第8話 彼は愛と恐怖を見つめる



人間の中には死に対面する時、様々な性格が出る。

命乞い、悪足掻き、加虐的になったり、気絶したり。


 その中で僕はとても加虐的だった。


 それは4歳の時、ドールとの戦争に巻き込まれた僕と母さんは一機のマシンドールに追われて、そして母さんが捕まった。


 そのマシンドールが母さんを人質にしてゆっくりと僕に歩み寄って来る。そうやって近づいて殺す所を僕は見ている、殺されるのは明らかだった。


 軍人の死体から母さんが盗って僕に持たせてくれた拳銃を向けると、母さんごとドールを撃った。


 不思議な程に引き金は軽く、マシンドールが悔しそうな顔で横に倒れた、母さんは僕の前に座り込んで掠れた声で話す。


 "幸せに生きて、お母さんはアナタの事……"


 そう言い終わる前に息絶えて、僕の冷たい顔に熱い涙が落ちてきた、そこで初めて、死の恐怖に怯えた。


 あんなに死なないと言っていた母さんが死んだ、どうしてそんな嘘をついたの?優しい母さんは特別だって言ってたのに。そしたら


 ……本当に?本当にそうだろうか?僕は殺されるのが分かっていたから、死にたくないから母さんを犠牲にした。僕が母さんを殺した。


 だけど僕は悲しくなかった。父さんがどれだけ僕に暴力暴言を浴びせてきても、そんな僕を庇う兄さんを見ても何とも思わなかった。


 でもあの時の母さんの死は恐怖を感じた。死が、終わりが、未知が、怖い。死んだ母さんは戻らない、生き返らない、理不尽で絶対な死に絶望した。


 葬式の後、次は死期が近いお祖父ちゃんの話し合いに僕は連れられた。


 担当の人と父さんと兄さんが話し合っている間、僕はお祖父ちゃんの所で待つことになった。


 呼吸機器にまみれの祖父を見て、思わず「死ぬのは怖くないの」と聞く、良く無い事を聞いてしまったと罪悪感を感じながら返事を待つ。


 お祖父ちゃんはこっちにおいでと言われ近づき、点滴に繋がれた手が僕の手を掴んだ。


「マッテオ……すまんかったな、俺がこんなザマじゃなかったらお前の母さんを守ってやれたのに……」


 何故、お祖父ちゃんが謝るのか分からない、もしもの話しなんてしても仕方ないのに。


「えぇと、死が怖いか、だったか?懐かしいねぇ、戦場に居た頃はいつも怯えてた。愛する者も戦友も居ない俺が居る奴の為に戦うなんて馬鹿らしいと思ってた」


「それで?逃げ出したの?」


「いいや、逃げなかった、何故なら俺は戦場で恋をしたからだ。エリカという女性でお前の婆ちゃんさ、もう先立たれて3年になる。それで俺はエリカに告白して戦争が終わったら結婚しようと互いに誓った」


「……結局どうして怖くないの?」


「んん、せっかちな所は婆ちゃん似だな。つまり愛は強し、死の恐怖に勝ったのさ」


 それを聞いて僕は納得出来なかった。


「でも僕は母さんを撃ち殺したよ、あんなに好きだった母さんを僕は愛してなかったの?」


愛してなかったから撃ち殺せたの?好きは愛じゃないの?


「マッテオ……勿論お前は母さんを愛してたさ」


「でも母さんが死んだのに僕は悲しめなかった」


 僕は母の死を前にした時も、葬式の時も、悲しめなかった、泣けなかった。僕には心が無いと、父さんに言われた、その通りだと思う。


「落ち着けマッテオ、お前は自分で思っている以上に悲しんでいるんだよ、悲しみが余りにも大きすぎて見えないだけで、お前はもう十分に悲しんでいし、傷ついているんだよ」


 お祖父ちゃんの驚く顔を見て気付いた、僕は泣いていた。悲しくないのに、痛くも苦しくないのに熱い涙が頬を伝っていた。


祖父は身を乗り出し僕を抱きしめてくれた、鼻に突く、死のニオイを臭わせながら深く強く抱きしめてきた。


「お前は悪くない、お前は母さんの死なないと言う言葉を信じた、それは愛が為せる事だ。母さんの愛がお前を生かしたんだ」


僕はその言葉に怒りを感じた、違うと僕の中で何かが叫んでいる。

 

