第49話 飲み過ぎ注意と篝さんの彼女 -果南-

 店に着いてからも、当然気持ちは晴れなかった。

 ここに来る道中、篝さんが新工場の話を振ってくれたけど、いつもなら楽しく弾むはずの仕事の話も、差し障りのない受け答えで終わってしまった。


「すぐに個室が空きますので、暫くこちらでお待ちください」


 以前から予約は入れていたけれど、時間と人数が変わったことで個室に変更してもらった。

 人気店のこの店は、時間制での予約になっていて、先に入っていた予約の人達の時間が終わり、次に私達が入れ替わりで入るようだった。


「よく予約取れましたね。この店、人気で、ウチの事務員がなかなか取れないって言ってたんですよ」


『それは、そうです。ほぼ3週間前から予約してましたから』

 と思いながら、


「たまたま上手く取れただけですよ」


 カウンターに座り、隣の篝さんを近くに感じながら、でも横を見れなくて、前を向いたまま答えた。

 少し離れて立っていた店員が、注文を聞きにやって来た。


「なんにします?」


 篝さんがメニューを目の前に広げてくれた。


「篝さんは?」

「とりあえず、生ビール、ですかね」

「そうですか」

「ビールは苦手ですか?」

「いえ、私も同じモノで」


 注文しようと店員を見たら、隣の篝さんが注文してくれた。

 肘が触れてしまいそうなほどの至近距離で、2人でメニューを見て、篝さんが注文してくれる。

 それだけのことなのに、嬉しくて胸が熱くなる。

『でも・・・』

 現実を思うと、胸はドキドキするのに、気持ちは沈んだままだ。

 すぐに生ビールが運ばれてきて、2人の前に置かれた。


「一乃井には悪いけど、先に乾杯しましょう」


 篝さんがジョッキを持ち上げるから、私も同じように持ち上げると、コツンと当てられた。


「乾杯」

「かっ、かんぱい」


 ズギュン!!

『あぁー、やっぱりダメーーーッ。そんな、笑顔で見られたら』

 胸が熱くて、痛いっ。


「気分、悪いですか?」

「ち、違います、違います」


 一口飲んでジョッキを置き、片手で胸を押さえていると篝さん心配して聞いてきたので、慌てて否定した。

 まさか、貴方に恋してます、と言えるワケもなく、やりどころのない思いに胸が苦しいだけだ。


「お酒、ダメなんですか?」

「え?」

「注文する時、困っているように見えたから」

「お酒は、弱いんですけど、飲むのは好きなんですよ」

「それなら、良かった」


 篝さんは、ホッとしたように、労わるような表情を浮かべた。

 気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちと、私を気遣ってくれて嬉しい気持ちが、胸の中でせめぎ合う。

