18、レバント海峡海戦3


 ここはレバント海峡に浮かぶ2つの島のひとつ。

 西側にあるブレナ島。地元では兄島と呼ばれている。


 ブレナ島は魔王国軍にとって重要な補給拠点のひとつだ。

 冬期は氷上輸送の中継地として。

 夏期は輸送船の安全を確保するための監視拠点として活用されている。


 レバント海峡には野生の海棲魔獣が多く棲息している。

 野生の魔獣は、本能に基づき自分のテリトリーに侵入する者を攻撃する。

 使役用に魔導捕獲テイムされた魔獣とは根本的に違う。


 必然的に……。

 海峡を横断する輸送船は、野生の魔獣の脅威にも対処しなければならない。


 野生の魔獣を駆除するのは専門家の仕事。

 これは魔王国であろうと変わりはない。


 海棲魔獣のハンターと言えば、ペカン島の人魚族が名高い。

 人魚族は海棲人族かいせいひとぞくのなかの一種族だ。


 他にも魚人族や海蜥蜴族うみとかげぞく海半蛇ラミア族/幻歌セイレーン族もいるが、人魚族ほどには強くない。


 だから魔王軍は、人魚族の一部をわざわざブレナ島へ強制移住させたのだ。



※※※



【新暦2445年8月7日PM1:30】※現地時間



「海中にひそむ何者かの攻撃で、補給船ゴルゴン号が爆発沈没したって!」


 人魚族のティルカが、兄のムスムに報告した。

 連絡のため海上からもどってきたばかりの出来事だった。


 ティルカは女戦士で、上半身には硬貝こうがい製の軽鎧けいがいをつけている。

 ヘソから下は硬い鱗に覆われている魚体なので防具はいらない。


 首から上はエルフ族に似ている。

 だから人間視点ではなかなかの美人だ。

 それもそのはずで、人魚族はハイエルフ族の派生種である。


 ここはブレナ島から東南東へ13キロほど行った海中の岩礁がんしょう地帯。

 深さは30メートル程度と浅い。

 火山性の岩礁のため、いくつもの海中溶岩洞窟が存在している。


 その中のひとつ――コリコゼの洞窟。

 そこに魔王国軍ガガント方面軍所属の【レバント海中兵団】司令部がある。


 レバント海中兵団は人魚族で構成される部隊だ。


 とはいえ……。

 実動兵力は240名しかいない(司令部要員その他の60名を除く)。

 少数なのは、彼らの戦いかたが特殊だからだ。


「もどったか。午前中の爆音は、その音だったのか?」


 ムスムとティルカがいる場所は第1連絡所と呼ばれる空洞だ。

 海中洞窟を100メートルほど泳いだところにある。


 第1連絡所は人魚族に快適な空間が造られている。

 洞窟内に茂る海藻から出る酸素をうまく活用しているからだ。


 人魚族といえども、基本的には肺で呼吸する哺乳類。

 ただし水の中でも、首の両側にあるエラ蓋から海水を取り込んで呼吸できる。


 だが激しい運動をすれば酸素が足りなくなる。

 戦闘だとなおさらだ。

 空気のある場所にもどって小休止しなければならない。


 この第1連絡所もそうだ。

 海中戦闘で疲弊した兵士がもどってきて、まず最初に呼吸を整える場所とされている。


「うん、でねでね! 飛竜連絡隊のブランさんに海上で命令書を渡されたの。あたしは出撃準備があるから、兄さんが隊長さんに命令書を渡しといてね!」


 第1連絡所の出入口は、洞窟の床にぽっかり開いた縦穴だ。

 その穴は海中洞窟につながっていて、いまはティルカが海面から上半身を出して話している。


「おまえなあ……また勝手に命令書を読んだだろ。出撃準備だって、ミムラン隊長が命令書を呼んでから命令するんだから、完全に先走りじゃないか!」


 兄のムスムは、穴のそばにある石製の台座に腰掛けている。

 手に持った警備用の槍を突きつけて、怒った表情を浮かべていた。


「大丈夫だって! 魔王軍の命令は絶対だから。どうせ命令書通りに出撃することになるもん。でもって相手が未知の敵なら、あたしたち【歌導隊】の出番でしょ?」


「ああ、もう! それじゃ、せめてみんなが来るまでに、きちんと準備しておけよ!」


 歌導隊とは、ティルカの所属する【戦闘歌導隊】のことだ。

 海中兵団には、歌導隊とは別に【三矛みつほこ襲撃隊】が存在している。


 兄のムスムは襲撃隊に所属している。

 歌導隊40名と襲撃隊40名でワンセットの海中戦隊となる。


 3個海中戦隊で240名。

 彼らが3交代制で任務に従事している。


