心理学と脳科学≒神経科学

 2022/12/ 18 追記


 さて、まず心理学と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。


 フロイト、ユング、ロボトミー、きったねえ精神病院に、謎の薬。

 まあ胡散臭いっすよね。


 学者の主観で書かれた文章が定説になる。

 そーんな状況がクッソ長く続いたのも事実です。


 が、それが行動科学によって客観性を持った学問になり、脳科学≒神経科学によってより根拠のある物になろうとしている。それが現代です。


 すげーぜ現代。


 さて、ではまず現代の心理学の大まかなジャンルを説明しましょうか。


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 ★臨床心理学


 日本で心理学といえば、だいたいが臨床心理学だ。


 臨床心理学は心理学の中では応用心理学に分類される。


 応用心理学、つまり犯罪心理やなんかと同じで、目的に応じてとがらせた心理学と思ってくれればいい。


 本来は医療の現場で利用される心理学で、心の病気の治療や予防を研究するのだが……実際のところ、本来の領分を超えて使われている感じがする。


 コンクリ工場に臨床心理カウンセラーを連れて何になるんだろうな?


 組織行動や人事、安全衛生なんかを対象にした産業心理学は、ちゃんと応用心理学のジャンルとして存在するのだが、何故か使われない。


 結局潰しがきくのは臨床心理カウンセラーなのだ。


 2018年に新設された、国家資格の「公認心理士」も、ベースは臨床心理士の民間資格をベースにされている。資格取得の特例となる実務経験は、病院が対象なのだ。


 しかし、受験資格に、大学科目が加わったのは、注目すべき点ではある。これは大学の方で認定がとれていれば、産業心理学の修了でも、受験してOKよ、という意味だからだ。


 さて、一つもどって潰しがきくという話。

 これがどういう事か、わかりやすく説明しよう。


 君はスーパーマーケットの社長で、毎週出す広告、チラシのイラストを描ける人を探している。


 さて、面接に二人のイラストレーターが来た。


 微妙に下手くそだが、どんなイラストも書けるAさん。

 描けるのは果物だけだが、めちゃくちゃうまいBさん。


 予算は決まっている。一人だけしか雇えない。さあ、どっちを選ぼうか?


 わかっただろうか。特定のプロになると、自身の首を絞める。


 まあこれを言ってもしょうがないな。

 単純に日本の社会では、心理学に対する理解が進んでない。

 

 カウンセリングは受ける当人にも、心理に対する適切な知識が必要なのだ。


 話を臨床心理学にもどそう。

 日本で心理カウンセラーと言えば、大体このジャンルの教育を受けた人だ。

 スクールカウンセラーはこの臨床心理士or公認心理士の資格が必要になる。


 まず、彼らの仕事は面接やテストでの対象者の査定(診断だと主体がカウンセラーになるからね)をして、どういう傾向や特徴があるかを評価する事だ。


 後はアドバイス、あなたが悩んでいるのはこういう事が原因ですよ、こうしたら心が楽になりますよっていう事を援助として行う。


 彼らはデイケアでの看取り、スクールカウンセラー、会社のカウンセラー、後は家裁、少年院での心理テストや調査なんかもしてる。


 何でやらかしが多いかわかるな?臨床心理もただの心理学の一分野なのに、やらされる範囲がめっちゃ多いんだ。一応大学で全部のジャンルを触るけどな。

 そりゃミスりもするだろうさ。


 公認心理士はその問題に対して、この国が2018になって、ようやく手を付けたことを意味する。あまりにも遅いが、無意味ではない。


 臨床心理学は内容が多すぎて逆に語れない、というか、臨床心理では後に語ることを大抵触っているので、ここで語ることはぶっちゃけあまりないのだ。


 覚えてほしいのは、この日本という国で心理学というと、だいたい臨床心理学のことを指すという事だ。


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 ★発達心理学

 人が生まれてから死ぬまでの、精神的な変化を主眼に置いたジャンル。


 心理学といえばフロイト。

 そのフロイトはこのジャンルだ。


 この分野の原動力になったのは、ヒトはどうやって人になるか?ということだ。

 つまり3歳児までの子供がどうやって言葉を覚えるか、言語を習得可能な限界点は何処なのか?人は年を取れば、どんどんバカになっていくのか?そう言う素朴な疑問が原動力になっていた。