 他にも頼みましょう、と篝さんが言うのでメニューを見ていると携帯音がして、


「一乃井からだ。こっちに向かってるそうです。電車カード、あったみたいですよ」


 篝さんは携帯の画面を見ながら、可笑しそうに笑った。

 そんな彼を見ていて、カフェで見た嬉しそうな笑顔を思い出した。

『あんな笑顔を向けられる彼女って、どんな人だろう』

 篝さんの彼女なんだから、きっと素敵な人に違いないと思うけど、本当のところはどうなんだろう、と気になった。

『でも、もし、そうじゃなかったら?』

 疑念は疑念を呼び、素敵な彼女像から性悪な彼女像へと変貌していく。

 彼女に会って確かめてみたい、という思いが沸き上がってきた。

『邪魔をするんじゃない。ただ、そうよ。確かめて納得できたら、この恋心に終止符を打てるんじゃない?』

 そんな思いが頭に浮かんだ。

 それでも、わずかな希望を捨てきれない自分もいて、尚更会って、確かめたいと思った。


「社内で飲みに行ったりするんですか?」


 篝さんが聞いてきた。


「そう、ですね。年末とか新年とか、そういった時に行きますね」


 答えながら、確かめたい思いから彼女のことを聞きいてみようか、と思ったけれど、流石にいきなりは聞きづらい。


「大人数じゃないですか」

「はい。なので、お店を探すのが大変で」

「なるほど」

「今年の新年会は、旅館の大広間を貸し切りました。バスも出してもらえましたし、皆さん、結構飲まれるので、泊まって帰る人もいましたね」

「規模がすごいな。まさか、泊まりも会社で?」

「いいえ、実費です」

「ですよね。にしても、スゴいな」

「よかったら、今度、お誘いしましょうか?」


 言いながら、名案だと思った。

 お酒に酔うと、その人の本性が出るもので、これまでも何度か見たことがある。

 でも、大抵が残念な結果に終わるんだけど。


「えぇ?」

「その時々ですが、ご招待している企業の方が来られる時もありますし。なので、」

「いや、いいです。遠慮しておきます。はぁ~、大きな会社は、違うなぁ」

「人数が多いだけですよ」


 そうそう思惑通り進むはずもなく、ニッコリと返事を返した。

 店の入口の方で、大きな声が聞こえて、なんだろう、とそちらを見ようと思ったら、バンッ、とカウンターに手をついた、風さんが現れた。


「だ、大智?」


 篝さんも驚いて、振り向いていた。


「宮野さん、どういうことなのか、説明してもらおうか」

「風さん、どうし、えっ、な、何を?」


 いきなりの風さんの登場と、いきなりの言葉に、何を言っているのか分からなかった。


「ウチからの図面、外に出しただろっ」


『図面?』

 その言葉に、思いつくのは篝さんの会社に依頼したことだ。

『でも、あれは精査の依頼だし、私と部長意外に、知っている人は限られてるはずだし。外って、別の話?では、ないわね』

 風さんの表情はとても険しくて、只事でナイことを物語っている。

 どう声をかけていいのか迷っていると、


「おい、大智。落ち着け」


 と、篝さんが立ち上がり、風さんの前に立ち塞がってくれた。


「今、宮野さんと大事な話をしてるんだ」

「そんな雰囲気じゃないけど」

「どけよ」


 ズドッ、ギューーーン!!

『あぁぁぁぁ、篝さん。そんな事しちゃダメですって。そんな事、サラッとやっちゃうから、また好きになっちゃうじゃないですか』

 思わず、目の前の大きな背中に縋りつきたくなる衝動を、両手を拝む様ように握りしめて止めた。


 私は、よく強い女だと言われる。

 あまり感情が顔に出ない、というのもあるんだろう。

 過去に付き合った彼氏には、『1人でも大丈夫だろ、でもアイツには(新しい彼女)俺がいないとダメなんだ』と言われ、新しい彼女を作ってる時点でどーなの、って思ったけれどフラれ、また別の彼氏には、『仕事と付き合えばいいじゃん、俺にはムリだ』と言ってフラれた。

 仕事が好きで、どうしてダメなの?仕事で男性を負かす時もあるけど、そんなの仕事を完遂するのに関係ないじゃない。それこそ、男女差別だわ。

 なのに、俺にはムリって、私の方がムリだわ。


『あぁ、私、こんなですけど、本当は、本当の私は、こんな事されちゃったら、コロッといっちゃうような女なんです。気持ちにストップかけようとしてたのに、ストッパーがグダグダになっちゃったじゃないですか、篝さんっ』


「あわわ、あの、遅れてスンマセン、シタッ」


 一乃井さんが、あわてふためいて頭を直角に下げていた。

 自分の思いに沈み過ぎてて、横に一乃井さんが立っているのに気がつかなかった。


「電車カードは無事、ロッカーで発見しました。これです。ここにあります」


 一乃井さんは、コートの内ポケットから電車カードを取り出して見せてから、とくとくと話し出した。

 でも話が進むにつれて、一触即発だった篝さんと風さんの2人の顔が、気の抜けた呆れ顔にだんだんと変わっていき、


「なんの話をしてるんだ?」


 篝さんが、半ば可哀想な人を見るような目で言った。


「エッ? いや、だからその、お2人が、宮野さんを、取り合っている、と」


 一乃井さんの返しに、


「 「 はぁぁぁ!? 」 」


 2人は同時に大きく驚きの声を上げた。

 的外れな話の内容に私も呆れながら、けれど目の前の2人の緊迫した空気を一瞬でかき消した一乃井さんに、ある種の凄さを感じた。


「どこで、どうやったら、そんな解釈になるんだよ~」

「まったくだ」

「エェッ?? 違うんですか? なっ、その顔やめて下さいよ。俺は真剣に心配してるのに」


 3人は知り合いのようで、目の前の2人が一乃井さんを可愛がっている、という風に見えた。


「あの~、個室のお席が空いたので、移動の方を」


 店員が恐る恐る声をかけてきて、


「あぁー、了解。ごめんね、騒がしくして」


 先程の形相からは、想像もできないくらいの爽やかな笑みを浮かべて、風さんが答えた。

 店員の女性は表情を和らげ、頬を赤くしていたけど、私からすれば、その変貌ぶりに驚きしかない。

『胡散臭すぎる・・・』

 会社の受付の女の子達もそうだけど、どうして顔がイイってだけで、こうも好かれるんだろう。

 私は断然、硬派な篝さんの方がイイ、っと思ってしまった。



 席を移動してからも、一乃井さんは篝さんに怒られていた。

 でも、その言葉に本気度は薄く、呆れる後輩に釘を刺している、といった感じで、私も一乃井さんのことは一目置く思いもあったので、2人して頭を下げられた時には少し恐縮してしまった。


