第20話 クリスマスプレゼントと憂う心 ―陽―
「これなんか、どう?」
「んー、派手じゃない?」
「そうかな。オレンジ、似合うと思うけど」
「普段使いしたいから、もう少し落ち着いた感じがいいな」
「通勤に?」
「うん。毎日使えるといいなって思って。陽・・・からのプレゼントだから」
『うぉっ、可愛すぎるっ!』
棚に並ぶマフラーを見ながら、頬を赤くする桜子にドギュンときた。
「陽?」
首を傾げ、俺を見上げる、その仕草もヤバすぎる。
またまた、ドギュンときた。
『今日1日、モツかな、俺』
「あっちも見よう」
「うん」
桜子の手を握って、たくさんの人をかき分けながら、足を進めた。
今日は、クリスマスイブ。
土曜日とあって百貨店はすごい人だ。
お互いへのクリスマスプレゼント、桜子にはマフラー、俺には手袋を買いにやってきた。
本音をいえば、食事の後にカッコよくプレゼントを渡すというシチュエーションを考えていたが、桜子の好みのリサーチ不足で、何にするか決めかねていた。
それが、
『一緒に選んだ方が、きっと楽しいよ』
と、桜子の一言で、今日一緒に買いに行くことになった。
学生のような年若いカップルみたいで、でも確かに一緒に選んで歩くのはスゴく楽しい。
「私のは後にして、先に・・・陽、のを見に行く?」
「気に入るの、なかった? 他の店、行こっか」
「ううん。・・・陽、のを見に行こうよ」
「桜子」
「なに?」
『あー、その顔、マジでカワイイ!』
俺を見上げる、桜子を見返した。
黒真珠のような大きな瞳に、触り心地のよさそうな、ふっくらとしたピンク色の頬。
ドンッと後ろから押されて、ハッとした。
「大丈夫? ハルちゃん」
「あぁ」
「あっ、ゴメッ・・・」
名前を呼ぶ時にヘンな間があるなっと思っていたが、口を押えて謝る桜子を見て、納得した。
「名前、呼びにくい?」
「違うの。そうじゃなくって、その・・・まだ、恥ずかしくって」
『やばっ』
片手で頬を押さえる桜子を見て、ドギュン、どころか、ハートが持ってかれそうになった。
『いや、間違いなく、持ってかれたな、今』
繋ぐ手に力がこもった。
すると呼応するように、桜子も手を握り返してきた。
『あー、大丈夫か、俺。人が多くて良かったー。自制心、崩れかけた』
「ムリして呼ばなくて、いいよ。前のままでも、いいから」
正直、陽、だろうが、ハルちゃん、だろうが、もうどっちでもいい。
あの時は、つまらない意地を張って、あー言ったけど、彼女が呼ぶ俺の名前はいつも特別で、呼び方なんて、どうでもいいんだ。
「ううん、ちゃんと呼ぶ。私が、呼びたいの。陽、って」
頬を赤くしたまま話す彼女の手に、ギュッと力がこもった。
『あー、俺、マジ、自身なくなってきたなー』
雑踏に押され、どさくさ紛れに繋いだ手を引っ張って桜子の頭に、自身の頭をコツンと押し当てた。
「なーに?」
「紳士服の階に移動しよっか」
「うん」
少し驚いたように見上げる桜子に笑みを返し、歩き出した。
「いいの、買ってもらっちゃった。ありがとー」
包装された袋からマフラーを出して、嬉しそうに桜子が笑った。
「もう少し大きい方がよかったんじゃないのか?」
「ううん、毎日使うなら、この大きさが丁度いいよ」
グレー地に黒、ピンク、白の大小四画の模様が折り重なっている、シックなマフラー。
俺的には、クリーム色の網目が大きな大判サイズがいいと思ったけど、桜子は普段使いには向かない、と言った。
「やたら、普段使いに、こだわるんだな。今、使ってるのがダメなのか?」
「そんなことないよ、気に入ってるよ。ただ・・・これは陽がくれた物だから、毎日使えば、いつも一緒にいるみたいに思えるでしょ」
「お待たせしました。いつもありがとうございます」
店員が前菜盛り合わせと、生ビールを持ってきた。
