第24話 乾杯のビール ー大智ー
あれから、陽とは話をしていない。
年末に向けて仕事が立て込んでいたから、時間がなかったのもあるが。
木村さんとも、接触注意事項を続けているから、仕事以外で話す機会もないままだ。
こないだの日曜日は、クリスマスだったから、きっと2人で会っていたんだろう。
『どんなクリスマスを迎えたんだろう。陽のことだから、またハリキッて有名ホテルとかで食事かな』
クスリと笑える反面、イブは土曜日だったから、泊まりもアリかもしれない、と思うと胸かモヤッとした。
こんな自分に、舌打ちが出そうになるのを我慢した。
ここは会社のエレベーター内。誰かに聞かれて、要らぬ噂になりかねない。
1階に着くと一斉に人が降り、他のエレベーターからも人が吐き出されるように降りて来た。
フロアから外へ流れる人の中に、見知った後ろ姿を見つけて、
「木村さんっ」
反射的に声をかけてしまった。振り向く彼女の顔が、俺を見た瞬間、雲った。
「風くん。お疲れさまです」
困った顔で周りを気にする彼女に、少しイラッとした。
「お疲れさま。今日、最後に渡した伝票なんだけど」
「はい、なにか不備がありましたか?」
仕事の話をすると、真顔になって聞き返してきた。
話しかけながら歩く俺に、彼女もついて歩いてきた。
「それが、先方から追加依頼があったんだ」
「はい」
「今回の分と追加分、一つにまとめたいらしくて」「はい」
ビルを出て、駅に向かう道から逸れて、ビルとビルの間の路地に入って振り向いた。
「一旦、保留にして欲しいそうだよ」
「わかりました。じゃぁ、止めておきますね」
「うん、そうして」
「あの、風くん? ・・・わざと?」
「さぁ、どうかな」
さっきまでの余所余所しい態度と違う、素の彼女の反応に嬉しくなって、笑顔で答えた。
「どうかなって。誰に見られてるか、分かんないのにー」
膨れた顔が面白くて、また笑ってしまった。
と、こちらに歩いてくる人影が見えて、彼女の腕を掴んで足早に歩いた。
「どこいくのよ。駅はあっち」
「商店街、通って帰ろうぜ」
「えー、遠っ」
「どのみち乗り換えるなら同じたろ」
「そーだけど」
不満気だったけど、そのまま一緒に歩いて、路地を抜けて、商店街の雑踏に加わった。
路線が集まる乗り換えの駅まで、駅2つ分にあたる長さの商店街が続いている。
結構な距離があるけれど、俺は、たまに駅まで歩く。
仕事で疲れたり、人間関係に疲れたりした時は、何も考えずにここを歩くと気分が紛れるからだ。
時折、新しい店を開拓したり、馴染みの店に顔をだしたりするのも楽しい。
もうすぐ年末だからか、商店街はいつにも増して人が多く、はぐれないように彼女の隣を歩く。
「すごい人ねー」
「もうすぐ年末だし、明ければすぐ正月だもんな」
「そうよねー。1年なんて、あっという間。年を取ると、過ぎる時間が速くなりすぎて怖いよね~」
「いやに感慨深いじゃん」
「こないださー、お店でポイントカード出して下さいって言われて出したら、期限が過ぎてるので更新しますって言われたんだけどね。
少し前にやって貰ったよ、って言ったら、1年更新ですのでって言われたのよ。
もう1年たったの?ってビックリして、自分で自分がコワッて思ったの」
「アハハハハ、マジで。ナイわー」
「いーや、すぐ来るから、そういう時。って、私より年上でしょ、風くん。あるでしょ、そういう時」
また、ぷっと膨れて、横向く彼女の頬に指を持っていった。
気配を察して、顔を戻した彼女の頬に指が、ぷにっと刺さった。
「風くんっ」
「あはは、ごめん、ごめん」
見事、悪戯成功!
