第37話 意地悪モードの陽

「はい、出し巻き」

「ありがとう」


 陽が、届いたばかりの出し巻きを、私の前に置いてくれた。

 登山並みの初詣で、お腹も空いて、目の前に並んだ料理達から立ち上る美味しそうな匂いに唾液は崩壊寸前なのに、隣が気になって食べられない。

 お店に来てから、ううん、風くんとリョウさんと別れてから、ずっとこんな感じだ。

 やたらと見てくるし、絡められた手もずっと繋がれたままで、今も、距離が異常に近い。


「食べないの?」

「ううん、食べるよ」


 陽の言葉に弾かれる様に、手を合わせて食べようとしたけれど、繋がれた手に阻まれた。

 すぐに陽も気がついて、手を離してくれたので、少しホッとした。


「では、いただきます」


 手を合わせ、どれから手を付けようかとテーブルの上を回し見た。

 出し巻きにタコの旨煮、合鴨ロースや万願寺唐辛子の焼き浸し、豆腐のサラダ、ささみ大葉梅肉巻フライと、どれも美味しそうで、ビジュアル的にもフィジカル的にも刺激が半端ない。

 でも、やっぱり一番は、と思って、出し巻きを取り皿に取り分けた。

 薄い湯気をまとった厚切りの出し巻きは、箸を入れるとじゅわりと出汁が滲み出して、口に入れると優しく崩れ、甘い玉子と出汁の味が口の中いっぱいに広がった。


「んー、美味しー」


『梅野』で食べる出し巻きとは、また違う味だ。

 出汁が違うのか玉子が違うのか、分からないけれど、店のこだわりがあるに違いない。

 出し巻きの美味しさに1人うんうんと頷きつつ、次に、生麩のブルーチーズ焼を箸にとった。

『どんな味か気になってたのよねー』

 口に入れると焼かれたブルーチーズの香ばしい香りと苦みが広がり、生麩の柔らかい優しい食感がそこに加わって、クセになりそうな味わいだ。

 モグモグと堪能して、ついと横を見ると、肩肘をついて私を見る陽と目が合った。

 陽は目を細め、フッと流麗に優しく笑うから、ドギュンッ、と一瞬で胸を撃ち抜かれた。

『ぐっ・・・、なんなの、その素敵スマイルはっ』

 動揺を隠す様に、


「この生麩、すっごい美味しいよ。陽も食べよ?」


 と話しかけた。


「あぁ」


 頷く陽の何気ない仕草に、またグッときた。

『陽、かっこいい!』

 ウットリと眺めていると、手を合わせた陽が、また私を見てニッコリと笑った。

『この顔・・・、私、知ってる』

 さっきの優しい笑みとは違う、少し意地悪な笑みに、憂いが胸に広がった。

 クリスマスイブに見た、意地悪モードの笑顔だ。

 距離の近さに、薄い危機感を感じていると、陽は私の手を握り、持ち上げて指先にキスを落とした。


「右手は、使えないから」


 唖然とする私に、そう言って見つめてきた。

 甘すぎる視線と握られた手の指先に感じた陽の唇の感触に、一瞬で顔に熱が上がってきた。

『・・・使えないから、ナニ、 なんなのぉー。そんな訴えるような目で見ないでぇー。いったい、何がどーしちゃったの? 陽』

 クリスマスイブの時は、お見合いが原因でモード発動だったけど、今日はぜんぜん原因が思いあたらない。

 少し離れようとお尻をズラすと、ズイッと迫られ、手を離そうと引いたら、逆にギュッと強く握られた。


「ハッ、ハル?」

「ん?」


 キョドって、声が上ずった。

 陽の顔との距離が、

『 ッ、近過ぎっ』

 箸でつまんでいた生麩のブルーチーズ焼を2人の間に、パッと割り入れ、


「はい、どうぞっ」


 陽の口に押し当てた。

 条件反射のように開いた口に、生麩のブルーチーズ焼を放り込んだ。


「・・・美味しい、でしょ?」

「・・・あぁ、美味いな」


 誤魔化す様にワザと明るく言うと、陽は、苦笑いなのか、低く笑いだした。

『あぁぁぁぁっぶなー』

 心臓は、ドッキンバックンの大騒ぎだ。


 ここは、陽が連れて来てくれた創作和食の店。

 町家をリノベーションした店で、靴を脱いで上がり、案内された掘りごたつ式のカウンター席に座ると、竹や松、紅葉などが植えられた中庭が見えた。

 和風でお洒落な店内は、カップルが多く、席間も広くとられているので、それ程周りは気にならない空間となっている。

 けれど、いくら陽が好きでも、ここでイチャつくなんて、自分の羞恥心から無理、出来ない。

