28、嵐の前の静けさ1


【新暦2445年8月14日AM7:00】※現地時間



 リーン諸島にあるシムワッカ湾。

 湾といっても、日本人の感覚で言うと広すぎるくらいに広い。


 アスファータ港から湾口まで約400キロもある。

 例えるなら日本海の半分が湾になっているくらいの広さだ。


 あまりに広いせいで、シムワッカ湾の中にアスファータ湾が存在している。そのアスファータ湾ですら、北海道の内浦湾より大きい。


 連合艦隊はアスファータ湾を泊地としている。

 出撃する時は、アスファータ湾を出てシムワッカ湾の湾口にむかうことになる。その行程だけでも1日近くの時間が必要なのだ。


 シムワッカ湾内では、留守部隊の潜水艦と駆逐艦が常時哨戒活動を行なっている。


 さらには水上機基地の飛行艇と水偵が定期的に索敵のため飛んでいる。

 敵が湾内へ侵入したら、たちどころに迎撃できる態勢が整っているのだ。


 もちろん湾を出れば外洋のため、どこから敵が襲ってくるかわからない。


 それでも1日近くの時間を穏やかな海で過ごせるのは、これから戦いに挑む者にとって計り知れない心の恵みとなっている。


「宇垣、見ろ! わしにも出来たぞ!!」


 山本五十六長官が嬉しそうに頬をゆるめながら言った。

 白い手袋を外した右手の第2指をさし出している。


「長官……判りましたから、もうやめてください。皆が見てます」


 名指しされた宇垣纏参謀長。

 いつもより五割増しの渋面で答える。


「良いではないか。ほら、火が灯っているだろう? 儂にも職能以外の使のだ!」


 山本が子供のように喜んでいる理由。

 それは今朝起きた時、なにげなく煙草を吸おうとしたことに始まる。


 職能以外のスキルや魔法の習得は、総合レベルが上がることで習得できることが多い。


 レベルに関係なく習得できる場合もある。

 その場合は、なんらかのきっかけになる行動がともなう場合が大半だ。


 たとえば……。

 いま山本が指先に灯している火は、火系の最下位魔法【種火1】だ。

 これは煙草を吸う将兵に発現しやすいことが判っている。


 つまり煙草にマッチやライターで火をつける動作が、魔法を習得するきっかけになったわけだ。


 職能にともなう魔法やスキルを、連合艦隊では【職能魔法/職能スキル】と呼んでいる。


 職能とは、日頃から何度も反復して行なっている作業に関連するものだ。

 これは職業限定というわけではない。

 武道の鍛練や習字などの習い事も含まれる。


 これに対し職能とは無関係に習得するものを【天啓てんけい魔法/天啓スキル】と呼ぶようになった。


 天啓とは【神様から直感的に教えられる】といった意味だ。

 語源となったのは人族連合の現地語。

 翻訳でそのまま日本語になっているため、あまり深く考えずに使われはじめた。


「これで儂も魔法使いの仲間入りだ。話によれば、天啓魔法の上達は職能魔法より断然速いらしい。だから覚えたら儲けものというのが、もっぱらの評判だ」


「わかりました、わかりました。だからもう……」


 ついに宇垣は、周囲に助けを求める視線を送りはじめた。

 それを受けた人族連合参与武官のルミナ・フラナンが、笑いを堪えながら口を開く。


「長官閣下……今回の出撃なのですが、人族連合軍総司令部で、いくつか懸念が持ち上がっているのですが」


 声を掛けられた途端、山本は真顔になった。


「懸念?」


「はい。前回の海戦は連合艦隊の実力によって圧勝しました。ですが今回の魔王国軍は、無為無策のまま再び戦いを挑んで来たとは思えません。

 最低でも、前回の海戦で敗北の要因となった事に関しては、なんらかの対策を練って来ていると思われます。

 これについて、連合艦隊から人族連合軍総司令部への具体的な説明がないまま出撃となったため、急遽、私めに真意を問うて欲しいとの遠隔念話が届きました」


