第2話「登校」

 過ぎ去った一月二月三月に思いを馳せながら、俺は新旧後のクラスがどうなっているか気にしていた。そこへ雲雀が飛び込んでくる。


 雲雀は高校の制服を着ており、長い黒髪にブレザーが非常に似合う。つり目がちなので生徒会役員っぽい見た目といえばいいのだろうか? 言動はともかくとして見た目は非常に似合っていた。


「お兄ちゃん! ほらほら、一緒に登校しますよ!」


「覚えていたのか……」


 一月のことなど四月になれば忘れているかとも思ったのだが、雲雀の記憶力はなかなか侮れないようだ。


「お兄ちゃん……どうですか?」


「どうですかって?」


 雲雀は分かってないなあと首を振って言う。


「私にこの制服が似合っているでしょうって言って欲しいんじゃないですか!」


 なんだそんなことか、コイツに似合わない服なんてないだろう。何なら学校指定のジャージでも綺麗な体のラインが出るようなスタイルをしているくせに随分と自信が無いんだな。


「ほらお兄ちゃん、早く私を褒めてくださいよ!」


 しょうがないやつだな、そこまで俺に褒めて欲しいのだろうか? 確かに同年代にしてはブレザーが似合っているし、その事を俺が認める必要は無いと思うのだがな。


「似合ってるよ、すごく可愛いと思う」


 かあっと頬を赤らめる雲雀、コイツの考えることは分からんな。理解は出来ないが正解の選択肢を選べたようで何よりだ。俺には妹に対する個々の選択肢で正解というものが分からない。人間関係に正解というものがあるのかは不明だが、世間を生きている多くの人たちは、なんでもない会話をする度に正解を選び取っているように思える。俺はそう言う器用な真似は出来ない。だから会話をくじ引きのように感じてしまうんだ。


「お兄ちゃんにも私の可愛さが分かりますか、ふふふ、私は幸せですね、お兄ちゃんに認めてもらえるんですから」


 自分の発言で何故雲雀が喜んでいるのかは分からない。兄妹で褒め合ってそれほど嬉しいものなのだろうか? 俺だって雲雀に褒められると悪い気はしないが、少なくともこんなに喜び上がったりはしない。なんだか初詣の時に俺の隣で祈っていた胡乱な言葉を思い出してしまう。まさか本気で言っていたわけではないだろう。


「さあ行きますよ! 二人の初登校です!」


 そう言って手を引かれるまま玄関に行く。


「行ってきます!」


「いってらっしゃーい」


「真面目に勉強するんだぞ」


 そんな言葉を両親が返して家を出た。何気ない日常の会話だ、兄妹一緒に登校することがおかしいとは思わない。しかしどこか違和感を腕に覚える、それは雲雀の柔らかな体から伝わってくる感触と熱量のせいだろう。俺に絡めた腕から伝わってくる体温は平熱よりも暖かいような気がした、あるいはそれは春の陽気のせいなのだろう。まあ深く考えず春になって気温が上がってきたのが理由だと思う、物事はシンプルな方の理由を選択する方が簡単だからな。


「お兄ちゃんお兄ちゃん!」


「なんだよ」


 顔が近い、腕を絡めているので強制的に雲雀の顔が俺の顔と近距離にある。ドキリと心臓に病気を抱えているわけでもないのに何故か動悸がした。運動をしたわけでもないのにおかしいな。そもそも中学時代だって雲雀は俺について歩いていたわけで、そのおかげで女子から話しかけられることはなかったわけだ、コイツが後ろで威嚇をしていたからな。だからコイツがいると異性としてドキドキするというより恐怖によるドキドキの方が強い。


「こうして登校していると恋人みたいな気分ですね?」


「無い無い、多分妹にがんじがらめにされている兄にしか見えないよ」


 物理的に拘束されているのだからしょうがない。ドキドキもなにも、自分の人生において恋人らしきものを作らせまいと必死なやつに俺が興奮する要素はない、恐怖はするがな。


「またまたー! ホントは嬉しくてしょうがないんでしょう? なにしろ私は美少女ですからね!」


「美少女であったとしても自分のことを美少女と言い張るやつを好きにはなれないな」


 自信があるのは結構なことだが生憎俺は自信過剰なやつが嫌いだ。自信を持つのはいいがそれを人にひけらかすようなことをするべきではないだろう。それはそれとして雲雀が美少女なのは確かなのだが言動が俺の見える範囲では残念な美少女でしかないので意識も何もない。


