第48話 恋心 -果南-

『あぁぁぁー、どーしよう、また明日、また明日って思ってたら、今日になってしまったわ。あぁ、でもでも、今日もカッコよかったぁー、篝さん。

正面から顔をじっくり見てしまったわ。優しい目元がステキ。ちょっとだけど、見つめ合ってしまった。きゃぁーっ』


「宮野?」

「・・・はい、何でしょう」


 名前を呼ばれ、隣を歩く塩原部長を真顔で見上げた。


「いや・・・、今日はご苦労だったな。ここまでくれば、あとは工事を進めていくだけだ」

「部長、まだ最終見積を承諾していませんよ」

「ハハハ、そうだったな。また新しいアイデアを出してくるかもしれないしな、楽しみだ」


 表情筋に力を入れた。

 表情が変わらないと人から言われるけれど、今日はやはり間近で篝さんの顔を見たので、緩んでしまったみたいだ。


 今年初めに新工場図面の精査を、部長が懇意にする設計事務所に依頼することになり、その担当となったのが、篝さんだった。

 初めて会社に来られた時、その誠実な人柄と仕事に対する熱意に、いっぺんに好感を持ってしまい、何度となく話を(仕事のだけど)しているうちに、好きになってしまった。


「お疲れさん。今日は、もうここで解散だ。たまには早く帰って休め」

「いいんですか?」

「今から戻っても、遅くなるだろう」

「はい、それじゃぁ、お言葉に甘えて」

「あぁ、お疲れ様」

「お疲れ様です」


 頭を下げると、部長が手を軽く上げて去って行った。

 それを見送りながら、胸に飛来した思い。


『これは、チャンスだわ』


 まさにお告げ、きっと上手く、そんな強い思いを感じた。

 携帯を取り出し、『 篝 陽 』を表示した。

 この数日、何度も表示しては消していた名前。

 仕事で電話をかけれても、個人的にはできなかった通話を、思い切って押してみた。

 コール音が鳴り出し、1回、2回、3回・・・

 気持ちが怖気づいてきて、ハッと今はまた就業時間内だった、ということに気が付いて、慌てて切ろうと思った時、繋がった。


「あ、宮野です。篝さんですか?」


 心臓が、ドッキ、ドッキ、とモノ凄い大きな音をたてている。

 携帯を持つ手が震え、落とさない様にギュッと力を込めた。


「はい。先程はありがとうございました。で、何か不備がありましたか?」


 篝さんは、仕事モードで話かけてきた。

『私の思いなんて知らないのだから、当たり前よね』

 ドギマギする自分が可笑しくて、少し笑えた。

 でも逆に仕事モードにスイッチできて、気持ちが少し落ち着いた。


「いいえ、資料は問題ありません。ただ、

その・・・お詫びとお礼を兼ねて、お時間があれば、ご一緒に食事はいかがですか」


 とても自然に言葉が出た。

 でも、


「お気遣いありがとうございます。ですが、」


『あぁ、ダメ、なの?・・・』


 先程まで感じていた強い思いが、一気に沈んでいく。

 そんな自分を知られなくて、早く切ろうと思ったら、


「今日は、後輩を労うつもりで飲みに行く予定だったんです」


 と思いがけない返事が返ってきた。

 でも、どういう意味か分からなくて、そうですか、と安易に答えた。


「前に工場へ一緒に行った一乃井です。彼も今回の功労者ですし、みんなで慰労会というのはどうですか? 塩原さんもおられますよね。ならボスにも、あ、いや、社長にも聞いてみます」


