11、アスファータにて



 リーン諸島――。

 それははるかな昔、諸島全体が世界樹の巨大な幹だった。


 いまの世界樹とは比べものにならないくらい大きく、リーンネリア世界の半分を木陰でうるおしていたという。


 いまのリーン諸島は、化石化した古代世界樹の根元……。

 ゆえに、土地そのものに大量の魔素が含まれている。


 魔素はリーンネリア世界の根本エネルギーだ。

 そして魔界の住人にとっては猛毒となる。


 同様に瘴気もまた魔界の根本エネルギー。

 だから瘴気はリーンネリアの住人にとって致死性の猛毒となる。


 だが……。

 どちらにも該当しない者がいる。

 そう、地球世界から召喚された勇者たちだ。


 連合艦隊の隊員は、勇者召喚によって異世界へ転移させられた地球人。

 彼らにとり瘴気は有毒だが即死するほどではない。

 なぜなら、瘴気を体内魔力で中和する量が桁違いに速いから。


 魔力とは、体内に取りこまれた魔素が生体転換されたものだ。

 ステータス表示では、翻訳のおかげで【MP】と日本語表示される。


 その魔力の量が、リーンネリア人とは比べものにならないくらい多い。

 これは過去の勇者召喚を通じて、とうの昔にわかっていた。


 かつて……。

 地球人の勇者は魔王国の奥深くまで侵攻できた。

 膨大な魔力を有する勇者だけにできる奇跡の技と伝えられている。


 そしてまた……。

 リーンネリア世界が滅亡の危機にさらされている現在。

 ふたたび勇者が召喚された。


 しかも総勢10万名を越える日本人の大集団!


 帝国海軍が編成した史上最強の連合艦隊と、ハワイ攻略のため結集した帝国陸軍および海軍陸戦隊の猛者たち。


 彼らこそがリーンネリア最後の希望となった……。



※※※



【新暦2445年6月9日PM8:00】※現地時間



「三島友輝少尉さま~。地球世界って、どんな感じの所なのかにゃー?」


 ピンと頭の上にそそり立つ三角形の耳。

 それをぴくぴくさせながら、エールの入ったグラスをさし出す娘……。


 短耳猫族のミーシャ。

 短い猫耳と猫目、そして尻尾以外は地球人と変わらない。


 野性的な引き締まった肉体。

 そのくせ出るとこはきちんと出てる。

 いまも、たわわな胸を腕に押しつけられて心臓ばくばく中。


 三島友輝、当年とって20歳。

 自慢じゃないけど、これまで女の子の胸に触ったのは妹だけ。

 まあ5歳のころ、いっしょに風呂に入った時のことだけどね。


 16歳で海軍兵学校に入学して、それから4年間、女ッ気なしの生活だった。

 卒業してから連合艦隊に配属されるまでも、まわりは男ばっか。


 兵学校の先輩たちから、口を揃えて『着任前に遊郭行っとけ!』って言われたけど、どうしても行けなかった。


 だから僕が童貞なのも、しかたない……よね?

 ね!?


 腕に猫娘のたわわな胸が触れてる。

 ただそれだけで顔真っ赤……。


 ちなみにエールの入っているグラスは連合艦隊からの支給品だ。

 これまでは小さな樽みたいな木製ジョッキが普通だったそうな。


 ためしに洗った木製ジョッキを細菌検査したら、それはもうウジャウジャ……。

 そこで連合艦隊員の健康を守るため、大和の軍医長殿がGF司令部に嘆願した。


 いろいろ改善策が検討された結果。

 大きめのガラス製コップを【複製】スキルで大量生産して、とりあえずアスファータにある飲食店すべてに無料配布したんだって。


 そう……。

 ここはリーン諸島の首都、大樹の里――アスファータ。

 首都って言っても、日本でいえば人口10万にも満たない地方都市程度だ。


 世界樹が地表に伸ばした数多くの根。

 そのあいだに広がる空間に、かつて村が造られた。

 その村が歴史を重ねて拡大したものだって。


 だから世界樹の根元には、根のあいだごとに町がある。

 その中で最大なのがアスファータだったから、いつしか首都ってことになったらしい。


 主な住人はエルフ/ドワーフ/各種獣人で、人間族は少ない。

 ハイエルフ/ハイドワーフは指導者層として居住しているけど、その数は100人に満たない。


 すべての建物が木造。

 しかも元になった木の材質を最大限まで生かした家並みだ。

 それらが複雑に入り組んだ街道のあいだに並んでいる。


 かつては船乗りや冒険者でにぎわっていた町だけに、今も歓楽街が残っている。

 僕がいる店の名は、エルナ歓楽街の宿酒場【エレノアのしずく】。

 数百年の歴史を誇る由緒ある店なんだって。


 ただし最近は、ずっと閑古鳥が鳴いていたそうだ。

 そこに久しぶりに喧騒けんそうがもどっている。


 いま僕をふくむ数十名の連合艦隊員は、エレノアのしずくで働いている酒娘さけむすめたちに接待されている最中だ。


 接待主は人族連合。

 接待される側は、出撃した連合艦隊員すべて。

 人族連合政府公認の戦勝祝いだそうな。


 出撃した連合艦隊員すべてってなると、とても一夜じゃさばききれない。

 そこで全員を歓待し終えるまで、歓楽街の主な店が貸し切りになった。


 さすがに全ての店を貸し切ると一般人から文句が出る。

 なので一般人のために、格安の野外特設酒場が用意されたらしい。


 僕は【エリア翻訳】のスキルをもっている。


 【三島友輝少尉の近くでは言葉に不自由しない】

 これが、もっぱらの評判。


 だから僕のまわりには人だかりが絶えない。

 まあ、すべては誰かが【店の女の子を口説く】【女の子が良客を獲得する】ためだけどね。


 ミーシャに質問された僕は、言葉に詰まりながら答えた。


「あ、うん……地球世界って広いし……そもそも日本は戦争中だったし……」


 地球のことを教えてって言われて、おもわず言葉に詰まった。


 だって新米なんだぞ?

