第8話 高まる思い?
『うぅっ、今日は冷えるー。熱燗、飲みたーい。でも、いきなり熱燗って、どうなんだろ。酒豪女って思われるかな。カガリ、じゃない、ハルちゃん、なら、そんな風には思わないかなあー、うー、ハルちゃん、うー、やっぱり、ハルさんかな、ハルくん? いやぁぁぁぁ、名前呼びってハードル高ーい。何とも思ってない人なら平気なのに。うー、緊張するー』
首をすくめて、ぐるぐるに巻いたマフラーの中で息を吐いた。
行き交う人は足早で、柱にもたれかかりながら、1人緊張している私のことなど気に留める人は誰もいない。
今日は、茶色のロングブーツにモスグリーンのニットワンピース、上着にはベージュのショートダウン、という自分ではなかなかチョイスしない恰好だ。
『ヘンじゃないかな。やっぱりパンツにしとくべきだったかなぁ』
自分で自分を眺めて思う。
普段、パンツスタイルが多いから、スカートっていうのが落ち着かない。
あの日、気分よく酔っていたせいもあって、次の金曜日、だなんて自分で言ったけど、冷静になってみたら、デートに着るような可愛い服がないことに気が付いて、慌てて買いに行った。
でも、1人でチョイスする自身もなく、会社帰りに唯ちゃんと香織さんにお願いして、選ぶのを手伝ってもらった。
のが、今日の格好、なんだけど。
『やっぱ、パンツの方が良かった気がする~』
「サクラコさん、ごめん、遅くなって」
今更ながらに迷って考えあぐねていると、息を弾ませながらハルちゃんが登場した。
走ってきたのか、鼻が赤い。
『ちょっと、かわいっ』
と思った瞬間、ぼわっと顔が赤くなるのを感じた。
『それ、ぜーったい、サクラちゃん狙いだから』
唯ちゃんが言った言葉が頭の中をぐるぐる巡る。
だから、意識しすぎだってばっ!
「私も、さっき来たとこだから、」
心の中でドギマギしながら答えたものの、そこから言葉が続かない。
『大丈夫、って言ったら、なんか上からじゃない? そもそも待ち合わせ時間が6時半で、まだ6時過ぎなんだから、遅れて来たわけじゃないし』
考えていたら訳が分からなくなってきた。
「よかった。実はさ、今日は寒いし、俺の方が早く来て、待っていようって思ってたんだ」
少し残念といった感じでニッコリと笑い返された。
『えっ、じゃぁ、早く来たのは失敗だった? ギリで来るべきだった?』
どんどん頭の中がぐるぐるして、ますます訳が分からなくなってきた。
ポンと、促すように軽く背中を押され、
「さ、行こう。店はすぐそこだから。今日は、熱燗かな」
茶化すように笑いかけてくるハルちゃんに、またまたポッとなりながら、一緒に歩き出した。
こないだの帰りといい、何気に女慣れしている様子の彼に、素敵だと思う反面、また彼女疑惑がムクムクと浮上してきた。
『こんなことなら、こないだサッサと聞いとけばよかったな』
期待半分、諦め半分。
先日の帰りがけ、酔った勢いもあって、直接聞いちゃえ、とばかりに声をかけたんだけど、何故か喉が詰まって上手く聞けなかった。
そもそも聞いた時点で、自分で気持ちをバラしてる気もするけど、このモヤモヤに悩まされるくらいなら、聞いとけばよかったかもしれない。
『そしたら、気持ちの整理がついて、今日の飲み会、飲み食べだけに気合入れられたかもなぁ』
「そこの角を曲がったところ。シティホテルの1階にあるんだ」
そう言われ、角を曲がると自然な木を主とした和風モダンな店があった。
ドアを開けると左手に水槽があり、その下には発泡スチロールが置かれていて、水槽の中には魚が泳ぎ、発泡スチロールにはエビや貝が入れてあった。
奥にまたドアがあり、店員が開けて、いらっしゃいませー、と迎え入れてくれた。
「予約した篝です」
「はい、お待ちしておりました。どうぞー、奥のお席にご案内します」
ダウンライトで仄明るく照らされた店内にはジャズが流れ、壁にはクリスマスツリーが映し出されていた。
お客の話し声も騒がしくなく、落ち着いた雰囲気のお店だ。
「結構、感じいいとこでしょ。あとで、今日のトロ箱を見せてくれるよ」
壁沿いの一番奥のテーブル席に案内されて、向かい合って座ると、ハルちゃんが言ってきた。
「今日のトロ箱?」
「さっき、入口で見た鮮魚。アレのこと」
と、ゴロゴロとワゴンがやってきた。
その上に置かれた箱の中には、魚や貝などがギュギュっと乗せられていた。
「いつもご来店、ありがとうございます。今日のトロ箱、ご紹介しますね。今日の一押しは、ホウボウです。刺身でも美味しいですし、焼いても煮てもイケますよ。あとは、珍しいとこで、ヤツシロ貝。こっちは刺身もいいですが、味的に旨味が薄いので、酢みそで食べるのがおススメですよ。こっちは北海道の真タコで、」
説明が続く中、トロ箱の中をマジマジと見た。
ホウボウと紹介されたヒレの大きな赤い魚、名前は聞いたことはあったけど実際に見るのは初めてで、すごく興味がそそられた。
ヤツシロ貝というのも初めて聞いた。
表面にグルグルと渦を描いたような丸くて大きな貝で、殻がごつい。
「サクラコさん、どれがいい?」
「えーっと・・・」
「ホウボウ、気になったでしょ、俺も。じゃ、ホウボウと貝もいっとこうか。それと、やっぱ先にビールかな」
ハルちゃんの言葉に大きく頷くと、店員に注文してくれた。
「すごい面白いとこですねー。こんなの初めて。お魚も珍しいのばっかり」
「ここは地産地消に力をいれてる店で、近くの漁港に直接買い付けにいってるそうだよ。だから、スーパーに出回らない珍しい魚も入ってくるんだ」
「へー、そうなんですねー」
「ははっ、サクラコさん、また敬語になってるよ。緊張してる?」
「・・ッ、そんなことないし」
図星を差され、言い返した。
でも、ハルちゃん、スゴイニコニコしてる。
「今日はごめん。もっと早く行くつもりだったんだ。帰りがけにクライアントから変更の連絡がきて、で、予定より遅れてしまった。今日は今季一番の寒さみたいだったから、大丈夫だった?」
「私はぜんぜん。それより、よかったんですか?」
「うん、指示だして、押し付けてきた」
「えー!」
「課長の特権。って、また敬語になってるよ」
何がそんなに可笑しいのか、クスクスと笑い出した。
『さっきから、どうしたんだろ。スゴイご機嫌。てか、ハルちゃんって課長さんなんだ』
「その恰好、すごく可愛い、似合ってる。梅野では素のサクラコさんだけど、今日はお洒落なサクラコさんだ」
ナニー、なんなの、その、どストレートな褒め言葉は。
ドギュンッ、ときた!