 臨床心理学の始祖であるフロイト、ユング、カール・ロジャーズなどの人々は、みな自我や人格の発達過程の解明に関心をもち、この分野に大きな学問的貢献を果たしたのだ。


 因みに1963年に心理学者、レイモンドキャッテルによってペーパーテストで導入されたふたつの知能、結晶性知能、流動性知能の概念は、後年、脳科学によって裏付けられている。


 流動性知能には、知能を担当する背外側前頭前皮質、前帯状皮質、および注意と短期記憶に関連するその他のシステムが関与している。

 結晶化された知性は、海馬などの長期記憶の保存と使用に関与する脳領域の機能になっている。これらは神経活動と血流の観測から、後者の方の活動は老齢になっても変化が少ないことが発見されている。


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 ★知覚心理学

 これは基礎心理学で、実験や科学的方法を通して、人のこころや行動に対して、一般法則を発見する分野だ。


 知覚は機械的反応だが、そこで意識現象が発生している。

 なので知覚心理学は、全ての心理学の入り口でもある。


 これはその特性上、非常に扱いに困る心理学だ。

 ぶっちゃけあまり語りたくない。


 人間には障害を負っていない限り、目、耳、鼻、舌、皮膚の、いわゆる五感による知覚が存在する。


 クソ厄介なことに、体感というクソ主観的なもので語らないといけないため、ひたすらに客観的でない癖に、こいつが一番科学的だ。


 刺激によって受容体が興奮し、たんぱく質があっちこっちいって神経細胞の電気的活動に変換され、中枢神経系に伝達され、脳で複雑な電気活動が起きる。

 ここでようやく知覚が生じる。


 知覚は刺激だ、だからこそ、見たら、その見たとおりに、結果を返さない。


 目を閉じて目を押すと、圧力の刺激でも人は光を感じる。


 共感覚と言って、味のする音、色の付いた数字を感じる人間すら存在する。


 つまり恐ろしいことに、我々が見ている世界は、我々が作り上げているという事と同じ意味を持っているのだ。


 外界の対象を内的に作り上げる過程、これが知覚だ。


 そしてこれらの感覚は全ての心理的反応の入り口だ。


 知覚は記憶や思考など他の心理的機能とも関係している。

 なので知覚心理学は、こうした知覚のメカニズムを何としても解明しなければならない、非常に意義があり、そして厄介な心理学なのだ。


 最後に、ピンクはエロく感じるとかは認知心理学だ。

 こっちはそういう事は一切語らない。


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 ★認知心理学

 すっげー乱暴に言うと、お絵描きAIが出来たのは、大体こいつのせい。


 認知心理学は、知覚を入り口にして、人間の問題解決の高次機能の「認知」を研究対象にしている。


 語弊を恐れずに言うと、人の「知恵」を探し出そうとしている。


 人工知能や画像解析は、この認知心理学を元に、人をモデルに、コンピューターの処理モデルに落とし込んで、リバースエンジニアリングされたものだ。


 そして最近では、意識や感情、感性といった課題にも取り組んでいる。


 人は生まれた時、赤子の時には世界を区別する言葉を持たない。

 皿の上に載ったリンゴを両親が指さしてそれをリンゴと言ったとしよう。

 しかし赤子の耳に届くのはリンゴという音のみだ。

 そもそも、上にある、という事自体事象を切り離さねばなならない。

 「皿の」「上に」「ある」「リンゴ」

 彼にとっては、リンゴと皿の境界線すら定かではない。

 事象の境界線が溶け合った混沌。その中から一つのリンゴを取り出す行為。

 本来この世界に実体として存在しないものすら区別する行為。

 その最初の「理解」は何処から来たのか?

