第9話

 北のはずれにある神殿はそれほど遠くはなかった。

 朝方に出発した二人は、2時間ほど歩けば到着していた。

 きれいな湖のほとりに建つ、荘厳な建物だった。

 金や銀が彩られた装飾が一面に施されている。

 人里離れた湖畔には不釣り合いな巨大な神殿だ。

 これほど荘厳華麗な神殿は、中枢院近くに点在する大神殿ですら見たことはない。


「これはなんともまあ、立派というかなんというか…」


 その大神殿を見上げながらライルは嘆息をもらした。


「正直にセンスが悪いとおっしゃったらどうです?」


 シルビアが隣で彼の心を代弁するかのようにつぶやく。


「否定はしませんが…」


 言いながら正面の入り口へと歩いていくと、大きな扉の前に二人の神官衣を着た大男が立ちふさがっていた。


「誰だ、おまえらは」


 大男の一人が尋ねる。

 お世辞にも敬虔な信者とは思えない人相の悪さだ。


「私はライル・クレーバーと申します。中枢院のカルドです。このたび、この神殿の神官長がシルビア様と聞いて本物か確かめに参りました」


 ライルは落ち着いた声で言い放つと

「どうかお取次ぎください」

と伝えた。


 大男たちは顔を見合わせながら

「ちょっと待ってろ」

と言って、一人が奥へと消えて行く。


(言葉づかいからして、イシス教徒の人間ではないな)


