第3話 性愛の渇望


 あの爆発から3日が過ぎ、二人はベッドの両端に離れて座り考え込んでいた。


昨日の朝方、施設の出入り口から銃声が聞こえた……ドールと軍が交戦しているのだろう。だがヨハナにはそれについて話さなかった。


 まだショックから完全には立ち直れていないからだ、そんな状態で話せばさらに鬱積にかられ、自殺するかも知れない。それだけは絶対に嫌だ。

 

 ──僕は知覚した世界が全てだと考える。 そういった考え方を環世界……ウンベルト、と言うらしい。だから、僕は僕の知覚した世界を守るために決断しなければならない。


 ──トラオム側に付くか……、ドール側に付くかを……。



 

 ──ここ3日間、私、ヨハナ・ギュルケは自身の状態を把握する為にいくつかのテストをおこなった。そしてホントーに頭がパァになってた。過去の自分からは想像もつかないほどに変わってた。


 感情の抑制ができない、空気が読めない、欲を抑えれない、二桁の計算すら困難、物を片付けれない、料理は……元から下手だったか。


 一応この体になって得たモノもある。身長が伸びた、筋力がついた、シワくちゃな肌から艷やかでハリのある肌になった、老け顔じゃなくなった、右目の白内障が治った、そしてタナトスピルツの完璧な制御。


 この力のお陰で施設にあったタナトスピルツ全ての繁殖は止める事ができたのだ。そう……、悪い事ばかりじゃない……けど……。


 ──私は思う。彼がかつて愛していた聡明な私は完全に居ない……こんな馬鹿女と居てマッテオは幸せになるのかな?


 ……そこで私はこのドスケベ豊満ボディを使って快楽幸せ極楽浄土を捧げ様と試みた、けれど……マッテオは自分達の状態を把握しきるまでは営みはしないと言ってきた。


 それでも文字通り全裸待機したりしたが彼は動じなかった。今の私は遠くの未来が見えない……だから今を良くと言うか、両思いになれた?……はず!だからこそ、何かしないと、と思う訳で……。


 ──彼が互いの為の事を精一杯考えてくれてるのは分かる。でもどうにかして彼の役に立ちたい。


 


「ヨハナ」はい!と立ち上がる妻にマッテオは微笑む。落ち着かないヨハナは今朝の事で謝罪するとマッテオは、はにかんで笑う。


「ははは……別に気にしてないよ、たかがズボンを下ろされた程度だし……でもやめてね」気にしているのは明らかだったがマッテオ自身は気づいていない。ヨハナの甘い誘惑のせいで思考が散漫とし、肉欲が吹っ切れてしまいそうだからだ。


 それでもマッテオの意思は肉欲よりも、生存の方に天秤が傾くのだ。


「──そんな話しをしたいわけじゃなくて……。僕はさ、これからの僕らの在り方に付いてずっと考えていた。だからヨハナの意見も聞かせて欲しい」マッテオは決断を焦らない。自分の世界が全てであってもヨハナの意志を蔑ろには出来ない。


 今のヨハナに計画的思考は出来ない……。在り方など聞かれても分からない。だが、一つ分かる事がある。


「う~んと、私は不幸を無くしたい。誰しもが納得して、愛……とか、正義……とか、とにかくみんなが仲良しな世界を作りたい!」マッテオはその事を懐かしいと感じる程にヨハナの夢を忘れかけていた。


 ──なら……、いや、まだ決められない。


「だからね!マッテオ!私、思ったの。このタナトスピルツの力を使ってこの夢を叶えたい!」明るく前向きで真っ直ぐな言葉にマッテオは自身の現実的思考に悩まされる。


 ヨハナの考えは理解した。だけどそれは軍で生物兵器……モンスタードールになって戦場で戦うって事だ。僕はあの軍人達の様に前に出られる自信がない。


 ましてや死と隣り合わせの戦場ってだけで僕は行きたくないし、ヨハナを行かせたくない。


 せめてマシンドール側の情勢が分かれば良かったのだが、トラオムのあの大袈裟なプロパガンダが正しいのか分からない。


──突然、誰もいないはずの静かな廊下から鋭い発砲音が鳴り響いた。これがどういう事か、想像するまでもない。調査隊と恐らくはマシンドールが鉢合わせたのだろう。


「マッテオ!」立ち上がるヨハナの手を握り目線を合わせる。ゆっくりと深呼吸をするよう促し、落ち着いた口調で話す。


「いい、部屋から出ないで僕が確認してくるから」

「いや私も行く!」聞き分けがない子供の様に騒ぎ立てては僕の手首を力いっぱい握りしめた。まるでニッパーで手首を挟まれているんじゃないかと思う程に固くて痛い。


「あぁ~、僕が飼ってた犬の方が言うこと聞いてくれたなー!お利口さんだったなー!ヨハナよりも、好きになるかもなー!」痛みの勢いで酷い小芝居を打ったものだ。どうだろか、煽りとして低すぎたか?