『あ、なるほど』

 篝さんは、私が個人的に誘っている、とは思っていないのだ。

 そういう立ち位置で見られていないことに、今、初めて気がついた。

『バカだな、私。気持ちを表に出してないんだから、当たり前なのに』

 とはいえ、白井社長をボスと言い間違えるくらいには、気を許してもらえていると思うことにして、沈んだ気持ちを浮上させた。

 沈んだり、浮上したり、乱高下する気持ちが可笑しくて、また笑えてきた。


「白井社長のことをボスと呼んでいるんですか?」

「ハイ、社内では、みんな呼んでます。すみません・・・失礼しました」


 篝さんは、誠実だ。

 いつも礼儀正しく、接してくれる。


「とんでもない。ただ、面白いなって思って。あの、塩原部長は社へ戻りました。私一人なんです。一乃井さんとご一緒のところ、私が混ざっても大丈夫ですか?」


 このまま、このチャンスをダメにしたくない、と思って、思い切って言ってみた。


「大丈夫ですよ」


 返された、やさしい言葉に胸がギュッとなった。

『あぁ、篝さん。私、好きです』

 この後、カフェで落ち合うことにして、店は私が予約するということで(すでに予約済みだけど)、話が決まった。

 切った携帯を只々眺め、立ちすくんだ。

『あぁーーー、一緒に、一緒に食事に行くことに、なってしまったぁぁぁ。あぁーーーー、信じられない、しんじられないわー。でも、でもでも、本当よね、ね、ねぇー、すっごい嬉しぃーーーー』

 両手を上げて叫びたい気持ちだ。

 でも、傍から見れば、ただ真顔で消えた携帯の画面を眺めて立っているだけだろう。

 丁度、自転車が走ってきて、危うくぶつかりそうになり、チッと舌打ちされた。

『でも、今の私はひと味違うの。そんな舌打ちぐらいで、怒ったりしないわ。だって、この喜びをみーんなに分けてあげたいくらいだもの』

 ニッと笑って、自転車の男性を見ると、男性は急に態度を変えてペコリと頭を下げ、自転車に飛び乗ると走り去って行った。

『幸せのおすそ分け。ふふふ、いい事をすると、気分がいいわ。あぁ、嬉しいー、嬉しすぎるぅ。篝さんと一緒にご飯、一緒にご飯、一緒にご飯、』

 自転車を見送り、弾むリズムを掛け声に、足取り軽やかにカフェに向かって歩き出した。




「もう、来るかしら」


 待ち合わせのカフェの窓から、窓に映る自分の顔を覗く様に外を見た。

 日も暮れて、暗い道を照らす街灯を頼りに、様子を伺う。

 もうずっと胸の鼓動がドキドキしっぱなしで、そのうち不整脈にでもなるんじゃないかと思うぐらいに、ドキドキしている。


「すぅーー、はぁーーーー」


 深呼吸をしてみてもドキドキが収まる気配がない。

『気合いを入れようと飲んだカクテルが、ダメだったのかしら?』

 でも、ドキドキの割に気持ち的には、どーんと来い、といった心持ちだ。


 カフェに向かう途中に寄った、駅の構内にあるフードコートの立ち飲みバル。

 そこでサンドイッチとホット塩キャラメルカルーアミルクを飲んだ。

 お腹が空いていたのもあって、篝さんとの食事でたくさん食べたりしたら、食い意地が張っている女だ、と思われるかもしれないっ、と思ったら一も二もなく店に入ってしまった。