ここは、会社近くにある中国酒楼。
長いカウンターに、外にはテラス席もある、明るくて開放感のある店だ。
店内の所々に大きな観葉植物が置かれていて、会社でも、女子社員から人気のレストランだ。
「前菜5種盛、お持ちしました。お2人分、ご一緒に盛らせて頂いてます。右から、中華クラゲ、蒸し鶏のサラダ、牛赤肉のジェノベーゼソースかけ、ザーサイに、酔っ払い海老、となっております。ごゆっくり、どうぞ」
店員が前菜の説明をしている間も、俺は固まったまま動けずにいた。
『なんっってこと、言うんだよ。知ってか?知って言ってるのか? てか、エビに釘付けだな。
素直なようで、頑なだったり、大胆なこと言ってみたり。 ハァ~、どっちにしても、すっかり心酔しちゃってんなー、俺』
「ね、ね、このエビ、スゴクない?」
こっちの気も知らずに、桜子が聞いてきた。
「ここの名物だからね」
「すっごい、大きい」
「大ぶりのエビを、生のまま紹興酒に漬け込んでるんだ。エビが甘くて、頭の味噌がまた絶品なんだ」
「うわ、そそられるっ」
「んじゃ、まずは、カンパイ」
コンッと、グラスがいい音をたてた。
冬とはいえ、百貨店は沢山の人の熱気でごった返していて、その中を歩き回っていたから喉が渇いていた。
冷たくて苦いビールが、心地よく喉にきた。
「あー、美味し。スルスル入ってくー」
「同感。ハハ、もう一個、頼んどく?」
「うんって言いたいとこだけどね。まずは、エビ、食べたい」
「おー、いっちゃって、いっちゃって」
美味しいそうにビールを飲んだ後、エビを見ながらお箸を握る桜子が可愛い。
すぐにエビを取って、小皿に取り分けた。
「ありがとー。じゃ、早速」
頭を取り、殻を取って、半透明なとろりとした身をパクッと一口。
大ぶりなエビだから、食べ応え充分といった感じだ。
「んーん、んー、うん、うん」
「アハハ! 言葉になってないよ」
「言葉になんないくらい美味しー。とろとろで、めっちゃ甘―」
「一個づつ単品で頼めるから、また後で頼もうか」
「うん! この味噌も美味しー。紹興酒の味がする。この頭、丸ごと食べたくなっちゃうね」
シャラララララララ~、シャラララララララ~
と、ハープのような携帯の着信音が聞こえてきた。
「あ、ごめん。バイブにし忘れてた。あ・・・」
カバンから携帯を出して音を消すと、画面を見て桜子が言葉を切った。
「誰?」
「・・・・・お母さん」
「えっ、早く出ないと」
そう言っている間に切れた。
「かけ直したら?」
「ううん、いいよ」
「急用じゃないか?」
「違うと思う」
と、桜子が握る携帯が再び振動し出し、画面を見て嫌そうな顔をした。
「悠斗だ」
「やっぱり、急用だろ」
「うーん・・・ごめん、ちょっと、待ってて」
そう言って、桜子は外へ出て行った。
家族から立て続けに電話とは、ただ事ではないかもしれない。
前に見た弟くんの顔を思い出し、その流れで、大智の顔が浮かんできた。
『会社の同僚、同じ部署、アシスタント、それ以外に何もない』
大智は、そう言った。
わかった、と答えたけど、俺は信じきれないでいる。
どうしても、あの情景が忘れられないんだ。
女性に対して嫌悪感を露わにする大智が、あの時、桜子にはあまりにも普通だった。
そうだ、大智を疑うというより、気になったんだ。
これから、起こるかもしれない心の機微に。
『いくら考えたところで、どうすることも出来ないのは、分かってんだけどな』
ふと、桜子自身は、あの時どう感じていたんだろう、と疑念が沸いた。
『俺に対する気持ちに変わりは、感じられないけど』
桜子の姿を求めて、入口のガラス戸を見たら、白いものがチラチラと見えた。
『雪? やっぱり、何かあったのかもしれない』
気になって立ち上がり、店員に声をかけて、桜子の様子を見に外に出た。