「うっ!い、犬なんかに…!犬なんかに負けないわ!……でも危なくなったら帰ってきてね約束よ!」ベッドの上でヨハナは優等生の様に背筋を伸ばして座った。まぁ、死んだ犬なんかを好きにはならないけど…。

 

 ──タナトスピルツが生い茂る廊下を銃を握りしめ走る。レオン大佐の3つの説明書を読み終えてはいるが銃を使うのは初めてだ。それとタナトスピルツの力も。


 ──ヨハナは確実にモンスタードールだろうけど、僕は中途半端だ。タナトスピルツに対して複雑な命令を出せないし、怪力や高速移動など持ってない。


だが弾丸を確実に当てる算段はつけてある。後は話ができる相手だといいが……。


 廊下の突き当りのT路の曲がり角に、監視室の前に、白衣の女性と細切れの肉塊が目の前に佇んでいた。


「ジェシカ・フロイド!」彼女はタナトスピルツの研究員の一人で植物生態学のスペシャリスト。素手で人体をバラしている所を見るに少なくても人間ではなかったのだろう。


「あら、マッテオさんじゃありませんか。生きてらしたのですね」血まみれの彼女が一歩前に出た瞬間、マッテオは銃を構えた。


「君はモンスタードールか?マシンドールか?」マシンドールかどうかの検査はここの研究所に入る時に調べ尽くされていたはず……。ヨハナの様に頭部にキノコのカサらしきものは無いが僕と同じなのかも知れない。


 彼女は無言のまま頭の後方に光輝く赤紫色の4つのひし形が重なった様な紋様を浮かべた。薄暗い廊下で強いネオンな光に目を狭べる。


「私はサルバドール 名前をヴァニタスと言います」サルバドール?聞いたことがないがマシンドールの上位階級と見たほうがいいかもしれない。


「そうか……それは丁度良かった」マッテオの恐れ慄くでも逃げ出すでもない反応にヴァニタスは目を丸めて驚いた。ここには5年も居たが彼女が知る彼は異常までの生への執着であり、その手段を選ばない事……。


(逃げ出さないのは……)モンスタードールになっている可能性はあるがそれだけで彼が姿を晒す事はないはず。彼女は複数の予測を出しつつ、マッテオの出方を見る事にした。


「君達の側につくことは可能なのか?」その言葉を聞くなりヴァニタスは大笑いし両肩を抱きしめ震えた。システムが予測リストから外していた予測を彼はしたのだ。


 ありえない、馬鹿げている、向こうの情勢を知らなくても、この国の洗脳プロパガンダを聞いていたら言わないはずのセリフを吐いたのだ。


 生きる事に執着する彼が崖からダイナマイト括り付けて飛び降りるみたいな事を言っている。


 彼の顔は至って真面目なのも余計に面白い。

「ははははは……はぁ〜、やっぱり面白いですね、アナタは」


 マッテオは不可能なのかと尋ねると彼女はまた笑い出した。──サルバドールとは奇妙だな、変な事で笑っている。


「ごめんなさい、そうね、説明が必要ね」ヴァニタスは肉塊から血まみれの指を手に取り、廊下の壁になにかを書き始めた。


「いい、マッテオさん、この国がマシンドールに敵意を植え付ける放送を万年垂れ流しているように、マシンドール側も人間に憎悪を抱くようにプログラムされてるの」


 国語の教師の様な丁寧で分かりやすく図で表した。


 ──だとしたら、このヴァニタスはなぜ穏やかで敵意を感じない。それに僕が知る彼女は人柄の良く、たまにヨハナとも親しげに話していた。


 彼女は憎悪をプログラムされてないのか?


「しかし私は憎悪をプログラムされていません……。

 けれども……そうですね、闘争を求める人間には憤りを感じた事もありました」

 

 俯きヴァニタスはその真紅に染まった両手を悲しげに見つめた。そして指を放り捨てマッテオの方を見つめた。


「ただ、そうですね……先程の質問に答えるのならば、マッテオ・ギュルケを私の個人的な理由でモノにはできる。その場合、他のマシンドールも手は出せない」

 つまりはそれ程までにヴァニタスの地位は高いと言う事か……。

 

「貴方を見て、いくつかあなたの状況を理解した」とても鋭い視線と嫌な予感を感じた。


「まず、アナタは一人の女性を匿っていますね、匂いで分かります。

 次にアナタはモンスタードールとして不完全である事。

 そしてあなたを生きて連れ帰るより、殺した方がリスクが少ない事」


 その言葉と一歩前に出たことによって、マッテオは躊躇いなく引き金を引いた。


 弾丸はヴァニタスの胸に穴が空いた。手を入れて握手ができるぐらい大きな穴が血を流している。機械じゃなかったのか!?


