第13話 美味しいお酒と好きの気持ち?

 小料理屋『梅野』の暖簾をくぐると、


「いらっしゃい」

「いらっしゃいませー」


 馴染みのあるアキさんとレイカさんの声に、家に帰ったときのようなホッとした気持ちになった。

『ここって、私の心のオアシスになってるんだなぁ』

 しみじみ実感していると、2人が驚いた顔で見ているのに気が付いて、現実に引き戻された。

 つい、いつもの感じで店に入ったけど、今は180°真逆の状態だった。


「奥の座敷、空いてるから、どうぞー」


 どう言おうかと戸惑っていると、すぐにアキさんが座敷をススメてくれたので、カウンターに座るお客の後ろを通って、奥へと向かった。

 長い座卓が2つに、間に仕切りの衝立が置いてある小上がりの座敷は、思っていたよりも広く、大人が10人くらい座っても、ゆったり座れる広さがあった。

 靴を脱いで上がろうとして、今日はブーツでスカートだったことに気がついた。

『あー、やっぱり慣れない恰好をするもんじゃないなー』


「やっぱり、カウンターにしよう」

「ううん、大丈夫。ここでいいよ」


 腰かけてブーツを脱ぎかけた私に、陽が気遣って言ってくれたけど、断った。

『そりゃ、カウンターの方が面倒がなくていいけど、今日はこれから確かめなくちゃいけないんだもん。出来るだけ、周りに人はいてほしくない』

 座布団の上に座りながら、キョロキョロと周りを見回した。

入口近くの特等席にしか座ったことがない私としては、物珍しいのもあるけど、ホントは、2人の空間が落ち着かない。

 思えば、これまでの恋愛って、付き合おうとか、付き合って下さいって、どちらかが告白してから始まっていた。

だから、告白しないまま進んでいくというのが、よく分からない。

『お互い好き、よね。それは、間違いない。好きな人って言われたし。なら今って、付き合ってる状態になるのよね。だったら、いちいち聞いたり確認したりするのはタブーなのかな?でも私の気持ち、伝えてないし、ハルちゃんが知らないなら、付き合ってる、にはならなくない?』


「珍しい組み合わせねー、驚いちゃったわ」


 レイカさんが注文を聞きにやってきた。


「今日は、僕に付き合ってもらったんです」

「まぁ、そうなの」


 陽が答えたのに、レイカさんの顔は私を見ていて、何気に楽しそうなのは、私の錯覚かしらね。


「ビールで、いーい?」

「桜子、どうする?ビール、それか、日本酒にする?」


 レイカさんの質問に、陽は私に聞いてきた。

でも、いきなりの名前呼びに驚いて、息が詰まって、うんうん、と頷き返すだけで精一杯になった。

『あーん、レイカさんの顔が見れなーい。恥ずかしすぎるーっ。ハルちゃーん、なんで今、そんな、フッツーに呼べるの?名前で呼ぶって言ってたけど、さっきの今ってさー。ダメだー、顔から火が出そう。あー、でも、もう確定じゃん。決定じゃん。ズバッとスパッと聞いちゃえっ、私』


 レイカさんが引き取った後、向かい合う陽をじっと見た。

さぁ、言うぞ、と意気込みはあるんだけど、心臓がドッキンバックン高鳴り過ぎて、顔が強張る。

 ゴクッと生唾を飲み込んだ。


「喉、乾いた?日本酒、頼んじゃったけど、ビールも頼んどこうか」


 さっすがハルちゃん、気が利くー、ってそこじゃなくてっ!

