U.N.D.E.A.D.とは?補足説明

FF14プレイヤーはCVエメおじで

脳内再生しながら読むのをお勧めします。

プロローグは別に読まなくてもいいんですが、

「死人たちのアガルタ」を深く理解したい場合、

逆にプロローグとこの補足は読んだ方が良いです。

ですが……どちらもネクロマンサーによる説明なので

内容はとても難解です。

//////////////////////////ここからネクロマンサーによる説明


 あぁ……、厭で、厭で、仕方がないが、始めるとするか。

さて、まずはプロローグの「終ワル世界ノ前日譚」の補足と行こう、

あの者が説明をすっ飛ばした、U.N.D.E.A.D.とは何か?という話だ。


 なにかの社会システムらしいことは解るが、一切の説明がなかったな。

まあ、書いたとしても理解できなかったと思ったのだろう。

それはおそらく正解だ、奇妙な概念だからな。


『U.N.D.E.A.D.』(Underwrite Nerve Digital Employee After Death)

直訳すると「死後のデジタル神経労働者の署名」となるが…。

要は、死んでしまった人間の技能を死後に活用するシステムだ。


 このシステムが生まれた目的だが、人間の自我と紐づいた技能を再現する技術が

先にあり、その権利問題を解決するために生まれた。


 自我の再現技術について簡潔に述べると、自我とは生存という選択の連続で

肉体に記憶された神経伝達や運動の記録だ。それは肉体に物理的構造を残す。

 物理的構造を残すなら、100%複製すれば自我は再現可能。

 教科書や伝記に残る人間であっても例外ではなく、人類史や絵画という不確かな

残滓でしかないテキストや画像のみといった曖昧な伝達を行う中途半端な物理的構造であっても、そこから過去の偉人を再現可能な夢の技術、それが自我の再現技術。

 はい、これが自我の再現技術の要約だ。


 U.N.D.E.A.D.に登録された人間の自我データは、企業、個人に利用されると、

利用された本人に収入が入る。不幸にも全く利用されなかったとしても、

他の利用された人間の使用料金を財源として、法律上に規定された

必要最低限の収入が振り込まれる。

 政府が運営する、収入の再分配のための税金と福祉の構造に近いな。


 そして自我データをOSにして、実際に職場で働くのは

神経コンピューターからなる人造人間で、

彼らは広義のAIであり、その名をアンデッドという。

 彼らはプログラマブルマテリアルの性質を持った

人工蛋白質によってつくられている。

神経組織は自由に編集可能で、別の職場に移動したら、

さながらレコードに書き込むように自我と技能を更新して

料理人から家具職人へ、そのまた次の日は……といった具合なわけだ。

 もちろん機械と同じでそのうち摩耗して停止する。

見た目上は死んだようになるが、培養槽で再生すればまた再利用できる。

自我を再現すれば元通り、まさに死なない存在、アンデッドだ。

 第2世代D型で一部利用された粘菌コンピューターより抗堪性は低いが、それでも人間よりは死にづらいし、死んだとしても大した問題じゃないから、危険な高所作業や軍事運用にもってこいだ。


 サイネージのプロパガンダの通り、

『誰もが労働から解放された自由な世界、U.N.D.E.A.D.はそれを実現します!』

 というわけだな。


 さて、ここで一旦、過去のAIの事をおさらいしておこう。

アンデッドは広義のAIと言ったが、過去に存在するAIとは

解決した問題の性格が異なる。

 1970年に始まった政府主導の第5世代コンピュータの研究結果は、

2020年代に結実し、誰もが知るところとなった。

誰にでも使えるお絵描きAIというオモチャみたいなものによってな。


 ディープフェイクや有象無象の画像処理AIは神経ネットワーク、人間の脳を含めた神経を伝わる情報の動きを真似たものだ。

 この説明だけだと不正確だがな。


 それで、当時を生きた人間は、人間よりも高い生産性を持つモノが

誰もが使えるということによって、それまでの努力が無意味になった、

そういう体験をしたわけだ。


 愚直すぎるくらいに正直に生活していたのに、

その生活の糧を突如、理不尽に奪われるとどうなるか?


