第41話 阿部さんが変わった!

「あぁぁぁ、やっと終わった~」


 年が明けて、ゆっくりする間もなく、怒涛の忙しい日々が続いた。

 工場新設の本気の見積書を作成するのに、何度も打ち合わせが行われ、先方の意向も余すことなく取り入れようと設計部の濱田さんと風くんは、毎日のように会社を行ったり来たりしている。

 私は私で、細かな材料やら資料を調べて集めて集約してと、とにかく種類が多いのでほぼほぼ毎日のようにパソコンに噛り付いての作業の連続だった。

 でも、ようやく先が見えてきた感じ。


「あとは、これとこれをまとめてっと、」

「おつかれ~。まだ終わんないの?」


 香織さんが声をかけてきた。

 時間に追われ過ぎている私を心配して、雑務の殆どを肩代わりしてくれていた香織さん。

 もう、本当に感謝しかない。


「ううん、もう目途がついたから、あと少しかな」

「ムリしないで。じゃ、また明日ね」


 それなのに、ぜんぜんそんな素振りを見せないで気にかけてくれるなんて、本当にイイ人だ。

 笑顔で去っていく香織さんに手を振り、時計を見ると18時を回ったところ。

 ドッと疲れがやって来た。

『あー、肩が痛ーい、腕が痛ーい、手が痛ーい。はぁ、明日はやっっっと土曜日か・・・久々に休みがやってきたって感じだわー。あぁぁぁ、いいかなぁ、少し遅いけど、陽に電話してみようかなぁ』

