第44話 やり遂げた仕事と食事のお誘い -陽-
「うん、まぁ、こんなもんだな」
渾身の出来であろう新工場の調査書に目を通したボスが、そう言った。
「眉間にシワが寄ってるぞ」
「もう少し、別の言い方があると思ったので」
こっちの反応にボスは、おっ、という顔を見せた。
「良くやった、という意味だよ」
「なら、そのまま言えばいいのでは」
「えらく突っかかるなー」
『ここ連日の苦労を知っているはずなのに、なんだ、その言い草は』
第一声がそれかと、ムッとしてしまった。
苦労の日々をトクトクと聞かせてやろうかと思っているとノックがして、
「社長、お客様です」
事務員の秋野さんが顔を覗かせた。
誰かと思っていたら、宮野さんと長身の男性だった。
「わざわざ、悪いね。電話でもよかったんだけど」
「俺も、そう思ったんだが、宮野がね」
秋野さんに案内されて入室してきた長身男性にボスが口を開くと、彼は同意しつつも後ろにいた宮野さんを振りむいた。
「お願いしているのはこちらですので、直接お礼に伺うのは当然です」
彼女は続いて入室し、会釈をしてから爽やかな笑みを浮かべた。
「これは・・・、窓口が女性だと聞いていましたが、こんな素敵な方だったとは」
ボスは一瞬絶句して、すぐに立ち上がり、宮野さんの傍まで来ると、エスコートするように応接ソファへと誘った。
『まったく、よくやるよ』
キレイな女性にはめっぽう弱いボス。
その変わり身の早さに感心していると、長身男性と目が合った。
お互い考えていることは同じなようで、愛想笑いを浮かべると、長身男性は呆れたように肩をすくめた。
「遅ればせながら、私は、篝といいます。今回の精査を担当させて頂きました」
「あ、君が。私は、塩原です。大変な依頼を引き受けてくれて有難う、助かったよ」
ケースから名刺を取り出して差し出すと、こっちのことは知っていたようで、頑丈そうなゴツイ顔に優しい笑みを浮かべて、すぐに名刺を出して挨拶してくれた。
「篝、彼がこの厄介な仕事を頼んできた張本人の塩原巌だ。名前にピッタリな顔の奴だろう」
ソファから遠慮のない言葉が飛んできて、溜息が出そうになった。
「おいおい、もう少し違う言い方はないのか?」
塩原さんが、隣り合って座るボスと宮野さんの間のソファの背側に立って言った。
2人を上から見下ろす塩原さんの顔はなかなかのモノで、への字になった口に睨みを利かせた眼光、加えてその勇ましい顔だから、横で見ていてもかなりの迫力だ。
「だって、本当のことっ・・・・・」
すぐに言い返そうとしたボスだが、見上げる顔からみるみる笑顔が消えて、ゴックン、と生唾を飲み込んだ。
塩原さんが、クイッと親指を立てると、ボスはサッと立ち上がって向かいのソファにポスンッと座った。
そして、当然のように宮野さんの隣に空いた席に、塩原さんは悠然と座った。
見ていたこっちは、唖然としてしまい、
「篝くん」
と塩原さんに呼ばれて、慌ててボスの隣に座った。
『どっちが上司か分からないな』
2人の関係性が垣間見えた気がして、押し付けられた、とボスは言っていたが、あながちウソではなさそうだと思った。
秋野さんがお茶を出しに来てくれた後、塩原さんと宮野さんが調査した資料に目を通し、いくつか質問を受けながら、こちらも気になるところを指摘したが、概ね問題となるような箇所は見当たらなかった。
「見て頂いた資料でお分かりかと思いますが、結論的に言えば、大きな問題点は見当たりませんでした」
「うん、それを知りたかったんだ」
大きく塩原さんが頷いた。
「いくつか見せてもらった図面の中で、特にこの図面はよく考えて書かれていました」
広げられた図面の中から、一社のものを指で示した。
「それも、こちらと同じだ。もともと、その業者に工事を依頼するつもりだったんだが、確証が欲しくてね。それでこちらに依頼したんだ。やはり、頼んでよかったよ」