だけど、彼女との顔の距離が意外に近くて、慌てて離れた。
彼女は気にしていなかったけれど、俺自身が引いた。
「なによー、成功したからって」
「いや、・・・すまない」
「なーに?エラくしおらしいじゃない。いつもは威勢がいいのに」
「そんなこと、ない」
「あるよー。上からっていうか、俺様って感じでさー」
あはは、と笑う彼女にムッとしながらも、俺のキャラを受け入れて、受け流す木村さんに、何故か気持ちが和らいだ。
「どうしたの?急に黙り込んじゃって。俺様って言ったの、怒ってるの?」
「怒ってないよ」
『おい、待て待て、おかしいだろ、俺。ナニ、和んでんだ。木村さんは、同僚で、同じ部署のアシスタントだろ。ただ、それだけだ』
自問自答していると、下から顔を覗き込むように見上げてきた。
「えー、ホントかなぁ~。図星さされたって思ってんじゃないの~」
「やめろよ」
近い距離に、俺が手で制すと、彼女がますますジッと見上げてきた。
「やめろって」
「ごっめーん。ついさ、観賞根性が出ちゃったわ」
「は?」
「いえいえ、気にしないで、気にしないでねー。
にしても、風くんのこんな顔、珍しいねー」
「こんな顔?」
「えっ、ほらー、いつも自信満々だもーん」
「気になる言い回し、すんなよ」
「アハハ、恥ずかしがってる風くんって、すっごいレアだからね」
また、笑われた。
すっかり彼女の言動に翻弄されてしまっている。
とはいえ、笑う彼女を見ているのは、悪い気はしない。
『きっと陽も、彼女のこういうところが好きなんだろうな。肩肘張らない自然なところ、って好きは好きでも、俺の場合はそういう好きじゃく・・・・・自分に言い訳してどうする。
はぁ~、ぶっちゃけ、気になってんのんは、ホントだな。でも、付き合いたいとかじゃない。
陽の彼女、そういう目線での好き、だな。
陽に、ヘンに釘を刺されたせいかなぁ。気負い過ぎてんな』
「俺と一緒にいるのを人に見られちゃマズいんだろ。こんなことしてていーの?」
「うっ、反撃に出たわね。楽しくてすっ飛んでたけど、ホント、そーよね」
「じゃ、マズいついでに、付き合ってよ」
「えー、やだー」
急に真顔になって周りを気にし出すから、ポンと背中を軽く叩いて誘ったら、嫌そうな顔で断られた。
その顔が、本当に嫌そうで笑えてきた。
腕を掴んで、雑踏から抜けて、路地に入る。
「ちょっと、ちょっとー、聞いてる?」
「聞いてるよ。すぐそこ、だからさ」
角を1つ曲がった先にあるビルの1階。
人が出てくるのが見えた。
「居酒屋?」
「立ち飲み屋」
「へぇ、私、初めてかも」
「安いし、おでんが上手いよ」
「あ、いわゆる、せんべろってやつ?」
「まぁ、そんな感じかな」
「へー」
暖簾をくぐると、縦長の小さな店内、奥まで伸びたカウンターの前に、6人ほど人が立っていた。
「いらっしゃい」
店主にカウンターを挟んだ厨房から声をかけられ、中程に空いていた隙間を指さされたので、奥へと進み、その隙間に陣取って立った。
カウンターの目の前にある、おでん鍋からダシのいい香りがして、食欲をそそってくる。
「美味しそう。食欲そそっちゃう」
「だろ」
同じ感想に、小気味好く合図地を打った。
木村さんは、物珍しそうに店内を見回して、
「おでん1つ、90円。安っ」
と、驚いた顔で感想をもらすから、噴き出しそうになってしまった。
「ナニ飲む?」
「やっぱり、最初はビールでしょ」
「オッケー」
この店は老齢の店主1人で切り盛りしているから、飲み物は全部セルフだ。
一番奥のサーバーに向かい、伝票に名前を書いて、ジョッキに生ビールを注ぐ。
1つ目を注ぎ終わり、2つ目を注いでいると、客が手渡しリレーのように木村さんに運んでくれた。