「お兄ちゃん! さあ私の記念すべき初登校なんですから見せつけましょう!」


 どうやら俺に恋人が出来る日はまだまだ遠いようだ。妹には叶わない、雲雀が俺にベッタリなのが悪いとは言わないが、恋人を作る自由くらい欲しいものだ。


「お? ほうらいじゃん! そっちの子は誰? まさかお前彼女が……」


 学校では陰キャで通っている俺だが、クラスメイトにソシャゲの攻略法を効かれる程度の人間関係はある。当然学校近くになってくるとクラスメイトに出くわす確率も増えるわけだ。こうなることは予想していた。


「妹だよ、兄離れできない、な」


「ほー……可愛いじゃん! 羨ましいな!」


「いえ、お兄ちゃんの妹というのは本当ですが恋人も兼ねてますから、そこを曖昧にしないでくださいよお兄ちゃん!」


「お前は俺の恋人ではない」


「またそんなこと言って、買収が足りませんでしたかね……プリカをもっと買って……」


 そいつは妹が尋常ではない奴である雰囲気を察したのかさっさと離れていった。俺には妹がなにを考えているのか分からない。分からないのだが、少なくとも俺に恋人を作って欲しくないのだろうなというシンプルな答えは予想がついた。それとなんでも金で解決しようとする妹の姿勢には少し呆れる。もう少し感情に訴えかけるような言葉を持っていないのだろうか? 戦の言葉よりプリペイドカードの数字の方が価値を持つ。雲雀らしい価値観だった。


「おーい? 正気に戻れよ」


「はっ!? お兄ちゃんを私のものにする計画を思わず考え込んでしまいました! 本物のお兄ちゃんが隣にいるというのに……私としたことが」


「反省しているようだが、反省するところはそこじゃないからな。お前に正気があると信じた俺が馬鹿だったよ」


「失敬な! 私はいつだって正しい人間ですよ!」


 正しい人間ねえ……人として正しいって何なんだろうか? 俺には到底理解できない概念だ。


「アレが私とお兄ちゃんがイチャつくための校舎ですか、そこそこ大きいですね」


「早速校舎を私物化するんじゃない!」


 学校も見えてきたので腕をほどこうと雲雀の手に触れるが、がっちり掴んでおりまったく離せる気がしない。


「なあ、そろそろ離れてくれないか?」


「いやでーす! このままお兄ちゃんと既成事実を作っておきたいですね」


 こういう邪悪なことをいうから雲雀は困った妹なんだ。俺と一緒にいたってマイナスのことしかないだろうに、しかし一切離れるつもりはないらしい。兄離れできないのか、あるいは俺に不自由な学校生活を送らせたいのか真意は分からない。


 そうこうしているうちに靴箱までついたので雲雀も手を渋々離した。世話の焼けるやつだな。


「ほら、一年の教室に行け、ああ、そういえばさ」


「なんですか?」


「一緒に登校って今日だけだよな? 何日とか指定はしていないしさ」


 キョトンとした顔の雲雀が数瞬遅れて驚きの声を上げる。


「私としたことが! 回数の指定を忘れるなんて! くっ……高校はずっとお兄ちゃんに送ってもらおうと思ったのに……」


「それで、何が言いたいのか分からんが問題無いんだな?」


「ぐぬぬ……しょうがないでしょう……でもお兄ちゃんならきっと私と一緒に登校してくれると信じていますよ、なにしろ同棲しているのですからね!」


「兄妹が暮らしていることを同棲とは言わない」


 調子が狂うなあ……


「何にせよ、お前は一年で俺は二年、個々でお別れだ」


「ぐずっ……お兄ちゃん! 私のこと、忘れないでくださいね!」


「なんで今生の別れみたいな雰囲気を出してるんだ……」


「それではお兄ちゃん……名残惜しいですが下校までさよならです」


「うん、今日は入学式だから数時間くらいの別れだな」


 大げさすぎるだろう。たかだか校長の長い話を聞いてホームルームをして下校するだけだ。それだけのお別れに大騒ぎする雲雀を放っておいて俺は自分の教室に向かった。


 二階に上がって教室に入ると注目の視線が集まった。原因は明らかなので俺は気がつかないふりをすることにした、ド直球に質問してくる人もいないだろうし問題無いはずだ。


「蓬莱、おはよう」


「おはよう」


 同級生のすずが挨拶をしてきた。コイツは高校に入って以来の付き合いだが特に男女の関係に進展することはなく友人レベルの関係が続いている。


「可愛いね、妹さん」


「困った妹だよ」


 その言葉だけで大体のことは通じたようで真希は俺の肩をポンと叩いてから自分の席にいった。


 その会話から、登校中俺にベッタリだったのが妹であることがはっきりしたので幾分か好奇の視線がやわらいだ。コレを狙って俺に話しかけてくれたのだろうか? だとしたら真希に借りができてしまったな。アイツは表情に出さないので真意は分からないが助けられたことは事実だった。気の利くクラスメイトがいて助かった。


 真希も陰キャの俺に話しかけられたくないだろうからチラと向こうを見るとこちらに視線を向けてきたのでジェスチャーでありがとうと伝えておいた。


 向こうも理解したのか俺の方を向くのをやめて友達と話し始めた。やはり陽キャは世渡りが上手だな、俺とは大違いだ。


「おい蓬莱、今回のガールズファンタジーの人権キャラは誰なんだ? どうせお前はもう調べてるんだろう?」


「wiki見ろよ……俺よりよっぽど詳しい連中が解析しているぞ。まあ普通にバレンタイン仕様のミカでいいんじゃねえの? オートバトルにしても周回出来るぞ」


 俺に声がかかることと言えばこういう事くらいだ。俺は話題になったソシャゲは大概プレイしている。オタクとしての嗜みなのだろうと思っている。オタクだったら彼女が出来ないだろうという考え方もあるだろうが、そこは人間、矛盾した考えを持つことを認めて欲しいな。


「wikiって細かいパラメータとか調べられてないじゃん? あんなの当てにしてんのか?」


「それは多分企業wikiだな、商売でやってるやつは信用出来んよ、素直にユーザーが作ったwikiを使うといいぞ、やたら見栄えのいいところは内容が薄いことが多いしな」


「へー……そういうのもプロゲーマーの一種なのかねえ……」


「企業wikiの連中は検索結果の上位に来ることしか考えてないからゲーマーですらないよ、その証拠に載ってる情報なんて酷いもんだろ?」


「ほー……蓬莱はソシャゲの周回が早いのはそのへんが理由かなあ」


 他愛ない話、ソシャゲは天気の話題レベルに無難な話題だ。宗教論争のようなことも起こらないし、正解がある話題なら間違った意見を抑えるのも理詰めで可能だしな。


 AndroidはPCのエミュで動かしているが、Androidのみ対応のソシャゲは本当に勘弁して欲しい、クソ重いエミュを動かして大容量のゲームを入れるのは苦行でしかない。


 幸いなのはiOSがこの学校の主流であり、それ以外の質問をされることがないことくらいだろうか。


「お前らー、席に着け、今日は入学式なので新入生に恥じないように行動しろよ」


 それから他愛もないホームルームをして体育館に向かった。ずらりと並んだ新入生達は、これから少しでも偏差値の良い大学に行くために競争をさせられるわけだ。学校という得体の知れないシステムに組み込まれる連中を僅かに哀れみながらも囚人希望者達の一覧を眺めてみた。


 見覚えのあるロングヘアに出るところが出ているスタイルの、見覚えのある顔がこちらに向けて熱い視線を送ってきていたが無視することにした。ここで反応でもしようものならこちらへ向けて手でも振りかねない、入学式を台なしにする気は無いのだから、必要以上に場をかき回すようなことはしない。


