38、帰還


【新暦2445年8月19日PM2:00】※現地時間



「わあ! 、見えたにゃー!」


 戦艦伊勢の右舷前甲板。

 そこに立つミーシャが大声を出した。


「あと1時間ちょっとで、アスファータ湾内の泊地に到着する。でも下艦命令が出るまでは、勝手に連絡艇に乗っちゃダメだからね!」


 1秒でもはやく陸に上がりたそうなミーシャ。

 やはり慣れない長距離航海は、かなりしんどかったみたい。


「三島様? もうお仲間さんたちは、シャトランに入られたのでしょうか?」


 爽やかな潮風に吹かれ、サリナの長い白銀色の髪がなびいてる。

 それを見つめる工藤辰巳先輩の目が、とても優しい。


 これは……。

 2人のあいだに進展があった?


 ともあれ……。

 北龍星作戦艦隊は、ようやくリーン諸島に帰りついた。

 泊地で投錨したら作戦完了だ。


「うーん……くわしくは知らない。でも小耳にはさんだ話じゃ、最初に上陸した陸戦隊の大隊が激しい抵抗を受けたもんで、いったん撤収して、艦砲射撃で上陸地点を叩き潰したみたい。

 さすがにシャトラン市街は、まだ人質や民間人が残ってる。だから、むやみに砲撃できないってことで、まずは上陸地点に橋頭堡を築くんだってさ」


「人質になってるみんな……大丈夫かなあ」


 ミーシャの猫言葉が普通にもどってる。

 これは彼女が本音でしゃべっている証拠だね。


「それが妙なんだ。人族連合軍の飛竜騎士団が偵察に出たんだけど、シャトラン市街地に獣人兵士の姿が見当たらなかったんだって。

 いたのは魔改造されたベルガン人と魔物ばかりで、しかも市街地を守るんじゃなく、雪崩をうって上陸地点に突進してる最中だったって」


 サリナの腰に手を回してた工藤先輩。

 そのままの姿勢で話に割り込んだ。


「俺が聞いた話やと、魔改造されたベルガン人はアホばっかんごたるぞ。戦闘用の頭はあっても、戦略や戦術は考えられんごたる。まあ、中堅の指揮官は上意下達だけしてりゃ何とかなるけん、魔獣だけでん強敵には違いなかばってんが」


「なんだか苦戦しそうな感じですねー」


「んにゃ、大丈夫やろ。俺たち横須賀陸戦隊は上陸専門の部隊じゃけん、それなりに策もあるたいね。どげんかして陸戦隊が道ば切り開く。そんあと陸軍が地ならしするたい。

 人族連合軍は、魔法部隊が側面支援ばするほかは、上陸するんは最後てなっとる。たぶんミーシャが心配しとる人質は、陸軍部隊が救出するだろたい」


「あら、工藤様? わたくしも心配してますわよ」


 そういうとサリナは、工藤のむき出しの右腕をつねる。


「あいたたた……こりゃすまんかったばい!」


「あー。2人でじゃれるなんて……なんか腹立つにゃ」


 何もしない僕に、ミーシャ様がお怒りのようだ。

 しかたなく首筋に手を回し、そこにある産毛を撫で撫でする。


「ごろごろにゃーん」


 これ見よがしの気持ちいい声。

 どうしてこうなった……。


 まあ、作戦を完遂しての長い船旅だったから。

 いろいろあったわけよ。

 詳しくは言わないけど。


「それにしても……戻ってこれたのが信じられないですわ」


 サリナはこの世界【リーンネリア】の住人だ。

 彼女にとってレバント海峡までの旅路は、それこそ世界の果てにおもむくようなもの。


 聞いたかぎりでは【エレノアのしずく】で、出発前に他の酒娘たちと別れの杯を交わしてきたらしい。


 それは旅に出る時の儀式ではなく、本気で生き別れを惜しんでのものだ。

 それだけ、この世界の海の旅路は危険に満ちている。


「出発するとき、大丈夫って言っただろが。何があっても俺が守るって約束したばい」


 あ、先輩、そんな大胆発言をしてたんだ。


「うちのともきーも、ぜんぶ任せとけって言ったにゃー」


 負けじとミーシャが虚勢を張る。

 あれ、そんなこと言ったっけ?

 ワンガルトの獣人を助けるっては言ったけど。


「うーむ……三島。その、ともきーって言うんは、ちと不味まずかごたる気がするぞ。上陸ばしたら最低限は体裁ばつくろわんと、他の艦隊員とか人族連合の者たちの嫉妬でえらいことになるごたる気がする」


「その点については、わたしも同感ですわ。ミーシャは以前から、本気になると見境がつかなくなりがちで、接客でのトラブルも何度かありましたから」


「あー、サリナ姉さん、それひどい!」


「いいえ、酷くありません。わたしたちは、作戦遂行中は親善大使として大目に見てもらえましたけど、上陸したらエレノアのしずくの酒娘にもどらなければなりません。

 年期奉公が終るまで、わたしたちに自由はありません。それがリーンネリアの決まりなのですから」


「それは、その……ともきーにを……ごにょごにょ」


「そうなれば素晴らしい事ですけど、本当に三島様が、身請けなされるだけの資金をお持ちなのですか?」


 初めて聞く話だけど……。

 いつのまにか話ができてる?


 ミーシャたちは、身売り同然で酒娘になったらしい。

 先に借金があるから、最低でもそれを返し終わらないと解放されない。


 それを一気に解決するには、誰かが大枚はたいて身請けするしかない。

 一種の人身売買なんだけど、この世界では悲しいかな合法なんだ。


「あうう……」


 身請けかあ。

 どれくらいお金がかかるんだろ。

 考えたこともなかった。


「サリナ、その話はもういいだろ」


 先輩がミーシャの消沈を見て、マジメな顔で言った。


「あら、わたしとしたことが! もうしわけありません、もう黙ります!」


 サリナとて、似たような境遇のはず。

 工藤先輩はその点、どうするつもり?


 でも話は唐突に打ちきられてしまった。

 残っているのは、4人のあいだを吹きぬける潮風だけ。


 まだまだ僕たちには、難関が待ち受けてるような……。

 でも今は。

 今だけは、この沈黙を理由にミーシャを抱きしめていたい。


 明日のことは誰にもわからない。

 軍人である以上、いつ死んでもおかしくない。


 死んだら……。

 僕はミーシャを1人にしてしまう。

 あの世で後悔するだろうか。


 なにもわからない。

 それでも時は先に進む。


 僕らは時の奔流に流され、どこに行くのだろう。

 それこそ神様にしかわからない。


 流されるまま生きて、流されるまま死んでいく。

 それが人の運命なのだと思う。


 それでも……。

 僕はミーシャを守りたい。

 そう、思った。


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