 ライルはそう思いながら、男が戻ってくるのを待った。


 やがて、中に入って行った大男が神殿の中から姿を現すと親指をクイクイと中に向けた。


「入って構わん。失礼のないようにな」

「どうも」


 ライルはそう言うと大男たちの脇を通り過ぎて中へと入っていく。

 本来、カルドであるライルの方が立場が上なのだが、彼らはそれすら知らないらしい。


 二人が、神殿の中へと足を踏み入れると目もくらむような光景が広がっていた。

 ピカピカに磨き上げられた大理石の床が鏡のように天井に描かれた絵画を映し出している。

 いたるところに高価そうな調度品が並べられ、潤沢の輝きを放っている。

 奥へと続く通路の脇には、これ見よがしに女神イシスの巨大な石像が置いてあった。ありがたみなどまったくない。


 通路をつき進むと、暗がりの広い空間に出た。

 大理石の柱に松明がかかげられ、広い空間をぼんやりと映し出している。

 入り口で見た景色とは真逆の光景だった。


 明るい場所から暗い場所へと移動し、暗がりに目がようやく慣れた頃、中央の玉座に座る女性と目が合った。

 黒い艶やかな髪の毛をまとめ上げ、口には紅をさしている。

 目は細く、鼻がすらりと伸びている。

 冷ややかな表情をしているが、気品漂う美女であった。

 どことなく、背後に控えるシルビアと似ていなくもない。彼女の髪は銀色ではあるが。


「はじめまして、カルドのライル・クレーバーです」


 ライルが名乗ると、その妖艶な美女は答えた。


「この神殿の神官長シルビアである」


 シルビアと名乗った彼女の言葉に、ライルは深々と頭を下げた。


「伝説の聖女様にお会いできて光栄です」


 下手したてに出ているライルの態度に満足したのか、玉座に座るその女が薄笑いを浮かべた。


「わらわのことを知っておるとか」

「行方をくらました聖女様を、中枢院はずっと捜しておりました。先日、敬虔なイシス信者からシルビア様がここにいるという情報を聞いて、確かめに参ったのです」

「それは遠路はるばるご苦労であったな」


 彼女は、いかにも自分がシルビアだと言わんばかりの態度で玉座に座っていた。


「あの、ひとつ伺いたいのですが神殿は中枢院に届けを出さなければなりません。ここはその届けが出されていないようですが」


 ライルの問いに、彼女は落ち着き払った声で答えた。


「わらわはこの土地の人々の秩序と安寧を願っておる。わらわがシルビアと知られたら、たちまちこの神殿に信者たちが押し寄せてこよう。それはわらわの望むところではない」

「にしては、豪華な調度品が目立つようですが…」


 その言葉に、女はピクッと眉を寄せた。


「……何が言いたいのかえ?」

「イシス教では過度のお布施は禁じられています。もちろん、強要することもです。それはしておりませんか?」


 「ほほほほ」と女は笑った。


「そんなこと、わらわがするわけがない」

「あなたでなくとも、この神殿の誰かがやっていれば、それは神官長であるあなたの責任です」

「やっているという証拠でもあるのかえ?」

「実は、近隣の町や村から苦情が出ております。聖女シルビア様ともあろうお方が、多額のお布施を強要していると」


 もちろん、でたらめである。

 しかしライルは確信を持っていた。彼女はこの土地の人々から金を巻き上げている。でなければ、あれほど豪華な品々は手に入らない。


「馬鹿を申すでない。先ほども言った通り、わらわがそのようなことをするわけがない」

「でしたら、帳簿を見せてください。誰がいくら出したかの帳簿くらいはあるはずでしょう?」


 それを聞いて女は笑うのをやめた。


「嫌だと言ったら?」

「強要していると見なして上に報告します」


 玉座に座りながら、彼女はスッと視線を横に動かした。

 柱の向こう側、暗闇の中で数人の影が動き出す。


「すまぬが、帳簿はつけてはおらぬ。この土地の者はみな、善意でくれておるからの」


 その言葉にライルは笑った。


「やっぱり、あなた偽者ですね」

「なに?」

「お布施の帳簿は義務付けられています。神官長であるならば知らないはずがありません。あなた、誰なんです?」


 女は目を見開いて彼を睨み付ける。

 その目は、残忍で冷酷な光を放っていた。


「それ以上は何も申すでない。余計な詮索は命を縮めるぞえ」

「そうは参りません。そのために、中枢院から派遣されてきたのですから。上に報告します」


 玉座に座る妖艶な美女の顔つきがみるみる変わっていく。

 穏やかだった表情がメッキがはがれるように険しくなっていった。


「下っ端ごときが偉そうな物言いをしおって」

「その下っ端ごときに見破られるようでは、あなたもまだまだですね」

「わらわはこの神殿の神官長であるぞ!」

「ああ、そうそう。ひとつ言い忘れてましたが私の地位はあなたより上です。本来ならば、立場は逆なのですよ。それすらもわからないとは、とんだ偽者だ」


 その言葉に、女は逆上して椅子から立ち上がった。


「皆の者、こいつらを八つ裂きにしてしやれ!! 生かして帰すでない」


 その瞬間、二人の周りを大勢の男たちが取り囲んだ。

 各々、手には怪しく光る小剣を握っている。


「……」


 ライルは、身構えながら懐からダガーを取り出した。

 護身用のものだが、あまり使ったことはない。新品のような輝きを発している。


「ライル様、囲まれてしまいましたけど」


 背後に控えていたシルビアがメイスを握りしめながら言った。


「そのようですね」

「これから、どうなさるおつもり?」


 ライルはダガーを構えながら答えた。


「……どうもこうもありません」

「はい?」

「戦います」


 彼の言葉に、シルビアは耳を疑った。


「戦いますって、ものすごく囲まれてますけど!?」


 二人の周囲には逃げ場がないほど大勢の敵で埋まっていた。

 どう見ても多勢に無勢だ。


「昨日は『見ていてください』とおっしゃっていたではありませんか!!」

「言いましたけど、まさかこんなにもいるとは思いませんでした。偽者シルビア様もかなりの人徳者のようで」


 冗談めかして言う彼に、シルビアはもしやと思った。


「はじめから、こうすることが計算だったのですか? 彼女を逆上させて本性を暴こうと…」


 肯定も否定もしない表情を浮かべながらライルは肩をすくめた。


「てめえら、ごちゃごちゃごちゃごちゃとうるせえんだよ。こっちを無視してんじゃねえぞ、こら」


 彼らを取り囲む男たちの一人が剣を突き付けながら言った。


「てめえらは知っちゃならねえことを知っちまったんだ。生きて帰れると思うなよ」


 シルビアの顔を覗き込んで凄む男に、彼女は

「はい?」

 と表情を一変させた。


「まずは女、てめえからだ! その華奢な首をこの剣で切り落としてやらあ!」


 そう叫んでシルビアに襲い掛かる男に、彼女は手にしたメイスで瞬時にその男を叩き潰した。

 その衝撃で建物が激しく揺れる。


「え……?」


 それを目にして、まわりを取り囲む男たちが目を見張った。

 何が起きたのか。

 唖然としながら、その光景を眺めている。


「耳元でわめかないでください」


 シルビアは、そう言いながらぐりぐりとメイスを床の上で動かす。その姿に、男たちに悪寒が走った。


「な、なんだ、この女…」


 どう見ても普通ではない。

 その表情は明らかに異常者だった。目つきが怖すぎる。


 彼女は、まわりをとり囲んで固まっている男たちに視線をうつすと、血でべっとりと赤く染まったメイスをゆっくりと持ち上げた。


「死ぬのはあなた方です」


 そう言うと、渾身の力でメイスを振るった。

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