第2話 美味しい肴と嫌な奴


「いらっしゃい」

「こんにちはー」


 暖簾をくぐると、アキさんとレイカさんが迎えてくれた。

 ここは、小料理屋『梅野』。

 カウンターと奥に小上がりの座敷がある、小ぢんまりとしたお店。

 家から近く、出される料理も小鉢や小皿といった少量での提供で、しかも値段がお手頃とあって、お一人様の私としては、とても重宝している。

 客層も同じお一人様や少人数が殆どで、個人個人が好きなお酒と美味しい料理を楽しみに来ている、そんな感じのところだ。


「今日は、脂ののった、いいブリがあるよ」

「いいですねー、ブリ、いただきます」


 魚好きの私としては、新鮮な旬の魚があるのも、魅力の1つ。


「ビールでいい?」


 レイカさんが聞いてきたので頷いたけど、もうジョッキに注いでる。 

 早っ!


「あと、出し巻き、下さい」

「はーい。先にブリ、置いとくねー」


 入口の引き戸を開けた、すぐ右のカウンターが、いつもの、私の特等席。

奥まで縦に伸びるカウンターが入口のところでL字に曲がっていて、その端に座る。

 カウンターには、鮮魚が入ったガラス張りの冷蔵ショーケースや大皿に盛られたお惣菜が並んでいるけど、特等席の私の前には何もないので、顔を伸ばせば、店全体を見渡せて、見晴らしがいい。