 それを得る、たった一つのやり方が「知恵」なのだ。


 発狂したと思われるから、あまり書きたくないんだけど、つまりは「これ」を探し出そうとしていると思われる。↑のロジックは実は画像生成AIがやってる。


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 ★学習心理学

 こいつも基礎心理学。

 通称、パブロフの犬。


 学習とは?を主題に置いた心理学だ。

 ほら、梅干しを思い浮かべると、唾液が出るでしょ?アレ。


 後天的な学習で得られる心理的作用、トラウマなんかがこれに当たる。


 ゲームで黄色いペンキがぶちまけられている場所があれば、足場とおもってそこを上ろうとする。


 ギャンブルの「ツキ」の法則性を勝手に見出す。


 この分野はゲームデザイン、犯罪心理学、マーケティングなんかにも使われる。


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 ★社会心理学

 クソ雑に説明すると、人が2人以上いるときの反応をまとめた心理学。


 なので現代では、けっこう興味を持たれがち。


 公正世界仮説、ゲーム理論、囚人のジレンマ、占いが何だか当たる気がするバーナム効果、挙げればきりがないね。


 マーケティングではここら辺の実験モデルの結果を利用することもある。


 ああそうだ、この分野での実験は、スタンフォード監獄実験のようなセンセーショナルなものも含まれる。これで大体イメージできるかな?(なお実験の真偽については問わないものとする)


 社会心理学は、人間の行動を集団内行動と集団行動とに分類し、加えて集団を形成する個人のパーソナリティーや対人行動の観点からも取り組み、それらに関する実証的な心理学的法則を解明する事を目的としている。


 クッソ難解なので、不正確なのは承知の上でかみ砕く。


 なぜ人は、明らかに間違ってると解っている状態で間違いを犯すのか?

 人が「いる」ことが原因ならば、それは何か?という事を調べる基礎心理学だ。


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 ★脳科学<神経科学


 さて、本題だ。


 まず、脳科学は胡散臭いという印象を持たれている。

 問題のある脳科学とはなんだろうか?


 問題のある脳科学は、「アハ体験」「ゲーム脳」「脳トレ」こいつらだ。


 頭が良くなるとか悪くなるとかこういうのだ。


 脳はそんな単純な物ではない。

 現にIQヨワヨワなのにこんな文を描いている、物理的に頭のおかしい私がここに居るしな。


 脳科学というより、神経科学と言った方が適切だ。脳は神経という大枠の一部だからだ。


 脳神経科学だとより正確だと思う。脳科学、神経科学、脳神経、これら表記の揺れは許してほしい。とにかくややこしいんだ。


 そして神経科学は、心理学、哲学、こいつらをひとかたまり纏めようとする存在だ。


 そりゃそうだ、知覚も脳だし、哲学も脳がどう認識するかを語っているし、心理学は言わずもがなだ。


 厄介なのは、神経科学を追求しようとすると、諸学の乱痴気騒ぎが発生する。

 これに関しては諦めてくれ。こういうものなんだ。


 この科学で一番解決しないといけないのは、脳と心理、意識現象と言った方が良いな。意識現象、こいつは諸学にどう絡んでいるのだろうか?という問題だ。


 と、その前に、2022年に改訂された脳神経の調査法について語ろう。神経科学の最新の話をするうえで、こいつがとても厄介だった。とにかくお役所的文章で読み解くのに苦労する。


 以下のテキストからは、現代の脳科学における脳の調査方法のトレンドが読み取れる。さて、お役所向けの為、クッソ長文だが見てみよう。


 読む必要はないのでスクロールしてほしい。


 ヒト脳機能の非侵襲的研究」の倫理問題等に関する指針(2022版)


 非侵襲的脳機能研究法

 non-invasive measurements of human brain function

 人の脳における機能局在は、従来、外傷や血管障害によって脳の一部に器質的損傷を被った患者が示す臨床症候を詳細に観察することによって推測されてきた。この臨床症候には、運動麻痺、感覚脱失、失語症、記憶障害などのような神経脱落症候(陰性症候)と、てんかん発作の部分症候として見られるような陽性症候(例えばけいれん)とがある。また、このような局所脳機能は、難治てんかん患者の外科的治療に際して、大脳皮質の表面を電気刺激することによって生じる現象からも推測されてきた。しかしながら、このような臨床症候と病変部位との対比のみでは、一定の部位がその機能にとって重要な役割を果たしていることは推測できても、脳内の異なった構造間の機能的つながりやネットワーク機構についての実体を把握することは困難であった。特に、神経脱落症候が回復・改善していく際の機能代償や再構築の過程については、臨床的には最も重要な問題であるにも拘わらず、それに関する研究は症例の観察だけでは極めて困難であった。

