第10話「宵闇」
「ただいまー!」
「ただいま」
俺たちは二人仲良く帰宅した。さすがに家の前で繋いだ手を離したのが雲雀なりの節度というものなのだろう。その節度を学校でも持って欲しいと切に願いたい。
「おかえりなさい」
「おかえり」
空が茜色を超えて宵に近くなってきていたので両親ともに帰宅していた。しかし二人とも俺を信用しているのか、俺達に対して詰問するようなこともなくいつも通りの帰宅だった。これはきっと信頼の証なのだろう、そう信じておくことにする。
「二人とも、晩ご飯は出来てるから食べちゃいなさい」
「父さんと母さんは?」
「私たちはもう食べたわよ、もしかして食べてきたの?」
いやいや、妹とデートまがいのことをしていたとは言いがたいな……
「いただきます! お兄ちゃん、行きますよ」
有無を言わせず俺の手を引っ張る雲雀、このくらい強引だと母さんも追求出来ないらしくダイニングに連れて行かれた。
「お、今日の晩ご飯はシチューですか、美味しそうです!」
「ああ、美味そうだな」
「そう、作った甲斐があるわ」
母さんは父さんのいるリビングに行った。俺たちに過剰に興味を持たないというメンタルが少しありがたかった。
「温めはレンジでいいですよね?」
「ああ、ご飯にかけてレンチンしてくれ」
そこで雲雀は露骨に不思議そうな顔をした。
「お兄ちゃんはシチューをかけるんですよねえ……私にはよく分かりませんが」
「洗い物が減るだろ。合理的じゃないか」
皿一枚洗うだけで済むのだから別皿にわけるよりよほど合理的だろう。人間は効率がいいように動く生き物だと思っている。だからシチューをご飯にかけるのは人として正しい行動だと思う。
「そんな効率ばかり考えてたら人生を楽しめませんよ?」
「俺は無駄なことだって嫌いじゃないぞ、ただ美味しいものを食べたあとに面倒なことをしたくないだけだよ」
俺の考えに雲雀は諦めたようにシチューを二皿レンジに入れる。俺の方はご飯が入っている。
「私はお兄ちゃんがまともな生活ができないんじゃ内かと時々不安になりますよ……」
「食事のことまで拘束されたくはないな、食事法なんて自由だろう?」
「○○のグルメみたいな台詞で誤魔化さないでくださいよ、お兄ちゃんのお世話は私がしますが二十四時間側に居られるわけではないんですよ? いえ、側に居ることが可能ならそうしますがね、世の中のしがらみという面倒なものがそれを邪魔するんですよ」
雲雀はうんざりしたように言うが、俺は二十四時間三百六十五日妹の世話になる気など毛頭ない。というか二十四時間ってトイレやお風呂の時間はどうする気だ? 俺は断じて要介護者ではないぞ。
老後みたいな話をする雲雀をそっとしておいて、ピーと温め終わったことを伝えるレンジからシチューを取り出す、テーブルに二つを置いて雲雀に『食べよう』と声をかけた。
「あ、はい! つい妄想が捗ってしまいました」
「くだらないことで妄想をするな。食べるぞ」
そう言うとようやく席に着いたので俺たち二人で『頂きます』をして食事をする。
「学校はどうだ? 友達とか出来ないのか?」
「突然父親みたいなムーブするのやめてもらえますか? お兄ちゃんのところへ直行したのにそんな物が出来るわけないじゃないですか」
「自慢気に言う事じゃないんだよなあ……」
呆れながら俺への干渉は止みそうにないなと思う。お互い干渉しない方が平和だと思うのだが、雲雀は俺にガンガン干渉していくつもりらしい、いい加減兄離れしてくれ。心底そう思うのだが察しがいいくせにその点については一向に察してくれない雲雀に文句を言いたい。察しがいい事は読心術が使えるということではないのだろう。まあ雲雀なら普通に『お兄ちゃんの心なら読めます』とか言いそうなあたりが恐ろしいのだが……
「高校に入るとお兄ちゃんと一緒に帰れますよね?」
「まあ……うん……そうだな」
納得のいかないところは多々あるが、一応同じ場所から帰るのだから一緒に帰ることもできるだろう。『出来る』だけであって『やる』とは一言も言っていないわけだが。