「明日、10時にロイヤルホテルに来なさいよ」
ガラス戸を開けると同時に声が聞こえた。
声の方を見ると、入口横に置かれたアレカヤシに隠れるように桜子が立っていた。
携帯のスピーカーで話しているようで、声が聞こえてくる。
「だから、行かないって、言ってるじゃん」
「何言ってんの。もう30歳にもなるのに、これからのこと、きちんと考えなさい」
「まだ、29だもん」
「明日には30でしょ」
「・・・・」
「相手のヤツ、めっちゃイケメンだぜ、サーコ」
「うるさい、悠斗」
「兎に角、明日、ホテルに来なさい」
「行かないって。もう、切るよ。人、待たせてるんだから」
「桜子、まっ」
相手の声が途切れた。
桜子は寒そうに携帯を握る手をさすると、俺の存在に気が付いて顔を上げた。
「あっ、ハルちゃん。ごめん、ちょっと、長引いちゃって・・・」
「中に入ろう。冷えただろう」
微妙な空気が流れ、近づいて、ひんやりとした肩に触れた。
俺を見上げる顔に、憂いを感じた。
『その顔は、俺に? それとも』
ついさっきまでの暖かな楽しい気分は、一瞬で雪交じりの冷たい風に去らわれてしまった。
「ホンット、ごめん、ごめんね」
「いいよ。お母さん、大丈夫だった?」
席に戻り、頭を下げる桜子に、にこやかに笑みを向けた。
『今、上手く笑えてるかな』
頭の中では、さっき聞いた会話の内容について、ずっと考えている。
「うん」
「明日・・・、お母さんと、ホテルで会うの?」
「えっ、う・・・うん、まぁ」
話していた言葉の端々から、おおよその予想がつく。
明日、ホテルで親と、誰かに会う。
もちろん、相手は男性。
となれば、十中八九、見合いか、それに近いものだろう。
だから敢えて、核心を突くように聞いた。
「じゃぁ、俺も行こうかな」
「えっ!」
「付き合ってるんだし、親御さんにちゃんと挨拶しておきたいしね」
「・・・そ、んな、気にしてもらわなくても・・・」
明らかに動揺している桜子。
そんな彼女を、冷たく冷静に見ている自分がいる。
でも、心に渦巻くのは、仄暗く熱い感情。
「どうして? 俺は桜子の、彼氏だろ」
ワザと低めの声で、語尾を強めて言った。
テーブルの上にある彼女の手に、ゆっくりと指を絡めると、ビックと引っこめそうになったのを、離さないとばかりにギュッと握った。
「弟くんは、一緒? それとも他に」
「ハルちゃんっ」
遮るように、桜子が俺の名前を呼んだ。
真っ直ぐに俺を見るその目が潤んでいる。
『やり過ぎた!』
そう思っても、今更だ。
「聞こえてたんだよね、さっきの電話。でもね、私、ちゃんとするから。だから、心配しないで待ってて。私が好きなのは、ハルちゃんだから」
『あぁ、適わないな』
彼女の言葉に心の底から、そう思った。
無様に嫉妬して、大好きなのにイジワルして、それなのに、桜子は真っ直ぐに、俺に気持ちを返してくれる。
俺は、ナニをやってるんだろう。
「・・・ごめん」
急に、自分が情けなくなって俯いた。
『ヘンな言い方しなくても、直接聞けば、よかったんだ。勝手に先の事を考えて、1人で不安になって、馬鹿みたいだ』
手を離そうとすると、桜子が指に力を入れて、手の平を合わせてきた。
「ううん、いいの。その、ちょっとビックリしたけど・・・陽が、私のこと思ってくれてるって、わかって、嬉しかったよ」
照れ笑う桜子が、堪らなく愛おしい。
「俺も、桜子が好きだ。桜子が、ちゃんとすると言うなら、俺は待ってる。でも、俺が必要な時は、いつでも呼んで欲しい。すぐに行くから」
目の前に並ぶ、春巻きや油淋鶏、小籠包はすっかり冷めてしまったけれど、嬉しそうに頷いて笑う桜子を見て、俺の心はまた暖かな気持ちになった。
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