第43話 新年早々、嫌な予感 -陽-
「篝さん、ボスが呼んでましたよ」
「ボスが?」
清水課長と共に新年の挨拶周りをして会社に戻ると、事務員の秋野さんから、そう言われた。
「内容、知ってます?」
「いや。篝、お前、なんかやらかしたんじゃねーの」
清水課長が嫌な笑みを浮かべて言ってきた。
「なんもやってないですよ。また、ボスの気まぐれじゃないんですかね」
カバンを席に置いて、すぐに社長室へ向かった。
新年早々からボスからの呼び出しとは、フツーに嫌な予感しかない。
「篝です」
「入れ」
ノックをして入室すると、白井社長がデスクに肘をついて、広げられた図面を見ていた。
「挨拶周りは、どうだった?」
気の良さそうな笑みを浮かべて聞かれ、これは嫌な予感的中だ、と気を引き締めた。
「はい。昨年末に納品した図面の完成図書を、早めに送って欲しいと先方から言われたくらいで、他は、無事終了です。何か、ありましたか?」
デスクの前に立ち、広げられた図面に視線を落とした。
「あぁ、知り合いに頼まれたんだが、ちょっと厄介でな」
少し長めの髪に白いモノが混ざり始めているが、黒いニットに紺地のナポリスーツというシックな装いと堀の深い目鼻立ちから、年齢のわりに若く見えるボスこと白井社長は、両手を組んで足を組み、革張りの黒い椅子にゆったりと背中を預けた。
「厄介?かなり、精巧に書かれているように見えますが」
広げられた工場図面をザッと見た。
複雑な内容で規模が大きいけれど、細部までよく考えて書かれているように見えた。
「うん、そうなんだが。一応、精査して欲しいと言われたんだ」
「わざわざ、ですか?」
「あぁ、新しい工場を建てるらしいんだが、工事を請け負う業者を今、選定中で、会社としては内容を詳しく把握しておきたいらしい。と、まぁ、なんだ、この頼んできた相手が、俺の昔からの知り合いでな。なんだかんだと断り切れずに、押し付けられたのさ。こんな面倒な仕事、どこも引き受けないだろう」
『押し付けられた、その面倒くさい仕事を、俺にやれってか』
サラリと言われた言葉に、心の中で毒ついてしまった。
簡単に精査というが、1つ1つ調べ直していく方が、新しく案出するよりも何倍も面倒で時間がかかる。
「眉間にシワが寄ってるぞ」
「誰のせいだと思っているんですか?」
「おっ、さすがだな、篝。やってくれるか」
「・・・・・」
「俺はまだ、篝にやってくれ、とは言ってない」
『何言ってんだ、このタヌキ。その為に呼び出したんだろうが』
ワザと、シワを深くしてボスを見た。
だが、こっちの思いなど、どこ吹く風だ。
ボスは何枚もの図面を束ねて、俺に渡してきた。
「あと、これ。この会社の窓口、この女性だから。詳しいことは直接聞いて、やってくれ」
そう言って、名刺も差し出された。
退出し、後ろでドアが閉まった瞬間、はぁぁっ、と溜息が零れ出そうになった。
『1ヶ月、いや3週間でどうしろってんだよっ、くそタヌキがっ』
短納期のクソ面倒くさい内容に、ドアを蹴り上げてしまいそうになる勢いそのままに、ダンッダンッと靴音高くデスクに戻った。
「なんだったんですか?」
「あぁ、しばらくは残業決定案件だった」
「マジか・・・」
声をかけてきた一乃井が、俺の返答にガックリとデスクにうつ伏せた。
すぐに清水課長に話をして、これからのスケジュールを立てることになった。
うちは社員15名ほどの小規模な設計事務所だから、役職がどうあれ、個々が動かないと回って行かない。
「時間がないんで、すぐに担当者に連絡を入れて現地調査させてもらえるように聞きます」
「あぁ、調査に行くなら一乃井、お前も一緒に行け」
「了解です」
急にバタバタと、慌ただしい年明けになった。
「うぅ、足が痛いっス」
座敷で片膝を立てて、足をさすりながら一乃井が言った。
「一乃井、お前、体力なさ過ぎ」
「いやいやいや、あれは体力関係ないですよー。こっちは入場不可です、ってあの担当者のお姉さんが言うから、ヘンな体勢での測定になったんじゃないですか」
俺の言葉に、大きく反論するように前のめりになって、不満いっぱいの顔で言った。
「レーザーが電池切れとは、想定外だった」
レーザー測定器は、いつも確認して持って行くのに、今日に限って電池がなくなるという、あり得ないミスだった。
「もっと早く言えば、電池もらえたのに」
「客先で、カッコ悪くて言えるか」
「でも、貰ってたじゃないですか」
「宮野さんが、持ってきてくれたからな」
工場は海を埋め立てたコンビナートにあるので、周りには店がなく、購入するには少し離れたコンビニまでタクシーで行かなければならなかった。