「でも、僕が撃ったんだ!僕が母さんを殺したんだ!僕の愛が殺したんだ!僕は愛なんて嫌いだ!僕はもう愛さない!こんなにも怖い気持ちになるなら愛なんていらない!」


 祖父は何度も違うんだと言っていたが僕は涙と訳の分からない怒りで何も聞こえなかった。


 その日の後、不思議な事に父さんが僕に暴力を振るわなくなった、悪かったと謝りながら僕を撫でる、気味が悪いと感じた。


 それからマッテオは死について考えて、愛について考えて、矛盾を直し、解釈を重ねて、十二歳の時、一つの思想に辿り着いのである。


 世界の終わりは自分の中でしか起きないと。


 生きてさえいれば世界は続く、故に人の為に死ぬことは余りにも損であり、また他者の世界があるかは分からない。確認が出来ないなら他者には世界は存在しない。


 その思考のおかげでマッテオはこの国で一番死から遠いいのは科学者であると気付いた。


──死神から逃げるなら早いに越したことはない。


 僕は軍人をやっている、ヘイディー・ミュラーという男の依頼をこなしながら徐々にキャリアを積み立てる。


 他者を利用し、人に嘘を付き、否定した愛さえ利用して確固たる地位を手に入れた。


全ては自分の世界の為に、死から遠のく為に。


 しかし、一つ問題がある。


 結婚だ、僕の生まれ育ったトラオムという国では国が決めた相手と結婚させられるのだ。


 この国では子供は文字通りの宝であり、その生産を止められると困るのが国の考えらしい。


 相手は5歳から決められていて、相手は既に僕にゾッコンだった、愛したくない僕にとっては関わりたくない相手だ。


 そんな折に、とある天才科学者が自身の会見でこんな事を言っていた。


「この中に居る優秀な科学者の一人から一生私の助手をしてくれる者を募集する、つまりは伴侶にならないかと聞いている」


 酷い空気だった。ヨハナ・グレース・ギュルケという女は十二の博士号と3つのノーベル賞を持つ、やる事、為す事が常人のそれを超えている稀代の科学者。


 故に今までの助手はその破天荒さについて行けずに辞めていったそうだ。


 その上、彼女の容姿は世間体に言っても酷く醜い。早老症で、目がコケているし、発作も持っていて、シワくちゃで右目には白内障も患っている、正直彼女からはお祖父ちゃんと同じ死のニオイがする。


 誰も名乗らなかった、そう僕以外は。


 コレはチャンスだと僕は感じた。何故ならお互いに愛していないのだから。


 誰もが僕の正気を疑ったが利用する相手としては彼女はこの上なく都合が良い。


 愛が無ければ怖い思いはしない。


 ヨハナは互いにしがらみを持ち込みたく無いと言って僕に家族の縁を切らせた、姓は彼女側を名乗る事になった。


 私情なのは分かっていたがどうでも良かったので聞くことはしない。


 科学者の彼女は完璧だが、しかし妻としての彼女はもうポンコツだった。


 料理出来ない、洗濯出来ない、掃除出来ない、スケジュールの管理は杜撰の一言。


 どうやって生きてきたんだ?そう思っていたが直ぐに分かった、死ぬ程金持ちなのだ。


 金銭感覚は他と比べてマシだったが、比率が可笑しい、趣味にお金を使ってこなかったのだろう、研究施設に資産が極ふりされている。


 給料はめっちゃ高いのに自分の食費はアホ程低かった、そんな生活になった原因は、彼女の夢と早老症にある。


 会見の時にも言っていた彼女の思想。


それは不幸を無くし、誰しもが納得する、愛と正義と公平な世界を作る事。


 正直利用する側の僕には1ミリも興味がない話だったが、つまる所、死ぬ前に叶えたいからと、それ以外を捨てているのだ。


 だが僕は違う、一秒でも長く生きたいんだ。だから僕は徹底して夫婦の生活を正すことにした。


 助手をしながら家事をする。正直、助手よりも家事が楽と感じる日の方が多い、そんな日々を過ごした。


 でも僕はヨハナと過すうちに徐々に奇妙で懐かしい感覚に襲われる様になった。


 愛している時の感覚だ。


 嫌なはずなのに、否定しきれない。


 ヨハナに私を選んだ理由は?と聞かれて、嫌われるチャンスだと思い、胸がデカくてエロいからです、と答えてやった。


 そしたらエロいってなに?と聞かれた、ちくしょう何で性知識は持ってないんだ!嘘をつくのも馬鹿馬鹿しいので適当に性教育の教材を与えておいた。


 そして月日が経って、僕はいつの間にかヨハナを愛している事を否定しなくなった。だが、それだけだった。


 ──でもあの日、妻を庇ったあの時、お祖父ちゃんの言葉がよぎった、"愛は強し"まさにその通りになった。死を前にして身を挺して庇った、体が勝手に動いたのだ。


 ……たまに僕は母さんの言葉の続きを考える。

 きっと、「愛している」と言うだろうが確かめられない。


 だからこそあの時、君に打ち明けることができたんだと思う。好きだと言えた、愛していると言えた。


 怖い気持ちもあの時だけは乗り越えられた。だからもっと君の側に居たい、今度こそ愛で好きな人を守れるように、そうありたい。



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