 見る見るうちに青白い顔になっていく、跪いて胸を手で抑え、そして次に立ち上がった時、彼女の胸の穴は塞がっていた。


「……今タナトスピルツが動いた、いや、動かしましたか」移動しろと命令したがやはり上手くはいかない、器用貧乏過ぎたか……。


……ヴァニタスが目を見開いた瞬間、僕の体は無重力に襲われた。早すぎて理解が走っても追いつかない。意味など求めても仕方ないが意味が分からなかった。


 分かるのはヴァニタスが倒れた僕の体に馬乗りになって乗っている事だけだ。太ももがガッチリと僕の胴体を挟み込んでいて立ち上がれない。


「動いたら胴体を真っ二つにします」ギロチン台にはめられた気分だ。そして今できることは思考する事。ヴァニタスは僕の体の上で笑っている。──なにが楽しいのやら……、あの軍人みたいだ。


「血を流していたが本当にドールなのか?それとも君はドール側の人間なのか?」


 ──マシンドールも赤く着色された人工血液を持つと言うが……、そんなものを見抜けないマヌケな診査はしてないはずだが。

 

「えぇ、教えてあげます。私がなんなのか。今からあなたに行う行為も、全て」そう言うと、彼女は自分の服を脱ぎ始めた。


 ──なんだ?体が熱い、焼けるようだ、特に下半身が苦しい、まさか欲情してるのか?この僕が?こんな奴に?


 困惑するマッテオにヴァニタスは愉悦の笑みを浮かべる。


「ヴァニタスは、情報収集の為に人間の脳に寄生し、少しづつ、少しづつ、生物工学バイオニクスによる身体の改造を施し、別人格アルターエゴを形成する。私はジェシカ・フロイドを無意識の領域から支配した。そして今からあなたにも同じ事をするのです」


 ──殺すと言ったのは今の僕の人格という意味か。だとしたらこの発情もヴァニタスが持つ機構なのか。


ヴァニタスは上裸になるとヨハナと比べても引けを取らない豊満な胸を体に押し付けながら耳元で甘く囁く。


 「今からアナタを犯します」そう言って上半身を起こし、ズボンを下ろしにかかる。


 ──君のはたかがじゃ済まさないぞ、僕が既婚者である事を知らないのか!いや、どうでもいい、こうなったら一か八かコイツの頭を吹き飛ばして……、体が動かない……?腕も上がらない……!口は動くがそれ以外が動かない。


「やめろ、機械のお前がこんな事する意味はないだろ!」ヴァニタスは立ち上がり、自分のズボンを脱ぎ捨て、湿らせたパンツをずらしてその淫らな秘部を開け出す。


マッテオの上で大股を開きながら見下し「うへへ、意外と大きいですね♡」と気色悪い声をあげ、愛液をまき散らす。まるで性に飢えた獣だ。


「機械だからだよ既婚者童貞マッテオ!私の本体は性を持たない清楚なシスター。だけど、だからこそ、性行為が気持ちいいぃぃー!特に略奪愛はたまらない、冒涜がたまらない!罪悪感もたまらない!」

 

 ヴァニタスの本性が余りにも下品極まり過ぎてマッテオは思考が飛びかける。


 ──いや、だとしたらシスターがやってはいけない事ランキングトップ3を全てやったんじゃないか?コイツ。


 ……ヨハナ以外に貞操を奪われるのは癪だが死ぬわけじゃない……。──なら耐えるまでだ、耐えて気を伺て……殺す。


 マッテオが明確な殺意と怒りを抱くのは人生で初めての事だった。

 

 ──つまらない感情だと理解はしながらも目の前のヴァニタスが他者の体と命を弄ぶ事が許せない。

 ……忘れるな、見誤るな、憎む相手はジェシカ・フロイドでは無くヴァニタスであることを……。


「……ヴァニタスは惨めだな」

 

「…なんです?」

 

 ──せっかく口だけが動くなら、ここは一つ、この胸糞悪いヴァニタスを煽り散らかしたい。


「こんな事をするぐらいだ、本体はそうとう不満を抱えているのだろ?考えるにシスターというテーマで作られた体と情報収集という能力が相反しているのだろう。演技に演技を重ねて、つまりシスターとしてのタブーを重ねてしまう矛盾に疑似人格がどうしょうもないエラーを吐いてるんじゃないのか?だから惨めと言ったのさ空虚で救いようもないゴミが」


 こんな状況だが悪口は冴えてるな、後は図星だと良いのだが……。


「…………黙りなさい」ヴァニタスの一声で口まで動かなくなった。──効いたようだな。


「あなたを私の本体まで連れて行く、そうなれば私の思うがまま……、死にたくなる様な支配をしてあげますよマッテオ・ギュルケ」ヴァニタスは顔を近づけると口の開けて見せる。中で銀色の触手がうごめいた。

 

「さぁ、性行為はキスから。ネチョネチョと舌を絡ませ唾液を交換しましょ〜」口内から脳に寄生する気満々だ。だがまだ勝機はある。


 タナトスピルツの菌糸巡るこの体の唾液がどれだけ効果的かは分からないがそれに賭けるしかない。そう、まだ死ねない。


 ヨハナの為か、自分の為かは分からなくなってしまった。だが会えないかもと、考えるだけで心の底から寂しい気持ちになったのは確かだ。


──肉欲のモノと環世界の男は廊下の奥から風を感じた

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