12、宿酒場【エレノアのしずく】
【新暦2445年6月9日PM9:00】※現地時間
「おう、三島! こげんとこにおったんか!!」
突然、大声で呼ばれた。
声をかけてきたのは、僕とは正反対のイメージ……髭面の大男だ。
ミーシャが驚いて身を離す。
「なんだ……工藤先輩じゃないっすか」
腐るほど見知った顔だ。
それにしても良いタイミング。
ほっとした自分にうんざりする。
工藤先輩は海軍兵学校の1年先輩。
卒業後は海軍陸戦隊を志願したって聞いてる。
しかも無理矢理に、僕を空手の課外教練に参加させた張本人だ。
もっとも、ほとんど上達しなかったけど……。
「うんにゃ、奇遇やろー。俺んとこの横須賀第1陸戦隊っちゃ、ハワイ攻略作戦に参加する予定やったやんか? じゃけん俺がここにおるんは当然たい。ばってん、貴様が連合艦隊におるっちゅーんは初耳やぞ?」
なぜか先輩の言葉には、複数の方言が混ざっている。
兵学校時代には熊本弁だったけど、その後に入った陸戦隊で混ざったのかな?
まあ、軍隊では良くある話だ。
僕と一緒に呑んでいた艦橋伝令兵たちを押しのけ、テーブルの対面にすわる。
強引な仕草だったが誰も文句を言わない。いや言えない。
180センチを越える背丈と熊のような巨体に恐れをなしたらしい。
そうでなくとも先輩は海軍陸戦隊の少尉だ。
所属は違っても、ただの兵士でしかない艦橋伝令員が逆らえる存在じゃない。
今日の接待呑み会も、少尉の僕が上官として彼らを引率してきたから実現したんだ。
そうじゃなきゃ下士官や兵士の順番は、ずっと後になってたはず。
「出撃直前になって、大和への配属が決まったんすよ。おかげで実家にも、ただ出撃が決まったってしか言えなくて……だから工藤先輩にも報告できなかったんです!」
「当然たい。作戦予定は機密事項やったからな」
ミッドウェイ海戦の直前。
帝国海軍は、作戦情報がアメリカ海軍に漏れていることを察知した。
そして大慌てで、
それがなければ、あのミッドウェイ海戦はボロ負けしていたはず。
こちらの情報が筒抜けの状況じゃ、どんだけ戦力で優っていても負ける。
危ういところだったけど、なんとか間にあった……って感じ?
それからというもの。
帝国陸海軍は、ようやく情報秘匿の重要性に気付き、今度は過剰なほどの
「はい。でも……異世界に来ちゃった以上、ぜんぶ意味なしになっちゃいましたけどね」
この世界では、敵は連合艦隊が何者なのか、まるで知らない。
同様に僕たちも、敵のことを知らない。
情報戦においては、すべてがふりだしに戻ったようなもんだ。
「ところで三島。貴様……
どこで【エリア翻訳】のことを聞いたんだろ?
