第7話 - 2節『白百合とオレンジ』◇part.4

「あ、あの……」


あまりに一瞬の出来事に硬直してしまっていたが、

二人の世界を作ってしまっていた、カレンと少女に、

気まずそうに声をかけるリリー。


目の前の危険は去ったと思ったからなのか、

カレンのことが心配だったのか、

すぐ近くまで、三人で様子を見に来たようだった。



「……ごめん」


完全に、三人の存在を忘れてしまっていた。

カレンからすれば、自分は引率の立場だったはずなのに。


リリーは、空気を読まなくてごめんなさい、といわんばかりに、

おずおずと、助けてくれた少女へ声をかける。



「お、お名前はなんていうの?」

「フレア! フレアだよ!」


「ありがとう、ございます……!

 とても、助かりました!」



名前、やっと聞けた。

ぼーっと、フレアのほうを見てしまいそうになるが、慌ててかぶりを振る。

否。もっと先に、やるべきことがある。



「そ、そう!

 私も、ありがとうございます!」


「オレも、ありがとうございました!

 リリーを助けてもらって!」



普段のカレンらしくもなく、リリーに遅れて、慌てた様子で頭を下げる。

カレンに続いて、ルークやロディーも頭を下げる。


四人で一人の少女に頭を下げるという、

ある種、とても異様な光景。


人慣れしていなかったのか、

それともこんなシチュエーションに困惑していたからなのか。

重厚感のある武器を手から完全に放していたフレアは、

両手を胸の前で振って、あわてて否定した。



「えっと、気にしなくていいよ!

 助けなきゃと思って、助けただけだし!」


彼女が困っている。

このまま頭を下げ続けていたら気まずいと思って、

カレンは何とか、冷静に思考を取り戻そうとする。



「ごめん! ちょっと荷物取ってくるね!」


フレアと同じような、両手を胸の前で振るような動作で、

あわてて、会話の流れを断ち切る。

三人を置いて、捨て置かれたままの巨大な荷物を取りに行く。


細かい荷物は、三人が協力して持ってきていたが、

カレンが背中に背負っていた一番巨大なかばんだけは、

どうやらあの三人の誰も、持てなかったようだ。



一人になったカレンは、ふと思った。

ただただ、疑問ばかりがふくらんでいく。


安全な場所が、この近くにあるのか?

(フレアの住んでいる場所はこの近くなのか?)


それとも、どうして、アンティシアを気にせずにいられるのか?

(フレアは誰かの近くに住んでいるのだろうか?)



思考が、未だに落ち着かない。

カレンはちらちらと、フレアのいる方向を見てしまう。

これは、三人が安全かを見るため。


カレンは慌て、再度かぶりを振り、今の状況を思い出そうとする。

そこで思い出した。自分が先ほど、熊に襲われたばかりなのだということを。


こんなタイミングに、別の熊が出るなんて、想像していなかった。

安易な想像でしかないが、例えば、最初に倒されたのが父熊で、今回倒されたのが、母熊だったのかもしれない。



(魔物除けをくまなく置いてたはずなのに、おかしいな……)