 とりあえずここは、食べることに専念しようと、そう思った。


「陽、これはどう?」


 タコの旨煮を取り皿に分けてみたけど、一向に手を離す気配がないので、箸でつまんで食べさせてあげた。


「うん、イケる。味がよく染みてる」

「へー、じゃ、私も」


 陽の言葉に触発されて、パクリと食べた。

 小ぶりだけれど弾力のあるタコ足は、噛むたびに旨味が口の中に広がって、お酒が欲しくなってくる。

 升に残り少なくなった日本酒を名残惜しく思いながら、木の香りと一緒に飲み干した。


「あぁ、タコに合うー。このお酒、樽の香りがいいよねー。口当たりもいいし、いくらでも飲めそう」

「貰ってこようか」

「えっ、これ、1人1杯じゃないの?」

「何杯もは、ダメだと思うけど。2、3杯くらいいいんじゃないかな」


 飲み干した升を眺めて思案していると店員が気づいて、お持ちしましょうか、と声をかけてきてくれた。

 もちろん返事は、YES、ニコニコ顔で頷いた。


 店に来た時、お正月ということで、無料で樽酒が振舞われていた。

 あまりに粋な計らいにテンションが一気に上がって、突き出しと共に半分くらいはスイスイと飲んでしまった。

 でも、追加が貰えるとは思っていなかった。

『知っていればもっと飲んで、もっと貰ったのに、って、何杯もダメよねー。3杯?4杯くらいはセーフかな』

 陽に言われたのに、もっと貰おうと考えてる自分が、卑しいなぁ、と思いつつも、そこは本当だから仕方がない。


「生ビールはどうする? 頼もうか?」


 と陽が聞いてきた。

 こういうところは、ホント、ブレないなぁ、と嬉しく思う。


「生ビール。うーん、飲みたいなぁ。でも、欲張り過ぎかな?」

「ハハ、いいよ。升酒、持ってきたら、頼むよ」

「うん」

「食べる物も、他に頼む?」

「あ、頼みたいのがあって」


 升酒を飲んだ時から、是非頼みたいって思っていたのがあった。


「干物七輪焼だろ」

「そうそ、それそれ。お酒に絶対、合うと思うの」

「さっき、メニューをスッゲー見てたもんな」


 可笑しそうに笑う陽。

 クシャッと笑う、その素敵な笑顔を間近で見れる、この幸せ。

『陽の笑った顔、大好き』

 そう思ったら、胸があったかい気持ちでいっぱいになった。

 意地悪モードも薄れたのか、普段のまんまの陽に、やっとホントの二人っきりのデートなんだと、実感してきた。

 升酒が届き、グラスを合わせるように升を合わせて、再び乾杯した。

 ギリギリに注がれた日本酒を零さない様にすすり飲んだけれど、グラスと違って升は厚みがあるので、少し伝い漏れてしまった。


「あーん、勿体なーい。こぼれちゃった」


 手についた日本酒を見ていると、また卑しい心が顔を出してきて、

『舐めちゃおっかな』

 と思っていたら、横からぺろりと舐められた。

『 ッ ‼ 』

 一瞬の出来事に、硬直してしまった。

『・・・今・・・ 舐め、られた?』

 陽は、またあの少し意地悪な笑みを浮かべて、


「舐めて欲しいって思っただろ」


 などと言ってきた。

『いーえいえいえ、自分で舐めようかと思いはしたけど、舐めて欲しいとは、ぜんっぜん思ってません』

 アワアワして上手く気持ちを伝えられずにいたら、再び、舐めようとするから、


「ダメッ」


 パッと手を引っ込めた。

 今、絶対、顔が赤いと思う。

 だって、すごく熱いから。

 そんな私の顔を見て、陽は可笑しそうに笑い出した。


「もう、もう、もう~、陽ぅ~」


 地団駄を踏む子供みたいに、両腕をジタバタさせたら陽が、


「可愛いな」


 と耳元で囁やいてきた。

 バッと、耳を押さえて陽を見ると、陽はまた少し意地悪な笑みを浮かべていた。

 ぜんぜん意地悪モードは解除されてなかった。

 さっきより赤くなっているであろう自分の顔を思うと、恥ずかしさから陽を恨めしく見返した。

 でも、ぜんぜん堪えてない、というより、すごく楽しそうに見える。

 そんな陽に文句を言おうと思ったけれど、私の頬を優しく撫でるように触れてくるから、結局何も言えなくなってしまった。

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