てか、いやー、うん、ここはお酒飲んで、気合入れ直そう。


「ううん、お酒でいいよ。何を頼んだの?」


 気持ちを落ち着けて、普通を装って聞いた。


「荷札酒って知ってる?新潟のお酒なんだけど。前に来た時飲んで、すごく美味しかったんだ」

「初めて、聞いた」

「黄水仙っていって、少し発泡感があるんだ」

「へぇ、日本酒なのに?」

「うん。アルコールも低めだし、甘すぎないから、きっと気に入ると思うよ」


 話している間に、レイカさんがグラスの入った升2つと、一升瓶を持ってきた。

 札に模して貼られたラベルには、黄水仙と名前が印字されていて、精米の歩合やタンク№が記されている。


「面白いラベル」

「新潟の若い杜氏さんが作ったお酒なのよ。荷札酒っていうシリーズの中の黄水仙っていうお酒。すごく飲みやすいし、どんな料理にも合うから、おススメよ」


 レイカさんが蓋を開けると、ボンッといい音が鳴った。

トクトクと注がれるお酒に、3人で釘付けだ。


「発泡感があるんですよね。見た目は、普通のお酒っぽいけど」

「そうそう、少しシュワッとするのよ。よく知ってるわねー、ビール派なのかと思ってたわ」

「全部、ハルちゃんの受け売りです」

「あー、なるほど」


 楽しそうに笑うレイカさんの後ろから、アキさんが現れた。


「ホイ、出し巻き。あと、コハダとホタテの刺身。コハダは酢〆にしてるよ」

「ありがとうございます」


 さっきの店では、殆ど料理を口にしていなかったから、目の前に置かれた出し巻きのダシが滴るほくほく感とダシのいい香りに、唾液が滲んだ。


「じゃ、食べよっか」

「うん」


 私の気持ちを見て取ったのか、ハルちゃんが少し笑いながら言ったけど、そんなのは気にせず頷いた。

『だって、アツアツの一番美味しいのを食べなきゃね』

 私が手を合わせると、ハルちゃんも同じように手を合わせた。


「篝 陽、いただきます」


 そう言ったので、驚いた。

 ニカッと笑う陽の顔が悪戯っ子のようで、私も、


「木村 桜子、いただきます」


 そう言って、陽を見た。

お互い目と目があって、どちらからともなく笑いが込み上げてきて、2人で笑い合った。

 2人にしか分からない共通の話題を、2人で話して、2人で笑い合えることが嬉しくて、ウキウキと心が弾む。

 さっきまでの胸のつっかえが、ウソのようだ。

『そうよね、肩肘張らずに普通に言えばいいのよ。ハルちゃんだって、きっと普通に答えてくれるはずだわ』

 ぐるぐると考えていたけど、真っ直ぐに思いを伝えればいい、そう思うと気分がスッキリした。

 でも今は、腹が減ってはなんとやら。

まずは、お酒、とばかりにお互いグラスを持ち上げ、口に含んでみた。

 シュワッとした爽やかないいのど越しの後に、優しい甘さと吟醸のコクがやってきた。


「うんまっ!美味しい」

「よかった。こないだ、日本酒頼む話を聞いた時から、このお酒は一緒に飲みたいって思ってたんだ」


『そっか、そんなふうに思ってくれてたんだ』

 そう思うと、胸がほわっと温かくなった。


「スゴイ、飲みやすい。クイッとイケちゃう」

「アハハ!ホント、美味しそうに飲むよね」

「それ、よく言うけど。そんなに私、顔に出てる?」

「うん、すっごい美味しそうに飲んだり食べたりしてる。でも、ぜんぜん、いいよ。その顔、俺、好きだし、一緒いるこっちまで、楽しくなる」


 すっごい褒めてもらって、嬉しくて、顔がニヤけてしまう。


「私もね、ハルちゃんのそのニコニコ顔、すっごくいいなって思うの」


 話をする時、聞いてくれる時、いつも私に優しい笑顔を向けてくれるから、胸の中があったかくなって、こっちも自然に笑顔になってしまう。

『あぁ、そっか、お互いが思いあってるから、いいなって思うのか』


「イカのゲソ焼と、カキフライ、あと、がっちょの唐揚げと、焼銀杏ねー。熱いから気をつけてー」


 レイカさんが、ポンポンと料理を持ってきてくれた。

 注文は任せていたから分からなかったけど、並べられた料理が、何気に油ものというか、アテというか、そんな内容。


「あー、サラダも頼もう。ちょっと自分の好みで頼み過ぎた」

「いーよ、いーよ。頼むなら、食べてからにしよ。ガッチョって、さっき食べてなかった?」

「あ、バレた?俺、好きなんだ。骨がカリカリしてて美味しいし、食べやすい。桜子は、食べたことある?」

「うん、ここで。私も結構好き。あっさり味だし、カリカリサクサクがビールにあうのー。ふふっ、でも、面白い形してるよね。バナナを剥いたみたいな?」

「アハハハハ、それは思いつかなかったなぁー。桜子の発想って面白いよな」


 あー、また胸がほわっとなった。

私のヘンな発想を、面白く感じてくれるなんて、そんなのハルちゃんだけだよー。


「桜子は、出し巻き好きだよね。よく食べてる」

「そうなの、そうなの。ふんわりふるふる食感と、ダシと卵の味がマッチして、もーっ、たまんないっ」


 と、パクッと出し巻きを食べた。

『あー、ホント、美味しー』

 もぐもぐと堪能している私を見て、陽はクスッと笑い、


「じゃ、俺も」


 そう言って、出し巻きを一口で食べた。

 お互い、アイコンタクト。

 うんうん、と頷いてしまう。