 立食だし、パパッと食べて出ようとメニューを見ていると、隣に立つ女性がホット塩キャラメルカルーアミルクを飲んでいた。

 一緒の男性に、甘くて美味しい、と話しているのを聞いて、私もそれにしようと決めた。

 私は、お酒に弱い。

 でも嫌いじゃない。

 飲む時は、酔い過ぎないように自分で調整して飲むようにしている。

 だから、このタイミングで飲むのは、本来なら止めた方がいいと思う。

 でも今日は、絶対に失敗したくない。

 思いがけず手に入れた篝さんとの食事の時間。

 なのに、私はすぐにドギマギしてしまって、そんな自分に気合いを入れたくて飲もうと決めた。

『意外に、アルコール、キツかったのかな。甘苦くて美味しかったから、ゴクゴク飲んじゃった』

 荒療治な気もしたけれど、このヘンな緊張を思えば、気持ち的は大成功だったと思う。

 体的にはちょっと、だけど。


「頑張ろう。こんな気持ちになったの、久々だもん」


 カラン、カラン。

 ドア鈴が鳴り、見ると、篝さんが店に入ってきた。

 すぐに手を上げると、気がついて近づいてきた。


「お疲れ様です、宮野さん」


 優しい笑みを浮かべた篝さん。

 私だけに向けられた、その笑顔に見入ってしまった。


「・・・・・、お疲れ様です」


 数秒後にペコリと頭を下げたが、俯く自分の顔はきっと赤面してるだろうと思った。

 表情筋に力を入れて、顔を上げた。


「お待たせして、すみません」


 そう言いながら、向いに座る篝さんをジッと見た。

 仕事ではなく、私の為に来てくれた、そう思うだけで胸に感動が押し寄せてくる。


「一乃井と、そこまで一緒だったんですが、電車カードを失くしてしまったようで、今、探しに戻ってます」

「まぁ、それは大変」

「彼は直接、店に行くと言ってたんで、僕たちは先に行きましょうか」

「それが、予約時間があるので、もう少し待ちませんか」


 篝さんが、すぐに出ようとするので、引き留めた。

 予約時間には、まだ少し早いのは本当だったけれど、それよりも、今のこの感動をもっと噛みしめていたいと思ってしまった。

 それに、店に行けば、一乃井さんが来るだろうから、少しの間だけでも2人きりでいたかった。

 篝さんは頷いて、店員がおしぼりと水を持ってきたので、穏やかな物腰でコーヒーを注文した。

 それを見ていて、

『あぁ、やっぱり素敵すぎです。篝さん』

 また新たな感動が、押し寄せた。


「ずっとここに?」

「いいえ、駅の構内をウロウロしてました」


 流石にカクテルを飲んだ、とは言えないので曖昧に答えた。


「いろんな店があっていいですよね。まぁ、自分が行くのは専ら、飲食店ばっかりですけど」


 フッと目元を緩めるから、私も笑顔になってしまう。


「どんな店に行かれるんですか?」

「そうですねー、行きやすいのは、バルの店ですかね。カウンターだけの立ち飲み屋なんで、入りやすいですよ。後は、焼き鳥かな。駅のエスカレーターを降りた所にある。駅が目の前なんで、男ばっかりの時なんか、電車ギリギリまで飲んでたりしますよ」


『あー、ハハ。今日行きました、そのバル』

 そう思いながら笑顔で聞いていると、篝さんの携帯が鳴った。


「一乃井かな?電車カードあっ、た、」


 篝さんが携帯を取り出し、画面を見た一瞬、顔が変わった。


「すみません。すぐ、戻ります。  もしもし、」


 急いで立ち上がり携帯を耳にあて、店を出て行った。

 もしもし、と言ったその優しい声で分かってしまった。

『彼女、だわっ』

 ガーンと、上からタライが頭上に落ちてきたかのような衝撃があった。

『どうして・・・どうして、今まで考えつかなかったんだろう。あんな素敵な人に、彼女がいないワケないのに』

 窓から見える、街灯に照らされた篝さんの顔は、いままで見たことがないくらいに嬉しそうに笑っていた。

『あぁ、私、また始まってもいないのに、失恋、か・・・』

 ついさっきまで、あんなにドキドキと早鐘を打っていた胸が急に静かになって、重たい石を飲み込んだように重苦しく、痛くなった。


「すみません、急に」


 席に戻ってきた篝さんの顔を直視できない。


「そろそろ行きましょうか」


 作り笑いを浮かべて返して、立ち上がった。

『表情筋に、力が入らない・・・』

 カフェを出て、店までの道のりを、篝さんと並んで歩く。

 きっと情けない顔をしているに違いないと思うけど、顔を上げれなくて、隣を見ることも出来ない。

 ただ、街灯があるとはいえ、厚い曇りに覆われた冬の街は暗く、冷たい北風に誰もが俯きながら歩いている。

『あぁ、暗くて、よかった』

 少しホッとしながら、俯いて歩いた。

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