第9話「家路」
今日はもう何事もないと思っていた……しかしその考えは甘かったのだ。
「お兄ちゃん、一緒に帰るのは小学校以来ですね!」
となりにはニコニコした雲雀が俺のブレザーの裾を掴んで歩いている。どうしてこうなった!」
事の起こりは少し前にさかのぼる。
「それじゃあお前ら、一年の規範になるように」
教師がそう言ってホームルームは終了した。ここまでは何事もないごく普通の事だった。
そして解散となった瞬間に教室のドアが開いた。誰が入ってきたのかは言うまでもない。
「お兄ちゃん、一緒に帰りましょう!」
そう、雲雀である。アイツは学年の壁も乗り越えて平気で上級生のいる教室へ殴り込んできた。そして俺を帰宅に誘う。コレで俺の帰宅時に起きる甘酸っぱいイベントがなくなってしまうことが確定した。俺は靴箱にラブレターが入っているという一昔前の青春もののようなことがあるとは思っていないが、下校時に何かイベントが起こるのでは無いかと思っていたのだが、その一縷の望みも妹の無情な言葉にかき消された。当然のことだが兄妹同じ家に暮らしているので下校が一緒だったら家まで一人きりになる時間は無い。
「俺は……ちょっと用事が……」
「じゃあ付き合いますよ! 何の用事か知りませんが二人でやれば半分ですよ!」
くっ……苦しい言い訳は通用しないか……正直に言おうかな。
「ちなみにお兄ちゃん、用事がないんだったら私と一緒に帰る以外の選択肢は存在しませんよ、なぜなら……」
「何故なら?」
「私がここでゴネるからです! クラスの皆さんに迷惑はかけたくないでしょう?」
ゴネる宣言をする雲雀。そういうのはせめて帰宅後に出来ないものだろうか。無駄な度胸と根性がある妹だ、いやむしろ蛮勇と言うべきだろうか、とにかく俺と一緒に帰るという強い意志は感じられる。はた迷惑なやつだが俺が言うことを聞いておけば俺以外に迷惑がかかることはない。ならば俺が我慢しておくべきというものだろう。
「分かったよ、一緒に帰ろう」
「はい!」
玉のような笑顔を向けてくる雲雀だが、その実邪悪なものなのではないだろうかと俺は危惧していた。
その時俺の肩をポンと叩かれた。
「あんた……本当にそれでいいの?」
真希の質問に対して俺は少し考えてから答えた。
「俺が少し我慢すればいいんだからそれでいいんじゃないか」
その返答に呆れたようにため息を一つついて俺に諭すように話す。
「葵、兄妹は一生一緒にいられるわけじゃないんだからね? いずれ離れることも考えておきなさいよ」
そう言っていつものグループに戻っていった。わざわざ俺に忠告しに来たのか。俺はどうせ大したことができないのだから妹の相手くらいはして置いてもいいだろう。
「お兄ちゃん、真希さんのことはどうでもいいじゃないですか、一緒に帰りますよ!」
後ろから『シスコンだなあ』と小さく聞こえた。
帰途につくと雲雀は自己主張を全開にしてきた。
「お兄ちゃんに彼女は必要無いと思うのですよ!」
「いや、俺の意志は?」
「お兄ちゃんの意志は私と同じでしょう? まさか私と意見を異にするとでも言う気ですか?」
無茶な言い分だった。妹は唯我独尊というか、世界は自分を中心に回っていると思っているのではないか、そう思えるほどには放漫だった。ちなみに雲雀の胸は豊満である。
そんな益体もないことを考えながら妹に身体を押しつけられて暑苦しい帰り道を歩く。雲雀は何故俺にそこまでこだわるのかは分からないが、きっとこだわることに理由など無いのだろう。
「あ! お兄ちゃん! 喫茶店がありますよ、ちょっとご休憩していきましょう!」
「お前が言うとなんだか卑猥な感じがするんだよなあ……」
何がどうとは言わないけどさ、上品になれないのだろうか?
「帰り道なんだから素直に帰ろうぜ、家までそんなに遠くないだろ」
俺がそう言うものの雲雀は納得してくれない、ぷうと頬を膨らませて不平をアピールしている。
「お兄ちゃん、これでどうですか?」
そう言ってさしだしてきたのは魔法のカードだった。ガチャ十連分にはなる金額のものだ。
「分かった、ちょっと寄っていこうか」
金には逆らえない俺だった。無料で十連が回せるならとても美味しい案だ。俺は否も応もなくその案に乗った。自分で言うのもなんだがそのうち金で身を持ち崩しそうな気がするな……
カフェというより喫茶店といった方が正しい店に入るとシックな部屋に純喫茶と言った前時代的な光景が広がっていた。
二人で席について、注文をする。俺はコーヒー、雲雀は紅茶だ。おしぼりで手を拭きながら雲雀に今日の気まぐれについて聞いてみる。
「どうしたんだ今日は? いつもより俺にベッタリだな」
雲雀はなんでもないことのように言う。
「そりゃお兄ちゃんとの初の下校なんですから甘えるに決まってるじゃないですか」
しかしそれはおかしくないか?