 私自身が忙しいかったのもあるけれど、陽も新規の仕事を請け負ったらしく、最近は忙しいと言っていた。

 お互いがそんなだから、ここのところ連絡を取っていなかった。

『でも、聞いてみるくらい、いいよね』

 そう思うと、やる気が湧いてきた。

 椅子に座り直して、ラストスパート、残りの仕事に取りかかった。




「そっかー、ううん、ごめんね、忙しいのに。頑張ってね」


 明るく振舞いながら、携帯の赤いボタンを押した。

 少し期待していただけに、ダメージは大きい。


「あぁー、ダメかー」


 更衣室のソファーに倒れ込む様に座った。

 陽の笑顔で癒されたいとずうぅーっと思っていたんだけど、甘かった。


「お疲れ様でーす。どうしたんですか?」


 見上げると、阿部さんが驚いた顔で見下ろしていた。


「どうもしないよ。ハハハ、お疲れさま」

「壊れかけてるじゃないですか」

「うん、まぁ、ダイジョウブ」

「ぜんぜん大丈夫そうじゃないですけど。あの大きい仕事ですよね。風さんが、頑張ってる。木村さん、アシスタントなんだから、しっかりして下さいよ」


 あれ?、と思った。

『風くんのこと、大智くんって呼んでなかったっけ?』

 ロッカーを開けて、着替えを始める彼女を眺めた。

『それに、もっと可愛らしい女性って感じのキャラじゃなかったっけ?』


「なんですか?」


 私の視線に気がついて、聞いてきた。


「近藤さんと岡田さんは?」

「先に帰りましたよ」

「へー」


 いつも3人でつるんでるイメージだったから、意外だった。


「いつも一緒にいるほど仲良くないですから」


 サラリと返ってきた言葉に、驚いた。

『エー、ウッソだー。いいようにこき使ってたじゃん』


「言いたい事があるなら、どうぞ言って下さい」

「いや・・・、ないよ」

「含むように言わないで下さいよ。私、木村さんのそういうとこ・・・イラッとします」

「そこ、キライって言おうとしたんじゃない?」

「分かってるなら、いちいち聞かないで下さい」


『なんだか、えらく様変わりしたなぁ』

 前に一緒に立ち飲み屋へ行ったときにも思ったけど、こっちの強気の阿部さんの方が表裏ハッキリしてて、私的には結構好きなのよね。


「帰らないんですか?」

「いや、帰るけど」


 ノロノロと起き上がり、答えた。

 帰る前に、陽の顔を見て英気を養おうと思っていただけに、ダメになって一気にやる気がなくなってしまった。


「じゃ、早く着替えて下さい」


 ロッカーのドアにかけられた鏡を見て化粧直しをしながら、阿部さんが言った。

 不器用な彼女の優しさが見えて、少し嬉しく思った。




「どうして商店街? すぐ電車に乗ればよかったじゃないですか?」

「年末さ、先に帰っちゃったでしょ。だから、豊三おじさんに阿部さんの顔を見せてあげようかと」

「勝手に決めないで下さい」

「え、でも、ご飯食べて帰ろうって言うから」

「だからって、あの店じゃなくてもいいんじゃないですか?」

「確かにねー」


 ハハハと苦笑いすると、不機嫌そうな顔の割に阿部さんは、それ以上何も言ってこなかった。

 でも、ともすればあの店だけど、別の店でもいいわけで。

 そう思うと、思い浮かぶのはやっぱり、小料理屋『梅野』。

 そういえば、前に阿部さんと帰りが一緒になった時も、『梅野』に行こうとしてたんだったと思い出し、ダシが滴るふわふわの出し巻きが頭に浮かんだ。

 随分とご無沙汰で、今年になって一度も行けてない。


「少し電車、乗るんだけど。私の一押しの店に行こっか。値段も手頃だし、食べやすい量で出してくれるし、特に魚が新鮮で美味しいの」

「そういうところがあるなら、最初に言って下さいよ。無駄な時間とっちゃったじゃないですか」

「ハハハ。そこね、私の最寄りの駅なんだけど、結構人気店で。今の時間の方が、お客さんが引けて丁度いいと思うの」

「じゃ、そっちから電車、乗っちゃいましょ」


 商店街の中程に建つ百貨店横の脇道に入り、通りに出ると地下へと降りる入口が見えた。

 横断歩道に並ぶ人を避けて、何気に向かいの通りへと目をやると、陽に似た背格好の男性が目に入った。

 暗いけれど、街灯に照らされる姿は間違いなく陽だ、と思った。

 けれど、陽は女性と一緒に歩いていて、それが宮野さんのように見えた。


「どうしたんですか?」

「ううん」


 急に立ち止まったので、阿部さんが声をかけてきた。

 でも、あり得ない組合せに見間違いだろうと思って、返事を返すのと同時に首を振った。

『きっと会いたい気持ちが強すぎて、幻影を見ちゃったんだわ。しかも、宮野さんまでって。私、かなり重症ね』

 自分で自分に苦笑してしまった。



「いらっしゃい」

「こんばんはー」


 暖簾をくぐると、アキさんとレイカさんが迎えてくれた。

 久しぶりに見る2人の元気な顔に胸が温かくなって、いつもの癖で入口横のカウンターに座ってしまった。

 前に陽と並んで座った時は窮屈だったけど、阿部さんは小柄なので、並んで座ってもわりと普通だった。

『落ち着く場所にゆったり座って、お酒を楽しめる幸せ』

 やっぱり、『梅野』は最高だ。


「ここでもいいかな」

「はい、ぜんぜん。雰囲気いいとこですね。この席も囲われてて、ちょっとした個室みたい」


 共感してくれる彼女と目が合って、お互いに笑い合ってしまった。


「ひさしぶりねー、お正月はゆっくりできたの?」

「はい、実家で年末掃除に、駆り出されてました」


 レイカさんが、ジョッキ2つを持ち上げて聞いてくるから、頷いて答えた。


「今日は牡蠣もあるし、氷見の寒ブリに、カワハギがあるよ」

「あー、カワハギ、肝醤油でお願いします」


 アキさんのオススメ紹介に、以前食べた濃厚な肝醤油の味が思い出された。


「カワハギって食べたこと、ないかも」

「そうなの?美味しいよー、身はあっさりしてるけど、それが肝醤油とからんだらもう、ホントたまんないからっ」


 阿部さんに説明していると、お腹が減ってるせいもあってか、想像力が異様に掻き立てられた。

 続けて、寒ブリと牡蠣、そして一押しの出し巻きを頼んだ。


「はい、お待たせ」


 レイカさんがジョッキを、ドドンッと目の前に置いてくれた。

『あー、この滴る汗っていうの?生ビールって感じー』

 と思っていると、


「そうそ、年明け早々にダイちゃんともう1人可愛い子が一緒に来てくれたのよー」

「そうなんですか。可愛い子?」


 風くんと可愛い女の子の組み合わせが意外過ぎて、つい聞き返してしまった。


「ダイちゃんって、風さんのこと?」


 流石は阿部さん、と思いつつ頷くと、


「それは、どんな人ですか?」


 と食いついた。


「そうねー。笑った顔が可愛らしい子だったわ。よくお喋りするね」


 そういう女性は風くんの好みじゃないはずだけど、と思っていると、


「よく喋る、笑顔の可愛い人・・・・お姉さん、私とその人、どっちが可愛いですか?」


 阿部さんが、真剣な顔でレイカさんに聞いた。

 私も驚いたけど、レイカさんも驚いた顔をした。

 でも、すぐにケラケラと笑い出した。


「そりゃ、お嬢さんの方が断然可愛いよ」


 アキさんがそう言いながら、厨房から肝醤油付カワハギ刺身が盛られた皿をカウンターに置いてくれた。


「だってねー、その子は、男性だから」


 と言ってレイカさんが、勘違いしている私達2人を見て、アキさんと顔を合わせて可笑しそうに笑った。

 風くんと笑顔の可愛い男性、新年早々ってところで思いついたのが初詣の日だ。


「それって、3日?」

「そうそう、ウチの店始めの日だったわ」


 言葉にしなくとも、同じ人物に至った阿部さん。


「やっぱり、木村さんだけズルいです」

「え、そこ?」


 どうしても視点が風くんみたいで、返答に困る。


「さぁーさ、他にも食べたいのがあったら言ってちょうだいね。まずは、はい、乾杯でしょ」


 取っ手を向けられ、阿部さんとジョッキを合わせた。

 並々と入った生ビールをグイッと飲むと、冷たい液体が喉を通っていくのが分かる。

 のど越しがスッキリで、ググーッと飲んでしまった。


「ワォ、2人とも、いい飲みっぷりねー」


 半分ほど飲み干してしまったジョッキをカウンターに置くと、阿部さんも同じように減っていた。


「阿部さんって、意外に酒豪?」

「それは、お互い様なんじゃないですか?」

「えー、私はそんなことないよ」

「謙遜も、時には嫌味です」


「どっちもお酒好きでいいじゃない。飲めるって、最高よー」


 レイカさんの明るい言葉に、何故か救われた気がした。

『謙遜も、嫌みか。確かにそうね』

 私は、人と揉めるのが好きじゃない。

 だから、いつも人の顔色を窺ってしまうきらいがある。

 処世術と言えば聞こえはいいけど、結局は自分が傷つきたくないだけだと自分では分かっている。

 だから、阿部さんが様変わりして(どうしてかは分かんないけど)、あけすけな感じになったのが、すごくいいなと思って、それと同時に羨ましいとも思った。

 私も、カチンときた時にズバッと言ってしまうことはある。

 でも、それって只の暴言でしかなくて、言う時は落ち着いて、ハッキリ言うのが一番いいと思うし、理想だ。

『私も少し、阿部さんを見習ってみようかな』

 密かにそう思った。

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