第12話 旧き怪物



 天窓に打ち付ける雨垂れの音が大きく激しくなるにつれて、目の前に倒れる国の支配者の姿に皆立ち竦む。


アウインが死んだら僕等の命は誰が保証してくれるんだ?まだ様子見だ、いざとなればタナトスピルツの菌糸をバラ撒いてでも逃げる。


 ヨハナの手を強く握り締め、マッテオは視野を大きく保つ。


 バティスタとノーシスが血塗れのアウインに声を掛けているがピクリとも動く気配が無い。

 

「これで不当な政治は終わりましたとさ、めでたしめでたし……ほら、喜べ歌え!」


6人の幹部がアルン中尉を取囲み武器を取り出す。


 ──アルン中尉が何者であったとしても彼が生きてここから去る手段はないだろうな。


「貴様を国家反逆の罪で拘束する」


「ヴァニタスのおかげでな、今の俺ならお前等から逃げるなんて簡単な事った」


 アルン中尉は体の右半身を透明にして見せた瞬間、幹部達が跪く。離れて見ている僕ですら何をしたのか見えなかった。


「Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium

Wir betreten feuertrunken.Himmlische, dein Heiligtum!」


聞いた事も無い言語とダウナー寄りな美声で歌う血濡れた女が、そこに佇んでいた。


「え?」


「マイフューラー!」


 バティスタがそう叫ぶと6人の幹部達は女を見て立ち上がり敬礼する。また、僕の目の前で死人が蘇った。


「歓喜の歌を歌ったのも、諸君らに合うのも何十年振りかな……」


 アウインはその肩パットのコートを脱ぎ、髪を覆い隠していた黒い被り物を取ると、毛先がフワリと曲がった頭髪をさらけ出す。


 ガラスケースに飾られていた白いコートを取り出して着る、帽子を被りなおし、丁寧に白いネクタイを金色のネクタイピンで整え向き直る。


「悪い夢か何かだろ」


「夢?否、私はユーロ圏を統一し、かつてベルリンと呼ばれた都市を覆した女、アグネス・ミュラーその人だ。今日の予定が少し早まってしまったな」


──ヴァニタスに散々悪であると言われていたが僕は何をした人か知らない、ただずっと最低だと言われ続けている人物だ。それにしてもヘイディーが一番驚くと思っていたがまさかの無反応、幹部達はあんなに喜んでいたのに。


「確かに脳天にぶち込んだはず……」


「知らないのかな?それは私が化け物だからさ」


 腑に落ちないアルン中尉。もちろん僕もよく分からない、モンスタードール、と言うことか?


「遥か昔……かつて人類はあらゆる障害を乗り越えた。命の終わりも、資源を生むも消すも、思想も人種も言語すらも……私はそれの成れの果て……化け物だよ」


 アウインの話を聞いたヨハナは嬉しそうな顔を見せ、目を輝かせる。ヨハナの理想は不可能では無いとアウインがその存在をもって証明したからだ。


 まぁ……本当の話かはまだ分からないが。


「私を打ち倒しに来たのだろう?なら向かって来い、打ち倒しに来い、私はここだ。ここに居る」


 その大きな胸を張り両手を広げ挑発する。アルン中尉がまた右半身を透明にしようと動いた瞬間、彼は撃たれた。


 確かに両手を広げていたがアウインのその手には銃が握られていた。もはや早撃ちというレベルではなく、無から有を生み出したが如くの銃さばき。


アウインは咳き込みその黒い手袋に鮮血が溢れて落ちる。そんな事は気にも留めず、視線は真っ直ぐゆっくりと歩き出す。


 アルン中尉の右腕は骨が露出するほどの損傷を受け、もはや勝てないと悟ったのか背を向け愚直に逃げ出す。


 脱兎の如く逃げる彼とは正反対にアウインは悠長に懐から青い刀身の短剣を取り出し、構える。


「ラメント……」


 そう呟いた瞬間、アルン中尉の背を刺した。ガクガクと震えながら更に切り裂かれ背骨の奥から内蔵がもろに出て死んだ。またヨハナが僕の股に顔を埋める。


「……ではホルスト君、娘と家に帰り給え」


「え?」


先程まで娘を殺させようとしていたのになぜ?