 過去に学べば、1771年に水車を用いた水力紡績機械を導入して、

織物業界に多くの失業者を出した英国のクロムフォード綿工場の門には、

砲弾のこめられた大砲が配備されていた。


 実にわかりやすいシグナルだ。

自分達に向けられる敵意をよくわかっている。


 しかし1771年に起きた状況とは異なって、

2020年に起きた変化では殴るべき相手がいない。


ネットワーク化した非市場、価値のないもの、値段の無いもの

そういった所有できないもの、管理できないものから生み出されたからだ。


 殴りに行ける悪用者はいるが、そもそも彼らですら、

学習データやコマンドを所有しているように見えるが、

絵描きや美容師、溶接工が持つ技能のように、

「本人だけが利用可能」という、

本当の意味での所有をしているわけではない。


わかるか?「技能は本人のみの所有」だった。

『U.N.D.E.A.D.』はその本人のみの所有の概念をぶち壊した。

人類すべての「技能」が自我の再現によって利用可能になった。


――これは初めてのことだ。

 自然界における終焉とは、弁証法的論理学における『止揚』の瞬間だ。

つまりだ、物事には崩壊と同時に他の事物が存続することが組み合わさる状況、

そういったものが起きている、明確な区切りというものはない。

だからこそ混乱が発生する。


 それに加えて規模の違いだ。

封建社会と産業資本主義に携わった人間の数には制限があった。

 封建主義では農地と義務を背景にした貴族が時代の担い手だった。

時代が移り変わり、産業資本時代では、工場と大量生産を背景にした、

産業革命を成し遂げた先進国の労働者が時代の担い手だった。

 そして今回は、「技能」にかかわる地球上全ての人間が

この変化の担い手になり得るという事だ。


 情報技術は生産から労働を排除し、知識、経験、時間から為る

価格メカニズムを破壊し、非市場的な転換を促した。

 技能の所有の概念を壊したことは、

最終的に労働と価値のつながりを壊すことにつながる。


 労働と価値のつながりが無くなるというのは、

アップルの製品を作るフォックスコンの中国工場で行われていたように、

「職場でのストレスが原因で自殺をしない」という誓約書にサインしてから

20ドルの労働契約を結ぶ必要がなくなるというだけではない。


 そもそも価値とは何か?ということだ。

 

 労働に価値が無いのは解った。それで『価値』や『富』とは何か?

富と互換性のある資源とは何だろう?ということだ。

 これは外部性のあるもの、自分だけでは生み出し得ないもの、

ネットワーク化した交流によって生み出される無料の快楽や幸福となる。

非市場での生産、所有できない情報ミーム、管理できない事業だ。


「世界」を成り立たせている原理が、

個人を成り立たせている「原理」と同じ、

まるで樹形フラクタル構造であるという事だ。


それは捉えようがない

それは破壊しようがない

それに執着することはできない

束縛されることなく動揺することなく、害されることもない。

脳や神経の機械的機能の先を問われているのだ。


 わかったか?解らなかったらそれはつまり、

お前は紀元前650年前の古代人が理解に至ったことを

何一つ理解しなかったという事だ。


……はあ、まったく厭になる。


そのバカげた「勘違い」を辞めろというんだ。


 お前たちは自我というヌイグルミを抱きかかえて生きているに過ぎない。

自己と自我を同一のものと考えている時、傷つけられたと感じるその時、

傷つけられたのは好悪判断で嫌悪を訴える自我というヌイグルミだ。

それを手放したとき、その時に残るのがおまえ自身だ。


 自我の所有という錯誤、錯覚を正すというのはそういう事だ。

ようやく私たち人間は、U.N.D.E.A.D.によって、

――本当の意味での自由を手にいれたのだ。

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