第5話 至れり尽くせりとヤバい心臓

「じゃ、いただきます」


 ハルちゃんが、牡蠣を一口にパクリと頬張った。

うーん、うん、うん、と美味しそうに頷いたので、私も大きく口を開けて、パクリ。


「ふぅんまー」


 上手く言葉にならなかったけど、美味しい気持ちが声になって出た。

 大きなトロッした牡蠣の旨味が口の中いっぱいに広がり、モグモグとゆっくりと味わって、至福の時間を堪能した。

 クスッ、とハルちゃんが笑うので首を傾げて見た。


「美味しそうに食べますね」

「え、だって、美味しいもの」


 目を細めて優しく笑うその顔に、ドキッとした。


「確かに、美味しいです。ついお酒が進んでしまいますね。鱧もどうぞ。ビールでいいですか?他にも何か頼みましょう、何がいいです?」


 空になったジョッキと皿をどけて、出し巻き、鱧天と唐揚げを目の前に置き、手を上げてビールを追加注文して、メニューを開いて、見せてきた。

 ナニ、この至れり尽くせり感は。

 謝罪からの気配りなのか、はたまた、これが普通なのか。

どちらにしても、こういうのに慣れていない私としては、全く落ち着かないんですけどー。

それに、こういう時の返しって、どーいうのが正解なのか分からない。

なので、とりあえずメニューを受け取った。

『スゴイな、ハルちゃん。気回し全てが完璧すぎる』


「サラダとかどうですか? 揚げ物ばかりじゃ女性は嫌でしょう」


 横から覗き込む彼の顔が近すぎて、ドキドキする。

しかも今の私を、サラリと女性扱いするので、


「ハハハ」


意味なく笑ってしまった。

顔は普通だけど(化粧してるから)、めちゃめちゃ普段着だし、前と大して変わらない恰好だ。

 レイカさんが持ってきた追加のビールを受け取り、私の手にしやすい右側に置いてくれた。

あまりにもサラリと行う、それらの行動に、もうホント、さっきから心臓がヤバいことになってる。


「豆腐サラダ、ありますよ。海鮮サラダ、これなんて、どうですか。あ、別の物がよかったですか?」


 上がる心拍数を落ち着けようと、息を吸い込み小さく息を、ふぅ、と吐いたのをバッチリ見られた。

注文内容に、不満だと思われたようだ。


「海鮮サラダでお願いします」


すかさず、頭を下げた。

『この距離で、気が付かない訳ないか』

もともと狭い場所に二人並んで座っているんだから。

 他にもいくつか選んで、気さくにアキさんに声をかけながら、追加注文をするハルちゃんのスマートさに、不覚にもまたもや、ぎゅんッと、キテしまった。

 ハルちゃんの気遣いだけ有難く頂戴して帰ろう、と思ってたけど、ダメだ。

 カウンターに両肘をついて、顔を抱え込んだ。

『はぁぁぁぁ、想定外だわ。なんのガードもしてなかったから、ガッツリハートがやられつつあるよー。でも、ダイジョウブ、大丈夫よ、桜子。ちょっとリセットすれば。うん、リセットしよう。そう、ハルちゃん、いや、篝さんは今日、私に謝りに来ただけ。それだけ、それだけなの』


「どうしました? 気分、悪いですか?」


 顔を上げると、心配そうに私を見つめるハルちゃん、改め、篝さんの顔が間近にあった。


「いえ、大丈夫です」


 パッと営業スマイルを顔に張り付け、背筋を伸ばした。


「今日は、いろいろと、ありがとうございました。楽しく食事ができました。連日、ここに来られてたそうで、私の方こそ申し訳なかったです。でももう、十分にして頂いたので、これからは、お店でお会いしても、お互い楽しい時間を過ごせたらいいなって思ってます」


