第7話 視点
たまに美術館を訪れる。
いつも不思議に思うのは、絵を間近で見ている人たちは何なのだろう。あれでは肖像画の絵具のヒビしか見えない。
絵画にはそれを見る視点というものがある。画家が想定した客の位置である。
レオナルド・ダ・ヴィンチのキリストの最後の晩餐は修道院の食堂の壁に飾る目的で描かれている。そこで食事を取る修道僧たちが最後の晩餐に同席しているように思わせるためだ。
そのため、この絵を見る正しい位置は絵の最下端なのだ。それもテーブルを置く分だけ離れた位置。決して絵の直前ではあり得ない。
この点が理解できていない者が絵を近くで食い入るようにして見る。そうやって見れば見るほど本来の鑑賞からは遠いものになると考えもせずに。
もっとも、本来の鑑賞方法が許されないものもある。
彫刻は指で触れる触感が重要な芸術だ。だが美術館で彫刻を触ることは許されない。ダビデ像の股座をじっくりと触っていたら、変態と思われるだけだ。
(余談だが、この時代の男性像のナニはすべて小さく作ってある。当時はナニが小さい男こそ理知に溢れた理想的な男と考えられたためだ)
日本での器物は美と用が合わさって初めて価値を持つという考え方だから、湯飲み茶碗は唇に当てるのが正しい鑑賞方法だ。だが飾ってある名品に唇をつけるなど許されることではない。本来の鑑賞方法からは外れるが、あくまでも目で楽しむしかないのは残念なことだ。
やはりそれぞれの道は奥が深い。深すぎて迷子になる人間が続出する。
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