「ということは一緒に夕食を食べられますね!」
楽しそうに言う雲雀。夕食が一緒に食べられることの何が嬉しいのやら知らないが、雲雀はとても嬉しそうにしている。ならば俺がとやかく言葉を挟むこともあるまい、下手をするとやぶ蛇になる事は兄としての生活でよ~~~く理解しているからな。
「父さんと母さんもいるだろ?」
「だから二人だけで食べましょうって事ですよ! お兄ちゃんと毎日二人きりの食事……あぁ……なんてロマンティックなんでしょう!」
トリップしている雲雀を放っておいてシチューをご飯と一緒に食べる。この食べ方に何も言わない程度には今の雲雀は周りが見えていなかった。
そうして俺は食べ終わったのだが、一人で席を立つと雲雀が文句を言ってくるであろう事から、妄想の世界に行っている雲雀の対面に座ってスマホを弄っていた。そういやスマホの新モデルが出るんだっけ……高校入るときに買ってもらったばかりだからなあ……
雲雀は相変わらず妄想から抜け出ないので俺はしょうがなく声をかけた。
「雲雀、シチューが冷めるぞ」
その一言ではっとしたのか現実に戻ってきた。
「お兄ちゃんとの爛れた関係を妄想してご飯を食べるのを忘れてました!」
「爛れた関係がデフォなんだな……」
自由すぎるだろ……現実に戻ってきた雲雀はモグモグとシチューを食べてようやく食事が終了した。
「「ごちそうさまでした」」
父さんは母さんと一緒にお風呂に入っているのでそれを聞くものはいなかった。しかし人がいないと言っても『いただきます』と『ごちそうさま』は言ってしかるべきものだと思っている。
「お兄ちゃん、お父さんとお母さんは一緒にお風呂に入ってますよね?」
「一緒には入らないからな」
先に釘を刺しておく。俺の社会的な死を回避するためには合理的な行動だといえる。というか普通は年齢が上がっていくにつれ一緒にはいるのを嫌がるようになるのではないのか? コイツの場合それが反比例しているので恐ろしい。
「お兄ちゃんはケチですね、そのうち私が他の人と一緒にお風呂に入るかもしれないんですよ? 不安にならないんですか?」
「特殊浴場でなけりゃ文句は無いよ。言っておくがそれだけは止めろよ?」
「ああ、入浴に来た客と急に恋に落ちるという……」
「それ以上具体的に話すなよ! 気まずくなるだろうが!」
「お兄ちゃんが振ってきた話じゃないですか」
「そういう問題でも無いんだよ……」
出来る限り妹には健全な生活を営んでほしいものである。勝手な言い分かもしれないが妹に平和で平穏で一般的な生活を送って欲しいというのが兄としての願いだ。
「ふぅ……お風呂空いたわよ?」
母さんの声が響いてきた。風呂上がりのようだ。父さんは何も言わずに書斎に向かっていった。何をしているかは効かない程度のデリカシーはあるし、父母の行動について深く知りたいとは思わない。世の中には知らない方が快適に過ごせることがあるのだ。
「じゃあお兄ちゃん、私が先に入ってくるので残り湯を楽しんでくださいね?」
「楽しむわけないだろ」
そう言って見送ったのだが、そもそも残り湯に父さんと母さんも含まれていることをすっかり忘れているようだ。いや、雲雀だけの残り湯だったとしてもアウトだとは思うけれどさ。
そうしてようやく一人の時間が出来た。俺はテレビにスマホをキャストして動画サイトを眺める。有象無象の動画一覧から勘で面白そうなものを探すのはささやかな楽しみだ。今日は中国産の得体の知れないガジェットレビューを選んでテレビに流した。部屋のPCで見てもいいのだが、雲雀が風呂に入っているということは俺が部屋にいると飛び込んでくる可能性がある。PCの内容を見られる危険を冒すくらいならリビングのテレビで見た方がいい。
『えー……本日届いたSSDは偽装なのだ! 中にUSBメモリがループ記録するように出来てるのだ!』
