第28話 またまた一難
『あぁ、よかったー。何もなかったぁ』
1階へ降りるエレベーターの中で、心底ホッとして胸に手をあてた。
いつもは定時あがりだけど、なかなか仕事が片付かなくて遅くなってしまった。
というか、自分の気持ち的に、あえてスピードを落としていた感は否めないけど。
更衣室に入る時、結構な気合を入れてドアを開けたけど、着替えていたのは数人だけで、近藤さんや岡田さん、一番問題の阿部さんは待ち構えていなかった。
他の人に、風くんのことを聞かれたり言われたりするのかと思ったけれど、それもなく、拍子抜けするくらい普通だった。
『唯ちゃんが言ってたように、仕事絡みだったし、話はそれほど大きくならなかったのかもしれないな』
1階に到着した音と共にドアが開き、乗っていた数人がエレベーターホールに流れ出て、その後に続いて降りた。
一瞬また、風くんと遭遇しないかと緊張したけれど、思えば、先方へ向かって直帰だったから、会うはずがない。
『ホント、ここんとこ色々あり過ぎて、気にし過ぎだわ。そーだ、久しぶりに梅野に寄って帰ろう。出し巻き、食べよう。うーん、うんうん、そうしよーっと』
「木村さん、お疲れ様です」
ふわふわのダシが滴る出し巻きを想像して、1人ニンマリしていると、声をかけられた反射そのままに顔を向けた。
「ゲッ」
思いきり気が抜けていたので、きっと、とんでもなく腑抜けた顔をしていたと思う。
しかも、声の主が、一番会いたくない阿部さんだったから、つい気持ちが声になって出てしまった。
阿部さんは、私と目が合うと、可愛らしい小動物のような素早い動きで傍まで来た。
「ヘンな顔して、どうしたんですか?」
「・・・別に」
「さっき、ゲッって言いましたよね」
「・・・ゲホッ、ゲホゲホ、咳が出たのよ、咳が」
「ま、いいですけど」
苦し紛れに、ワザと咳をゴホゴホとしていると、阿部さんはエレベーターホールを抜けて外へと歩き出した。
黙って見送っていると、
「帰らないんですか?」
促す様に聞いてきた。
「帰るけど・・・」
そう言って後に続いた。
『このシチュエーションって、一緒に帰るっぽくなってない?』
そう思っても、口に出していいモノかどうか、微妙な感じだ。
『今日は無事に済んだと思っていたのに。最後の最後で、何なのコレ』
溜息が零れ出そうなほど重い気持ちでついて歩くと、阿部さんは近くの駅へは向かわず、商店街のある方へと歩いていく。
流石に、昨日の今日で、この意味するところが何なのか、嫌でも気がつく。
『やっぱ、見られてた?それか、誰かから聞いた?でも、決め付けて墓穴掘ったらイヤだしな~』
これもまた口に出していいモノか微妙なまま、先を行く阿部さんを見た。
彼女らしいフードにファーのついた白いロングコートに、ティファニーのトートバッグと、細身の薄茶のロングブーツというお嬢様風な素敵な出立に、見惚れてしまいそうになって、首を振った。
『どうもダメだわ、今日は。疲れてかなり思考回路がおかしくなってる。やっぱり、早く帰ろう』
「このバッグ。昨日、お兄ちゃんに、クリスマスプレゼントに買ってもらったんです」
後ろから声をかけようとしたら、阿部さんが振り向いて、可愛い笑顔でバッグを顔の近くまで持ち上げて言ってきた。
「お兄ちゃん?」
馬鹿みたいにオウム返しになった。
『聞いてもいないのに話す意味はなんなんだろう。実は、見られた、と思っていたけど、こっちが知らず知らずに見ちゃってた、ってオチだったりするのかな。となると、お兄ちゃん、ってどういうお兄ちゃんなんだろう』
ぐるぐると思いを巡らして、訝しむように阿部さんを見ると、
「本当の私の、兄です」
少しムッとしたように、言い返してきた。
「あ、そうよねー。ごめーん、いろんな想像が巡っちゃって・・・、あっ、アハハハハ」
言い間違えたーっ。
「別にいいですよ」
呆れたように、息を吐かれた。
「ごめんねー、悪気はないんだけど、」
「いいですから。行きましょう」
「どこへ?」
「帰るんじゃないんですか?」
「・・・ハイ、そうです」
『なんか、分かんないけど、形勢逆転された感じがするんだけどーっ』
気持ちを立て直して、阿部さんの隣に並んだ。
昨日と同じく、商店街は沢山の人でごった返していた。
「お兄さんからクリスマスプレゼントって、兄妹、仲がイイのね」
「フツウです」
「でも、ブランドのバッグを買ってくれるなんて、そうないと思うよ」
「5歳上なんで、歳が離れているからじゃないですか」
「そう・・・」
会話が続かない。
こっちが年上なんだけど、なんなんだろう、この力関係の格差は。
盗み見るように隣を見た。
いつもはニコニコとして感じよさそうなのに、今は表情がない。
『まぁ、私に愛想振りまいても仕方ないとは思うけど、その無表情って、どうなんでしょうかね。大体、誘ってきたのは、そっちなんですけどっ』
意気地のない私は、心の中で言ってみた。
どんな理由で誘ってきたのかなんて、もう、どーでもよくなってきた。
早いとこ別れて、梅野に行こうと思っていると、
「そこの百貨店から、お兄ちゃ・・・、兄と出てきた時に、木村さんと、大智くんを見かけたんです」
うわー!いきなり核心、キターーー。
やっぱり、見られてた方だったのね。
「えーっと、それは、ほら、そう偶然、偶然ね、一緒になって帰ってただけで。あ、その前に今回の仕事の処理のことで話をしてて、」
「木村さんは、どうしてそんなに大智くんと仲がいいんですか?」
あたふたと言い訳を並べ立てていると、阿部さんが真顔で聞いてきた。
「どうしてって・・・、仲良くなったのは最近だよ」
「やっぱり、仕事での接点が仲良くなるコツですか?」
「いやぁ・・・、それは違うと、」
「じゃぁ、どうしてですか?」
あまりにも真剣な顔で訴えてくるから、一歩引いてしまった。
前に風くんの、イケメンの怒った真剣な顔が迫力あり過ぎて怖かったけど、美人も同じだと今、身に染みて感じた。
「すごく自然だった。大智くんの顔、私と話す時とぜんぜん違ってた」
ドンッ
下がり過ぎて、後ろの人にぶつかってしまった。
「ってーな、危ないじゃないかっ」
「 「 あ 」 」
驚いて振り向き、後ろの人と目が合った瞬間、互いに声がハモった。
よろめいて立っていたのは、昨日会ったばかりの豊三おじさんだった。
「豊三おじさんっ。ごめんなさい、大丈夫ですか?」
慌てて言うと、
「おう、木村の嬢ちゃんじゃねーか。こんな往来で、なんだ、またケンカか?」
「違いますよー」
「こりゃまた、ベッピンさんだ。嬢ちゃんの知り合いは、キレイどころばっかりだなぁ」
返事を返す私よりも、阿部さんをみて豊三おじさんは言った。
ここで風くんの存在を言われるとヤバいので、アハハハ、と笑って誤魔化し、
「ごめんね、豊三おじさん。またお店に伺うから、今日は、」
帰るね、と言う前に、
「これから店に飲みに行くんだ。一緒に行かねーか」
と、豊三おじさんが言い出した。
目はもう、阿部さんしか見ていない。
てか、阿部さんを誘ってる。
『私はどーでもいいんかいっ』
そう思いつつも、マズい展開に頭が痛くなった。
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