 すでにアスファータから400キロ強離れている。

 まもなくシムワッカ湾の湾口を出る状況だ。

 なのに遠隔念話が届くのは、人族連合の念話系魔法に対する深い洞察の結果である。


 念話は驚くほど無線通信に似ている。

 発信する出力が大きいほど、そして受信するアンテナ(念話の場合、受信する者の能力)が大きいほど遠くまで届く。


 一般的な【念話持ち】同士での念話だと、遠くても10キロ程度しか届かない。

 これは部隊内での念話連絡のボトルネックになる。

 そのため、かなり知識として浸透している。


 では専門家である魔法士クラスだと、どれくらい届くのだろう?

 答は初級魔法士で20キロ。中級魔法士で30キロ。上級魔法士で50キロ。

 そして魔法士の上位階級となる魔導師だと、初級で60キロ、中級で80キロ、上級で100キロ前後となる。


 それ以上の距離は、出力を上げるしかない。

 すなわち、多数の術者が念話送信を共振させて増幅するやり方だ。

 これは魔力を集めるだけでなく、念話送信自体も増幅する。


 したがってルミナが受けた長距離念話の場合、おそらく20名以上の上位魔法士もしくは10名以上の魔導師クラスが協力して送信してきたことになる。


「うむ、そのことだが……たしかに敵も対策を練って来るとは思う。しかし、にわか仕立ての対策では、連合艦隊の大型艦を沈めることは難しいと判断している」


「本当にそうでしょうか?」


「確実とは思わんが……中小型艦となる軽巡と駆逐艦については、場合によっては危なくなることもありうる。そこで各艦の艦長や副長が知恵を出しあい、色々と対策や戦術を練るよう命じてある」


「航空機に対する飛竜の攻撃についてはどうでしょう?」


 今日のルミナは、かなりしつこい。

 それだけ何らかの不安を感じている?


 ルミナの特殊能力は【論理思考】だ。

 論理的思考をするには、きちんとしたデータの裏付けが必要になる。

 となると、根拠のない不安や心配ではない。


「たしかに……飛竜による火炎弾や、氷系もしくは土系魔法による攻撃によって、味方航空隊が被害を受けている。

 これについては、火炎弾の有効射程である100メートル以内、騎兵による魔法の射程が40メートルほどだから、その範囲内に入らずに攻撃することで、被害を受けずに済むことがわかっている」


「敵飛竜の火炎弾で駆逐艦が沈んでおりますが……」


「火炎弾による駆逐艦の炎上沈没だけは、なかなか回避が難しい。これについては、天啓魔法や天啓スキルで水系を習得した者がいれば、その者に【泡消火】の魔法やスキルを学習させられないか、いろいろと試行錯誤をしているところだ。

 もし泡消火魔法ができなくとも、ようは火炎弾の粘着火災を消せればいいのだから、事前に石鹸水を大量に作っておき、それを水系魔法やスキルで効率良く散布できればいいという結論に達した。これで駆逐艦は大丈夫だろう」


 GF司令部と参謀部も、いろいろと考えたようだ。

 たしかに聞くぶんでは効果がありそうに思える。


「皆様の御努力には感服するばかりですが……それは魔王国軍が以前と同じ攻撃方法をもちいた場合ですよね? もし新たな攻撃方法を用意してきたら、それに対する対処はないことになりますが……」


「出撃前の作戦会議で、魔王国軍が過去に行なった攻撃パターンについては、ひと通りの説明を受けている。そしてそれぞれのパターンごとに、可能な限りの対策を準備してきたつもりだ」


「それなら良いのですが……なにか不吉な予感がするんです」


 ルミナらしくない発言。

 理詰めが得意なルミナが、不吉などという感覚的な言葉を使っている。

 これには相当の理由がありそうだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る