音声合成エンジンが精製した音声でガジェットが紹介されていく。密封した商品の分解動画は非常に役に立つ。初期不良なのか粗悪品なのか悩んだときにレビューが入っているとそれが判断材料になってくれるのでありがたい。
『内部はこうなっているのだ! 原価はとっても安いと思うのだ!』
詐欺商品の闇を暴いて動画が終わった。最近こういう怪しいガジェット系の動画を見ることが多いのだが、パソコンに初めて触った頃より増えているような気がする、あるいはパソコンが一般的なものになったので小銭欲しさに怪しい業者が暗躍しているだけかもしれないが……
「お兄ちゃん、お風呂空きました」
「ああ、入るよ」
パジャマ姿の雲雀が出てきたので俺は脱衣所に入り、さっさと服を脱いでシャワーを浴びて石けんで体中をこすってはいお終い。どうせ誰も男の入浴シーンなど求めていないのでこの程度でいいのだ。
俺もパジャマに着替えて風呂から出ると雲雀がニヤニヤしながら待っていた。
「お兄ちゃんが私の残り湯に浸かって……ふふふ、興奮しますね」
「本人の目の前で言う事じゃないからな? あと俺はシャワーだけで済ませた」
ピシッと空気が凍った。雲雀は笑顔を貼り付けたまま露骨に不愉快そうに言う。
「お兄ちゃん! 妹が不潔みたいな考え方をするのはどうかと思いますよ!」
「そういう問題じゃねえよ」
「じゃあどういう問題なんですか?」
俺は少し考えて身も蓋もない答えを返した。
「需要と供給……かな」
半分ふざけたその答えにうんうんと雲雀は頷いた。
「そうですね、お兄ちゃんの裸体は私にしか需要がありませんもんね!」
お前にはあるのかよ……そう突っ込みたかったが黙っておいた。なんだかそこを追求すると恐ろしいことになりそうなことだからだ。触らぬ神に祟りなし、世の中関わらない方がいいことは関わらないのが俺の考えだ。
すると雲雀は俺に抱きついてきた。
「ちょ!? なにするんだよお前!」
雲雀は俺の胸に顔を埋めて深呼吸をしてから言った。
「お兄ちゃん! また石けんで洗ったでしょう? ちゃんと私が選んであげたボディソープを使ってくださいよ!」
「いや……その……高級品を見ると身体が拒絶するんだ」
半分事実だった。ドラッグストアに一緒に買い物に行ったときに、俺が咳止めシロップを買おうか悩んでいたところで雲雀が加護に高級そうなボディケアセットを入れてきた。
「結構気をつかうんだな……」
「これはお兄ちゃんのものですよ? いつも安物で済ませるから私が買ってあげることにしたんです!」
そう言って結構な金額の商品をカゴに入れていた。
「お兄ちゃんもそんな退廃的なものを買おうか悩むのは止めてください! もっと長生きして欲しいので『ソレ』は買いませんよ」
思えば俺は雲雀に救われた。あそこでシロップを購入していたらろくでもないことに手を出していたかもしれない。その事については雲雀に本気で感謝している。あの頃は高校に入りたてで気が立っていたんだ。
とにかくそこで雲雀に助け船を出して貰った手前ドラッグストアには雲雀と共に行くことにしている。ただ、買いに行くたびに雲雀は俺用のスキンケア製品などを買ってくれるのでないがしろにはしない。
「悪かったよ、時間に余裕があるときは使うからさ」
「しょうがないお兄ちゃんですね……もうちょっとスキンケアには気をつかってくださいよ?」
「分かった分かった」
こうして就寝することになったのだが、寝る前にPCのメンテを一通りしてから寝る事にした。アップデートで夜中に落ちても困るからな。
そうして夜もふけた頃、アップデートを手動であてて寝ることにしたのだが、ベッドに入るとPCの音源が消えたことにより隣の部屋から艶めかしい声が聞こえてきた。隣が誰の部屋かは言うまでもないだろう。しかし、健全な高校生ということで、ソレに目を瞑って、イヤーウィスパーを耳につけて寝た。
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