「大智、お前も謝れ」

「俺は、謝らない。本契約じゃないとしても、契約違反だろ」


 この話には、本当に驚いた。

 会社サイドのことばかり考えていたので、社外に対しての配慮が全く足りていなかった。

 胡散臭い風さんではあるけれど(あくまで、私目線)、仕事に関しては真摯に向き合っているようで、そこは共感がもてた。

 生ビールがやってきた。

 カウンターで出された生ビールを席の移動の時、篝さんがククッと全部飲み干してしまうから、私も倣って飲み干したけれど、今、思えば、あれは持って移動すればよかったと後悔してる。

 改めて4人で乾杯したけど。

『結構、酔いが回ってきたみたい・・・、ナニか食べよう。うん、そしたら、マシになるはず』

 そう思っていると、周り3人がすごい勢いで注文し出した。

 会社での飲み会とは違い、男性の飲み会というのは、こういうのが日常なのかと、とても新鮮な気持ちで眺めていると、


「宮野さんも好きな物、頼んでくださいよ」


 頼まなければ、食いっぱぐれるような物言いで篝さんが言うから、慌ててメニューを見て頼んでいると、またもや生ビールの注文を聞かれた。

 もう、流石にいっぱいいっぱいで、首を横に振りたかったけれど、

『そんな素敵な笑顔を向けられたら・・・、うぐぐっ、断れませんっ』

 縦に振ってしまった。

 ぼんやりしてくる自分に叱咤しつつ、とりあえず口に入れようと、突き出しの高野豆腐を食べた。

 高野豆腐と炊き合わせの肉厚シイタケを噛むとジュワッと出汁が滲み出てきて、

『あぁー、優しい味。ほんのり甘い出汁が、沁みる~』

 モグモグと堪能していると、続々と料理が運ばれてきた。


「お待たせしました」


 今、持ってきた人もさっきと違う。


「ほら、ね」


 一乃井さんか、楽しそうに笑って言った。

 立ち替わり入れ替わり料理を持ってくる女性達は、向いに座る一乃井さんの話から、どうやら風さん目当てらしい。

 風さんは、明らかに面白くなさそうな顔をしていた。

『何の苦労もなく、モテるくせに』

 その顔を見ていると、イラっときてしまった。

 こっちは好かれようと頑張ってんのに、ただ顔がイイってだけで、人にすぐ好かれる。

 恋愛の入口から、こうも差がついてしまうのかと苦々しく思った。

 しかも、同じ部署に木村さんという彼女もいて、全てが自分とは違う順風満帆な人生の風さん。

 また別の店員が、取り皿を取り替えようとやってきた。


「でも、風さんには彼女がおられるから、」


 ワザと大きめな声で言ってみた。

 頬を赤らめていた、明らかに風さん目当ての店員は、チラリと見ると皿をサッと引いて出て行った。


「ウッ、グッ」

「えーっ、本当ですか?篝さんに引き続き、また仲間が減ったーーー」

「大智、できたのか?」


 私の嫌みを含めた言葉に、3人それぞれが反応したので、ビックリした。

 特に風さんは、急に喉を詰まらせゲホゲホと咳き込みだした。


「はい、新年の挨拶の時に会社へ一緒に来られたんですよ」


 追い打ちをかけるように言うと、風さんは顔を赤くして、目を泳がせた。

 動揺の真意は分からないけれど、イケメンの彼が狼狽している姿は、子気味よく思えた。


「あ、前に会ったあの子か?立ち飲みやで会った、」

「そう、そうそう、そうなんだ、そうなんだよ、陽!」


 篝さんの言葉に、風さんは水を得た魚のように話し出し、テーブルを叩いた。

 3人が風さんの彼女の話に花が咲く中、私は1人、落ち込んでいた。

『まさか自分が、こーんなに嫌な性格をしていたなんて、知らなかった。これって、お酒のせい?お酒のせいじゃない?そうよ、これぞ正しく、お酒マジックだわ!!』

 心の中で自己嫌悪に陥りながら、木村さんのことを聞かれて言い淀んでいる風さんを見た。

『この人だって、動揺して咳き込むくらい木村さんのこと好きなのよね、きっと。イケメンだって、好きな人には、頑張っているのよ。でなきゃ、彼女のこと聞かれただけで、照れて言い淀むなんて、ないわよ。それなのに、八つ当たりみたいなことして、ダメな、私。うん、そうよ、彼は彼、私は私なんだから、同じ物差しで考えちゃいけないわ』

 受付の子達の話では、最近、彼女が出来たと言っていた。

 それを、わざわざ受付の子達に言うくらいなんだもの、風さんは木村さんに真剣なんだと思う。

『ん?生唾、飲んだ?』

 斜め向かいに座る風さんが、何故か緊張してるみたいに見えた。

『気のせい?かな』

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