「・・・あぁぁりがとう」
『店内が明るすぎなくてよかった。今、絶対、顔、赤い!』
目線を彷徨わせながらも、彼を見ると、ニコッと笑い返された。
この状況。これを、両想いと言わずして、何て言うの?
私の経験値が浅いから、そう思うだけ?
ううん、もう、この見つめ合うシチュエーションは、そうとしか思えないでしょっ!
「お待たせしましたー」
と、店員がビールグラスを持ってきた。
ガクッ!
「お、これはスゴイ」
「・・・ホントに」
目の前に、刺身盛りが置かれた。
大きな陶器鉢に氷が敷き詰められ、その上にホウボウの姿造りとヤツシロ貝の切り身が盛られていた。
ホウボウの頭はヒレがついた状態でヤツシロ貝と一緒に飾られ、ホウボウの刺身の一部は皮目を付けた状態であぶってあった。
ナンテンの葉や大葉、鮮やかな魚達の色彩と、ふわっと広がる香ばしい香りに胃が刺激され、食欲をそそられた。
んだけど、いつもの私なら、このビジュアルにテンション上がりまくりなんだけどー、ガクッときたー。
「まずは、乾杯」
こんな私の気持ちなど知るはずもなく、ハルちゃんがグラスを持ち上げてくるので、私もグラスを掴んでハルちゃんのグラスに軽くカツンッと合わせた。
『あぁ、ビール、美味し~』
クイッと飲んだビールの苦みが口の中に広がり喉を潤していく感覚に、喉が渇いていたことに気が付いた。
『私、緊張してたのねぇ。テンパってばっかりだったもん』
と思っていたら、グイグイと結構、飲んでしまった。
「良い飲みっぷり」
「美味しかったからね、はははっ」
なーんか、色気より食い気になってる。
ついさっきまでの気持ちの高まりが噓みたい。
他にも頼んでいた、出し巻き、カキバター、がっちょの唐揚げが、ぞくぞくとやってきた。
その間に、ハルちゃんは箸と取り皿を私の前に置き、やってきた物達を私の食べやすいように前に並べてくれた。
『気配り、健在。やっぱり、ハルちゃんは凄いわ』
「じゃ、食べよっか」
ハルちゃんの言葉に頷き、手を合わせた。
ハルちゃんも同じように手を合わせ、
「いただきます」
と言った。
「サクラコさんは、食べる前に必ず手を合わせるよね。それ、すごくいいなって思ったんだ。だから俺も、見習って必ずしてる」
「そう、かな。自分ではあんまり、ただ、食べますよっていう合図というか、かけ声みたいな感じで。食べられる側にも私が食べますよって言っといたほうがいいかなって」
「かけ声、ハハハ。なるほど、サクラコさんは面白い発想するなぁ」
『折角、褒めてくれたのに、ヘンな返しになっちゃった』
私の恋愛遍歴の最終がいつも自然消滅になる理由、それは口下手、話下手にある、と私は思ってる。
自然消滅だから、直接言われた訳でも聞いた訳でもないけど。
今だって、普通にお礼を言えばいいのに、自分のヘンな意見を言うのがダメなのよねー、多分。
はぁぁぁぁ。
「じゃ、次から、篝 陽です。いただきます。って、言おうか」
「えっ? アハハハハ、それは思いつかなかった」
思いがけず、ハルちゃんが面白く返してくれた。
『ホント、ハルちゃんは凄いわ。全然、嫌な気持ちにさせない。楽しくしてくれる。私も・・・、そうだ、インスタ。今日の目的はインスタじゃん。少しでも役に立って、気にしてもらえるように頑張ばろ』
「ハル、ちゃん。食べる前に写真、撮らなきゃ。インスタの」
「あ、そうだった。楽しくて、すっかり忘れてた」
ハハハハハ、と笑いながらハルちゃんが言った。
『あぁ、どうして、そんなに嬉しいことばっかり言ってくれるんだろ』
彼を見ると、ニコッと笑いかけてくれるから、私も、きっと顔が赤くなってるだろうけど、気にせず笑い返した。
「陽」
突然、後ろから誰かがハルちゃんを呼んだ。
目の前の彼が、私の後ろに目線を向け、
「大智」
驚く名前を口にした。
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