 ハワイ攻略作戦が、生まれてはじめての海外遠征。

 だから日本以外の世界なんて知らんがな。


「せっかくリーンネリアに来たのに、こっちでも戦争だにゃ~」


 ミーシャは心底から同情する感じになった。

 だけどこれは演技と自分に言い聞かせる。

 客商売の演技だよね? ね!?


 酒娘は飲食の接待をするだけじゃない。

 宿酒場の2階以上は、連れ込み宿なんだって。

 つまり客と意気投合したら売春もできるってわけ。


 ちなみにリーンネリア世界じゃ、ほとんどの国で売春は合法らしい。

 さすがに魔王国がどうなってるかは知らんけど。


 僕たちのいた昭和17年の日本も、売春は合法。

 だから誰も、このシステムに違和感を感じてない。


 さらにいえば……。

 エレノアのしずくほどの老舗ってなれば、海外から多くの要人が訪れる。


 アスファータは、リーンネリアにおける希望の地。

 それだけに人族連合も、魔王国のスパイには神経質をとがらせてる。


 酒娘の中には、人族連合軍から派遣された間者かんじゃ(秘密工作員)もいるらしい。

 彼女たちは国防の最前線で働く烈士として、それなりの尊敬すら集めてる。


 もちろん極秘任務だけど、それとなく匂わせるほうが、かえってスパイ行為の予防になるんだって。


 まあ、僕が聞いても教えてくれないだろうけどね。


「戦うのは気にしてない。それが僕らの務めだから」


 すみません、ちょいカッコつけました。

 実際はヘタレです。


「そうだにゃ~。三島様たちが世界樹の危機を救ってくれたにゃん。そうじゃにゃーと今頃、ここも洗脳されたベルガン軍でいっぱいにゃー。あたしも捕まってなぐさみ者か奴隷にされてたにゃ。だからこうして、いっしょに楽しくお酒を飲めるってのも、ぜんぶ三島様のおかげにゃ~」


 そう言うとミーシャは、自分用にあてがわれた薄いカクテルを一口飲んだ。

 しょせんは酒と享楽きょうらくの上での戯言ざれごと


【港酒場の女にゃれるなよ。明日の出撃が今生こんじょうの別れ。ならば一夜の恋と割り切れよ】


 諸外国を渡り歩いた海軍の先輩たちが、真顔で注意してくれた言葉だ。

 世界は違っても海の男の格言は変わらない。


 それでもなお……。

 まるで子猫のようにじゃれつくミーシャを見ていると、心が荒波のように揺れる。


「今回は勝てた。でも次はわからない。だって自分らは、まったく敵のことを知らない……」


『勝ってかぶとめよ』


 上陸許可を出した山本五十六長官は、この言葉で訓辞くんじの最後を締めくくった。


 敵に相当なダメージを与えたけど、なんせここは異世界。

 魔王国軍がいつ再侵攻してくるか、まったく見当がつかない。

 だからまずは情報収集が最優先。


 人族連合から学ぶことは腐るほどある。

 そう結論したGF司令部。

 一目散にリーン諸島へ舞いもどった。


「そうだにゃ~。まだ始まったばっかにゃ……」


 三島に釘を刺されたミーシャは、たちまち消沈した。

 周囲の喧騒けんそうの中、2人だけが黙りこくっている。


 三島の左腕には、ミーシャの右胸が押しつけられたままだ。

 ふわりとやわらかく、男の体にはない優しさ。

 沈黙は、その感触をいやでも意識させる。


 南エレノア海戦に完勝した連合艦隊。

 堂々とした隊列を組み、リーン諸島にあるシムワッカ湾にもどってきた。


 勝利の興奮は、帰還から4日をたいま最高潮に達しようとしている。

 そう、沈黙した2人をのぞいて……。


「あ、あの……」


 沈黙が苦しくて無理に声をかけた。


「はい?」


 何事もなかったようにミーシャが笑顔で答える。


「あのさ。ミーシャって、なんで、ここで働いてるの?」


 とっさに思いついた……。

 我ながら最低の質問。

 その証拠に、かすかにミーシャの表情がこわばってる。


「あ、ごめん……そんなの言いたくないよね!?」


「ううん、かまわないにゃ。ちょっと思いだしただけ。三島様はあたしの恩人にゃ。だからこうして楽しくお酒が飲める。

 でも……ワンガルトにいた父ちゃんと母ちゃん、そして弟のタロサ……みんな魔王国軍に捕まっちゃったにゃ。助かったの、出稼ぎに来てたあたしだけにゃ……」


「わわっ、本当にごめん!」


 両手を合わせてあやまる。

 合掌の意味が正しく伝わってるかは不明だけど。

 ミーシャは黙って見つめるだけ。


「……じ、自分にできることなら、何でもするから!」


 それは、言ってはいけない言葉。

 ミーシャの耳がピクリと動く。


「あのさ……悪いって思うなら、あたしの家族、助けてくんないかなあ?」


 なぜか猫言葉が消えてる。

 たぶん、こっちが本音だ。

 猫言葉は商売用なんだろうな。


「……あはは、やっぱダメだよね? こんな酒娘の言うことなんか、しょせんは一夜かぎりのれ言だもん」


「あ、いや……その……」


 なんて答えればいいかわからない。

 なにを言っても、うわべだけの言葉になりそう。


 ものすごく気まずい……。

 ただ凍りついた時間だけが過ぎていく。

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