「入学式の日は違うのかよ?」
「特別な日となんでもない人の差ですね。何でもない日にお兄ちゃんと下校出来るなんて素敵でしょう?」
えぇ……
「俺の自由時間は?」
「ないです」
断言だった、しかし雲雀はそれに付け加えて……
「まあその魔法のカードで我慢してくださいよ、十連は回したいでしょう?」
俺が財布の中にしまったプリペイドカードの事だろう。確かにもらったけどなあ……なんとなく釈然としないのが人情だろう。しかし貰ってしまった俺がそれに文句をつけるのもみっともないことこの上ない。今日のところは納得しておくしかないだろう。
なお、明日以降もこの
「お待たせしました」
コーヒーと紅茶が運ばれてきた。俺は砂糖もミルクも無しで飲む。苦味がどこか心地よかった。
「お兄ちゃんはミルクも砂糖も入れないですよね、癖ですか?」
「そんなところだ。砂糖を入れると飲みやすいんだがな」
「では何故私でも飲めるようにしないんですか?」
なんか論点がずれているような気がするな。
「雲雀は紅茶の方が好きなんだろう? 俺のコーヒーを飲む必要は無いじゃないか」
雲雀はやれやれと首を振った。
「お兄ちゃんと一緒のものを飲めるというのが大事なんですよ、そこが分からないとはなっていませんね」
何故か雲雀に説教をされてしまった。なんだか理不尽な気がしてならないんだがな。雲雀は砂糖を二つ入れて甘々の紅茶を美味しそうに飲んでいる。本当に味の好みは似ていないな。
「雲雀、お前って甘いもの好きだよな」
「知らないんですかお兄ちゃん? 糖分は脳が求めているんですよ」
「お前の脳が栄養を欲するほど働いているとは思えないんだがな……」
直情的な妹を相手にしてしみじみそう思う。自由過ぎるだろうと俺は主張したい。
「お兄ちゃんは私に借りがあるんですよ? 魔法のカードを持っていることをお忘れなく」
「分かったよ、俺の負けだ」
議論というか論争になると妹はすぐ感情に訴えかけてくる。理論ではないので反論がしづらいことこの上ない。
「イヤッホーーい! お兄ちゃんを論破しましたよ!」
明らかにやったことはゴネであって決して論破では無いと思うのだが、本人は一応論破したつもりらしい。論破とは一体……
「お前さあ……誰でも彼でもはい論破とか言ってたら友達が出来ないぞ?」
「ふっ……天才というのはいつだって孤独なものです。しかしお兄ちゃんは側にいてくれるでしょう?」
「それは……まあな」
妹を一人にするなど考えてはいない。妹の友人が一人もいないとしたら俺が友人になってやる、しかしその事と妹が自分から友人を切り捨てることを認めることはまた別だ。妹の友人になる事と妹が友人を無くすことは別問題である。
「だからって自分から一人になろうとするなよ? 高校にもなってくると友人が作りづらいだからな」
「体験談ですか?」
「そうだよ……」
高校デビューに失敗した俺は友人がロクにおらず数人のソシャゲ仲間がいる程度だ。妹にはもう少しマシな高校生活を送って欲しい。
「ということは私が数少ないお兄ちゃんの高校での友達になれるんですね! 嬉しいです!」
「少ないとか言うなよ、事実だからって言って良いことと悪いことがあるぞ!」
しかし雲雀はニマニマしながら俺の方を見る。その顔はとても嬉しそうだった。
コトリ
カップを置いて雲雀が言う。
「さて、そろそろお暇しましょうかね。高校生が深夜までいるのもお店に迷惑ですしね」
「分かってるんだったら寄り道するなよ……」
俺が先に出て雲雀が会計を済ませる『私が誘ったんですから当然払いますよ! 貸し一つですからね!』と押し貸しをされてしまった。別に妹に貸しも借りも無いし、困っていたら助けてやるんだがな、そういうところを気にするのが雲雀というやつだ。
「お兄ちゃん、お待たせ!」
「いくらだった?」
「お兄ちゃんはすぐそうやって借りを返そうとしますね、こういうのは私が本当に困ったときに返して頂くので気にしなくていいですよ」
「随分とでっかい借りだなあ……」
雲雀は楽しげに笑う。
「お兄ちゃんに貸しを作るのは楽しいですからね、さ、帰りましょうか。お父さんもお母さんも心配してるでしょうしね」
「あの二人は心配性だからな……」
こうして俺たちは自宅へと帰った。店を出たときに雲雀がスマホを出して何か操作していたがここで決済用に交通ICでも使ったのだろうか?
「何をやってるんだ? 行くぞ」
「お兄ちゃんと一緒に入れる場所には座標の記録をしていますから、少し待ってくださいね?」
一々そんなことをやっているのか、ご苦労なやつだな。
「ちなみに思い出の地はポ○ストップに出来ないか申請しています!」
「運営に迷惑をかけるのは頼むからやめてくれ!」
俺としてはソシャゲ運営に悪影響のあることはやめて欲しい。タダでさえ大型IPでも簡単にサ終する業界なんだからな。一年でサ終するゲームの何と多いことか。アレは運営母体が大きいから平気だろうけれど、センシティブな業界への嫌がらせはやめてくれ。
「一つお願いがあります!」
「なんだ? それで借りが返せるのか?」
「ええ、そうですよ。お兄ちゃん、これからも私と一緒に帰ってくださいね?」
「しょうがないな……一つ条件がある」
「何でしょう?」
「お前が都合の無いときだけだぞ、俺と帰るために友達との誘いを断るようなことはするな」
「わっかりました! 了解です!」
雲雀は力強く宣言したのだった。どこまで信用出来るかは分からないが、コイツは俺と違ってコミュ障ではないのですぐに友人くらいできるだろう。そうすれば俺の自由時間だって出来るはずだ。
早く妹に友人と呼べる子達がたくさん出来ることを心から祈ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます