第9話


 コーデリアが早退しようと事務館の廊下を歩いていると、ふと窓越しに騎士服を着た男達の姿が目に入った。移動だったり見回りだったり、特に珍しいことはないはずなのに、立ち話をしている数人の騎士達が気になって窓際に近づきよく見ると、

「闇討ち」を仕掛けてくると思しきハリスンの姿がそこにあった。

 思わずその場にしゃがみ込み、窓の下に身を隠す。

 本当に運が悪いと言うか、何というか。そんなことを思いながら、どうしようかと思案し始めた。

 今立ち上がれば気付かれてしまう。ならば、このまま這いつくばって進むか? いやいや、それはさすがに誰かに見られでもすれば家の名に傷が付きかねない。ならばどうしよう?とうずくまったまま考え込んでいたら、気が付くと背後から足音が聞こえる。ん? 足音だけじゃない。この音は帯剣した剣の音?

 

 まさか、まさかと思いながら、背筋に汗が流れるのを感じた。


「どうされました? 具合でも?」


 ああ、ああ、この声は忘れもしない、ハリスン!!


 どうしようなどと考える暇はない。こんな真昼間に闇討ちもないだろうが、それでも、それでもだ。とにかく逃げよう。それしかないと決意し、


「いえ、何でもありません。どうぞお気遣いなく」


 これで去って行ってくれればありがたいのに、と思いながら相手の返事を待つのに中々声がかからない。不思議に思いそっと顔を上げようかと思った瞬間。

 ぽんっと肩に手を置かれ、

「コーデ……」「ひっ!!」

令嬢らしからぬ声が思わず口から出たが、そんなこともはやどうでも良い。

 コーデリアはスクッと立ち上がると、脱兎のごとく走り去った。


「あ!待っ……」


 待てと言われて待つ人間なんかじゃない。コーデリアは一心不乱に走り続けた。

 行先は全く考えていない。がむしゃらに走り続けて、気が付けば職場である請求管理部の部屋が目に入る。『ここだ!』勢いよくドアを開け走り込むと、

「追われています。かくまってください!」

 それだけ言うといつの間に戻って来たのだろう、上司と目が合い、思わず窓際にある彼のデスクの下にしゃがみ込んだ。

 息を切らし肩で息をしているコーデリアは、頭を抱え膝をつき小さくうずくまっている。

 「どうしたんだ?」との問いに答える間もなく、請求管理部のドアをノックする音が聞こえる。


「コンコンコン」


 その音を聞くと「ひぃ~」と情けない声を上げるコーデリアを上司は足で机の中に押し込め、つかつかと靴音を響かせながらガチャリとドアを開けた。


「はい。どなたですかな?」


 請求管理部部長 トーマス・ロッドがドアを開けると、そこには騎士服に身を包んだ男が立っていた。

 背も高く、見目も麗しい騎士。さぞや令嬢達にモテるだろうと、一目でわかる立ち姿。


「失礼します。私は宮廷騎士隊、第二王子付のハリスン・アンダーソンと申します。

 こちらにコーデリア・キャメロン嬢が入室する姿を確認いたしました。彼女はここにいらっしゃいますね?」


 まるで騎士が尋問をするような口ぶり。

 上司トーマスは何のことやらわからないが、先ほどまで一緒に話をしていた同僚たちは静かに視線を合わせると、「マズイ!」と言った顔をした。

 それを横目で確認したトーマスは、

「コーデリア・キャメロンは確かにここの職員で、私の部下ですが。生憎今日は具合を悪くして早退しております。騎士隊員殿が一体何用でしょう?」


 体格、体力、腕力。どれをとっても敵うはずがない。それでもだてに年をとっているわけでは無い。トーマスはハリスンの顔をねめつけるように見上げた。


 まさか断られるとは思ってもいなかったハリスンは一瞬たじろぐも、部屋中を一回り見渡し職員の顔色などを見つつ、簡単に引き渡すつもりはないと知る。


「そうですか、早退を? どうやら私の勘違いのようですね。大変失礼いたしました。でしたら、彼女に言伝をお願い出来ますでしょうか?」


「伝えるだけなら、伝えましょう」


「ありがとうございます。

 では、コーデリア・キャメロン嬢に、ハリスン・アンダーソンが会って話をしたいとお伝えください」