お礼を言うと、2つ目も手渡しリレーしてくれた。
「すっごーい、生ビールが、お客さんから運ばれてきたよ」
「ここの飲み物は、セルフなんだ。狭いし、手に持って移動するのはキケンだろ。だから、自然とお客同士で協力するようになったんだ」
「へー、なんか、いいね、そういうの」
「じゃ、カンパイ」
軽くジョッキを合わせて、グイッと飲んだ。
意外に喉が渇いていたようで、ぐいぐい飲んでしまう。
「んー、美味し。やっぱ、最初に飲むビールってサイコー」
感想と一緒に置かれたジョッキの中が、俺と同じくらい減っていて、それが何故か可笑しくて笑えた。
「なーに?」
「いや、ホント、木村さんって会社にいる時とギャップあるなぁ」
「会社じゃ、目立たないのがモットーだからね。
風くんだって、同じでしょ。こないだ言ってたし」
「まー、そーだけど」
「大抵、そんな感じじゃないかなぁ。会社で自分をさらけ出す人なんて、いないでしょ」
「じゃぁ、木村さんは今、俺の前で、さらけ出してるの?」
「・・・・・」
急に黙り込んでだので、焦った。
『俺、ヘンなこと言ったか?・・・いや、考えたら、さらけ出すとかナイな、ナイよな。ヘンな意味じゃないけど。何言ってんだ、俺』
「うーん、そう、かな・・・わかんない」
「えっ」
「ある意味、さらけ出せているかも?だって、陽の前では、ぜんぜんだもん。
でも、風くんの前ならって考えたら、多少あるかもしれない」
「そう、なんだ」
『考えてただけなんかーい。でも、俺の前ではアリってどういう意味だ?』
こっちの気も知らないで、まだ喋ってる。
「陽の事がキッカケで最近は、普通に話すようになったし、そう思えば多少なりともって思うけど。
でもさー、どこまでって考えない?
全部出しちゃったらさ、すっごいラクはラクだけど、相手にそれを受け入れてもらえない場合もあるワケでしょ。
そう思うと、安易にさらけ出すのは怖いよねー。
やっぱり、陽にはよく思われたいもん。ずっと好きでいてもらいたい。
逆にアレかなぁ、ちょっと謎みたいなところがあった方が、興味を持ってもらえるとか。ね、どう思う?」
『ナニ、聞かされてんだ? 結局のところ、俺はどーでもいい、ってことだよなぁ』
アホらし。
話、変えよう。
「ナニ食べる?」
「わー、いきなり無視?」
「そういうのは、陽に言ってくれ」
「言えるワケないじゃない」
「メニューは、壁に貼ってある」
「もーーーっ、・・・おでん、食べたいです」
「だな。すみません、大根とはんぺんと牛すじ、お願いします」
「えーっと、私は・・・大根とコンニャク、それと卵、お願いしまーす」
木村さんは納得いかない感じだったけど、軽く手を上げて注文したら、彼女も続けて注文を口にした。
おでん鍋から、すくい上げられた大根やコンニャクが旨そうな湯気をあげて、それぞれ皿にのせられ、皿の縁にねり辛子を添えられて出てきた。
「わー、いい匂―い。いっただっきまーす。
うーん、うん、うん」
美味そうに食べる彼女につられて、柔らかくダシをすった大根に箸をつけると、スッと切れた。
口に入れると、あっさりしたダシが口の中に広がり、噛むとじんわりと滲み出してきた。
「うまっ」
「うん、ホント。コンニャクもイケるよー」
こんにゃくに噛り付いている彼女を見て、本当に俺には、彼女の言うある意味さらけ出している、なんだなと思うと、嬉しいような悲しいような複雑な心境になった。
『陽の前じゃ、噛り付くなんて、やってないんだろうなぁ』
「そういや、クリスマスはどうしたんだ? 陽とホテルで食事か?」
「うん、そうなのー。ロイヤルホテルの上の鉄板焼に行ってきたよ」