でも、カウンターの目の前には合板が張られているので、普通に座っていれば視界に人は入ってこない。

私としては誰にも邪魔されずビールと肴を味わえる、ちょっとした個室的な空間が気に入っている。

 付きだしの高野豆腐と脂ののったブリを前に、両手を合わして合唱。


「いただきます」


 まずは、グイッとビールを飲んだ。


『あぁ~、やっぱ、生ビールは違うわぁ』

 グイグイと半分ほど飲み干してしまった。


「いい飲みっぷり」

「ハハハ」


 アキさんの言葉に、ちょっと恥ずかしくて、空笑い。

 男性と知り合う方法、だなんて、気恥ずかしい内容の相談をしたくて来たけど、目の前の美味しそうな料理と上手いビールに、気持ちが霧散してしまった。

今日は、金曜日とあってお客が多い。

とりあえず、今は食べることに専念しよう。

 まずはブリ。

アキさんが言うだけあって、ホント、イイ感じの白いサシが入ってて美味しそう。

塩をパラパラと振りかけて、パクリッ。

『うんまーい。塩がブリの甘みを引き立てて、美味し~』

 2枚は醤油をつけて、パクリ。

塩とはまた違う上手さに、うん、うん、と頷いて堪能していると、出し巻きがやってきた。

ほくほくと湯気をあげて、ダシが滴ってる~。

ビジュアルに刺激されて、パクッと一口。

『あぁ~、トロトロで、美味しー』

またまたビールをグイッと飲んだ。


「2人、空いてる?」


と、ガラッと戸が開いて、男性が顔を覗かせた。

 見るともなしに見ると、男性の後ろに風くんの顔があった。

反射的に、バッと顔を真逆に向けて固まった。

『エーッ、マジで。なんでー』

 動けずにいると、入口近くの席に風くんと男性、2人が座った。

近すぎる位置に、ここは一旦退却か、と考えたけど、風くんは入口側に座ったので、男性と話をするのに、私側からは背中になった。

なんとか直接、顔を合わせる事態にならずにすんだ。

『はぁ、ビックリした。なんで、こんなマイナーなとこに来るのよ』

 少し顔を上げて覗き見ると、冷蔵ショーケース越しに男性の顔が見えた。

『あの人、何回か見たことあるなぁ。レイカさんと仲よさげだった』


「ハルちゃんはビール?お連れさんは?」


 レイカさんがジョッキ片手に声をかけた。

『あ、そうそう、ハルちゃん、ね。はぁー、なんでここで風くんに会うかなぁー。こんな格好なのに。ホント、こういう時の自分の間の悪さに、嫌気がさすわっ』

また、ため息1つ。

 今日は仕方ない、もう帰ろう、そう思った。

でも今度は、帰るタイミングが掴めない。

アキさんもレイカさんも、お客が増えて忙しく、声をかけられない。

いつもなら気にせず大きく声をかけるけど、今はそれも出来ない。

声を上げたら、私の存在に気づかれてしまうかもしれないもの。

 また仕方なく、タイミングがくるまで、大人しく食べることにした。


「雰囲気、いいな」

「だろ。料理もイケる、刺身も上手いよ」

「きびなご、あるじゃん。カツオもいいな」

「盛合わせにしてもらおう」


 聞こえてくる2人の注文内容を聞きながら、考えた。

注文を取りに来た時に、手をあげよう。

顔が見えなかったら、気づかれることもないだろうから。

でも、まぁ、今の私の格好じゃぁ、気づきもしないだろうけど。

 会社から帰って、すぐにお風呂に入ったからすっぴんだし、可愛げも何もないフツーのスエットだし。

そういうの全部隠す為に、弟、悠斗が忘れてったキャップ帽をかぶって来たから、ちょっと見、私だとは分からないと思う。

 女子力的には、かなり残念な恰好だけど、それも醍醐味。

背伸びしないで、気兼ねなく来れる、この店『梅野』が気に入っているんだ。

 でも、流石に声はバレるかも、だから極力声は出さないようにしなくちゃ。


「すいませーん、注文、お願いします」


 ハルちゃんが声をあげるとレイカさんが来て、注文を聞き始めた。

ヨシッ、と思ったけど、「これも美味しいわよ」、「これもおススメ」、と3人でやいのやいのと話してて、なかなか決まらない。

もう、手を上げる準備は出来てるのに、上げれなーいっ。

ヤキモキしながら、終わった瞬間、シュパッと手を上げた。

でもレイカさん、伝票に注文を書いてて、気付いてくれない。

『どーしよっ、声、かけたいけどぉ』


「レイカさん、奥のお客さん、呼んでますよ」


 おー、ナイス、ハルちゃん。

 心の中でガッツポーズ!

 なのに、


「あ、サクラちゃん、ごめんねー」


と大きく名前を呼ばれて、ギャ、っと危うく叫んでしまうとこだった。

でも、名前だけで私だとバレるはずもなく、ここは知らん顔で押し通そう。


「すみません、おあいそ、お願いします」


 極力、小声で言った。


「あ、ビールね」


 ちっがーう。

普段なら、そうだけど、今日は違うのよ、レイカさん!


「注文、長くなり過ぎてましたよね。すみません」


 ハルちゃんが申し訳なさげに言うので、大丈夫とばかりに片手を振った。


「もう一品、なんか付ける?」


 勘違いしたままレイカさんが聞いてくるので、断ろうと思って顔を上げるとハルちゃんと目があった。パッと咄嗟に、下を向いた。


「カワハギ、どう?肝醤油で」


 アキさんが、声をかけてきた。


「あ、それこっちも追加でお願いします」


 代わりにハルちゃんが反応するのを聞きながら、脳裏に肝醬油と刺身が浮かんだ。

『肝醤油かぁ、最初に言ってよー。そんなの聞いたら食べたくなっちゃうじゃないかー』

 大きく頷くと、空ジョッキが引かれ、肝醤油付カワハギ刺身と生ビールが、ポンポンと目の前に置かれた。

 あぁ誘惑に負けた、そう思いながら刺身を頬張った。

『うんまっ、マジ、美味し。ねっとり濃厚キモ味、たまら~ん』


「肝醬油が濃厚で、上手いっすねぇ」


 ハルちゃんが私と同じ感想を口にした。


『そうそう、カワハギちゃんは淡泊だから、余計に肝醬油が引き立つのよねー』

うん、うん、と同意するように頷いていると、


「常連さんですよね、いつも、その席に座ってる」


 ハルちゃんが声をかけてきた。

体勢から、風くんもこっちを向いている感じだ。

『ヤバッ、すっかり吹っ飛んでた』

キャップを目深にかぶり、頷いた。


「魚が豊富でいいですよね、ここ。上手いし、リーズナブルだし。ネットで知ってから、最近ちょくちょく来てるんです」


『なんで、声かけてくんの? 加わりたくないのに、ほっといて欲しいんだけど。てか、そっちはそっちで飲んでりゃいいじゃん』

 頭の中では疑問がいっぱい。

うまい返しも思い浮かばず、だまっていると、


「いつも1人で来てるんですよね。彼氏とかいないんですか?」


 それまで、全く加わって来なかった風くんが、話しかけてきた。

 驚いて、黙って固まっていると、


「いないでしょ。女性が1人、スエットで外食だもんなぁ。もし彼氏がいたら、もうちょっと身なり、気をつけますよねー、普通」

「おい、大智」


 ハルちゃんが風くんを嗜めるように名前を呼んだ。

『はっ?』

 会社では、優しくて、気が利く爽やかイケメン、営業の花形、総務の女性陣全員から告白を受けたという(噂だけど)絶大な人気を誇る風くんが、今、なんつった?

なんか、なんかなんか、ものすごーく、嫌な奴に見えたんだけど。


「俺だったら、ちょっと勘弁ッスねー。外食にスエットって、なくない? ナイわー。もうちょっと女性なんだから、可愛くした方がいいですよ」


 最後は、ビール片手にダハハハッと笑い出した。

ナニ? 酔っぱらってんの? でも、言っていい事と悪い事があるでしょうがっ。

大体、私がどんな格好をしてようと、アンタにまーったく関係ないじゃん。

 カチンときて、一言、文句を言ってやろうと、席から下りた。

だけど、やめた。

周りを見ると、こっちを気にしている人はいない。皆それぞれ個々にお酒を楽しんでいる様子だ。

わざわざ声を荒げて、せっかく楽しみに来ている人達の邪魔になるのも馬鹿らしい。

 ある意味、こいつのこういう一面を知れただけでも、良かったと思うべきだ、と思い直し、


「すいません、帰ります」


 厨房に向けて手を上げた。

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