なかなか
僕のまわりには酒娘たちが群がる。
いずれもお目当ての男(僕以外)と話をしたいから。
なにも僕がモテてるわけじゃない……だから完全に先輩の勘違いだ。
「先輩は……あい変わらず怖がられてるみたいですねー」
「うるせー。こげな俺でんよかっちゅー女だけ、俺も相手するんやっ!」
そう吠えながら、いきなり左上段突きをくり出してきた。
反射的に右外回し受けでかわす。
一撃で腕が痺れてしまった。
「あ、なんですか、これ! いくら酔ってるからって全力で突くなんて……!」
マジ怒る。
だって殺気がすごかったもん。
「うんにゃ、いつもん軽い
まさに熊パンチ。
冗談じゃ済まされない。
だけど、それを冗談で済ませるのが先輩という人だ。
殺気がダダ漏れになり、周囲が一気に静まりかえる。
それを見た年長らしい酒娘の一人が、ふわりと工藤先輩の横にすわった。
「あらあら、素敵な筋肉ですこと」
しなやかな細い指。
それが先輩の右前腕の筋肉に沿って、上へ上へと滑っていく。
放っておくと胸の筋肉までたどり着きそう。
「お、おう!?」
女にうぶなのは僕だけじゃない。
モテないことにかけては工藤先輩もなかなかのもんだ。
それだけに、いきなりの接触に動揺を隠せてない。
「あっ、サリナ姉さん。どうしたですにゃ~? たしか今日って、お偉いさんの指名が入ってたんじゃなかったかにゃ~」
いつのまにかミーシャが猫言葉にもどってる。
さすがは水商売のプロ。
サリナと呼ばれた
かすかに金色がかった産毛のような体毛が、ふわりと尖った頭上の耳に光っている。
細すぎる髪もおなじ色で、背まであるストレート。
触れば手にまとわりついて離れなさそうだ。
「人族連合軍の総司令部から、連合艦隊幹部の皆様のお相手をするように言われてたのだけれど……急にキャンセルされたのよねえ。だから今日はフリーってわけね」
妖しげに微笑む目には、縦長の瞳がきらめいている。
「み、ミーシャさん? こちらの女性は?」
取ってつけたような質問になった。
「【エレノアのしずく】のナンバー2。海風のサリナ姉さん……普段は、なかなかお目にかかれない売れっ子にゃー」
どことなく自慢げに聞こえる。
素直に尊敬してるんだろうな。
「これを機会に、よしなに」
背筋がぞくっとするほどのウインク。
対面している僕ですらそうなんだ。
擦りよられて耳元で囁かれた工藤先輩は、まるで子熊のぬいぐるみのように萎縮しまくってる。
【
歳の頃は、おそらく24か25。
もちろん地球人に見立てての年齢だから、本当のところはわからん。
獣人種は早熟って聞いてる。
それだけに、すでに完成された色気で蒸せかえっている。
「あらあら、お兄さん……かわいいわー」
可愛いと言われたのは工藤先輩。
猛獣も、見ようによっては可愛く見える?
「ば、馬鹿言うな! ワシはこう見えてもな……」
先輩は精神的に余裕がなくなると、【俺】から【ワシ】になる。
それを知っているだけに、気付かれないよう小声で笑った。
「はいはい。お見受けした限りでは体術の達人。異世界の勇者将校様ですから当然かしら? でも、私みたいな女は初めてでしょう? どう、試してみません?」
今度は小指がつつつっと首筋を
先輩のでかい
地球人類なら、誰だって獣人種の女は初めて。
そんなの判りきったこと……。
なのにわざと聞くなんて、サリナは男の扱いがうますぎる!
「サリナ姉さんが
ミーシャが素で驚いている。
ついでに僕の腕を、ここぞとばかりに抱きなおした。
胸のぷっくり感に息が止まる。
その時……。
ふたたび呼ぶ声が聞こえた。
「GF参謀部の三島友輝特任少尉はいるかーっ!?」
見れば長官付参謀の渡辺中佐が、入口のところで叫んでいる。
「はいっ、こちらです!」
一挙動で立ちあがると、さらに挙手までした。
余勢で跳ね飛ばされたミーシャが、ソファーの端でびっくりしている。
「ただちに人族連合軍の合同作戦本部まで来るように! 会議召集が掛かっているぞ!!」
円滑な会議を行なうには僕の能力が不可欠。
そのため24時間態勢で待機するよう命じられている。
「すぐ行きます!」
そう答えつつ。
工藤先輩に両手をあわせ、場を離れる非礼を
「三島様。工藤様は、わたくしめが責任を持ってお相手させて頂きますので、どうぞお気になさらずお出かけなさいませ」
ふかぶかと酒娘風の一礼をするサリナ。
その横で、ミーシャが弾む声で叫ぶ。
「いってらっしゃーい! 会議が終わったら、また来てにゃー!」
一瞬、立ち止まる。
ふりむくと言った。
「か、家族……機会があったら、絶対助けるから!」
それだけ言うと走り出す。
なに言ってるんだ、俺。
「おーい、置いてかんでくれ……」
背にかけられたのは、蚊の鳴くような先輩の声だった。
かくして……。
連合艦隊の面々は、また新たな明日にむけて動きはじめたのである。
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