 なぜか大きな声で話すハリスン。さすが体力のある騎士の声は大きく、廊下にまで響くほどだった。当然机の中に隠れているコーデリアにしっかり伝わった。

今更話すことなんてないでしょう?何なのよ、もう!と、机の下で深いため息を吐いた。




 ハリスンが諦めて去った今、何故かコーデリアは自分の机に座っている。

 具合が悪く早退したはずなのに何故?と思うが、あの後無言の圧を受け今に至る。

 彼女を囲むように先輩同僚たち、そして向かいには何故か上司のトーマスが座っている。なんでこんなことになってしまったのか?と、逃げ出した思いに駆られるのをグッと堪える。



「何があったんだ?」


 トーマスの言葉に「え?それは、その、廊下で声をかけられて、おもわず逃げたら」などとしどろもどろに答えるがさすがに要領を得ない。


「僕に声をかけて来たのはあの人です」

「ああ、俺もだ」

「俺もです」

 

 先ほど話していた先輩同僚たちが、皆声を揃える。

 やっぱり、自分は狙われていたんだ。と、コーデリアは改めて衝撃を受けた。


「一から説明してくれないか? ここまで皆を巻き込んだんだ。説明責任があるのはわかるな?」


「……、はい」


 コーデリアは覚悟を決め、淡々と話し始めた。

 ハリスン・アンダーソンと婚約の話が出て、実際に見合いのような事をしたこと。

 夜会の席で偶然に自分とキャメロン家を馬鹿にした話を聞き、見合いを断ったこと。アンダーソン家は災害による被害で金銭的に困窮しており、婚約関係を結ぶことで援助を願い出た経緯もあり、この話が立ち消えになることを拒んだこと。

 結局、親戚筋に家督を譲ることでハリスンは子爵の地位を辞し、騎士となったこと。そして、それを恨みに思い自分に復讐をしようとしているのではないかと思っている。と、説明をした。



「なるほどね」


 トーマスの言葉に皆が頷いた。皆が頷くほどに恨まれていたのだと、コーデリアは小さく肩を落とした。

 

「やはり、私がご縁を断ったのが原因だと思います。人ひとりの人生を大きく歪ませてしまったんです。私だけがのうのうと生きているのは、そりゃあ彼にしたら面白くはないですよね」


 すっかり諦めの境地に達したコーデリアは、


「家に帰ったら父に相談しようと思います。もしかしたら、このまま退職するように言われるかもしれませんが、仕方ありません。このまま命を狙われては父も黙ってはいないでしょう。領地に引きこもり一生を終わらせることになるかもしれませんが、それも人生です。覚悟は決まりました」


 眉を下げ、今にも泣きそうな情けない顔をするコーデリアに同僚たちは、まだ方法はあるかもしれないだろ。諦めるなと元気づけてくれようとするが、コーデリアにそれを受け止める力は残されてはいなかった。


「彼が恨みに思う気もわからないわけじゃない。だが、そんな話は貴族社会ではよくある話だよ。それに、彼は未だに子爵家の人間のままなんだろう?」


「え? だって、親戚に家督を譲ったと聞きましたが?」


「まあ、責任を取ったってことなんだろうが、だが彼は未だに宮廷騎士として勤めている。宮廷騎士は貴族でなければなれないはずだ。それに、さっき彼はアンダーソンと名乗っていた。どういう経緯を辿ったのかは知らないが、彼が未だに貴族籍であることには間違いないだろうな」


「え? そうなんですか?」


「いや、私に聞かれても知らないが。そういうことだと思うぞ」


 トーマスの言葉が信じられないわけではないが、でもアマンダからはすでに子爵ではないと聞いた。バートン侯爵家の情報網に間違いはないと思う。

 どういう事なんだろう?と考えていたら。


「ま、家に帰ってもう一度、伯爵に確認した方が良さそうだな。どちらにしても、お前を恨みに思って命を狙うとか、そんなことではないはずだ。そこまで馬鹿な男には見えなかったぞ」


 

 何がなんだかわからず狐につままれたような思いで、コーデリアは俯いたままグルグルと思考をまとめることが出来なかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る