第11話「禍事」
高校生活を妹と送り始めるようになって三日目、登校中に真希と出会った。はて、こんなところで出会うルートを通っていただろうか?
「おはよう雲雀ちゃん、ちょっとお話いいかな?」
雲雀は露骨に警戒して俺のブレザーの袖を掴む。それを咎めるような目で見て、冷たい目をして言った。
「悪いけど葵は抜きで、サシで話したいんだけどダメかな?」
真希にしては不機嫌そうな物言いだった。何か不吉なことを予感しているような、予言者のような物言いだ。
「お兄ちゃんと一緒じゃダメですか?」
「う~ん……それはちょっと私が困るかなあ」
雲雀は肩をすくめてしょうがないなあという顔をして頷いた。なら、ここから先は俺が干渉出来る話ではないな。二人でじっくり話し合えばいい、それはともかく……
「真希、雲雀と話すためにわざわざここまで来たのか?」
そう考えれば普段真希と会うはずの無い場所で出会った理由になる。何故そこまで雲雀にこだわるのかは謎ではある。
「そうね、でも葵が知る必要は無いことね」
「そうですね、お兄ちゃんは情に絆される質ですからね、余計な情報は知らない方がいいでしょう」
そうして二人は登校ルートを変え、脇道を通って登校することになった。俺はいつもの道を退屈しながら通うことになった。まだ三日目だというのに一人で登校するのを退屈だと思ってしまっていることには驚いた。日常というのは二日でここまで慣れてしまうものなのだろうか? いや、仲が良いことに時間の多寡は関係ないのかもしれない。それに雲雀とは毎日顔をつきあわせる家族なんだからな。
雀の鳴き声や小川のせせらぎが聞こえてくる、妹がいないだけでこんな事を気にするようになるとはな……一年は一人で登校してスマホの中に友人のいるぼっちで通したというのに僅かな時間でそれは妹に染まってしまった。あまりにも急速に影響を受けている。ここまで簡単に染まるとは思わなかった、人生に彩りが無かった身としては家族であっても誰かと登校するということが特別なことなのだろう。
一人自然の中を登校していると陽キャ達が目に付いてきた。何やら楽しそうに話し込んでいる様子を見て羨ましいと思わないこともないが、人間関係をオミットした結果を受け入れるしかないだろう。俺は高校に入るなりコミュ障ぶりを発揮して一部オタク層以外とまともに話が通じなかった、それが未だに続いている。それは雲雀と一緒に二日登校したくらいで変わるようなことでもなかった。人間そう簡単には変われないものだ。
さて、校門の前まで来たところで距離的には変わらない脇道を使っていた雲雀と真希が合流した。
「おはよう、なにを話してたんだ?」
そうフランクに聞いてみたのだが二人とも黙っている。
「あの……俺には言いづらいことなのか?」
その言葉にビクッと真希が反応した。
「真希さんには言いづらいことなのかもしれませんねえ……私はお兄ちゃんへの愛を語っただけですよ?」
恨みがましい視線を雲雀に向ける真希。なにを話していたのか分からないが、仲良く女子トークといった内容ではなかったであろうことは確かだ。雲雀の方は涼しい顔をしており、会話の全内容を詳らかに真希が語ってもなにも気にしないような自信を湛えていた。
「雲雀、俺の悪口でも言ってたのか?」
雲雀にそう問いかけたのだが、慈悲深い顔をして俺の肩に手を置きサムズアップをした。ああ、やはりきっと俺の悪口で盛り上がったんだろうなあ……それはしょうがないことではあるが、妹に悪くいわれるのは少し悲しいものだ。真希に言われる分には……コミュ強はコミュ障を見下す権利があるのではないだろうか? 少なくとも普段そんなコミュ障の俺に普通に接してくれるのだから多少の愚痴は我慢するべきかもな。
「まあなんだ……俺を話の種にして盛り上がるなら好きなように言っていいぞ、今さら減るような名誉もプライドも無いしな」
「お兄ちゃん……」