『荷物』を背中に背負い直して、今日の目的行動のために、

川のほうまで持っていく。


この荷物も今思えば、釣り具が左側からはみ出ていたり、

明らかにピッケルのようなものが反対側に見えたり、

ぐるぐる巻きのロープを絡めているしで、

よく考えなくても、意図はバレバレだったであろう。


今いる場所は、

カレンが人為的に用意した『狩場』である。


狩場といっても、動物や魔物を狩るための狩場ではなく、

魚を釣ったり、植物を採ったり、金属などを採掘するための、

いわゆる素材の『狩場』である。


こうした素材は『錬金術師(アルケミスト)』やお店に

"卸売り" として、そこそこの値段で売れるからである。


いわゆる、"普通の" 一次産業。

魔物を狩るだけが、冒険者の仕事ではない。

その意味とは、フィールドワークだって、

今の危険な町の外では、冒険者の仕事なんだってこと。


精度の高いフィールドワークをするためには、

武器を手放して集中しなければならないし、安全を確保する必要がある。

そのための『魔物除け』のはずなのだが、

今回なぜか、大きな猛獣に襲われてしまった。



魔物除けが、上手に作動していなかったのかもしれない。

ある程度の距離を置きながら、聖水で清めた魔物除けのポールはしらを立て、

ちょっとした結界のように全体を囲っていた。


ポール同士は見えない線を描き、

線上を踏み越えようとした魔物に聖なる力で圧迫感を与え、遠ざけようとする。

場当たりな知性しか持たず、本能で動くだけの下等な魔物であれば、

これで十分効果はある。


しかし、作動していなかった魔物除けのポールがあり、

見えない線のなかったエリアから熊が親子で侵入してしまったのではないか。

カレンはそう考えたのだ。



どうして、魔物除けが熊にも通じるのか。


アンティシアの影響は、動物にも出てしまっている。

夜間、町の外にはアンティシアの影の魔力が満ちているため、

本来なら魔物に分類されないはずのそれは、

大気中のアンティシアの魔力を吸い取ってしまうことで、

昼間であっても、邪悪な魔物として認識されてしまうのだ。


アンティシアの魔力には、対象を狂暴化させる性質がある。

その効果は大きな動物ほど、効果が高い。


負の気質をまとう魔力とも考えられており、

今回のような母熊のケースでなくとも、

猛獣の気性が荒くなることは、十分にありうるのだ。


きちんとポールを確認しないと、またこんな事故を起こしてしまうかも。

カレンはそんなことを考えつつ、三人のいる場所に戻ろうとした。



フレアは既に、目の前の倒れた大熊を解体し始めていた。

ひたすら現実を叩きつけるような生々しい風景に困惑しつつも、

これを食べてもいいのかどうか、三人は質問する。


フレアは笑顔で肯定し、

再び頭を下げる三人の様子が見えた。



「ちょっと貸して。私も調理を手伝うよ」


カレンができるだけクールぶって声をかけようとすると、

思った以上に淡々とした口調になってしまった。

それでもフレアは笑顔で "ありがとう" と返すので、

カレンはつい、口をもごもごさせてしまう。


カレンが調理を手伝っていると、子熊の姿が目に入る。

近くにいたはずの子熊は、あまりに一瞬の出来事に、

川の近くをうろうろするばかりで、

状況をまったく理解していない。



『人を襲う猛獣がいれば、子どもごと、容赦なく倒せ』


駆け出しの冒険者だった頃に、

カレンは指導者や上司に、そのような言葉を叩き込まれている。


そんなことは重々に承知しているし、本来の自然界では、

動物を狩ることは食べることに等しいから、

フレアや自分たちの行動は、自然の摂理に乗っ取っていて、

むしろ後始末の仕方としては良いということも、

十分に理解している。



それでも、カレンはふと思うのだ。

この子熊、どうするんだろうな、と。

結局、自然に返すしかないのだけれども。



「……ルドワーク、させようと、してくれたんですか?」


そんな様子を見ていたロディーが、カレンに声をかける。

慣れない獣の匂いに、必死に腕で顔を押さえながらも、

質問しようとする。


声の最初は聞き取れなかったが、

カレンはロディーの言いたいこと――

『フィールドワーク』という単語に気づいて、

感傷的なものを含まないように、できるだけ、

意図のみを拾った回答を返す。



「うん。あのかばんに本が三冊入ってる。

 植物図鑑と、魚の図鑑と、金属の図鑑。

 キミが全部おぼえるつもりなら、あげてもいいよ。


 採取と、釣りと、採掘。

 三人で役割を分けて、一つずつ仕事をおぼえれば、何とかなるかなって」


カレンは淡々とした口調だったが、ロディーはその言葉の内容に、

思わず赤くなって表情を崩しそうになったが、かぶりを振って、

再びカレンへ質問する。



「……して、そこまでやってくれるんですか?」


最初は上手に聞き取れなかったが、カレンはそれでも分かった。

『どうして』と。


うーん、と考えてから、カレンはロディーに質問する。



「こっちの事情も、きちんと知りたい?」

「……はい」


彼女の瞳に映り込んだのは、

自分をまっすぐ見つめてくる、真剣な眼だった。


カレンは、にっこりと微笑んでから。

自らの言葉を、紡ぎ始めた。

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