第3話 宇和島

 2月7日、羽賀研二に似ている青木和哉は、宇和島市にやって来た。

 西側は宇和海に面し、それ以外の三方は山地に囲まれている。リアス式海岸が広がり、加えて離島もあり、漁港の数では全国有数である。

実際には八幡浜市よりも南南東側に位置するが、JR四国の予讃線の特急列車の終着駅であるため、地元住民以外には愛媛県の最西端の市と思われがちである。

 山: 鬼ヶ城山(一部関係者の間では鬼ヶ城山系を南予アルプスと呼ぶこともある(例: 南予流域林業活性化センター))、高月山などがある。


 和哉は鬼ヶ城山にやって来た。

 山頂付近には広葉樹林が多く、冬になると美しく見事な樹氷が見られる。眺めてみると、宇和島市の中心街、宇和海、リアス式海岸、日振島などの日振諸島、そして九州の山々が見える。三本杭(別名: 滑床山)、高月山、権現山とを総称して鬼ヶ城連山と呼び、三本杭・高月山とともに四国百名山に選定されている。また、この山系は南予アルプスとも言われる。

 南麓からは岩松川の支川・御代ノ川 が流下しており、宇和島市の水源の一つになっている。


 青木は昨夜、神社の賽銭箱から金を盗んだ。『杉咲食品』ってところで働いていたが、リストラされて稼ぎがなくなった。アチコチで盗みをしながら、茨城から愛媛までやって来た。


 山の中でノツゴに遭遇した。愛媛県北宇和郡、南宇和郡、高知県幡多郡に伝わる妖怪。土地によって、夜道で人間の歩行の邪魔をするもの、叫び声や産声のような声をあげるものなど、さまざまな伝承がある。


 愛媛の南北宇和郡一帯では幽霊や正体不明のものに出遭うことを「ボウコに出遭う」といったり、幽霊話のことを「ボウコバナシ」と呼ぶが、ノツゴはそのボウコの一種とされる。


 南宇和郡内海村(現・愛南町)油袋では一種の魔性のものと見なされ、「草履をくれ」といって追いかけてくるといい、これに遭うと急に足が重くなって歩けなくなるという。また同村柏地方では、何もないのに足がもつれて歩けなくなることを「ノツゴに憑かれた」という。これらに遭ったときは、草鞋の乳(ち。紐を通す輪の部分)や草履の鼻緒を切って投げると、足が自由になるという。


 和哉は万引をしたことにより、魔力を授かった。

 ノツゴにパンチをすると、退散していった。


 律令時代の宇和郡には石野・石城・立間・三間の4郷が置かれており、旧三間町の領域を除く宇和島市の地域は立間郷に属していた。この立間郷は徐々に開発が進み、新しい郷が設置され、鎌倉時代には旧立間郷に小立間が起こり、また岩松・岩藤・清光の津島三郷が起こっている。この頃に来村郷も成立したとみられている。


 936年(承平6年) -藤原純友が沖合の日振島を拠点に海賊の頭目になったとされる

 941年(天慶4年) - 警固使である橘遠保により、宇和島に砦が建設される。

 1203年(建仁3年) - 西園寺公経が伊予国の知行国主となる。

 1236年(嘉禎2年) - 橘公業の宇和郡地頭職が停止される。

 室町時代中期    - 松葉城の西園寺家支流である西園寺公広が宇和莊の代官に補任され来村領内の開発にあたり、この西園寺家支流の家が来村殿と称される。

 1585年(天正13年) - 豊臣秀吉の四国攻めにより、伊予国は小早川隆景の所領となる。養子秀包に南伊予支配を当たらせ、隆景家臣の持田右京が板島丸串城の城代を務めた。