 いまの時間に出撃となると、ムスムとティルカの隊。

 2人があせるのも無理はなかった。


「うん。じゃみんなには、出撃詰所で準備してるって伝えてね!」


 そう言うとティルカは、とぷんと小さな音をたてて海中に姿を消す。


「やれやれ。それじゃ行くか」


 ムスムも器用に尾鰭おびれを使って、体を穴へと移動させる。

 人魚族の成人身長は2メートルを越える。


 陸上では強靭きょうじんな魚型の下半身を使い、跳ねるように移動する。

 尾で地面をたたけば、ゆうに5メートルはジャンプできる。


 2本の腕も、大きな身体を引っぱれるほどマッチョ。

 見た目の優美さとは裏腹に、なかなか凶悪な肉体なのだ。


 ふたたびとぷんと音がして、第1連絡所には誰もいなくなった。



※※※



【新暦2445年8月7日PM3:15】※現地時間



 午前中の魚雷攻撃から、おおよそ6時間が経過した。


 1隻を沈められた魔王国側は、残りの輸送船を大急ぎでブレナ島へ退避させた。

 そのため第2潜水戦隊は、さらなる戦果を期待できなくなった。


「現在位置、ブレナ島の南西12200メートル、水深30メートル。まもなく本艦の索敵海域の北西端に到達します」


 副長の中山が、伊65の艦長を兼任している醍醐忠重だいごただしげ少将に報告する。


 ブレナ島の周囲は極めて浅い岩場になっている。

 潜水艦では、これ以上接近できない。


 敵船が退避している湾内も岩場だらけ。

 人工的に掘られた船道せんどうも曲がりくねっている。

 湾外から魚雷攻撃しても、敵船のずっと手前で爆発してしまうだろう。


「湾外に敵影なしか。おどしが効いているぶん、今日はもう出てこないだろうな」


「おそらく……ただし夜の闇にまぎれて、海峡突破を試みる可能性はあります」


「夜間は海上航行で充電しなければならん。その場合だと雷撃より砲撃のほうが有効だから、砲撃班には日没後に備えて待機するよう命じておいてくれ」


「了解しました」


 中山副長が低い声で答える。

 砲撃班が待機している前方の兵員室へと歩いていく。


 作戦予定では、明日の午後に連合艦隊の航空攻撃隊がやってくる。

 それまでは積極的に敵輸送船を撃沈することになっていた。


 その時点では、作戦艦隊の本隊は南方280キロ地点にいる。

 しばらくは海峡に接近せず、航空攻撃で敵をたたく作戦である。


 と、その時――。


「北西1000メートル付近の海底に、正体不明の異常音を探知!」


 聴音手がふり返って報告した。

 ヘッドホンを外しながらだ。


「正体不明?」


 醍醐の口調がきつくなる。

 正体不明では報告する意味がない。


「これまで聞いたことのない音源です。相手が何者かすら推測できません!」


 叱られた聴音手。

 困った表情を浮かべている。


「どんな音だ?」


「ザワザワとした、なにかが海中でこすれるような音……それとは別に、海底を引っくようなガリガリとした音です」


「この海域には大きなかにが棲息している。それが移動する音ではないか?」


「大クモ蟹やマダラ岩蟹、さらには魔獣のブロイス鎌蟹などは、既知の存在のため聞き分けられます。

 しかしいま聞こえている音は、それらのどれとも該当しません。音の規模が極端に大きいという特徴があります。おそらく未知の巨大魔獣ではないかと」


 聴音手は自分の耳に絶対の自信がある。

 それだけに譲るつもりはないらしい。


 聴音手の判断は、時として艦長より優先される。

 それが潜水艦の特異的なところだ。


「とりあえず……緊急停止だ」


「モーター逆進!」


 醍醐の命令。

 それを受けた中山副長が、機関主任に艦内有線電話で連絡する。


 たちまち高まるスクリューの逆回転音。

 潜水艦が減速しはじめた。


 ――ミシッ!


 その瞬間。

 異様な音が聞こえてきた。

 2重船殻の外板あたりだ。


「機関室より連絡! モーター負荷が急速に増大中! 艦がなにかに引っかかった模様です!」


 受話器を耳に押し当てたまま中山が叫ぶ。

 潜水艦乗りが叫ぶ。

 いまが緊急という何よりの証拠だ。


「機関停止。様子を見る」


 醍醐の迅速な命令。

 すぐさま実行に移される。

 だが、艦外からのきしみ音は止まらない。


 ――ミシッ、ミシッ!


