第4話
あの夜会の後、ハリスンは何度かキャメロン伯爵に面談の願いを申し出た。
しかし、その願いが叶う事はなかった。
元々、正式に婚約を結んだわけではない。あくまで見合いであり、たとえ何度会ったところでただの知人に過ぎない。
あまりの熱心さにコーデリアは少し心が痛んだ。
結婚の話が立ち消えになったとしても、領地の復興を手助けしても良いのではないかと。領主であるハリスンに思うところがあったとしても、領民がひもじい思いをするのは可哀そうだと父に進言したこともあった。
「今助けたところで、きっと彼は変わらないだろう。領地の、領民の為と本気で思うなら、領地経営に本腰を入れるべきだ。多くの領民の命や生活を預かっている責任に彼は気が付いていない。また同じことを繰り返すような奴に金を貸すほど我が家は甘くはない」
父の言葉に納得をするも、不思議と心が落ち着くことはなく、コーデリアは敢えてその話題を避けるようになっていった。
突然帰った夜会の日から日を置かず、仲の良いアマンダから茶会の誘いを何度も受けていた。
説明するのも面倒だし、落ち着くまでと思っていたのだが。ある日、突然の電撃訪問を受けることになる。
「もう、何度誘っても会ってくれないから強行突破よ。我がバートン侯爵家の行動力を甘く見ないでちょうだい!」
唇を尖らせ怒るアマンダは、さすが侯爵令嬢。どんな顔をしたところで、その美しさと気品が損なわれることはない。
学園時代からの関係で、親友とも呼べる彼女はトラント公爵家の嫡男と婚約をしており、来年嫁ぐことが決まっている。
高位貴族による腹の探り合いなどない関係で、今回の見合いの話しもアマンダには話して聞かせてあった。
あの夜の事を全て話して聞かせると、彼女は無作法にもガチャリと大きな音を立てて紅茶のカップを置いた。
「なんなの、その男は? だから爵位を譲る羽目になるのよ。自業自得だわ」
怒り心頭気味に大きな声で起こり出すアマンダの言葉に、コーデリアが食いついた。
「爵位を譲る? 誰が、誰に?」
「え? 知らないの? まあ、たかが田舎子爵家の話題なんて、ここ王都で噂に上ることもないけれど。本当に?」
「ええ、本当に知らないわ。ハリスン様が? 爵位を?」
コーデリアはアンダーソン家のその後について初耳で、心底驚いた。
確かにアンダーソン家の話題を避けていたところはあったが、それにしても……。
「結局資金繰りが間に合わなくて、親戚筋の方に爵位を譲られたらしいわ。責任を取った形なんでしょうね。そのまま宮廷騎士も辞めるつもりだったらしいけど、そこは引き留められたらしくてね。彼、ああ見えて実力のある有望株らしいのよ。だから騎士として生活はできるはずよ」
「私が婚約話を断ったからだわ……」
「ちょっと待ってよ。なに言っているの、そんなわけないでしょう。あなたはちっとも悪くないわ。悪いのは彼の方よ、自業自得だわ」
「ううん。あの人は正直に言ってくれたの。領地と領民のための婚約だって。だけど、一緒になるからには大切にするって言ってくれたのに。それを私が断ったから」
はぁ~と、大きく息を吐いたアマンダが真剣な顔でコーデリアに話しかける。
「いくら昔好きだった男だからって、心を乱されるなんてコーデリアらしくないわ」
「!!」
驚きで目を見開きアマンダを見つめるコーデリアは、声も出でない。
「知らないとでも思った? 二つ上の彼の事、ずっと見ていたでしょう。
ホントはまだ好きなんじゃない?」
アマンダの言葉にコーデリアは言葉を口にすることができなかった。
誰にも気が付かれていないと思っていたのに、誰にも悟られていないと思っていたのに。
綺麗な顔立ちの美しい彼と、パッとしない見た目の美しくない自分では明らかな開きがあった。並び立つなどもっての他だ。
ただ、見ているだけで、遠くから存在を確認できるだけで良かったのだ。
学園にいる間のほんのわずかな期間、同じ時を過ごした事実が嬉しかった。
本当にそれだけだった。
その想いが恋なのかもわからない、それほどまでに淡い想いだった。
「私、あなたと彼のお見合いの話を聞いて、良かったって思ったの。初恋でしょう?
コーデリアにも幸せになって欲しかったから」
優しくほほ笑みながら囁くアマンダの声が、心に突き刺さる。
その「幸せ」を手放したのは自分自身だから。
「貴族令嬢として政略結婚であったとしても、やっぱり愛は欲しいわ。男性に興味のないあなたが思う人だもの。幸せになれると思ったのよ。
でも、彼はダメ。その話を聞いたら、あなたを幸せにしてくれるとは、とても思えないもの」
アマンダが口にした『初恋』。この言葉がコーデリアの頭の中を駆け回る。
「私、ハリスン様のことが好きだったのかしら?」
呆けた顔をしたコーデリアに「?」と、見つめ返すアマンダ。
「なに? まさか、自分で気が付いていなかったの?」
「気が付く、ものなの? 確かに、目で追っていたのは事実よ。彼の姿を見られた日は、なんだか心が温かい気持ちになれたの。でもそれだけよ。別になにかしたいとか、どうしたいとか、そんな事はなかったし。それに、他のご令嬢達と一緒にいる姿を見るとなんだか怒りが沸いてくるし、皆が言うようなドキドキとかそんなのなかったから……」
「はぁ~。そういう気持ちを『恋』って言うのよ。胸を躍らせるだけが恋じゃないわ。嫉妬で怒り狂う事もあるし、切なくて胸を焦がすこともあるの。あなたの想いは間違いなく『恋』よ」
「そんな……」
だとしたら、『初恋』をへし折ったのは他の誰でもない、コーデリア自身だ。
そして、愛する人を窮地に立たせたのも自分自身。
こんなことになるとは思ってもいなかった自分の思慮の浅さに、情けなさが込み上げてくる。
あの日、怒りに震えた自分を責めるつもりはない。キャメロン家を馬鹿にする者を許すつもりもない。
しかし、誰かを、ハリスン自身の不幸を願ったわけでもない。
ただ、この縁談が立ち消えになり、二度と関わり合いにならなければ良いと、そう願っただけだ。それなのに、彼の人生を大きく歪ませることになってしまった。
コーデリアの心はさざめくように波たち、落ち着かない。
そして、その波は涙となって溢れてくる。
どんなに願っても巻き戻せない時を。
どんなに強請っても取り返せない想いを。
コーデリアは、生まれて初めて『恋』に泣いた。
そのそばで、アマンダだけが見守り続けてくれていた。
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