 最近30年間における各種テクノロジーの開発と発展によって、人の脳の働きを目に見える形で研究することができるようになってきた。その中には、頭皮上から脳電位または脳波 (electroencephalogram, EEG) あるいは脳磁図 (magnetoencephalogram, MEG) を記録して、種々の脳機能に伴う皮質の電気活動を解析する電気生理学的方法と、最近広く用いられるようになった経頭蓋磁気刺激法(transcranial magnetic stimulation, TMS)や経頭蓋直流電気刺激法(transcranial direct current stimulation, tDCS)による非侵襲脳刺激(non-invasive brain stimulation, NBS)、そして放射性同位元素を用いるポジトロン断層法 (positron emission tomography, PET)およびシングルフォトン断層法 (single-photon emission computed tomography, SPECT)の核医学的手法、さらに特に最近多く用いられている磁気共鳴機能画像法 (functional magnetic resonance imaging, fMRI)、および近赤外線を用いる光イメージング法(optic imaging)があげられる。このような研究手段は、いずれも程度の差こそあれ、研究対象者1にはほとんど侵襲を加えないものであり、そのため非侵襲的検査法 (non-invasive studies)と総称されている。このような検査法はそれぞれ独自の特徴を有しており、その中でも電気生理学的検査法は、磁気刺激法も含めて、脳機能に関する比較的詳細な時間的情報を提供してくれるのに対して、それ以外の狭義の脳機能イメージング法は比較的精密な空間的情報を与えてくれる。


 要約しよう。ここ30年で、飛躍的に脳が何をしているかが、脳みそを割らなくても解るようになってきた。しかしその代わり、時代が進んだことで、コンプラがきつくなったので気を付けようね。という話だ。



 ブレインマシンインターフェース(BMI)とニューロフィードバック

 1)概要

 ブレインマシンインターフェース(BMI)とは、脳活動を測定し、運動意図などの脳情報をコンピュータ解析(デコード)することで、脳と外部装置とを交信させる神経工学技術である。すなわち、BMIにより脳は身体をバイパスし、外部環境との間で直接情報の入出力を行う。脳情報の記録方法によって、頭皮脳波やfMRIのような手法で脳の情報を収集する非侵襲的(Non-invasive)BMIと、外科手術によって中枢神経系に留置された記録電極を用いる侵襲的(Invasive)BMIに分類される。侵襲的BMIの倫理については、本ガイドラインの扱う範囲を超えるため、ここでは述べない。ただ、非侵襲的BMIに限っても、脳活動の測定手法に応じて本ガイドラインの各項目に従うことが望ましいばかりでなく、BMI固有の倫理的問題が認識されつつある。これはBMIによる脳情報の解読や修飾技術の発展によるところが大きい。

 2)有効性

 情報的に脳と機械とを直結するBMI技術の有効性は、大きく神経補綴(Neural Prosthesis)と神経調節(Neural Modulation)とに分類される 。神経補綴は、感覚系や運動系の機能障害を代償するために中枢神経系にアクセスする技術を指している。運動系の神経補綴、すなわち脳由来情報によって駆動されるロボット義肢などが狭義の神経補綴BMIである。一方BMIによる神経調節とは、脳活動を手がかりに中枢神経系に介入し、異常な神経活動を抑制したり、機能不全となった神経回路や代償回路を刺激して促通させたりすることを目指す技術である。例えば、BMI技術を応用したニューロリハビリテーションやパーキンソン病治療などに使われる脳深部刺激療法(Deep Brain Stimulation: DBS)を神経活動で駆動するclosed-loop DBSはBMIによる神経調節である。オンラインfMRIなどで測定・デコードした何らかの神経過程を反映する信号を研究対象者に提示し、研究対象者が自らの脳状態を変化させてこの信号を操作する実験系をニューロフィードバック(neurofeedback)と呼ぶ。ニューロフィードバックもBMI技術による神経調節である。


 再度要約しよう。ここで述べられているのは、脳の活動を測定し、運動機能に変換する神経工学技術の事が書かれている。


 要は脳みそにチップを埋め込んだら、それをコンピューターが読み取って動く何かだ。と言っても現状はそこまで万能ではない。時間の問題だが。


 恐らく、謎のヘッドギアや、脳みそにSF的なチップやナノマシンを注入するような手術はもうすぐ必要なくなる。


 脳みそがやってるのは、所詮はDNAがmRNAを蛋白質にかえてニューロンにあれやこれや繋ぎ変えをして電気を流しているという事だ。


 ノイズの問題が解決すれば、チップを埋め込まずとも、無線送電で代用できるかもしれないな。


 だが神経科学を神話にすることはしないでほしい。


 ここで語ることは10年後には全く見方が代わってくるかもしれないからだ。


 下手したら神経科学じゃなくて、人は大腸によって思考している、そんな議論の方が主流になる可能性だってあるのだ。


 さて、脳みその中で何が起こっているのか?

 それがぼんやりと観測できる時代になった。ここまではいいだろうか。


 で、問題は、「脳の中で何を観測するのか」ここで意識の問題が出てくる。


 さー厄介だぞ。ここで意識現象、「クオリア」がでてくる。


「クオリア」は茂木健一郎に対する批判の際にゲーム脳同列の物として並べられと、自称科学記者の批判のやり玉に挙げられるが、それもやむなしというくらいに、こいつは本当に厄介な存在だ。


 そもそも茂木健一郎の名誉のために言えば、これはそもそも茂木が言い出したわけじゃない。……ん?まあいいや。


 「クオリア」とは、我々が意識的に主観的に感じたり経験したりする「質」のことを指す。日本語では感覚質とも呼ばれる。うむ、意味不明だ。


 すごく単純に言うと、我々が赤いものを見ると、情報が目から脳みそへ行って、赤いモノがあるよ!と脳に伝えて、目の神経から、脳の赤いものを認識する部分までに、「赤いもんネットワーク」が発足する。これが意識現象だ。


 どのような分子が、どのような波長の光をどれぐらい反射するのか?

 これは物理学の一分野である「光学」だな?


 反射した光は、眼球に入った後、どのようにして網膜の神経細胞を興奮させるのか (→網膜→錐体細胞→ロドプシン→レチナール)

 その興奮は、どのような経路を経て脳の後部に位置する後頭葉(視覚野)まで伝達されるのか(→視神経→視交差→視索→外側膝状体→視放線→視覚皮質)

 後頭葉における興奮は、その後どのような経路を経て、脳内の他の部位に伝達していくのか(→腹側皮質視覚路、背側皮質視覚路)


 WIKIの丸映しだが、この点に関しては神経科学でも物理学でも哲学でも、専門分野の違いに関わりなく、ほぼすべての研究者の間で意見が一致する。


 だがこうした物理学的・化学的な知見を積み重ねても最後のステップ、すなわち「この波長の光がなぜあの「赤さ」という特定の感触を与え、この範囲の光はどうしてあの「青さ」という特定の感触を与えるのだろうか」といった問題は解決されない。


 意味が解らんだろう?


 じゃあ別の例えで説明しよう。


 こういう時に小説というのは、非常に便利だ。


 ここにマリーという少女が居る。

 白と黒のモノクロームの物品しかない、そんな空間で生活している。


 彼女は書物や写真で赤を知っている。リンゴが赤いのも知っている。

 モノクロームのカラーチャートと、色の名前をすべて紐づけて知っている。


 彼女の赤に対する論文は、部屋の外の世界の人間、つまり赤を実際に見た人間と、まったく区別ができないほどによくできている。


 そしてマリーが「赤色」の世界的権威となるのにそう時間はかからなかった。


 しかしある日、マリーは白黒の自室で指を切ってしまう。

 自身からあふれる「血」という「赤」を見た。


 さて、彼女がこの「赤」を見た体験。


 これまで彼女が白黒の世界でしていた、赤の学習と同じなのだろうか?


 君が直感的に違うと考えた差異、それがクオリアだ。


 うん、意味がわからんな。


 だが、実際にこれに似たことは現実で起こっている。


「アヴェロンの野生児」だ。


 1797年頃に南フランスで発見され、捕獲された少年がいる。


 発見当時は完全に人間らしさを失っており、軍医だったジャン・イタール(Jean Itard)によって正常な人間に戻すための教育が行われた。5年間にわたる教育の結果、感覚機能の回復などいくつかの改善はみられたものの、完全に回復することはできなかった。


 彼はヴィクトールと名付けられ、5年間におよぶ教育を受けたが、言語機能を獲得できず、それゆえ社会性も限られた程度までしか回復できなかった。


 イタール自身は、多くの子供が自然と身につける模倣能力を、幼少期を野生で過ごしたヴィクトールは獲得できなかったため、言語も習得できなかったと考えた


 彼を診察した医師のピネルは、ヴィクトールを診察したときに彼を治療の見込みの無い知的障害児と診断し、ほかにも複数の専門家が彼を先天的な知的障害児であり、それが教育の失敗の原因だと判断している。


 これに対して、ピネルの診断はそもそも適切ではない、もし知的障害児であれば野生での生存は不可能であるなどの反論がある。

 私もそう思う。知的障害なら、野生での生存は恐らく難しい。


 さらにヴィクトールは、自閉症であったという説も唱えられている。耳元でピストルを鳴らしてもほとんど動揺しないが、クルミを割る音には敏感に反応するなどの音に対する認知の異常や、においがしないようなものまでかごうとするといった特徴が自閉症児と共通している。


 ただし、これについても知的障害であるとの説と同様に異論もある。


 野生児の身に何が起きたのか?

 彼の与えられた状況は、マリーとは逆だ。


 解放され過ぎた環境で、「体験のみ」を学び、その後に「言語」を与えられた。


 彼の脳神経に、実際は何が起きていたのだろう?

 人間の脳神経のニューロンのつながりは、3~9歳児くらいの時期に最も活性化して変化しており、その後固定化されて変化しなくなる。


 「抽象的な言語」と「現実にある物」の区別、ようは「認知」するという機能は、3~9歳児くらいを限界として作られる。それをこえると人はヴィクトールのようになるのだろうか?


 疑問は尽きない。しかし、これを確かめるために、健康な幼児の教育を放棄して、再現実験するというのは、流石に現代では実行できない。


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 さて、ここで仮説だ。クオリアとは体験であり、言語によって区別される。


 クオリアがある種の脳神経回路とその活動によって規定されるのであれば、神経細胞同士のつながり方を変えるとクオリアの内容も変化するはずである。


 何か心当たりがないか?


 長期にわたるトレーニングの結果、つながりを変化させることで知覚を変化させるという研究の歴史は長く、さまざまな結果が得られている。そう、パブロフの犬だ。


 そして我々は溢れる情報と流行の毎日によって、知覚を変化させている。


 とある色のパターンでソファーに座る浅黒い青年をイメージする人がいる。


 また「イヤー!」という文字列から、赤いニンジャを想像することができる人もいる。


 しかしより直接的に、トレーニングなしに、直接に神経細胞のつながり方を一時的に変化させることで、一時的にクオリアを変化させることは可能だろうか?


 そのような実験を現時点では、人で安全に行うことはできない。

 しかし、将来的に、取り外し・付替えが可能な小規模の人工神経回路ができれば、そのような実験は臨床で行われる可能性がある。


 脳の一部が損傷してしまったことで、ある種の感覚が失われてしまった患者に対して、彼らのクオリアを回復する手段として人工神経回路を埋め込む、という治療は現在行われている脳と機械をつなげる技術(Brain Machine Interface, BMI)の延長線上に考えられるだろう。


 今のところ、これに近いアイデアを試すような実験は、まだ人に近い動物でも行われていない、と思う。たぶん、してないよね?


 神経細胞同士のつながり方とクオリアの関係を研究する上で、共感覚(synesthesia)も強力な研究対象の一つとなりうる。


 共感覚を持っている人々は、ある種の感覚(たとえば、色の視覚)を感じた時に同時に他の感覚(たとえば、味や音)を感じる。


 共感覚保持者の脳部位は、共感覚をもたない人々にくらべ、共感覚を引き起こす部位同士のつながりが強いことが示されている。


 しかし、今のところ神経細胞同士の詳細なつながりのパターンはわかっていない。なぜある特定の視覚刺激(たとえば、数字の「1」)が、特定の共感覚(たとえば、「赤い色」)を引き起こすかについてはわかっていない。


 今後、脳イメージング技術が発展し、現在よりもより詳細に神経細胞同士のつながり具合がわかるようになれば、特定のつながり方と特定のタイプの共感覚の関係性が明らかになる可能性がある。



 ところで最近、すげーもんが見つかっている。


 2022年3月、理研の脳神経科学研究センターの論文を以下に抜粋する。


 理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター思考・実行機能研究チームの宮本健太郎チームリーダー、脳機能動態学連携研究チームの節家理恵子研究員、高次認知機能動態研究チームの宮下保司チームリーダー(脳神経科学研究センターセンター長)(研究当時)の研究グループは、脳の前頭葉の別々の部位で評価される、記憶のなじみ深さに対する自信と新しさに対する自信の情報が後部頭頂葉[1]において融合し、統合された内省意識を生み出すことを発見しました。


 本研究成果は、内省に起因する精神疾患に対する器質的作用に基づいた生化学・薬理学的治療法の開発や、来るべきデジタルトランスフォーメーション(DX)[2]化社会において重要な基幹技術となる、脳のメタ認知[3]の仕組みに着想を得た効率の良い人工知能・機械学習アルゴリズムの構築に貢献すると期待できます。


 今回、研究チームは、記憶への確信度[4]に基づいたギャンブル課題[5]遂行中のマカクサル全脳活動を機能的MRI法[6]によって計測しました。さらに神経活動の薬理学的不活性化実験を組み合わせることで、後部頭頂葉が、互いに相補的な既知の経験に対するなじみ深さへの自信と未知の事象に対する新しさへの自信を統合して、内省に基づいた適応的な意思決定を行うために欠かせない役割を果たすことを発見しました。


 メタ認知とは内省のことだ。


「俺の書いたここまでの文章クッソ解りずらいな」これメタ認知だ。


  つまり、自分自身を分析して得た知識だ。この知識を使わないと、誤字脱字、内容の遂行はできない。客観的に文章を読む視点が必要だからだ。


「俺の書いた文章だな」ここまでが認知だ。


 これらは認知なので「認知心理学」や、「教育心理学」の担当範囲でもあるのだ。これが最初に言った、「神経科学は諸学を巻き込んで乱痴気騒ぎを起こす」という言葉の意味だ。


 ここで理研の人たちは、とんでもない爆弾発言をしているのに気づいたか?


 つまりだ、人工知能が「内省」して、「一応出力したけど、これたぶんこの状況だと意味の捉え方が間違ってるから直そうっと。あれ?なんか資料と見比べると用語の意味がずれてんじゃん、ほいほいっと……はい、人間様、修正しましたよー」


 このアルゴリズムを作れるかもしれないと言い出しやがったのだ。

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 そろそろ頭が痛くなってきて限界なのでまとめに入ろうと思う。


 科学の立場からの研究においては、上に述べたようなクオリアに関する存在論的な議論「この世界に本当にあるのは何か?」という議論――


 要は哲学者の言う「水槽に浮いた脳問題」とはお付き合いしないのが普通だ。


 神経科学分野のクソデカ教科書 カンデルの Principles of Neural Science では意識の主観性の問題に数ページを割いている。


 そこでは、科学者にはハードプロブレムに直接取り組む前にやるべき事がまだ数多くあるのでそこを研究していけばよい、ということを科学者としての一つの一般的姿勢として示している。


 フランシス・クリックは「ハードプロブレムに直接取り組むべきでない」こと、またクリストフ・コッホは「意識の神経相関物と意識体験の関係を仮定せず」に研究を行うことを書いている。


 こうした科学者の主張する内容にはいくつかの点があるが、主に次のようなものがある。


 意識の問題は実証的な科学の問題であり、哲学者がやるような椅子に腰掛けて思考実験や概念分析を繰り返すだけで前に進む問題ではない。


 哲学者は歴史的に多くの問題を提起してきたが、それを自分たちで解決できたことはない。ギリシャ哲学の原子論だってそうだな?