 まるで巨大なクラーケンの触手にからまれたような感じだ。

 しかし、どことなく音が違う。


「前にクラーケンが絡んできた時と、音が違うような気がするが……」


 醍醐の質問に聴音手が答える。


「あきらかに違います。クラーケンの場合、きしみ音の前に、かならず吸盤を叩きつける音がします。しかし現在の状況は、もっとなにか……湿った布か革が、ズレながら艦体に巻きついてくるような感じの音です」


「副長、艦は大丈夫か?」


「本艦は完全な2重船殻構造ですので、たとえ外板がへこんでも耐圧内殻が無事なら、潜水艦としての機能はいささかも減じません。ただ……露出している主砲や潜望鏡の先端部、アンテナ、吸排水孔などを損傷すると、それらの機能が低下する可能性があります」


「沈黙は無策か……よし、電流を流せ!」


 相手が生き物であれば、高圧電流を流せば退散する。

 巨大なクラーケンですらあわてて逃げ出すくらいだ。


「電路切り換え用意。各員、対電撃態勢を取れ」


 スピーカー放送で、艦内に副長の声が流れる。

 普段は静粛を保つため禁止されている放送も、いまは別だ。


 ちなみに対電撃態勢とは……。

 艦内各所の床に設置された絶縁用の厚ゴム板の上に乗り、艦に流す電流から人体を守るための態勢である。


「電撃用意、3、2、1……」


 副長は最後のれいを言わずマイクを放りだした。


 ――バンッ!


 轟音とともに、艦内の絶縁されていない部分に紫電が走る。

 これは艦内に満ちる静電気によるものだから、さしたる影響はない。

 パイプ類から淡い煙が立ちのぼっているのもグリスが気化したからだ。


 静電気による放電でも電気回路などに影響が出ない。

 これは潜水艦が電気まみれの艦だからだ。


 潜航中は電気の力で航行する。

 だから最初から漏電対策が施されている。

 心配なのは火災だが、出火したら即座に消火班が対処することになっている。


「変化なし……です」


 聴音手が落胆した声で報告する。


「急速浮上だ」


 こうなったら危険を承知の上で海面に出る。

 醍醐の決断に艦内があわただしくなった。


「メインタンク、ブロー!」

「傾斜角、プラス30度。微速前進!」


 異世界に来てまで敵性用語もあるまい。

 そう考えた山本五十六の命令で、英語の使用許可が出されている。


 もともと海軍では英語が多く用いられている。

 兵学校では英語の授業もある。


 ――ゴゥン!


 艦が動き始めた途端。

 なにかに引っかかるような感触で急停止した。


 ――ブチブチッ!


 激しい断裂音。

 聞いていて気持ちのいいものじゃない。


「長官……何かが千切れる音みたいですね」


 中山副長の感想に、醍醐も無言のままうなずく。

 その上で口を開いた。


「艦速を上げろ。全速でかまわん」


「モーター最大!」


 ――ブチブチブチ、ババッ!


 盛大に何かが破断する音がした。

 同時に艦の浮上にはずみがつく。


「脱出できたようです」


 聴音手がほっとした声で報告する。


「艦速そのまま。緊急浮上を続行せよ」


 醍醐は、このまま海面まで浮かびあがることにした。

 普段なら潜望鏡深度で止まって海上監視を行なう。


 これは安全確保のためだ。

 だがいまは浮上が最優先……。


「潜望鏡、上げ!」


 急速浮上中も醍醐の命令は止まらない。

 潜望鏡が使えるようになると、飛びつくようにのぞきこむ。


 すでに伊65は潜望鏡深度を越え、海面にセイルトップが出ている。

 潜望鏡で周辺の様子が確認できるはずだ。


「……なんだ、これは!」


 そう言いながら副長と交代する。


「昆布……いや、地球の北東太平洋で良く見られるケルプに似てますね。しかし……自発的に動いて艦に巻きついている。これは【海藻かいそう状生物】と呼ぶべきでしょう」


 副長がそこまで口にした時。

 操舵手が大声で注意した。


「緊急浮上します! 艦首が海面より突き出ますので、衝撃に備えて下さい!!」


 発令所にいる全員が、身近にある固定物に手をのばす。


 ――ザザザーッ!

 ――ズズン!


 艦首が空中におどり出て、それが海面に叩きつけられる。

 同時に艦が水平になり、醍醐たちはようやく手を放した。


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