塩原さんの気兼ねない面持ちとストレートな気持ちに、こちらも思うところはあったものの、そんな思いはいっぺんに解消された。
それなのに、
「眉間にシワは寄っていたけどな」
ボスが、ボソリと言った。
『本当に、この人は』
仕事に関しては本当に尊敬するけれど、こういう話をややこしくするところは、本っ当にいただけない、と心の底から思っていると、
「篝さん、私、そんなに面倒なご依頼だとは思ってなくて、すみません」
向かいに座る宮野さんが頭を下げたので、驚いた。
「えっ、全く、そんな事ないです。だいたい分かって仕事を請けたのはウチの会社なんで(正確にはボスの独断だけど)、だから謝らないで下さい」
「そうですよ。宮野さんは悪くないです」
横からボスが、加わってきた。
だが、こっちは
『どの口が言う?』
だった。
「ですが・・・、他にこういった依頼を受けてもらえるところがなかったんです。当然ですよね、そんなに面倒なら。それで、塩原部長にこちらの会社をご紹介頂いて、それで、ご依頼したんです」
「詳しく把握したいと思うのは、会社として当然です。うちは小規模ですが、その分、細かな依頼に柔軟に対応しているんですよ。こういった依頼もよく来るんで、問題ないです」
『おいおい、何言ってんだよ』
と口から出そうになった。
確かに、こういった仕事も請けることもあるけれど、よく、じゃない。時折だ。
だいたい、こんなことになってるのは、ボスの一言のせいなのに、調子よすぎる。
腑に落ちない気持ちでいると、
「すみません・・・」
と、恐縮しきりの宮野さんに、結局こっちも参戦になってしまった。
「参考として、色々と図面も見せて貰って、逆に勉強になった部分もありますんで、お互い様です。
なので、そんなに気にしないで下さい。さっきも言いましたが、分かって請けたのはウチの会社(ボス)なので」
最後はボスに向けての言葉だったが、ボスはウンウンと頷き、まったく意に介せず、スルーといった感じだった。
宮野さん少しほっとした表情で、こっちを見て薄く笑ったので、こちらも笑い返した。
すると、隣でゴホンッと咳ばらいがした。
「篝さん、白井社長も、ありがとうございます」
「俺も少し、ゴリ押しした部分もあったから、すまなかった。業者から出た図面を外に見せるのはあまり良い事とはいえない。だが、白井のところなら安心だというのもあって無理を言ったんだ。短い時間でも、よく調べてくれて有難う、今回は本当に世話になった」
塩原さんが深々と頭を下げたので、こっちも頭を下げて、お開きとなった。
「どうだったんですか?」
席に戻ると一ノ井が聞いてきた。
「うん、いい評価をもらったよ。土日返上で頑張った甲斐があったな。一ノ井もよく手伝ってくれて、ありがとうな」
「いやぁ、ハハハハハ、良かったっス。じゃ、今日は祝杯ですね」
「調子いいな」
「やっぱりここは、英気を養わなければっ」
一ノ井の言葉に笑いを返したが、全くの同意見だった。
そう、疲れた時に一番効くのは、やっぱり桜子の笑顔だ。
そう思うと、胸がはやってくる。
俺的に、もっと深い関係になりたいと思っているだけに、妄想は膨らむばかりだ。
今日は一緒に頑張ってくれた一ノ井を労うつもりだが、明日は土曜日、デートに誘おうと心に決めた。
と、携帯が鳴った。
今、考えていただけに、桜子か、と思ったけれど。
『宮野さん?』
今しがた、資料を手渡した後だっただけに、不備があったのかと電話に出た。
「あ、宮野です。篝さんですか?」
「はい。先程はありがとうございました。で、何か不備がありましたか?」
少し焦って聞いたけれど、宮野さんは、ふふっと小さく笑った。
「いいえ、資料は問題ありません。ただ、その・・・お詫びとお礼を兼ねて、お時間があれば、ご一緒に食事はいかがですか」
「お気遣いありがとうございます。ですが、」