 ツンツンと隣からつつかれた。何かと思ってそちらを見ると真希が雲雀の方を指さしていた。


『妹さん?』


 こっそり俺に話しかけてきたので『そうだ』とだけ答えておいた。何故か心持ち不安そうにしているが真希もトラブルになりそうだと思っているのだろうか? 雲雀もこっちを見てアピールをしているので無理もないことだな。


 入学式の最中に隣でチラチラと真希が雲雀の方を見ているのが気になってしょうがなかった。なんなら遠くでこちらにアピールしている雲雀より、すぐ隣でチラチラ見ている真希の方が気になるくらいだ。


 そしてそんな殺伐とした空気の中、校長の長話がようやく終わって、一通り学問への取り組み方などを指導する教諭が話し、解散となった。疲れた、たかが入学式だと侮っていたが、何故か妹がこちらを見て笑っているような気がして精神的に非常に来るものがあった。何にせよようやく終わってくれたので教室に各自帰ることとなったのだが、教室で真希が話しかけてきた。陽キャにしては珍しいことだ。


「葵、あなたの妹さんめっちゃ可愛いわね!」


「ああ、そう思うよ、アイツは可愛い。ただ俺に何か恨みでもあるのかな……あの態度はな……」


「んー……アレは恨みって言うより……」


 真希は気になるところで黙って陽キャグループに戻っていった。雲雀のやつもそのうちああいうグループに入って俺のことなど忘れてしまうのだろう。そう思うと少しだけの寂しさと多少の安堵を覚えた。


「お前らー、新入生に恥ずかしくないようにしろよ」


 教師はそう言ってホームルームをあっさりと終えた。随分とあっさりしているものだが、それが悪いことではない。むしろ長話を聞かされないだけマシだ。


 あっさり終わり下校になったのだが、いきなり雲雀が飛び込んできた。いやものの例えだがそのくらいの勢いで俺いる教室に入ってきた。


 まるで勝手知ったる我が家のように俺の方に歩いてきて手を取った。


「さあお兄ちゃん! 一緒に帰りましょう!」


 手を引かれて教室を出て行ったのだが、こちらを冷たい目で見る真希の視線が痛かった。


「お前、強引すぎるぞ。そもそも登校しか一緒にするとは言ってないんだから下校までひっつくなよ」


 雲雀はそれを無視して言う。


「いやですよー、お兄ちゃんに変な虫がつくと困っちゃいますからね、お兄ちゃんには恋人は必要無いんですよ」


「お前、俺に寂しい一生を送らせたいのか?」


「お兄ちゃんには私がいるじゃないですか!」


 いや、お前はいずれ恋人を作るんじゃないか? そう思ったのだが、それを言うと癇癪を起こされそうなので黙った。泣く子と地頭には勝てぬとことわざにあるとおりだ。妹を泣かせると延々とグチグチ言われるので、だったら黙っておいた方がマシだ。


「分かったよ、今日は一緒に帰るから手を離してくれ」


 とりあえず引きずられるような絵面は良くないので手を離してもらう。すると手を離したかと思ったら腕を絡めてきた。


「雲雀、恥ずかしいから」


 まだ校庭を出たばかりで生徒の目が多数あるのでこんな事をされると目立ってしょうがない。しかしガッツリ抱きついてきている雲雀は、どこからそんな力が出ているのか分からないが、俺の腕を決して放そうとしない。


「分かったよ、ちょっと急ぐぞ」


 個々でグダグダしていても埒が開かないので学校から離れることにした。逃げるにしかずとはよく言ったものだ。


 雲雀を引きずるような形で腕を引っ張って学校から離れた。離れてからようやく俺の腕から離れた。


「なんで後者から離れてから離れるんだよ……まだずっとひっついてた方が一貫性があるぞ」


「お兄ちゃんの知り合い達へのアピールのためですからね、生徒がいないなら手を普通に繋ぐくらいでいいかなと思いまして」


 雲雀のやることは理解出来ないな。俺の人間関係を崩すのに必死すぎるだろう、お前は本当にそれでいいのか?


「分かったよ、帰るぞ」


「はい!」


 俺は無茶を言う雲雀に呆れながら手を繋いで二人で帰路についた。その日の夕食はなんだか先行きの不安を覚えるような、まるで金属を噛んでいるような感覚を覚えたのだった。

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