「葵、あんたはもう少し自分に自信を持ちなさいよ……」
そんなことを言われてもな……生まれてこの方まともなコミュニケーションをろくに取ってこなかったことを後悔している人間には悪口であれ一々気にならなくなってくる。感情の痛みを感じている部分が徐々に麻痺していくのだ。もうすでに悪口を言われてダメージを受ける部分には強力な麻酔が常時かかっているような状態だった。俺は物理的な痛みにはなかなか耐えられないが、精神的なダメージは慣れてしまっている。それがいいことだとは思わないが、これがロクな評判を面と向かって聞くことのなかった俺の処世術だった。
「俺の悪口で真希が雲雀と仲良く出来るなら是非ともそうしてくれ、俺は妹に友達が出来る方が、自分の悪口を聞かないよりもよほど嬉しいよ」
「あんたねえ……それはもう自己犠牲を超えているわよ? 自分が悪口を言われても我慢するのは精神衛生上悪いでしょうが、言われてるならはっきり反論した方がいいわよ」
「お兄ちゃんの悪口を言う人がいたら(ピー)して(ピー)してから(ピーピピー)してやりますよ!」
「雲雀、校舎も近いんだから家庭内のノリで不穏な発言をするんじゃない」
雲雀の不穏当な発言に自分の心がノイズでマスクをかけた。せめて日本の法律薙いでの対処をするという考えに至ってほしいものだ。雲雀の発言は危険すぎる。
「雲雀ちゃん……あなた家では一体どんな会話をしているのよ……?」
「お兄ちゃんとの愛を語り合った内容を聞きたいんですか?」
「絶対にそんな話はしてないと思うけど……不穏当だから止めとくわ」
真希もなんとなく雲雀のダークサイドに気づいたのか深掘りをそこで止めて全てを諦めたような顔になった。雲雀の闇は多分真希が考えているより深いだろうと思うのだが、そこを伝えて陰口のようなことを言うのは気が引けたので黙っておいた。
キーンコーン
「やべ! 予鈴だ! 二人とも急ぐぞ!」
「もう校庭なんだから走らなくても大丈夫よ」
「そうですよ、お兄ちゃんといる時間を少しでも増やしたいのでもっと粘りましょうよ」
俺は二人を無視して駆け足で下足箱に向かった。後ろで俺が駆け足になったのを見て二人とも急ぎだした。
その日の登校は無事間に合ったのだがギリギリだったため息を切らせており、教師に『五分前行動』を教えられたのだった。そんなことは知っているのだが重しを二つもつけて登校したようなものなのだからしょうがないだろうが……しかし権威に逆らうのが苦手な俺は黙っておいた。
真希の方は息を切らせていたがまったく何も言われなかったあたり、教師も相手を選んで発言しているのだろう。唾棄するような行動だと思うが、クラスを美味く回すためには的を増やさないのは極めて合理的な行動といえる。
少なくとも俺に『ゼエゼエ言うような時間に登校するんじゃない』と注意すれば、同じ状態の真希もドキリとしたことだろう。両方注意して恨みを買うより暗に示唆することが出来て敵にもならないクソ雑魚ナメクジからいくら憎まれようが屁でもない経験だ。だからその教師の腹立たしい発言にも『上手いことを言うな』と感心さえ覚えたものだ。
しかし今日は災難な日だと思えてならなかった。朝から真希と雲雀が俺にいえない話題で盛り上がり、学校に着いたら教師に文句を言われる、まったくもって厄日だと思えてしまう。せめて雲雀が叱られていないことを祈るばかりだ、アイツはなにも悪くないからな。
「じゃあホームルームはそのくらいだ、真面目に勉強しろよ」
そう言って教師は出て行った。担任とはいえ過度に生徒に干渉する気は無いようだ、大変結構なことだと思う。自主性に任せるというのはいいことだし生徒への信頼の証だ。
なんとなく今朝のこともあって真希の方に目をやるとこちらを見ていたらしく、目があったのだがすぐに真希は目をそらした。なんだか顔が少し赤かったような気がするのだが上気するほど体力が無かったのだろうか?
そうして退屈な午前の授業が始まった。現代文なんて日本語が出来れば分かるだろうに……学校で教える必要があるのか疑問だが、現代文などと名乗りつつ微妙に旧い文章を題材にしているからだろうか? 実際問題擬音満載のネット小説を『これが現代文だ!』と言っても嘘ではないのだが現代過ぎて教師の方がついていけないだろう。
それから数学でサインコサインなどの三角関数を学んだ末退屈な授業をいくつか終えて昼食になった。雲雀と一緒に食べると目立つので、今日は鞄の中にカロリーブロックが入っている。これを食っていれば血糖値は維持出来るし安上がりと人類の叡知を練って固めたかのような食べ物だ。
箱を開けて袋を撮りだしたところで教室のドアがガラッと開いた。
「お兄ちゃん! お弁当を作ってきましたよ!」
どうやら教室にいても向こうからやってくるらしい。さすがに手作りされた弁当があるのに『カロリーブロックは完全栄養食だから』と断るのは気が引けた。俺の前にいた誰だったかも覚えていないクラスメイトの椅子に座って俺の机に弁当を広げる。なかなかの量を作っていたようだ。
「恥ずかしいから他所で食べないか?」
俺の必死の抵抗だ。
「どこで食べるんです? 食堂は持ち込み禁止でしょう?」
「ええっと……階段の下の謎のスペースとか……」
さすがに便所飯というわけにも行かない、俺は便所飯をするほど人の目を気にもしないのだがな。しかし美少女――少なくとも見た目は――と一緒に食べるとなると無駄に目立ってしまう。俺はともかく雲雀の生活にも支障が出るのではないかと疑念がわいてくる。
「そんなスペースがあるのをよく知ってますね……もしかして私がいないときはそこで食べてたんですか?」
「いや、普通に教室で……あの辺は人目につかないからカフェイン錠剤を飲んだりするのに都合がいいんだよ」
「私はお兄ちゃんの健康が心配ですよ……せめてコーヒーにしておこうという考えは無いんですか?」
「錠剤の方が圧倒的に早く効くし午後の授業は眠いんだよ。あとお薬のくせにやたら錠剤が安いのが悪い」
俺は価格を決定した責任者に責任を転嫁した。だってコーヒー一杯百円だとしてもコスパでは錠剤の方がいいからな。最近はデカフェなんていうコーヒーからカフェインを取り除いた者もあるらしいが邪道も邪道、コーヒーはカフェイン無しだと味気ないことこの上ない。
「お兄ちゃん、頼みますから早死にするような真似は止めてくださいよ? あの世まであとを追っていきますよ」
雲雀の言葉は『死ぬなよ』ではなく『死んでも離さないからな』という意味だろう。執念深いにも程がある。
そして二膳の箸で同じ弁当箱をつつく昼食は始まった。カロリーブロックはまた今度食べることにしよう。しかしどうしてこの出来た妹は俺などに構うのだろうか? 深く理由など無いのかもしれないが、こうして構われると無視することも出来ない。俺としては雲雀にクラスの友人をしっかり作って、俺のように昼休みにソシャゲを周回するような生活を送って欲しくはない。
「お兄ちゃん、美味しいですか?」
どう答えるか少し悩んだ。美味しいと答えれば毎日持って俺の元へやってくるのではないかと考えたからだ。しかしよくよく考えてみれば美味しくないと答えたところで味の変わった料理を持ってくるだけだろうな……そう考えると答えに選択肢は無かった。
「ああ、とっても美味しい」
俺の思考などまったく関係なく豊満な胸を張ってドヤ顔をする雲雀、それを眺めてから俺は昼休みすら安息は無いのだろうと軽く嫌気がさした。自分の自由時間が減るからではなく妹の貴重な時間を使っていることに対してだ。
ふと視線を感じて振り向いた。すると真希のやつがこちらを見てため息をついていた。まあ陽キャ台表のような真希からすれば、同じ陽キャの雲雀がいることは気になることなのだろう。雲雀も学年の差というものは理解しており、俺以外の上級生で話す相手と言えば真希くらいのものだった。
「雲雀、真希と話さなくていいのか?」
「お兄ちゃん、何を言っているんですか?」
「いや、こっちを見てたから雲雀に用があるのかと思ったんだが……」
雲雀はクスクス笑って答えた。
「お話なら今朝存分にしましたよ、それに真希さんが話したいのは……いえ、止めておきましょう。お兄ちゃん、クラスカーストの違う相手のことをそんなに気にしない方がいいですよ」
それだけ言って真希についてはなにも話さなかった。朝の話の内容が気になるところだが、この様子だと『聞くなよ』という雰囲気がプンプン漂ってきているのでそれに逆らうほど愚かではない。空気に押しつぶされることはあっても俺は空気が読める人間なのだ。
「ところで教室で食べなくてよかったのか? 今は友人を作る大事な時期だろ」
高校生活で初手をミスると灰色の青春を送る羽目になる、俺がいうんだから間違いない。
「だからこの教室で食べてるじゃないですか?」
こいつ……本気でそう尋ねているな。俺の友人など今さら増えそうもないので構わないのだが、妹までぼっちにするのは申し訳ない。かといって俺が友人を見つけてやることも出来ないだろう、俺は雲雀とは比べものにならないくらいのコミュ障なのだ。
「お兄ちゃんはお肉が好きだと思ってスタミナが尽きそうなメニューにしたんですよ!」
そう言って指さす弁当の彩りはなんというか……茶色成分が多いような気がする。かろうじて彩りを与えている赤色は赤いソーセージだ、とにかく肉を大量に使った料理になっていた。
「朝起きるの大変だろう? 別に手作りしなくても……」
「まあそれはそうなんですがね」
あっさり肯定する雲雀に少々あっけにとられた。
「まあ初日って事で手作りにしました。明日からはコンビニのお弁当でも持ってきますよ」
どうやら問題なのは手作りという部分らしい。コンビニの弁当になったからといって俺の教室に来なくなるかと言うこととはなんの関係もないようだ。
「自分の教室で食べるっていう選択肢は無いのか? 俺の立場とか考えたことは?」
突然クラスでも目立たない方の陰キャが妹とは言え美少女と昼食を取っていたら目立ってしょうがない。そのへんを察してくれないものだろうかと詮無い望みを手繰ってみる。
「お兄ちゃんと一緒の学校に通ってるんですから昼食くらい一緒でも問題無いでしょう?」
いや、俺と一緒にいるとお前のスクールカーストが連座制で下がるぞといいたいんだが……
「家でも顔をつきあわせる人間と学校出まで一緒にいたいと思うのか?」
「思いますね! お兄ちゃんとは二十四時間一緒にいても飽きませんね」
断言する雲雀。それは愛情と呼ぶにさえあまりにも重いものだった。何故この妹は兄にここまでこだわるのだろう。俺にはまったく心当たりがないので理由が分からない好意を一身に浴びている状態だ、はっきり言って不気味でもある。
「ごちそうさま」
「はい、美味しかったですか?」
俺は少し考えた。
「コンビニ弁当でいいな」
美味しいと答えることは簡単だ。しかしコイツのことなので、美味しいなどと言った日には毎日朝早くから起きて料理をしかねない。だとすれば俺が悪役に徹してそんな面倒な重責からは解放してやるべきだろう。自由意志だとしても妹に無理強いをするのは兄失格だ。
「そっかー……まだお兄ちゃんの口には合いませんでしたか……」
少し悲しそうにしているが、これで俺の平穏な昼食が無事保たれるだろう。何でもかんでも妹に甘えるのは良いことではないからな。
「決めました! お兄ちゃんがお弁当になにを選んだかを見てお兄ちゃんを唸らせる料理を作りますよ!」
「毎日?」
「毎日です!」
どうやら俺の平穏はまだまだ遠いらしい。俺は好みが特にあるというわけでもないんだが……
「ちなみにお兄ちゃん、今日は何を買ってきたんですか?」
俺はもうヤケになって昼飯にしようとしていたものを取りだした。
「テッテレー! カロリーブロック!」
「なんですかその未来的な擬音は……というか私の料理はそのショートブレッドに負けたんですか? 割とショックなんですけど」
「現実は非情なんだよ、諦めろ」
いい加減雲雀の相手をするのが面倒くさくなってきてしまったので俺はそう答えてカロリーブロックをしまおうとした。
「お兄ちゃん、それを頂けませんか?」
「え? なんで?」
「私の沽券に関わるのでそれの美味しさを食べることで分析しようかと思います!」
「まあ……いいけど」
昼飯は食べたので残ったカロリーブロックを雲雀に渡すと、満足げに弁当のあとを片付けクラスに帰っていった。アイツに友人が出来るかどうかはすこぶる心配だ。
「ねえ葵?」
「ひぇ!?」
思わず話しかけられてしまったからコミュ障特有の反応をしてしまった、後ろから話しかけてきたのは真希だ。
「驚くことないでしょ、ねえ、本当に雲雀ちゃんのお弁当よりカロリーブロックの方がいいの?」
「そんなわけないだろ、アレは美味しい料理だった。でもな……」
「なによ?」
「コストパフォーマンスを計算するときはパフォーマンスだけじゃなくコストも計算するものだぞ? いくら美味しいからって大きな手間をかけたらコスパは下がるんだよ」
「なら素直にそう言えばいいじゃない、コミュ障ねえ」
「俺がそんな器用な生き方が出来るならこうして昼休みをスマホで潰してないよ」
「それもそうね、葵は高校に入ってからずっとそうだったわね」
真希とも腐れ縁で同じクラスに二年連続でなってしまった、なんという因果だろうか、俺は数少ない話せる女子兼友人(だと思っている)と一緒にいることが出来た。
「ところで今朝、雲雀となにを話してたんだ?」
その言葉を俺が口にした途端に顔を赤くして陽キャ達の輪に戻っていった。どうやらデリケートな話題だったらしい。口は災いの元だな。
キーンコーン
そうして午後の授業を告げるチャイムが鳴った。
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