自分の読みが当たり過ぎて、苦笑してしまった。
「そこで、プレゼント貰ったんだろ」
「ううん、プレゼントは土曜日に一緒に買いに行ったの。これ、このマフラー買ってもらっちゃった」
首に下げたマフラーを掴んで、彼女が言った。
『一緒に買いに行くなんて、珍しいな。事前に買って、てっきり食事の後にでも、渡してると思ったのに』
「私が提案したの。その日は中華に連れてってくれて。そこのさー、紹興酒につけたエビがあったんだけど、めっちゃくちゃ美味しくて、プリプリのトロットロ、だったのよー」
「酔っ払い海老、だろ」
「はー、流石はハルちゃんキラー、よくご存じで」
「んだよ、それ」
「うふふ、いいネーミングだと思うけど」
「じゃ、土曜はホテルに泊まったんだ、2人で」
「ううん」
これもまた意外な答えに驚いた。
『イブとクリスマスが土日だったら、普通泊まりとかアリじゃねーの? あ、そうか、ホテルが空いてなかったって、オチかな』
「ホテルは、そのー、別の用事があって、その後にステーキ食べに行ったの」
「用事って?」
「えっ、えーっと、ウチのお母さんが来ててね。
一緒にお茶してたの」
「えぇ! 親に紹介したのかよっ」
「じゃなくて。えーー、お母さんのね、お友達と息子さんが一緒に来てて、4人でのお茶会だったの」
「・・・・・・それって、」
一瞬、言葉を理解するのに時間がかかってしまった。
木村さんと母親、その友達と息子。
シチュエーションを想像して、頭がカッとなるのが分かった。
「ワーー、怒んないで、怒んないでよーっ」
「どういうことだっ」
「だ、だからね。お母さんに、勝手にお膳立てされてて、でも、ちゃんと断ったっていうか、うーん、正確にはなくなったっていうのかな」
歯切れの悪い言い方に、怒りが大きくなった。
『やっぱりだ。やっぱり、女なんてこんな奴なんだ。陽の為にも見極めてやろうと思っていたのに、俺の方が懐柔されてちゃ、意味ねーだろ』
「陽と付き合ってるのに、見合いをしたってことだろ」
「いや・・・それはそうなんだけど」
「俺、帰るわ」
「ちょっと、待って。最後まで話を聞いてっ。
陽も、知ってることだからっ」
大きくなった声が店内に響き、ハッとなって周りを見ると、誰も彼もがこっちを見ていた。
狭い店内だ、内容は筒抜けだろう。
「・・・あの、ビ、ビール、おかわり、頂き、ますね」
「いーよ、いーよ。こっちで入れるから、嬢ちゃんは待ってな」
顔をひきつらせながら、入れに行こうとする木村さんに、カウンター端にいた男性が声をあげた。
隣にいた男性、その隣と、周りにいた店内の人達からも、声が上がった。
「よく分からんが、よーく話し合ったほうがいいぞ」
「喧嘩も大事だが、最後は仲直りしろよ。喧嘩別れは、良くない。仲直りしづらくなる」
「それは、お前さんのことだろう」
「まーた、奥さんと喧嘩してきたのか?」
「違うわっ」
「でもよ、口は災いの元、と言うけど、話合いできるのも口だからな」
「なんだそりゃ」
「いいこと言っただろう」
口々に言い合って、最後はアハハハハ、と笑いに変わった。
手渡しリレーで生ビールが到着し、ジョッキを手にすると、
「 「 「 「 カンパーイ 」 」 」 」
お客みんなが、一斉に乾杯し出した。
ガチャガチャと、ジョッキのカチ合う音が鳴り響く。
隣の人も、その隣の人も、誰もがジョッキを合わせてきて、互いにもジョッキを合わせていた。
勢いに飲まれて、木村さんともジョッキを合わせると、顔を見合わせて、クスリと苦笑った。
飲んだ生ビールの味が、いやにほろ苦く感じられた。
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