたいだったから、支えただけですよ」


 生ビールで喉を潤しながら、話の続きを言われてしまった。


「ですけど、その光景がすごくいい感じだったんで」


 フォローのつもりで話を続けると、ものすっごい顔で風さんに睨まれた。


「それに、あれから大変だったんですよ。ウチの受付の子達、お2人のことを詳しく知りたいみたいで、私、暫く質問攻めにあってたんです。少し話を聞かせてもらえれば、あの子達も大人し、いえ、静かになるかと」


 イケメンな人が怒ったら、こんなにも迫力のある顔になるんだと、初めて知った。

 機嫌の悪くなった風さんの不満顔に、焦りながら喋って、言い訳みたいになってしまった。


「酒の肴にもならないような俺の話、聞いても面白くないですよ。それより、宮野さんはどうなんです?美人だし、結構モテるんじゃないですか?」


『うっ、怒ってる』

 目を眇めるようにして、見られた。


「えぇ、私ですか?私なんて、そんな」


 目を合わせられない。


「クールビューティーって感じですよね」

「お、一乃井、いいこと言うじゃん」


 口調は軽やかだけど、目、目がっ。

 隣の篝さんから、


「うん、確かに。仕事も丁寧にだし、渡された資料も要点がまとめられていて、分かりやすかったな」

「そんな、ほめ過ぎです」


 普通に話して貰えてホッとしながらも、仕事を褒められたことに顔が熱くなった。


「彼氏はいるんですか?」

「いないんです。私、なかなか、ダメで」

「どうして?」


 耳に届く、心地よいバリトンボイス。

『篝さんの興味が、私に向いている』

 そう思と、左半身がピリピリした。


「それが・・・私、仕事好きなんですね。結構、没頭しちゃう方で、それで、いいなって思う人がいても、気がついたらもう他の人と付き合ってたりしてて、出遅れちゃうんですよね。そしたら、また仕事に没頭しちゃって、みたいな感じです」


 話ながら、もっと良いように話を盛ればよかったな、と思った。


「いいじゃないですか、仕事できる女性、バリキャリで」

「俺もそう思うな。仕事そっちのけで喋ってる女、多いからなぁ。見たら思うもん、仕事しろよって」


 一乃井さんと風さんが、フォローしてくれるけど、


「なんて言いますか、恋愛は恋愛、仕事は仕事と分けて考えてしまって。その日、デートの約束をしても、仕事がちゃんとメドがついてから行きたいといいますか。その、一緒にしたくないんです」


 自分で言ってて、面白みのない女です、と吐露してるみたいで、恥ずかしくなってきた。


「ダメじゃないと思うな、俺は」


 バリトンボイスに、胸が震えた。


「仕事オタクでいいってことですか?」

「うん。多分だけど、本気で好きじゃなかったんじゃないかな。もし、本気になれる人と出会ったら、仕事も恋愛も一緒くたになるよ」


 言葉が、ストンッ、とハマった感じがした。

『それ、分かる』

 合わせ貝が、ピタッと合わさったような、そんな感覚。

 目の前で3人が話している内容を思えば、篝さんは自分の話をしたんだろう。

 だけど私は、自分の気持ちがこんなにも大きく動いていたことに気がついて、驚嘆して、感激して、そして落胆した。

『本気で、好き?』

 照れ笑いしながら話している篝さんを見て、思った。

 色んな感情が、ぐるぐるとない交ぜになって渦巻いて、どう表現していいのか、どう呼べばいいのかも、分からなかった。

 だったら、名前はつけない、と思った。

 付けてしまったら、決めてしまうことになるし、自分の中で密かに留めておくのは、悪いことじゃないと思うから。

『それに、先の事なんて誰にも分からないものね』

 自分を慰めるように、そう思った。


「そんなに気負う事ないと思いますよ、宮野さんなら。ヘンに焦るより、ゆったり構えている方が、良い縁が巡ってきますよ」


 心地よいバリトンボイスが響く。

『ずっと聞いていたいな』

 うっとりしながら、そのままあっちの世界(眠り)に誘われてしまいそうになる。

 話の矛先が私に向いて、色々と聞かれるから、表情筋に力を入れて、頑張って普通を装っているけれど、瞼がかなり重たくなってきた。

『こういう時、顔に出ないって、いいんだか、悪いんだか・・・』

 料理も食べて、頑張って飲んだけど、完全に許容範囲オーバーだ。


「ちなみに、好みのタイプとかあるんですか」


 なんて、風さんが聞くから、


「えー、そう、ですね。特にある訳じゃないですけど、話をしていて楽しい人がいいですね。

物知りだとこっちも勉強になりますし、話を聞いてくれる人だと、こちらも話しやすいので。お互い話し合えて、気づかいのできる包容力のある人、でしょうか」


 ついつい篝さんを想像して答えてしまった。

 一乃井さんのご実家の旅館の話や、そこへ社員旅行に行った話などをしていると、だんだんと頭が朦朧としてきた。

『あー、ちょっとダメかも、』

 頭がクラッとなって、記憶がプツンと途切れた・・・




 体を揺すられ、名前を呼ばれる。

 でも、心地よくて起きたくない。

『いいなぁ、この声。安心するー』


「宮野さん」


 パッと目を開けると、篝さんの顔が間近にあった。


「ん? 私・・・あ、すみません、寝てました?よね、私」

「ククッ、はい、寝てました」


 慌てて起き上がると、顔をクシャリとして笑われた。

 初めて見る屈託のない笑顔と、肩を抱く腕の力強さに、

『あぁ、篝さん、やっぱり好きです!』

 また胸がキュンッとなった。


「帰りましょう。立てますか?」

「は、はい、大丈夫です。ご迷惑をおかけして、」


 酔って寝るなど恥ずかし過ぎて、すぐに立ち上がったけれど、よろめいてしまった。

 でもすぐ、篝さんが私を抱き止めてくれて、

『あぁぁぁぁー、今日はなんて良い日なの。カッコ悪過ぎだけど』

 また至近距離で顔を見合わすことになった。

 でも、今度は表情筋にググっと力を込めて、顔を合わせた。

 きっと、酔ったせいでゆるゆる顔になっているはず、色んな意味で、これ以上篝さんの前で醜態をさらしたくない。

 この後、揃えられた靴を履くのに、篝さんが手をとってくれるから、顔が緩んでしまいそうになるのを、何とか耐えた。


「じゃぁ、俺は、宮野さん1人じゃ心配だから、送ってから帰るよ」


 酔った私をタクシーに乗せて、心配だから送ってくれるという、篝さん。

 もう少し一緒にいたいと思っていただけに、嬉しくて胸が熱くなる。

『でも、誠実な篝さんのことだから、本当に心配してくれているだけなんだろうな』

 だけど、私は。

 自分の気持ちに名前をつけない、と思いながら、先に進みたいとも思っている。

 もし、流れでそうなったら、ぜんぜん嬉しいけど、むしろ、そっちを望む気持ちもある。

『 既成事実 』

 言葉を文字にして思い浮かべると、もの凄く生々しく感じられた。


「分かった。一乃井、お前も一緒に乗って行け」

「え、俺も?」

「宮野さん、酔ってるから、陽1人じゃ大変だろ」

「あぁ、そうですね。一緒に手伝います」


 聞こえてきた言葉に、心に自嘲が浮かんだ。

『自分一人がそう思っていても、相手も同じ気持ちじゃないと意味がないわね』

 ドアから覗く、風さんの顔に会釈した。

『お前の考えは、分かっているんだぞ』

 と、言われたように感じた。

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