「初めから二人を殺す気など無かった……その銃は撃てば撃った本人に弾が当たる銃。つまりは茶番だ、アルン中尉を殺すためのな」


 だから態々ボタンなどで安全装置を付けていた訳か、回りくどい人だな。


「どうして生かそうと……」


「色々と理由はあるが一番は君の会社のメルトチョコ、アレが好きなんだ……さっ、つまみ出される前に家に帰り給え」


ホラストは娘に「家へ帰ろう」と言って手を差し伸べる。「はい」そう力強く頷き、手を取りこの場を去った。


「さ……て、エーリヒ・ラインハルト大佐、君は無差別に不貞行為を働き、伴侶を悲しませた罪を、伴侶の赦しを得るまで精算しなさい」


 その言葉を聞くとバティスタとノーシスがエーリヒを椅子に拘束する。ヨダレまみれの猿轡が外され途端に離せと暴れ散らかす。


 「君の奥方であるシビラさんは君を大いに愛しているようでね……君に対しての罰を二度と離れられない様に四肢を切断して欲しいと言われたんだが……まぁ流石に無いかなと却下した」


「クソシビラの言う事なんて聞くな!俺を刺す様な奴だぞ!まともじゃない!」


 なんだがアンタにも当てはまりそうだな、そう云う目をしている。ここの軍人の目は何処か虚ろだからな。


「君は生命の神秘を体験しきっと夫婦仲も良くなるだろう。Dr、それからノーシスが君を完璧な女性に組み直してくれるだろう」


「は?」


「シビラ君の方は既に終えてるから安心し給え」


 性転換手術、という話だよな?トラオムの技術にそんな事があるとは研究院で聞いた事が無い。


「トラオムが赤子を取り上げるのはこちらで性別を決める為だ……まぁ成人の肉体を女性に変えるのは少々手間がいるかな」


「は?は?は?言っている意味が分からない」


「君がお母さんになるんだよ」


アウインが優しい声でそう言うがエーリッヒはより一層暴れだす。


「嫌だ!嫌だ!嫌だ!えっ!つまり!俺がアイツの子を?!」


「……あ…、孕む事になりますね、はい、……ではぁ!ノーシスさん!行きましょう!手術室にぃぃぃ!」


「嫌だーーー!!!」


 エーリッヒは麻酔を打たれガクリと眠りにつき、そのままノーシスに椅子ごと持ち上げられて連れて行かれた。本当に夫婦仲が良くなるのかは怪しい気もする。


「ゴホッゴホッ……これにて裁判を閉廷とする。さっ、幹部は仕事に戻れ、私は3人と話があるのでね」


 「イエス、マイフューラー」


 6人の幹部達は声を揃え「モルスケルタ」と敬礼を済ませると駆け足で退出する。愉快な人達はだったな。


「やぁ……久しぶりだねヘイディー、あいも変わらず元気そうでなによりだ」


 緩やかな顔を見せるが彼は笑わない。嬉しくないのか?実の姉だろ?


「総統閣下もご機嫌麗しゅうございます」


「……ふむ、クローンか何かだと思っているのかな?遠慮せず姉さんと呼んでくれ。私達は血の繋がった唯一の家族じゃあないか」


 ヘイディーは少し考え込む、何かを迷っている顔をしている。まるで誘惑に抗う子供の様なそんな顔だ。


「……姉さんは本当にずるい人だネ。やっと夢にも見なくなったというのに、顔を上げれば貴方が立っている」


「ふふふ……また世話になるかな……さて、夫妻方、込み入った話があるが最初にマッテオ博士にお尋ねする」


マッテオは半歩前に出ると「はい、何でしょうか?」と答える。何故かヨハナが左腕をがっつり掴んで離さない。


アグネスはマッテオに近づき鋭い眼光で見つめる。


「君、私の伴侶にならないか?」


 ん?おっと?今の僕は女性だよな……。あ、いや、ヘイディーの話ではこの人は確か同性愛者だっけ?で何で?もう嫌な予感しかしない。


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