『美味しいモノって、世界平和に匹敵するくらい最強だわ』

 しみじみ痛感する思いだ。

 空腹に負けて、先に出し巻きを食べちゃったけど、やっぱり日本酒となれば、刺身をいっときたい。

淡い麹色のまーるいホタテにワサビをのせて、醤油をつけてパクッと食べた。


「うーん、ねっとりした甘みで美味し~」


 つい、感想が零れ出た。


「うん、冬のホタテ、いいよね。ホタテは夏の方が甘いっていうけど、冬のは旨味が強いらしいよ」

「そうなんだ。充分、甘みあるけど、うん、旨味ね。なんか、分かる」

「あっ、あと、ちょっと行儀悪いけど、お酒と一緒に食べると口の中で合わさって、さらに美味しいよ」

「ん?そうなの?じゃ、ちょっと失礼して」


 またまた、丸いホタテにワサビをのせて、醤油をつけてパクッと食べ、クイッと日本酒を口に含んだ。

 口の中で味わいを確かめながら食べる。

『うん、確かに、これは美味しい。でも、』


「イケる、イケるよ。でも、私的には、ねっとり甘いホタテを食べた口の余韻のまま、お酒を味わいたい感じ」

「あー、そっか、残念。ま、味わい方はそれぞれだからね」

「お酒は、少し含む程度がいいかも。今のはちょっと、含み過ぎた」

「アハハハハ。はい、じゃ、こっちはどう?これは絶対、酒に合うと思うよ」


 焼けた銀杏の殻を陽は1つづつ剥いて、皿に置いてくれた。

 あぁ、もう、こういうとこが、胸にきちゃうのよー、ハルちゃん。

トスッと、矢が胸に刺さった感じしたもん。

ううん、射抜かれたって感じだわ。


「なに?」

「ううん」


 私の視線に気が付いて、優しく聞いてくれる。

『はぁぁぁ~、身もだえして、ひっくり返りそー。もう、このお酒、媚薬でも入ってんじゃない?

えーい、今、言っちゃう?今なら、聞けそうな気がするー』

 クイッと、グラスを飲み干した。


「次、ナニ飲む?」

「えーっと、私、」


 言い出そうと言葉を探していると、陽がメニューを私に向けて開いて見せてくれた。

『メニューを開いて見せてくれる』何気ないことだけど、今までされたことのない優しい気配り。

 ここ数日で、今まで当たり前じゃなかったことが、当たり前みたいになってきてる。

 食べやすいように料理を置いてくれたり、わざわざ殻を剥いてくれたり、次に飲むものを気にしてくれたり、きっと今、飲みたいものを言ったなら、ハルちゃんが注文してくれるんだろう。

 私を好きな人だと言って、色々と気遣ってくれるハルちゃん。

いったい、ハルちゃんはいつ私をこんなに好きになってくれたんだろう。

 ふっと湧いた疑問。

『私も、もちろん好きだけど、なんていうか、好きの度合いが違う気がする』

 だけど、思い返してみても、好きになって貰えるような要素が思いつかない。

どっちかというと、好きにならない要素の方がたくさん思いつくけど。


「ねぇ、ハルちゃん。なんで私が出し巻き、好きって知ってたの?」


 さっき言われた言葉を思い出した。

ここで、前に一緒に食べたけど、そんな話はしていない。

今日だって、私、頼んでないのに、注文してくれてた。


「えっ、よく食べてたでしょ。ここで」

「うん、ほぼ毎回のように」

「美味しそうに食べてたし、絶対好きなんだろうなって」

「美味しそうにって、見てた?見られてたの?私」

「そんな、ずっと見てたわけじゃないよ。気にするようになってからは、まぁ、ちょくちょく、だけど」

「気にするようにって、いつから?」

「いやに、グイグイくるなぁ。そうだなぁ、夏の終わり、秋口かなぁ。いつも帽子かぶってるのに、あの日はかぶってなくて、髪を、こんな感じに、頭の上で丸くまとめてただろ」


 陽は、自分の頭の上に拳をのせて、真似て見せた。


「そんな日も、あったかな」

「あ、そうそう、ワンピース着てたよ」


 そう言えば、夏の終わり、家に帰ってお風呂に入った後、『梅野』に生ビールを飲みに行こうとしたけど、まだまだ残暑が厳しくて暑くて、しかも風呂上りだったから、フッツーにスッピンにワンピース着て出かけたこと、何回かあったなー。


「あぁ~、お見苦しいものをお見せしました・・・」

「アハハハ、なんで、なんで。あの時、初めて顔、見たけど、可愛いなって思ったよ」

「いやぁーーー、お世辞は、いいから」

「いや、ホントに。よく帽子で顔を隠すようにして、カウンターの端に座ってたけど、隠すのもったいないなぁって思ってたよ」

「やだぁー、ヤメテ、ヤメテー。あぁー、そう、ビール。ビール、お願いします」

「ハハッ、りょーかい。・・・・レイカさん?」


 陽の声に、顔を上げるとレイカさんがカウンター席側から、こちらを伺うように立っていた。


「あららららら、ごめんなさいねー。ラストオーダーを聞きに来たんだけど、声かけずらくって」

「あ、すみません。じゃ、ビール2つ頼んでいいですか? 後、焼きおにぎりと漬物盛合わせも、お願いします」

「ハイハイ。ごめんなさいねー、邪魔しちゃって」


 慙愧すぎて、2人のやり取りが終わるまで、微動だに出来なかった。

『あぁぁぁー、恥ずか死ぬー。穴があったら入りたーい』

 ってか、ハルちゃん、フツーすぎでしょ!

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