気持ちは嬉しかったけれど、今日は一ノ井と飲みに行こうと思っていたから、断ろうと言いかけたが、以前、一ノ井が宮野さんと恋がどうとか、言っていたのを思い出した。
「今日は、後輩を労うつもりで飲みに行く予定だったんです」
「そうですか」
「前に工場へ一緒に行った一ノ井です。彼も今回の功労者ですし、みんなで慰労会というのはどうですか?塩原さんもおられますよね。ならボスにも、あ、いや、社長にも聞いてみます」
クスクスという笑う可愛らしい声が聞こえてきた。
「白井社長のことをボスと呼んでいるんですか?」
「ハイ、社内では、みんな呼んでます。すみません・・・失礼しました」
「とんでもない。ただ、面白いなって思って。あの、塩原部長は社へ戻りました。私一人なんです。一ノ井さんとご一緒のところ、私が混ざっても大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
控えめに話す宮野さんに、明るく答えた。
電話を切った後、一ノ井に話すとテンション高めに喜んだ。
はずなのに、今、隣を歩く彼からは、どうしてか表情が消えている。
「あー、緊張する。合コンなんて久しぶり過ぎる」
合コンという表現もどうかと思うけれど、どうしてそんなに緊張するのか分からない。
「今は、マッチングアプリが流行だからか?」
「流行っていうか、フツウっていうか。アプリだと気の合う話とか趣味とか相手を知ってから会うんで、気にならないんですけど、合コンっていきなり初対面だから微妙に緊張するんッスよ」
一ノ井の返事に一理あるな、と思った。
「なるほど。でも、そんなに緊張するか?」
「えっ、緊張しないんですか?」
「相手は知らない人じゃないし、所詮、仕事の延長だからなぁ」
仕事後の飲み会はよくある事で、酒の場で仕事以外の話をすると相手と仲良くなる場合が多い。
それにウチのような小さい会社は嫌われたら終わりだから、人間関係プラス信頼で成り立ってるところが大きい。
そういう意味でも飲み会は、俺的に参加必須ではある。
「夢がナイなー、篝さん。俺に新しい恋が始まるかもしれない、って言ったじゃないですか」
「それは一ノ井が言った言葉で、俺はさっき、そう言ってたよなって、聞いただけだろ」
「うぅ、うまくフォローして下さい~」
「そんなんじゃ、新しい恋は始まらないぞ。頑張れ」
ポンと肩を叩いて、宮野さんと待ち合わせしたカフェに急いだ。
店が見え、もう着くというところで、
「あーっ、ないっ」
と一ノ井が大きな声を上げた。
ズボンのポケット、上着のポケット、カバンの中と、ない、ない、と焦りながら探している。
「どうした、何がないんだ」
「電車カードが入ったケースがないんです」
「落としたのか?」
「わ、分かりません。ロッカー?かな」
「とりあえず、待たせてるから、宮野さんに事情を話そう」
店に入って行こうとしたら、一ノ井が拝む様に手を合わせた。
「スンマセン、迷惑かけて。俺、探しながら会社まで戻るんで、篝さんは先に店に行ってて下さい。宮野さんにも悪いんで。後から追っかけます」
「1人で大丈夫か?」
「はい。最悪、見つからなかったら再発行します」
いうが早いか、携帯のライトをつけて、一ノ井は探しながら来た道を戻って行った。
暫く見送り、カフェに入ろうと向きをかえると、サーッと強い北風が吹いた。
でも、
『寒い夜も寒さ知らずだ』
と冷たい夜空を見上げ、手袋を見た。
桜子がクリスマスに選んでくれた手袋。
『いつも一緒にいるみたいに思えるでしょ』
そう言った桜子の顔が浮かんだ。
ふっと頬が緩み、
『もう1つ追加だな。気持ちも暖かくなる、だ』
そう思ってカフェに向かい、ドアを開けた。
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