 哲学者が議論を通して生み出す色々な概念は一定の有用性があるけれども、それだけではダメであり、意識について科学的に地道に研究していく必要があるのだ。


 意識についての科学研究はまだほとんど進んでいない。科学的に調査出来ることがまだまだ膨大にある現状だ。


 ここでシラフなのにお薬キメた人たちみたいに、アセンションだとかなんだとかいって、宇宙人みたいな立場で物事を主張するのは時期尚早なのだ。


 こうした考えを背景に科学者は意識体験に関する実証的な調査・研究を進めている。


 意識に相関した脳活動の探索はその代表だ。

 理研のしていることがそのままそうだな?


 意識と相関するニューロン(意識に相関した脳活動:NCC: neural correlates of consciousness 特定の意識体験を起こすのに必要な最小のニューロンのメカニズムとプロセス)を同定していく研究。

 これが現状、クオリアや意識体験を解明するのに今一番有望そうだ。


 だがこれには一個落とし穴があるのも事実だ。


 クオリアの話で出た共感覚は、共通した色を知覚しているわけでは無い。

 1とみて色彩の共感覚を訴える者はいるが、1は緑だと共通して訴えているわけでは無い。バラバラなのだ。


 つまりだ。脳神経の「犬のようなもんネットワーク」が別の誰かにとっては「猫のようなもんネットワーク」である可能性は大いにある。


 そりゃそうだ。脳という引き出しにはもともと「犬をそこに入れてくださいね」とラベリングがされているわけでは無い。


 言語、物体、知覚によって大まかに入れる場所は決まっているようだが、細かい場所はその後の教育や経験次第だ。


 私はこれが自我、個性になってるんではないかと個人的に推測している



 話を戻そう、先の物に代わって事例・症例の研究もある。


 これはNCCの研究と並行するのだが、目の見えない人、半側空間無視、共感覚、幻肢痛、といった様々な事例、症例の調査と研究をもとに、この意識の問題にアプローチしていくスタイルだ。


 一般に科学者たちは哲学的な意味での自身の立場は、はっきりと主張しないことが多い。


 科学者ならば全員が物理主義者なのだろう、とも思うかもしれないが、別にそういう分けではなく、各人のクオリアに対する哲学的な立場は様々である。


 たとえば運動準備電位の研究で有名なベンジャミン・リベットや、また睡眠の研究者であるジュリオ・トノーニのように、自然主義的二元論的な意識についての理論を発表している者もいるし、またヴィラヤヌル・ラマチャンドランのように自分は中立一元論者だとはっきり哲学的なポジションを明言しているような科学者もいる。


 さあ、これからが面白くなってきそうだな。


 我々人は一体、何者で、どういう存在なんだろうな?


 そうそう、そもそも何でこんな脳や神経、心理を調べるなんて事面倒なことを我々は始めたのか?


 その動機について最後に語ろう。


 まず、家を作るときに人間のサイズが解らないまま作るか?


 階段の幅や角度。


 ドアのサイズや可動範囲、ノブの位置。


 電気のスイッチの位置や照明の強度。


 これを人間を全く知らないものが作ったとしたらどうなると思う?


 さて、我々の「社会」というものは厳しい自然環境から身を守るために作った人工的な不可視な枠組みによってできた「家」だ。


 その階段やドアは「文化」であったり「法律」であったり、「宗教」だったりする。さて、これを人工的に作り上げる場合だ、特に社会制度だな。


 これを人間を理解せずに、作れると思うか?


 心理学や脳神経科学は、コンビニで1000円で売られているような「相手の本音」や「人を動かす心理学」みたいな捨て読みされる本を作るためにあるんじゃない。


 我々が快適に過ごすことができる「社会」というシェルターを作るための寸法を測るための物だ。それ以外にこれを使う理由がない。


 だが、恐らくあまり時間は残されていない。


 本来の意図から離れて、この「寸法」を、電子レンジで猫を乾かすような事に使う輩が当然出てくる。そういった完全無欠なバカの独創性から身を守るためにも、この心理学や脳神経科学の事を知っておいた方が良いだろう。


 以上だ。



 

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