仕方なく買いに行こうかと考えていたら、担当の宮野さんが事務所から持ってきてくれたのだった。
「工場の新設担当で女性なんて、珍しいですよね。しかも美人だし」
「生産にもいたって話だから、機械云々よりも工場内の流れに関しての抜擢じゃないのかな?生産性を上げるには無駄のない工程が必要だろう」
手に持つお猪口から指先に熱が伝わり、ようやく人心地つけた思いで、お猪口の酒を飲んだ。
工場内はやたらと広く、風が強かった。
海から直接吹き荒ぶ風に体が芯まで冷え、帰る途中に見つけた赤ちょうちんに惹かれるようにして入ってしまった。
「篝さん、大事なのはそこじゃないですよ」
胡坐に座り直して、お猪口の酒を美味そうに飲み干してから、一乃井が言った。
「他に何があるんだ」
「美人な女性、ですよ」
「そういうの、好きだなぁ」
ニンマリとした顔に、少しウンザリ気味に答えた。
「大事でしょ、そこ。モチベーションが断然変わってきますから」
「モチベーションねぇ」
ふと桜子の顔が、頭に浮かんだ。
もし、一緒に仕事をしたら、と思ったら・・・、想像したけど、ダメだ。
別のモチベーションが上がってくる。
「ほら、そうなるでしょ。ニヤニヤしてるー」
「してない」
「新しい恋が芽生えるかもしれないじゃないですか」
「俺はならない。彼女がいるんだから」
「あー、そうだった。篝さん、彼女出来たんですよね。お仲間だと思ってたのになー、いいなぁー、彼女。あんなことやこんなこと、しちゃうんでしょー、羨ましいっ」
一乃井は、声のトーンを上げてテンション高めに自分で自分の体を抱きした。
「ヤメロ、その顔。ヤらし過ぎる」
「えー、でも、そうでしょ。あー、俺も彼女ほしーなー」
体を揺らしながら一乃井は、本当に欲しそうに言った。
それだけの為に桜子と付き合ったわけじゃないが、年若い奴はすぐそっち側の話をしたがる。
「作ればいいじゃないか」
「うぉ、その上から発言、腹が立つ。作ろうにも、作れる環境じゃないっすよ。新年一発目から、こんなに酷使する会社で。今時、仕事仕事じゃモテないんですから」
不貞腐れ気味に一ノ井は、テーブルに肘をついてシシャモをパクリと一口で食べた。
「そこは、仕方ないだろ。大企業じゃないんだから。不満ならボスに言えよ」
「言えるワケない。ボスに対等に話せるのは、篝さんくらいなもんですよ」
顔を横に振り、ムリというように手を振った
ボスとは、前に勤めていた会社からの付き合いで、ボスが起業する時に誘われて一緒に仕事をするようになった。
ボスの書く図面は、思わぬ斬新なアイデアがあったり、綿密な計算の上に緻密に作られていたりと、他とは一線を画すところがあって、それには俺自身も尊敬の念を抱いている。
ただ、あの性格だけは、何年たってもいただけない。
「やーっと、体が温まってきた感じ」
「そうだな」
「温まったら元気が出てきたんで、他食べていいですか?」
「元気が出たら、喰うのかよ。いいけど、割り勘だからな」
「うぉ、先に言われてしまった。いいじゃないですか、もうすぐ課長昇進なんだし」
「それとこれとは別だ」
「ちぇーっ」
口を尖らせる一乃井の顔が面白くて、笑ってしまった。
一乃井の言葉じゃないが、温まったら空腹が強く感じられ、品書きを見ると出し巻きが目についた。
美味しそうに桜子が食べる姿が、脳裏に蘇った。
初詣の帰りに店で飲んだ升酒が零れた時、手を舐めると桜子が顔を真っ赤に染めた。
その熟れたリンゴみたいな頬に吸い付きたくなる衝動を抑えるのが大変で、代わりにまた手を舐めようとしたら、サッと引っ込められてしまった。
ワザと耳元で話し距離を縮めると、耳を押さえてまた赤くなって、そんな桜子の見せる初々しい反応が可愛すぎて、外じゃなかったらヤバかった。
俺を見て、楽しそうに笑う笑顔や好きだと言って頬を赤くする顔を思い出して、
『会いたいな』
そんな思いが強く胸に押し寄せた。
だが、始まったばかりの仕事を思うと暫くは会えそうにない。
それに、彼女も仕事が忙しいと言っていたから、どっちにしても無理だろう。
でも、ずっと忙しいわけじゃない。
時間が少しでも空いた時に、すぐに会えるようにしておきたい。
そう思うと、ますます面倒な仕事を押し付けてきたボスに腹が立ってきた。
『なにがなんでも、早く終わらせてやる』
「一乃井、土日返上で仕事だからな。気合入れろよ」
「急にどうしたんですか?って、えー、土日仕事?うちの会社の働き方改革は、どうなってんですか?」
ガックリと項垂れる一乃井を横目に、注文の為に手をあげた。
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