 なんか、感想文みたいになったけど、ありがとう、という気持ちをちゃんと伝えたいし、ヘンな気は含んでないからね。


「・・・今日は、お開きって、ことですか?」

「え?いえ、あのー、連日大変だったでしょう。だから、今日は肩の荷を下ろして、ゆっくりと、と思って」

「ぜんぜん大変じゃなかったですよ」

「そ、そうですか。なら、良かったです」


 明るい笑顔で返されて、なんかわかんないけど、ドギマギしてきた。

『どーした、私』

 そんな私の内心など知る由もなく、篝さんは携帯を見せてきた。


「インスタ、やってるんです。ここに来た時も、写真を撮って、載せてたんですよ」


 スクロールしながら、見せてくれた。


「へぇー。あ、紅葉鯛、イイ感じで撮れてますねー」


 ゆっくりと流れる写真の中で、美味しそうな紅葉鯛が目についた。


「ホントですか? なかなか自分では善し悪しが分からなくて」

「魚が光ってて、美味しさが伝わってきます。鯛の赤みと大葉の緑のコントラストが鮮やかに映えて、見た目もすごくいいです」

「ありがとう。率直に言ってもらえると、今後の参考になるよ」


 嬉しそうに笑う篝さんと間近で目が合った。

その瞬間、ぼわっと顔が熱くなるのを感じた。

『ダメダメダメダメ、リセット、リセーット。ナニ赤くなってんの、私。ダメだわ、ちょっと離れよう。って、これ以上寄れなーい』

 ここは、カウンターの端。

奥はトイレだから、端は目隠しの格子の仕切りになっている。


「ホイ、お待たせ。海鮮サラダと、合鴨ロース。お、キレイに撮れてるなぁ、SNSって奴?」


 アキさんが、海藻やタコ、サーモンがのったサラダと白ネギの焼けたいい香りがする合鴨ののった皿を、カウンターの上に置いた。


「はい、インスタグラムです。こないだ食べた紅葉鯛の写真です」


 篝さんが、アキさんに携帯を見せて2人で話し出したので、少しホッとした。

『篝さんの距離感がよく分からん。近すぎない?いくら狭いってもさ。これって普通なの? 私が意識しすぎ?』

 そう考えながらも、ちょいちょい、都合のいい期待感が心の中で浮き沈みしてくる。

でも、

『リセーット』

即座に沈めた。

『ダメだー。こんなんじゃ、彼氏を作るなんて夢のまた夢だわ』

と、心の中で独り言ちた。


「今日はありがとうございました」

「こちらこそ、いろいろ迷惑をかけて、すみませんでした」


 小料理屋『梅野』の営業時間終了と共に、店を出た。

空高く冷たく輝く月明かりに照らされて、互いに頭を下げた。


「ふふっ、もう、ぜんぜん気にしてませんから~。だいたい、篝さんは悪くないんだし、それなのに、たくさん頂いて、私の方が申し訳ないです~」


 あれから、またビールも追加して、〆に焼きおにぎりと漬物盛合わせまで頼んでもらった。

お腹もふくれて、かなり気分がいい。


「サクラコさん、今度、一緒に飲みに行きませんか?」

「え?」


 今、一緒に飲んでたじゃない、と思ったけど、篝さんの真剣な顔を見て、そういうことじゃない、と気がついた。

『エーッ、これって、まさかまさかの、デートのお誘いじゃない?』


「あの、インスタやってるって、言いましたよね。いろんな店に行くのが好きで、気に入った店をインスタに載せてるんです。で、」


 そう言いながら、篝さんは胸ポケットから携帯を取り出そうとして、

ガシャン!

と、落としてしまった。


「わっ、大変! あ、でも画面は、無事みたいですよ」


 慌てて、落ちた携帯を拾い上げた。


「・・・す、すいません」


 携帯を差し出しながら、謝る篝さんの顔を見たら、月明かりでも分かるくらい頬が薄っすらと赤かった。

『お酒、まわっちゃったのかな? お腹、減ってたもんねー』


「それで、あの、今一番、気に入ってる店があって、ですね。イン、インスタの写真とか、ご教示願えたら、じゃなくて、いやそうだけど、えーっと、スゴク美味しい店があるんで、一緒に行ってくれませんか?」

「フフッ、クククッ、・・・アハハハハ」


 自分が恥ずかしくて、笑えてきた。

1人で舞い上がって馬鹿みたい。お1人様って、ホント、ご都合主義でダメだなぁってつくづく思う。

篝さんは、インスタのこと考えて私を誘ってるのに、自分で都合のいい方にばっかり解釈して、危うく大きく勘違いするとこだった。


「クククッ、ハハハ」


 酔いもあって、なかなか笑いが治まらない。

でも、どういう理由であったとしても、こうして誘ってくれる篝さんの気持ちがすごく嬉しい。


「はい、是非、一緒に行かせて頂きます」


 笑いながら、そう答えた。

すると、シュンッとしていた彼の顔が、一瞬で笑顔に変わったので、それもまた可笑しくて、また笑ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る