 1587年(天正15年) - 隆景が筑前国に転封となり、代わって伊予大洲十万石を拝領し大洲城に戸田勝隆が入城。戸田与左衛門が板島丸串城の城代となった。

 1595年(文禄4年) - 藤堂高虎が宇和郡7万石を拝領し入城。板島を宇和島と改める。

 1596年(慶長元年) - 藤堂高虎が板島丸串城の地に本格的な築城工事を開始。

 1601年(慶長6年) - 藤堂高虎により宇和島城が築城される。

 1608年(慶長13年) - 伊勢安濃津五万石城主の富田信高が宇和郡十万石を拝領し板島丸串城主となる。

 1613年(慶長18年)- 富田信高が改易となり、幕府直轄領となった宇和郡の代官として藤堂良勝が再び板島丸串城に入城する。

 1614年(慶長19年) - 伊達秀宗が、大坂の陣の功により10万石を与えられる。秀忠は秀宗を国持大名格とし「西国の伊達、東国の伊達と相并ぶ」よう賞した。

 1615年(慶長20年) 宇和島城に入城。以後、江戸時代を通じて、仙台藩伊達家の別家である宇和島伊達家が9代に渡り統治した。

幕末になると、宇和島藩は政局で重要な立場を担った。幕末には、シーボルトの直弟子で宇和郡卯之町(現・西予市宇和町)の医者二宮敬作、二宮敬作が紹介した高野長英、村田蔵六(後の大村益次郎)といった人物が滞在し宇和島の近代化に貢献した。

 

 青木は宇和島城にやって来た。

 四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった日本の城である。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている(1937年〈昭和12年〉指定)。別名は鶴島城。


 宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎の手によって築かれた近世城郭である。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸と帯曲輪、その北に藤兵衛丸、西側中腹に代右衛門丸、藤兵衛丸の北側一段低い所に長門丸を配置し、東側の中腹に井戸丸、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城となっており、各曲輪が山上部に散在している中世的な縄張りを色濃く残しながらも、山麓部には追手門や搦手門のように内枡形や喰違虎口といった近世城郭的な縄張りももつ。東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。


 現在、見られる天守などの建築は宇和島伊達家によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。外堀などの外郭ラインが五角形となる縄張りは、幕府の隠密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と誤って記され、この史実から高虎の巧みな設計として「空角の経始(あきかくのなわ)」の伝説が生まれたとされる。


 高虎の発想は、城を攻める側は当然方形の縄張を予想して攻めてくる。しかし実際は五角形だから、一辺が空角になる。つまり、城を攻める側にとって、完全に死角になってしまい、攻撃は手薄になる。いわば、この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなり得る。そればかりではない。この秘かな空角は、物資搬入口ともなり、城から落ちのびる場合の抜け道ともなる。これは守城の作戦上、効果は絶大なものといえるだろう。当時の築城術でこのようなからくりを用いた城は他にはなかった。


 宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。宇和島城には、間道、隠し水軍などの優れた高虎の築城術の秘法が、見事に生かされた城だったのである。


 城を囲む五角形の堀は高虎の後の大名にも代々受け継がれ、三大海城の一つと謳われたが現在は堀も海も埋め立てられており、その面影は大きく失われている。明治以降は大半の建物が撤去され、城郭は戦後「城山公園」として整備された。建物は、天守、追手門などが残されたが太平洋戦争中の空襲により追手門を焼失し、現在は天守(重要文化財)と上り立ち門(市指定文化財)、石垣と山里倉庫(城山郷土館)が現存する。

 

 和哉は上り立ち門の前にやって来た。

 武家の正門とされる薬医門形式であり、城山南側の搦手道口に位置している。、国内に現存する薬医門としては最大クラスの規模を誇る。創建年代の特定には至っていないものの、鏡柱・冠木は五平とし、内冠木には瓜剥丸太を使用している。そして二段の貫を有するといった古形式の特徴が見られる。また、控柱の科学的年代分析により永享2年 - 享禄3年(1430年 - 1530年)以後に伐採された栂であることが判明しており、創建が慶長元年 - 6年(1596年 - 1601年)の藤堂修築期まで遡る現存最古クラスの可能性を秘めている。


 雪が降ってきた。

 雪女が現れた!

 愛媛では「ゆきんば」といい、雪の降る時期に現れる一本足の老婆とされ、歩くと雪の上に一本足の足跡を残すという。子供をさらうともいい、この時期には吉田町の人々は、子供を外出させないように注意を払っていた。


 明治時代の作といわれる妖怪絵巻『ばけもの絵巻』(作者不詳)では「雪姥」とされる。それによれば、かつて奥越の松の山なる地方で、2月頃にある者が雪の降る麦畑を歩いていると、自分を呼びとめる女の声が聞こえた。見ると、乱れ髪の一本足の雪姥が現れ、襲いかかろうとしてきた。彼は必死に逃げ、やがて雪が晴れるとともに雪姥は消えたという。

 

 青木はパンチを繰り出した。ゆきんばには効き目がなく、そのまま喰われてしまった。

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